第三皇子の考え事。
レンが見た先では、エドガーが一人で歩いていた。
「エドガーさん?」
歩いて近づいたレンが傍で声を掛ければ、やはりエドガーだ。彼はレンの姿に気が付き洗練された所作で頭を下げ、
「レン様、お買い物ですか?」
彼はそう尋ねてきた。
レンは「はい。それでエドガーさんは?」と言葉を返す。
「私はヴェルリッヒ殿に頼まれたものを買いに来ておりました。いま、主がヴェルリッヒ殿の工房におるものですから、別行動をしていたのです」
「あ、ユリシス様も帝都にいらっしゃってるんですね」
「はい。実は昨晩、ようやくヴェルリッヒ殿の工房に例の素材を運び終えたところでして。主はその確認もかねて、帝都に足を運ばれたのです」
例の素材というと、アスヴァルの素材の他にはないだろう。
「あー……そういえば確か、運搬に時間が掛かってたんでしたっけ」
「そうなのです。なにぶん大きな品ですから、雪の影響を受けてしまっておりました」
話を聞いたレンは「うーん」と悩んだ。
この後は帝都にある店を適当に覗こうと思っていただけだから、この後は自分もヴェルリッヒの工房に行くべきかと考えた。
彼がそれをエドガーに伝えると、エドガーも「確かに」と頷く。
それを受けて、レンはエドガーと共にヴェルリッヒの工房への道に就く。
近くにある魔導列車の駅まで向かい、二人で鍛冶屋街傍まで魔導列車に揺られた。
レンは帝都はどこも賑わってるなと思いながら、エドガーととりとめのない話を交えながらヴェルリッヒの工房へ足を運んだ。
工房の中に居たヴェルリッヒとユリシスの二人が、レンの来訪に驚いた。
「おん? おお! レンじゃねえか!」
「やぁ! まさかエドガーと一緒に君が来るとは思わなかったよ! さぁさぁ、こっちに来てくれるかい?」
レンは誘われるまま、工房に居た二人の傍に近づく。
二人は工房に入ってすぐの広間に居る。レンが近づいてすぐ、ヴェルリッヒが唐突に懐から紐を取り出すと、それでレンの胴回りを測りはじめる。
「あの……え?」
「ついでだ。測らせろ」
「ヴェルリッヒは鍛冶仕事がしたくてたまらないのさ。君が来てくれたから、せっかくだしってことだろう。もう素材は届いたわけだしね」
「なるほど……だから急に……」
状況を理解したレンは、参考書が詰め込まれていた紙袋をすぐ傍にあるテーブルに置く。
「買い物をしてたのかい?」
「ええ。参考書を。帰りにエドガーさんを見かけたので、どうしたのかと思ってお声がけした結果、いまにいたります」
「ははっ、そういうことか。ただこれも良かったのかもしれないね。君の防具を作るために、こうして時間を短縮できたわけだし」
「ですね。おかげで、ユリシス様ともお会いできましたから」
「うん? 私に何か用でもあったのかい?」
用事と言うほどではないが、レンは先日フィオナと出会ったことを告げた。
ユリシスはそのことを知っていた。彼の耳に届いていない方があり得ないだろうけど、レンには他にも聞きたいことがある。
「俺とユリシス様が連絡を取っていたこと、フィオナ様にはどうして内緒にしてたんですか?」
「ごめんごめん。忘れてたんだ。他に深い意味はないよ」
(……絶対嘘じゃん)
ユリシスが心の内で何を考えてあの行動を選んだのか、結局レンにはわからなかった。そしてユリシスから聞き出せる術がないことを自覚していたこともあって、彼は「そうなんですね」と肩をすくめた。
更にユリシスが話題を変えたため、もう尋ねようもない。
その話題だが、レンとヴェルリッヒに強い興味を抱かせた。
「あん?
