伯爵家の令嬢。ラディウスの側近。

 さぁ――――っと辺りの芝生を夕方の風が撫でた。

 まだ学院に残っていた生徒たちの声が、時折二人の耳に届く。

 彼らはそんなことは気にせず、特にラディウスはいまから口にする話にだけ意識を向けていた。



「生まれた少女こと蝕み姫は、彼女の両親でさえ触れることができない、何者も蝕む魔力を持っていた」


「器割れと真逆ってこと?」


「ああ。器割れは自分の身体を蝕むが、蝕み姫の魔力は他者を蝕んだ。しかも蝕み姫本人が制御しきれなかったため、蝕み姫の父は止むなく彼女を塔に軟禁したそうだ」



 ラディウスは自分が聞かされた昔話そのままに話すというよりは、どういった話なのか掻い摘んで語る。



 話を聞くレンは蝕み姫の境遇に切なさを覚えた。

 また、どうして幼い皇族にそのような昔話を聞かせたのかと疑問を抱く。しかし、つづきを聞けば、ちゃんと昔話らしくそれらしい終わり方をしていた。



「やがて、一人の男が現れる。その男は蝕み姫の力の影響を受けなかったらしい」


「ってことは、その人が活躍するのかな」


「レンの想像通りだ。男は蝕み姫の力を抑えるために必要な三つの宝物を集め、蝕み姫に求婚した」



 昔話の中でも触れ方は、あくまでも三つの宝物を集めるように、とだけ。

 その詳細までは出てこないらしく、あくまでも、そうした課題として登場するらしい。

 ラディウスもラディウスで、昔話だからとあまり気にしていないようだった。



「それで、どうなったの?」


「自分の力がまた再発したらと断りかけた蝕み姫を、男が塔から強引に連れ出した。

異常を察知して塔を守っていた者たちが二人を追えば、蝕み姫は『いつか私の力が再発するかもしれない。それか私を連れ戻そうとする者が貴方に剣を振るかも』と言った」



 二人は庭園にある背の高い生垣の道を進みながら話しつづけた。



「だが男はその言葉を一蹴した。更に『そんなことは気にしない』と笑い、『こうして俺が傍にいるのは嫌ですか?』と問いかけた」



 じっと耳を傾けるレンと、話しをつづけるラディウス。



「蝕み姫はその問いに答えず、『私といても幸せになれない。いつか私も貴方も、新たな追手に襲われるかも』と告げた」


 

 しかし、男が言うのだ。

 自分のせいで相手を不幸にしたくないと思いつづけた蝕み姫に、本心を語らせるための言葉を。


 


「『そのときは、俺が命を懸けて貴女を守るだけです』」



 月並みな言葉かもしれない。

 でもそれ以外に、蝕み姫が欲する言葉はなかったことは想像がつく。



「蝕み姫は『なら私のすべてをあげる。だから、貴方が見てきた世界を見せて』と言い、男の傍で生きることを決意したのだ」



 ラディウスが語る言葉は昔話『蝕み姫』の一部ながら、彼が最初言っていたように、重い話のままでは終わらなかった。

 そしてこの話は、ここで終わりを迎える。



「囚われの少女は男に連れられて暗い部屋を出た。二人はどこか遠くへ逃げて、幸せに暮らしたと言われている」



 どうだ? とラディウスがレンを見て笑う。

 その顔を見たレンは、一つだけ疑問を口にする。



「いい話だと思う。ただ色々と気になることがあるんだけど、いい?」


「ああ、どうしたのだ」


「蝕み姫って、姫って呼ばれてるってことは、かなりの身分だったのかな」


「所詮は昔話だから細かなことはわからん。田舎の村などでは村を預かる騎士に子ができても、姫と呼ばれる事例があるから何とも言えん」


「まぁそうなるかー……ちなみにどこの国の話なのかも不明?」


「そうした情報も一切ない。だが、昔話なのだからそういうものだろう。話としての整合性を取るというよりは、寝る前に聞かせる英雄譚のようなそれだからな。子供が喜べばそれで十分だ」


「あー、昔の皇族とか給仕が作ったお話、みたいな感じなのか」


「そういうことだ。故に細かなことは私も気にしておらん」



 二人はそんな話を歩きながら、ただの世間話のようにつづけた。

 聞けばどうやら、蝕み姫の話を聞いた皇族の少女たちは一つ憧れを抱く傾向にあるという。

 自分にもそんな異性が現れれば――――などという憧れだそうだ。

 二人の足が、人気ひとけのない庭園の片隅で止まる。



「この辺りでいいか」


「ん、そうだね」



 二人はテラス席に腰を下ろした。

 辺りの生垣で、二人の姿が隠れる。



「もう昔話はいいだろう。剣術の授業はどうだった? もう少し聞かせてくれ」



 とはいえレンに話せることはあまり多くなく、実行委員の仕事で遅れて行ったらリシアと剣を交わすことになり、それを見た教員に連れられて別室を目指したことくらいだ。

 別室で今後の件を相談されていまにいたることを改めて言えば、ラディウスは笑う。



 これまで、というのは今日までという意味で。

 ラディウスはこうなることを予想していたこともあり、再び肩をすくめて仕方なさそうに頬を緩める。

 


 何てことのない男友達同士の会話を三十分もつづけた頃、空の端がより一層薄暗くなりはじめた。

 


「もうこんな時間か」



 腕時計を見たラディウスが呟けば、二人は間もなく席を立った。

 同じ頃、何者かがこちらに近づいてくる気配を察したレンが、「ん?」と首を捻った。

 すると、生垣の奥から声が聞こえてくる。



「殿下、私ですニャ」



 声につづいて姿を見せたのは、ケットシーと人間の混血の可愛らしい少女だ。

 レンは彼女が殿下と口にしたことからラディウスの関係者だと悟った。

 


