仕事が本格化する少し前に。

 思い思いに昼休みを過ごす生徒たち。

 昼食はもちろんとして、午後の授業の準備や自習、他にも仲のいい生徒同士で歓談する姿も度々見受けられた。



 フィオナもある目的があって、一年次の教室が並ぶ廊下へ足を運んでいた。



「すみません」



 彼女は一年次の特待クラスに所属する生徒たちを見かけて声を掛けた。

 男女入り混じった数人の生徒たちはフィオナが唐突に声を掛けてきたことに驚いていた。



「レン・アシュトン君がどこにいるかご存じの方はいらっしゃいませんか?」


「アシュトン君なら確か――――」



 女生徒が答えようとしていたら、食い気味に口を挟む男子生徒。



「裏庭だと思います! 俺たちの友達と一緒に行くのを見ました!」


「そうだったんですね! ありがとうございます!」



 礼をしたフィオナが一年次の生徒たちに背を向けてこの場を後にする。

 彼女の後姿を見ながら男子生徒が、



「アシュトンって、どうしてイグナート様と仲がいいんだ?」


「わからん……偶に第三皇子殿下と話してるときもあるらしいし、クラウゼル家が皇族派に近づいてるとかじゃないか?」


「待て待て。だとしたらクラウゼルさんとリオハルドさんの仲の良さも無視できない。うちが所属する英雄派にこそ近いって言われてただろ!?」


「同じ英雄派の私からしても、そんなのあり得ないって感じがするけど」


「――――どうしてだよ?」



 英雄派の貴族を親に持つ少年がむっとした顔をした。

 同じく英雄派に所属する親を持つ少女が肩をすくめて、その声は申し訳なさそうにややトーンを落として。



「ギヴェン子爵の件があったでしょ。いくらリオハルドさんと仲がいいからって、あんな過去があって英雄派に加わるはずがないじゃない」



 女生徒がため息交じりにつづける。



「それと、私の兄が入学式のときに驚いたって。貴方も数年前の最終試験の騒動は知ってるわよね?」


「――――知ってるが……それがどうしたんだ?」


「私の兄がその世代よ。バルドル山脈にある砦に逃げた当時、救助に来た一団の中にアシュトン君がいたんですって」


「本当かよ。そのときのアシュトンって、いいとこ十一歳だぜ?」


「そうね。でも兄は間違いないって言ってたわよ。当時のアシュトン君は恐らく、クラウゼル家の騎士に混じってバルドル山脈に来たんじゃないか、って。イグナート家の関係もその頃からなんじゃない?」



 この少女の兄はバルドル山脈で騒動が勃発した当時、吊り橋で冒険者の前で強がった少年だ。彼は自分を気遣って手を貸した冒険者に声を掛け、そのまま自分の騎士にしていたのである。



「クラウゼル子爵は中立を保っているお方だけど、もしも派閥が変わるとしたら明らかに皇族派でしょうに」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 フィオナは先ほどの生徒たちがそんなことを話しているとは露知らず、急かす足を窘めながら、でも早歩きで校舎の裏側へ向かう。



