聖女の涙。


 大広間の最奥には、ひな壇が如くテーブルが一つ置いてある。

 周りを色とりどりの花々や、数多くの贈り物に囲まれた華やかな席だ。

 この場に集った者たちがグラスを勝手に歓談していると、その席に座る今日の主役が姿を見せる。



 レンの目に、リシア・クラウゼルは輝いているように見えた。



 紫水晶アメジストを思わせる色を併せ持った銀髪に、深紅のドレスがよく映えている。

 以前から変わらぬ妖精のような容貌が、いまはまるで高貴な姫君のよう。



「さぁ、リシア」



 彼女は父のレザードに手を引かれ、凛然としながらも、可憐な笑みを浮かべながら皆の拍手を浴びていた。

 不意にレンの視線と彼女の視線が交錯した。



『似合ってる?』



 唇の動きだけでこう尋ねられ、レンも同じように『似合ってます』と唇の動きだけで答える。

 するとリシアは、『レンも似合ってる』と唇を動かした。



 ――――やがて彼女が席に着く。



 すると、皆は新たなグラスを手に取り、それを見た当主・レザードが口を開く。

 レンのおかげでいまのクラウゼル家があること。そのリシアが今日で十一歳になったこと。今宵のために集まってくれた皆に、心から感謝しているということ。



 レザードはその挨拶をリシアの隣に立って口にすると、最後に「乾杯」の合図をした。



「お嬢様。おめでとうございます」



 使用人を代表して、執事が贈り物を渡しに行った。

 壮年の男性である執事の言葉につづき、この場に集まった使用人たちも祝いの言葉を口にしていた。



 それらを、リシアは嬉しそうに受け取る。

 執事から受け取ったものは、いくつかの服飾品のようだった。



「素敵。皆で選んでくれたの?」


「もちろんでございます。エウペハイムの商人にも声を掛け、つい先日届いたばかりのお品ばかりでございますよ」


(すご――――え、すっご)



 エウペハイムと言えば、あのイグナート侯爵が統治する大都会ではないか。

 皇族も足しげく通うと言われているかの地なら、きっとどんな令嬢も魅了する逸品があるに違いない。



 そう思えば、レンの首筋を一筋の汗が伝った。

 さすが聖女。贈り物もまた逸品だ。



「お嬢様。我々、騎士一同も贈り物を用意してございます」



 さっきまで傍に居たヴァイスがいつの間にかリシアの下に居た。

 きっと、レンが唖然としている間に移動していたのだろう。

 そのヴァイスはリシアの席の近くにあらかじめ用意していた贈り物を手に取り、リシアの前に差し出した。



「兼ねてよりお嬢様が欲しておられた、訓練用のお品一式でございます。私が近衛騎士時代、、、、、、に世話になった、帝都の店より取り寄せました」


「ほんとに!? ありがとうっ!」



 リシアが本心から喜んでいるのはレンにもわかった。

 しかし、訓練用の品を一式貰って喜ぶ令嬢は稀有だろうと思った。



(てか、近衛騎士時代って……)



 近衛騎士はそれ即ち、レオメルという国に仕える騎士の頂点。

 将官たちを除けば、それ以上の騎士は近衛騎士隊の隊長や、皇族一人一人の護衛くらいなもの。

 まさかヴァイスがそれほどの人物だったとはつゆも知らず、レンはまた一人唖然としていた。



(さて)



 いずれにせよ、そろそろ出番だ。

 事前の打ち合わせによれば、次は自分が贈り物を渡す番である。

 高まりつづける緊張に気が付かないふりをして歩き出し、一歩ずつリシアの傍に近づいていったのだが、



「次は私だな」



 レザードが言った。

 彼もまた、あらかじめ用意していた贈り物をリシアに渡しはじめてしまう。

 リシアの下に行こうとしていたレンの足がピタッと止まった。。

 それを見て、様子を伺っていた騎士の一人が言う。



「申し訳ありません。これは私たちも想定外です」


「……もしかしてレザード様は、俺が贈り物を用意してないとお思いなのでしょうか?」


「いえ、恐らく用意してあると確信しての振る舞いかと。ご当主様をご覧ください」



 騎士に言われてレザードを見れば、レザードは密かにレンを見て笑った。

 が、彼の意図を察したレンは意外にも落ち着いていた。



(……まぁ、いっか)



 ひるみすぎるのも男らしくないと思い、頬をパンッ! と叩いて気合を入れた。

 レザードが何を贈ったのかは見えなかったけど、誰が何を贈ろうと、ここからの流れが変わるわけでもない。逆に、驚くような品を見ずに済んだと思うことにした。



(よし)