「どうしたのだ?」


「お帰りになる時間と伺っていたのに姿が見えなかったので、探していたんですニャ。ご歓談を妨げてしまったことは申し訳ありませんニャ」


「それはすまないことを――――っと、すまないレン、紹介しよう」



 ラディウスがやってきた少女を近くに手招いた。

 歩く姿からもやってきた少女から漂う気品に、レンは彼女が貴族であるようだと思った。

 その予想は当たりで、ラディウスの口から正解が述べられる。



「ミレイ・アークハイセだ。前に話していたアークハイセ伯爵家の令嬢で、昨年は学生会長を務めていた者になる」


「ああ! 前に実行委員に誘うってラディウスが言ってた!」


「はじめましてですニャ。殿下にご紹介いただいたミレイですニャ。先日は殿下にお声がけいただき、微力ながら実行委員をお手伝いさせてもらう予定ですニャ」



 どうやらミレイは実行委員の件を了承していたようだ。

 レンは「ありがとうございます」と言って感謝を告げる。

 すぐにレンも自己紹介をすると、



「私のことはミレイとお呼びくださいですニャ」


「とんでもない。伯爵令嬢を呼び捨てにはできませんよ」



 レンが別の呼び方で、とたとえば「様」を付けることを提案するも、ミレイはそれを固辞した。



「それならさん付けとかが良いですニャ。殿下のご友人に様と呼ばれるのはご容赦いただきたいのですニャ」



 レンはラディウスの顔色を窺い、彼が「そうしてくれ」と言わんばかりに頷いたのを見て了承した。

 一方、ミレイは普段からこの口調のためそれを保持することを好んだ。



「レン殿のことは勝手に知ってたから、親近感がありますニャ」


「やっぱり、ラディウスの近くで様子を見てた感じですか?」


「たまにですけどニャ。たとえば、去年の特殊依頼の後とかニャ」


「ああ、俺がラディウスとエレンディルの路地裏で話してたときですね」


「察しが良くて助かりますニャ。あれもそうだったし、他の機会でも度々勝手に姿を見てたからですニャ」



 レンにとっても話しやすいことは助かるし、こうして気軽に挨拶できたことは嬉しかった。

 二人の挨拶が終わったところで、ラディウスが「ついでだ」と口を開いた。



「ミレイ、頼んでいた空き部屋は借りられそうか?」


「問題ありませんニャ。ただ、いままで学院の倉庫として使ってたところなので、荷物を別の倉庫に寄せたり整理する必要はありますニャ」


「そのくらい構わん。手分けしてやれば直ぐだ」



 話を聞いて小首を傾げたレンは口を挟むことなく、自分が聞いていい話なのかと迷った。

 そうしていると、ラディウスがレンを見る。

 彼は「実行委員の話だ」と言った。



「我々が活動中に使うための場所だ。ミレイには学生会長の経験を頼り、借りられそうな場所がないか頼んでいたのだ。実行委員には学院側からも空き教室が提供されるが、そちらはあくまでも窓口用に使おうと思う。他にも静かに仕事ができる場所がほしかったからな」



 だからかと頷いたレンが立てつづけに尋ねる。



「そういことか。ミレイさん、その部屋ってどこにあるんですか?」


「私が話を通したのは、図書館の奥にある小部屋ですニャ。数年前から倉庫だったので、こちらで掃除する前提で借りますのニャ」



 埃っぽくても掃除すれば十分に使える程度であるそう。

 実行委員の仕事が終わってからも、別の誰かから申請がない限りはそのまま使っていいとのことだ。

 レンがそういうものなのかと思っていると、



「レンも都合がいいと思う。剣術の授業の時間を別の科目の勉強に使うなら、ちょうどいい場所になるはずだ」


「あっ、そのときに使ってもいいんだ」



 それは良いことを聞いた。

 まだどの科目の教員から課題を貰うか決まっていないが、静かな場所を借りられそうだ。



(二人も喜んでくれるかな)



 レンは屋上で話していたリシアとフィオナのことを思い出し、ふっと笑みを浮かべた。



「――――あ」



 笑っていたレンの表情が、唐突に固まった。



「どうしたのだ?」


「ごめん。急だけど朝のことを思い出して」


「……朝?」



 ラディウスを前にして、彼に色々と相談すべきと思ったレンが獅子聖庁でのことを口にする。

 朝、予期せぬ出会いを果たしたことをラディウスに告げるために。



「実は今朝、獅子聖庁の長官殿とお会いしてさ。だけど学院がはじまる直前だったからちゃんとご挨拶できなくて、しかも慌ただしく学院に来ちゃって」


「礼を失した気がするから、次の挨拶の場を設けてほしいということだな?」


「だいたいそんな感じ。それか謝罪の言葉を伝えていただきたいなーと……」



 レンは相手の立場も鑑みてやや緊張した様子で言うも、ラディウスはその程度かとあまり気にしていなかった。

 ミレイを伴って歩きはじめると、ラディウスはいつもの様子でレンを見て、



「レンの頼みは承ったがエステルのことだ。学院がはじまる時間と聞き、早く学院へ行くように言っていなかったか?」



 レンは当時のやり取りを頭に浮かべて頷いた。

 するとラディウスは特に気にした様子もなく「だろうな」と言った。



「後で私から、レンが申し訳ないと言っていた旨を伝えておく。どうせいつか獅子聖庁で会うことになるだろうし、このくらいで構わんだろ?」


「ありがと。それでお願い」



 レンがそう言えば、ラディウスはすぐに頷き返した。

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