 校舎を出た際、レンと再会した大きな木を見て微笑んだ。

 あれから、もう一年以上経っている。いまではこうして彼が傍にいてくれることを幸せに思いながら、後者を出てから駆け足で歩を進めた。

 やがて、



『そうそう。あともう少しこうしてみると――――』


『お、だからしっくりこなかったんだな』


『助かる! これなら次の授業でも他の一年よりうまくできると思う!』


『うん。ならよかった』



 レンの声と他の男子の声が聞こえてきた。

 フィオナは邪魔したらまずいと思い、近くの木に背を預けて彼らの話が終わるのを待った。

 すると、一人、また一人と合計四人の男子生徒が裏庭からフィオナがいる方にやってきた。彼らはそこにいたフィオナの姿に驚いて、軽く会釈をしてこの場を後にした。



 フィオナはもういいかと思ってレンの下へ向かう。

 後者の裏庭にいたレンは、制服の上着を脱いでシャツをまくっていた。ボタンもいつもより数個多めに外したラフな姿だ。



「あれ、フィオナ様――――っとと、すみません。はしたない恰好で」


「お、お気になさらずっ! 急に来ちゃったのは私ですからっ!」



 レンの珍しい姿を見たフィオナは早鐘を打つ胸に気が付きながら、平静を装って彼の傍へ近づく。



「運動していらしたんですか?」


「みたいなものです。俺が剣術の授業でリシア様と剣を交わして以来、帝国剣術を教えてくれって偶に頼まれることがありまして」



 近くに迫る獅子王大祭の代表選考もあり、レンの強さに憧れを抱いた男子たちが教えを乞っていた。

 レンとしても断る理由がなく、空いてる時間に少しくらいならと受け入れることがあった。それにレンは無意識だったけれど、教えを乞う者の仲には貴族もいるため、彼らと縁ができる面から見ても悪くない。



 昼休みなどの時間に、生徒同士で教え合うことは学院側も禁じていない。

 訓練用の剣を生徒たちだけで使うことを危険と論ずることも、この学院においてはあり得なかった。



「ふふっ、そうだったんですね」



 フィオナはレンが慕われていることを自分のことのように嬉しく思って、笑みを浮かべながら彼の傍に腰を下ろす。レンが座っていた芝生の傍で膝を抱いた。



「ところで、フィオナ様はどうしてここに?」


「そうでした! 実は――――」



 フィオナが話すのは、先日ラディウスとミレイが話していた空き部屋の件だった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ある日、休日にもかかわらず学院に足を運んだ三人がいた。