ヴェルリッヒがレンの身体のサイズを測りながらだった。
世間話のようにユリシスの口から語られたのは、つい先日、魔道具職人の工房がいくつか盗みの被害に遭ったという話だ。
商会に所属している職人や、個人で工房を営む者など関係なくだ。
しかも、同じ夜のことだったそう。
「けったいなこった。高価な魔道具でも持ってたのか?」
「どうだろうね。意外と金品には手を付けられていなかったそうだよ」
「でもクソガキには関係ないことだろ。いまみてーな話は軍務関連やら騎士関連の仕事をする奴らの領分だぜ」
「それも間違いないが、こういう話は耳に入れておいて損がないものさ」
レンは二人のすぐ傍で険吞な会話を聞きながら苦笑いを浮かべていた。
(魔道具職人の工房が襲われたっていうイベントに覚えはないな)
かと言って、バルドル山脈での件があるから無警戒ではいられなかった。彼はいまの話を聞けたことに対し密かに感謝していた。
「よっし。もういいぜ、レン」
防具を作るための採寸が終わった。
「四月頃にはできあがるぜ。レンはまだまだ成長期だろうし、できてからも逐一調整しないといけないがな」
「ありがとうございます。それもお世話になります」
「気にすんな。アスヴァルの角を扱えるってんだからな」
ニカッと笑ったヴェルリッヒが腕組み。
分厚い筋肉に覆われた腕だった。
「んで、剛剣技の具合はどうだ?」
「ぼちぼちです。少しずつ強くなれてる実感はあるので、これからも頑張らないとって感じです」
「そいつは何よりだ。――――ってなわけで、レンの防具を作ってからは、早速、レムリアの修理に移れるな」
「そっちはどのくらい時間が掛かりそうなんでしょう」
「一年か二年もあれば直ると思うぜ。俺様が一人でやるから、そんくらいは掛かる」
「――――え? 一人でするんですか?」
「当たり前だろうが。俺様に助手やら弟子が居ると思うか?」
「い、いえ、てっきり魔導船技師を臨時の助手にするもんだと……」
するとヴェルリッヒは開き直った。
いや、むしろそれこそ彼らしいという言葉である。
「俺様が誰かと一緒に仕事できる性格だと思うか?」
堂々と言われたレンは何も言い返せず、でも失礼なことは言うまいと笑みを繕う。
ユリシスはそれを見て笑っていた。
「さてと」
そのユリシスが腕時計を見て、
「悪いね。私はそろそろ行かないと。ヴェルリッヒ、後のことはよろしく頼むよ」
「おう。細かいところはレンと詰めておくからよ。必要な資材やらがあったらまとめとくぜ。後で注文しておいてくれや」
「わかってる。それじゃ、私はこれで」
工房を出たユリシスとエドガー。
今日は天気が良く、コートとマフラーを身に着けていると少し暑い。ユリシスはコートのボタンを外すと、風を切って歩きながらコートの内側で風を浴びた。
「さて、我々は
「はっ」
二人は鍛冶屋街を後にした。
帝都に溶け込むようにその姿を消し、何か目的を以て動きはじめたのである。
一方、工房に残ったレンはヴェルリッヒと相談を重ねた。
甲冑のような防具は避けて、動きやすいものがいい。当然、指先も動かしやすい方が良いため関節の部分は特に配慮してほしいと告げた。
「後々も調整しやすいから、最初は手甲か籠手にでもしとくか?」
「ですね。それがいいと思います」
最初に作られる防具が決まって、二人は工房の奥へ向かった。
ヴェルリッヒが鍛冶師仕事に勤しむ空間は、他の部屋と違い整然としている。仕事に対しては真面目な彼らしさが垣間見えた。
いまはそこの床に、巨大なアスヴァルの角が置かれている。
以前、レンが故郷の村で見つけたままの姿をしていた。
「立派なもんだ。昨日のうちにちょっくら確かめさせてもらってるが、こりゃ、軽さの割に硬さが尋常じゃない」
「……でしょうね」
レンは自分でもよく斬れたものだと思った。アスヴァルの頭部にあった頃と違い、やや灰色に風化した角をみているとあの戦いを想起する。
いまでこそ言えることだが、本当によく戦ったものだ。
「で、最初の予定と違うが根本付近は大胆に切断しちまおうと思う。切った素材もちゃんと使えるように計算するから、安心してくれよな」
「大丈夫ですよ、信じてますから。でもどうして予定を変えたんですか?」
「――――そいつは説明するより見た方が早いな」
そう言われ、レンはヴェルリッヒと共に角に近づく。彼は角の根元付近に近づいたところで、ヴェルリッヒから片目用のルーペを手渡された。
「俺様が指さしたとこをよーく見てみな」
レンは言われるがまま、ルーペを装着して目を凝らす。
そこには、細かな筋が幾本もあった。たとえるなら毛細血管のような筋で、幾本ものそれが何かを目指して伸びている。