 コツン、とレンの足音がとうとうと響いた。

 他の者たちの声で賑わっていた大広間に、どうしてかレンの足音だけが反響していた。

 すると、その音に気が付いたレザードがリシアの傍を退く。

 騎士や使用人が道を開けて、レンとリシアの二人を導いた。



 リシアはテーブル越しに見ていたレンに近づくため、自身も歩いてテーブルの前へ進む。

 二人は大広間の中央で向かい合った。

 互いにはにかみ、次の句を発するまで十数秒を要する。

 だが、しっかりとレンから口を開いた。



「おめでとうございます。それと――――似合ってます」



 それを聞いたリシアは照れくさそうに首をコロン、と寝かせた。



「さっきも言ってくれたじゃない」


「あー……やっぱり、直接の方がよいかと思ったので」



 余計だったかと思っていたら、リシアは「ありがとう。嬉しい」と短く言った。

 その声はいつもと違い、どこか熱を孕んでいた。



 が、いまのやり取りを気に二人がふっ、と黙りこくってしまう。

 しかし、二人の間に漂う空気は決して気鬱とはしていない。

 むしろその沈黙すら、楽しんでいるように見えたほどだ。



「あの、ですね、俺からも贈り物を用意してるんです」



 するとリシアが、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。

 


「私に?」


「そりゃ、ここで渡すとしたらリシア様しかいませんよ」


「……いいの? 私、レンにたくさん迷惑を掛けちゃったのに」


「俺はそう思ってないので、気にしないでください」



 普段と違ったぎこちなさが二人の間に漂いはじめる。

 でも、リシアの表情は煌めいていた。

 本当に貰っていいのかという迷いは確かにある。

 一方で、他でもないレンから贈り物を貰えることに、言葉に出来ない喜びも覚えていた。



 前に服の贈り物を貰ったときだって嬉しかったのに、誕生日となればまた格別。

 胸が早鐘を打っているのが、レンにバレないか心配でたまらなかった。



「受け取っていただけますか?」


「……うん!」



 それに対し、リシアが嬉しそうに頷く。

 レンは喜んでもらえますように、と何度も何度も心の中で呟く。

 ジャケットの内ポケットに差し込んだ手が、遂にラッピングされた箱に届いた。それを潰してしまわぬよう、慎重に取り出して両手に持つ。

 目の前にいる、花よりも華やかなリシアに対して、



「お誕生日、おめでとうございます」



 月並みながら祝いの言葉を添え、用意した贈り物の入った箱を手渡した。

 リシアはその箱を、一度は胸の前に持っていき両手で抱きしめた。

 でもすぐに胸元から離し、じっと箱を見つめてから、つづけてレンへ熱の入った双眸を向けた。



「ありがとう。――――コレ、見てもいい?」


「もちろんです。気に入っていただけると良いのですが」


「もう、何言ってるの。私、贈り物がこの入れ物だけだったとしても、他の贈り物より喜べる自信があるのに」


「お気遣いいただけたのは嬉しいのですが、それはそれで他の方に失礼ですので……」



 だからリシアも、半分本気で半分冗談だ。

 あくまでもレンの緊張をほぐすためなのと、それくらい嬉しいという気持ちを伝えたかっただけ。

 騎士や使用人も気を害さず、二人の冗談に笑っていた。

 またレザードも二人を見守り、レンが何を贈るったのか楽しみにしているようだ。



「……何かしら」



 ラッピングのリボンを解きながら呟くリシア。

 彼女はそのラッピングが、行きつけの店の物であることはすぐに気が付いていた。

 では、あの店にある物だろうか。



 本当にレンは何を贈ってくれたのだろう、と躍る心のままに蓋に手を添えた。



 ――――そして、開く。

 中にあった煌びやかな羽の髪飾りが、シャンデリアの灯りを清淑に反射した。

 リシアは言葉を失った。はじめて目の当たりにした品なのに、それが何なのかすぐにわかってしまった。



 やがて頬を一筋の涙が伝う。

 ただの涙のはずが、宝石に似た美しさを湛えていた。



「どうしたらいいの」



 彼女は頬を伝う涙を指先で拭いながら。



「私、嬉しすぎて死んでしまいそう」



 新雪を思わせる白い肌の指先を、玉の瞳からあふれ出た涙が濡らす。

 薄っすらと紅が塗られた唇が頬に持ち上げられ、笑みを作り出す。聖女と呼ばれるリシア・クラウゼルの姿はとうにない。贈り物に喜ぶ、一人の少女がいただけだ。

 


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