 やってきた理由は例の空き部屋を掃除するため。

 その部屋は図書館の裏手に出られる側にも出入り口となる扉があった。そこから外に埃まみれの本や木箱を外に出したレンが、ふぅっ、と息を吐く。



 レンが額に浮かんだ汗を拭ってから「リシア様」と彼女を呼んだ。



「はーい? どうかした?」



 同じく掃除に勤しむリシアが、ホウキを片手に返事をする。

 レンは最初、リシアとフィオナの二人には全部俺が掃除するから大丈夫と言ったのだが、二人は自分たちも使う部屋だからと固辞した。

 いま、三人が一緒に掃除をしているのはそれが理由だ。



 ラディウスとミレイも掃除をするつもりだったが、予定が合わなかった。

 ……予定があっても、リシアとフィオナは立場を踏まえて止めただろうが。



「俺たちが剣術の授業に参加しなくなった件、リオハルド嬢は何か仰ってましたか?」


「そのことなら、『なんでよぉおおおおっ!』って叫んでたわよ」



 だが事情は理解できたとのことで、叫んだ後は『でも、しょうがないわよね』と頷いたそう。

 リシアはいずれ、休みの日にセーラと剣を交わす日を作る予定だという。



「そのご様子が頭に浮かんで――――って、クロノアさん?」



 二人が話している場所へ、私服姿のクロノアが近づいてくる。

 ロングスカートにニットを合わせたシンプルな出で立ちながら、彼女はそれを普通に感じさせないほどの華があった。

 どうしたのだろうと思ったリシアが問いかける。



「クロノア様? どうかなさいましたか?」


「うん! ボクもお手伝いしようかなって!」


「と、とんでもないです! 片付けくらい私たちでやりますからっ!」


「たははっ、いいのいいの。もとはと言えばボクが実行委員をお願いしたんだしね」



 そう言うと、クロノアはロングスカートのベルトに添えていた杖を取り出した。

 その杖を軽く構えると、軽く振ってレンとリシアの服に付着していた埃を払った。



「面白い魔法ですね」


「ありがと。種明かしをしちゃうとただの風魔法なんだけどね。ボクがちょーっとだけ細かく操作してるだけだよ」



 そのちょっとが難しいのに、軽々とこなすのがクロノアらしい。



「いまクロノア様の声が――――あら?」



 空き部屋から外に出てきたフィオナがクロノアの姿に気が付いた。

 フィオナが両手に抱えていた埃まみれの木箱を床に置けば、クロノアはもう一度杖を振って埃を払う。



「ボクも手伝いに来ちゃった」


「あ、あらあら……学院長が掃除を手伝っても大丈夫なんですか?」


「逆にダメな理由はないもん。それにボクは二か月ぶりに終日お休みだから、楽しく過ごしたいしさ」


「久しぶりの休日なら、それこそクロノアさんのご自宅で休んでた方がいい気がするんですが……」


「……レン君はさ、ボクが休みの日にどう過ごしてるか知らないからそんなことを言うんだよ」



 クロノアが遠い目をして自嘲する。

 心なしか、瞳から光が消えたような気がした。



「偶の休日くらいゆっくり過ごそうって思ってると、気が付いたらベッドの上で一日が終わったり、買い物から帰ったらそれだけで色々やる気がなくなっちゃったりする気持ち、きっと経験したことないよね?」



 レンがそっと目を反らすと、クロノアその先に回り込んだ。

 にこっと、まさしく妖精のように微笑んだ彼女。

 不思議と妙な圧を感じたレンが「四人でやればすぐに終わりますよね」と言い、クロノアを喜ばせた。

 仕方なさそうに笑うリシアとフィオナを傍目に、レンがこほん、と咳払い。



「実際、ちょうどよかったかもしれません」


「はえ? ボクが来たから?」


「そうです。実は俺たちではどう扱えばいいかわからない物が多くあるので、クロノアさんに確認してもらえばいいかと思って」


「任せてよっ! ボク、こう見えて学院長だから捨てていい物とダメな物の区別はちゃんとつくからさ!」



 そりゃ、ついて当然なのだが口にしない。

 クロノアは久方ぶりの休日を三人と過ごすことを楽しく思っているようだから、それに水を差すような真似をしてはならないのだ。

 ……また、彼女の瞳から光を奪ってしまわないためにも。



「たとえばこれとか」


「わっ、まだあったんだそれ! 確か五年くらい前に学院祭で使った魔道具だよ! 霧に似たモヤモヤを生み出せるんだったかな」


「ではこちらはどうでしょう」


「それも懐かしいなー……昔の生徒が特注で用意した魔道具だったと思う。魔力を込めると宙に浮いて、少しの間鈍く光ってゆらゆらするんだよ」



 話を聞くクロノア以外の三人が顔を合わせて苦笑。

 三人を代表して、フィオナがいまの話について問いかける。



「その二つの魔道具は何に使ったのですか?」


「アンデッドハウスっていう名前で、お客さんを驚かせる出し物をしてたはずだよ。すっごく人気で、お客さんを何人も泣かせちゃったんだったかな」



 ああ……と三人が頷く。

 学院の性質を思えば、そんな出し物もあったのかと衝撃を覚えざるを得なかった。

 レンはその後、捨てる物を纏めて木箱に詰め込んだり、麻紐で縛って運びやすいように準備をした。

 彼はその多くを抱え、ゴミ捨て場へ運ぶことに決めた。



「ちょっと行ってきます」



 三人に一言告げてからその場を離れ、歩くこと数分。

 学院の裏手にあるゴミ捨て場にゴミを運んだレンの耳に、男子生徒たちの声が届いた。

 レンも知る声だったから、彼は足を止めて声がした方向に顔を向けた。

 視線の先にある広場で、互いの力を競い合う者たちがいた。



(ヴェインとカイトか)



 いまではカイトと呼び捨てにしてはまずいと思いつつ、内心だけのことだからとレンは自分を擁護した。

 ヴェインがレンの姿に気が付いて剣を持つ手を止め、手を振る。

 すると、彼と力を競っていたカイトも手にした大盾を下ろす。



「レン! 休みなのに何をしてるんだ?」



 声を掛けられたからには無視できず、レンは二人がいる広場へ近づく。



「俺もすることがあっただけだよ。ってか、ヴェインこそどうして学院に?」


「ああ、俺はさ――――」



 ヴェインはカイトがいることを思い出して、まずは彼をレンに紹介することに決めた。



「紹介するよ。カイト・レオナール先輩だ」


「おう! アシュトンのことは聞いてるぜ! よろしくな!」



 レンは差し出されたカイトの手を見た。

 その手を取れば、カイトが力強く握り返してくる。

 