「龍の角は数えきれないくらい加工してきたが、角に特殊な器官がありそうなのは見たことねぇ」
(もしかして、これ――――)
アスヴァルは角を折られると弱体化する。
その力の根源たる何かが角の中にあるとすれば、間違いなくこれらの筋の先にある。
レンが何か悟った様子でいるのを見たヴェルリッヒが頷く。
「龍にとって角は特別なもんだが、アスヴァルは特にそうだったんだろうな。ま、詳しくは聞かねぇよ。加工する価値がありそうってわかっただけで十分だ」
早速、今日から取り掛かる。
勝気に笑ったヴェルリッヒが白い歯を見せた。
レンは「お願いします」と言って深く頭を下げ、つづけて防具制作の話を再開した。
◇ ◇ ◇ ◇
クラウゼルに居た給仕や騎士が何人か、レンとリシアの私物と共にエレンディルへやってきた。当然、レンがイェルククゥから奪った馬のイオもだ。
イオは普段世話をする給仕に大層懐いており、毎日をのんびり過ごしていたと聞く。はじめての空の旅にも臆することなく、魔導船の中でもいつも通りくつろいでいたそうだ。
……こうして、エレンディルの暮らしに以前の慣れ親しんだ要素が戻りつつあった。
忙しない日々を過ごすうちに、ヴェルリッヒと防具の話をしてから三週間が過ぎた。
この間、レンもリシアも忙しない日々を過ごした。というのは試験勉強に加え剣の訓練もあって、忙しなくも充実した日々だった。
フィオナも同じだった。彼女は一年を締めくくる試験がつづいたため、勉強に勤しむ日々を送ったという。
二月も下旬になり、 帝都やエレンディルの街中では残雪も僅かになった頃である。
「レン殿は昇級に興味はないのか?」
巨剣を好んで使う大柄な剛剣使いがレンに尋ねた。
レンが防具制作の途中経過を確認してくれとヴェルリッヒに言われ、それを確認し終えた帰りに獅子聖庁で剣を振った後のことだ。
「昇級って、なんのです?」
「ギルドのだとも。聞けばまだEランクとのことじゃないか」
「あー……そのことでしたか」
「レン殿なら難なく昇級できそうなものだが、そうしない理由でもあるのか?」
「単に特殊依頼をやりたくないからですね」
特殊依頼とは、その依頼人が貴族や国の機関の場合の総称だった。
Dランクに上がるためには、特殊依頼を最低一つ達成しなければならない。
レンがなぜそれを避けてるのかと言うと、手間が掛かるからだ。
特殊依頼の内容の多くは、犯罪者の痕跡を探すことや討伐など、内容によっては数日を要するため簡単なものではない。
途中で依頼を放り投げると大きなペナルティも発生するから、猶のこと受ける気になれなかった。
「いまは剛剣技を学ぶことで手一杯ですし、特殊依頼を受けるのはもうしばらく後でいいと思ってます」
「そうか、何となく君らしい言葉だな」
軽い口調で言ったレンはうんと身体を伸ばし、傍に置いていた訓練用の剣を手に取る。
「すみません。もう一度お相手していただけませんか」
「やれやれ……本当に、どれだけ体力があるのだ?」
「それはこっちの台詞ですよ。皆さんだって疲れることなく剣を振ってるの、俺はいつも見てますからね」
爽やかな笑みを浮かべたレンが先を進む姿に、大柄な男は肩をすくめ、
「……私も、うかうかしていられんな」
レンの脅威的な成長速度に苦笑した。
◇ ◇ ◇ ◇
帝城からは帝都を端から端まで見下ろせた。
獅子聖庁でレンがその才を磨いていた頃、帝城が上層階の一室にて。石造りのバルコニーの椅子に座る、一人の少年が片手に持った羊皮紙を眺めていた。
この高さになると、日によっては雲だってほぼ同じ高さにくる。
そのため、まだ暖かな春とは言えないいまは風が少し寒かった。しかしその少年は、気にすることなく羊皮紙に目を通していた。
――――第三皇子、ラディウス・ヴィン・レオメル。
ここは彼の部屋にあるバルコニーだ。
風に髪を靡かせる姿は、少年でありながら独特の色香がある。
その彼が、何かを決めた様子で息を吐いた。
「さて」
次に彼はいつも通りの声で、
「ミレイ」
女性の名を口にした。
すると、すぐに現れたのは、ケットシーと人の混血である可愛らしい少女だった。
彼女はラディウスの部屋にやってきて、すぐにバルコニーへ足を運んだ。
「お呼びですかニャ?」
「先の騒動の件についてだ。少し気になることがあるから、ギルドにも依頼を出そうと思う」
ミレイと呼ばれた少女はラディウスの声を聞き、耳を揺らした。
また急な、と思いながら、これもいつも通り、と笑ってだ。
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