「んで、俺とヴェインのことだけどな」



 誘ったのはカイトで、彼はヴェインと剣を交わしたかったから。

 学院が休みのこの日を狙い、少し前から約束していたと彼は言う。

 そこに偶然、レンがやってきただけのことだった。



「聞いてくれよ……カイト先輩が強すぎて歯が立たないんだ」


「そりゃ、相手は英爵家の方なんだから、俺たち程度じゃ難しくて当たり前だって」


「わ、わかってるけど、負けたくはないだろ!?」


「……気持ちはわかるけどさ」



 相手は一歳年上で、力自慢のカイト・レオナールだ。

 七英雄の伝説でもその膂力と耐久力に加え、手にした大盾でパーティメンバーを守った男に外ならない。この時点のヴェインでは勝てなくて当然だ。

 


「なぁ、アシュトン」



 カイトの興味がレンに向けられた。



「この前の授業のことは聞いたぜ。俺たち二年次の間でも噂になってて、どんくらい強いのかって気になってるやつが多いんだ。あのリオハルドもすごく強いって言ってたしな」


「いえ、そんなことはありません」


「がっはっはっ! 謙遜するなって! リオハルドが他人を褒めるのは滅多にないんだ! しかもあの聖女より強いんだろ?」



 どうしたものかと思ったレンが傍にいるヴェインの顔を覗き見た。

 ヴェインは首を横に振り、俺には何もできないと答えたようにも見える。



「どうだ? ここで知り合えたのも何かの縁だし、俺たちと汗を流していくってのは」



 そう口にしたカイトが片腕をぐるぐると回す。反対側の手には、腕に括りつけるように装備した大盾があった。

 カイトがその腕ごと武器にする戦い方は、レオナール家が代々受け継ぐそれだ。

 しかし、誘われたレンが固辞する。



「――――遠慮しておきます」

 


 あっさり断りの言葉を口にすれば、カイトが「おっとと!?」などと驚き喜劇で見られるような仰々しい仕草で体勢を崩した。



「何でだよ!?」



 断ったのには色々と理由がある。

 中でも一番の理由は、わざわざ休日に学院に来たことである。



「実は俺、やることがあって学院に来てたんです」


「やること? 俺以外の奴と立ち合いをするためとかか?」


「いえいえ、違いますよ」



 そういえば、この男は割と脳筋だった。それでいて戦闘センスはずば抜けているので英爵家の人間らしさもある。

 それらのことを思いだしながら、レンは失礼に当たらぬよう表情を繕う。



「獅子王大祭の実行委員です。その活動に使う部屋の掃除をしに来てました」



 想像していなかった言葉なのか、カイトが大口を開けて面食らっていた。

 だが彼は、数秒と経たぬうちに勢いよく頭を下げる。



「ありがとよ! 実行委員をしてくれてるってんなら感謝するしかないな! だが……おん? ってことは代表選考にも出ないのか?」


「もちろんです。実行委員以外にもする仕事がありますから」


「なんだよぉ~……せっかく強い奴と戦えるって思ってたのになぁ~……」


「カイト先輩、おかげで俺たちが武闘大会の代表選考に出られるわけですから」


「わ、わかってるって! さっきも言ったけどな、俺はちゃんと実行委員に感謝してるんだぜ?」



 項垂れたカイトが慌てて言い繕う。

 本当にこの男は素直でわかりやすく、すっきりとした人となりをしている。

 カイトは腰に手を当て、また豪快に言う。



「残念だが諦めるぜ! また今度、獅子王大祭が終わった頃にでも相手してくれよな!」


「ええ……都合が合いましたら」


「おう! 頼むぜ!」



 レンは図書館の空き部屋へ戻ろうと思い、その旨を二人に告げる。

 カイトはレンが去る直前に、



「忙しいのに悪かったな! またなーッ!」



 満面の笑みを浮かべ、レンの背に向けて勢いよく左右に手を振っていた。

 レンは彼らにもう一度振り向いて、軽く手を振ってから図書館隅の小部屋へ戻っていったのである。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る