剣魔と戦った場所へ。

 二月になってすぐの暖かい日。

 帝国士官学院にやってきたレンが学院長室を訪ねた。

 事前に手紙で連絡し、この日の午前中からということでクロノアと会う約束を交わしていた。



「今日はありがとうございます」



 学院長室に来てすぐのレンが言った。

 この後に予定があるから制服は着ておらず、私服姿だった。



「いらっしゃい、レン君! こっちにどうぞ!」


「すみません。急な連絡だったのに時間をいただいて」


「ううん。ボクがそうしたくてレン君に提案したんだから、平気平気」



 クロノアに手招かれたレンがソファに座り、対面に腰を下ろしたクロノアを見た。

 世界最高の魔法使いの一人と呼ばれている彼女の金糸に似て艶やかな髪は今日も健在。大人でありながら、しかし可憐さを共存させた美しさ。

 彼女は人懐っこい笑みを浮かべてレンを見ていた。



「というわけで早速なんですが――――」



 その笑みが、レンの言葉により消えてしまう。



「はえ……?」と力の抜けた情けない声を漏らした彼女が笑みを引きつらせ、何とも言えない様子でレンに問う。



「えと……もしかして、もう本題に入ろうとしてるのかなー……?」


「そりゃ、せっかくクロノアさんから時間をいただいたわけですしね」


「ダメダメ! いいってばそういうの! ほら! レン君は剣聖になったんでしょ!?」



 クロノアはそのことを話したかった。

 冬休みが明けたら話せることは間違いなかったのだが、それはそれでクロノアにとってはじれったくて、早くレンと話したいと思っていた。



 なので、本題は本題。

 しかしクロノアとしては、レンが強くなった話も聞きたかった。

 それなのに、冬休み前と変わらず自分のペースを保つレンを見ていると、



「あはは。これもレン君らしいのかも」


「俺らしいですか?」


「そうそう。レン君ってば、剣聖になったのに普段と全然変わらないんだもん。ちょっとだけびっくりしちゃった」


「あ、そのことでしたか」



 嬉しくなかったわけではない。巨神の使いワダツミと戦い、剣聖になれたときは達成感すらあった。

 だがすぐに落ち着いたし、



「まだまだこれからですしね」



 目指す先は遥かに遠く、剣の王。

 剣聖に至れたことは確かな達成感と喜びがあっても、この先を意識していれば心躍るのもこのくらい。

 クロノアもいまの返事を聞き、またレンの晴れやかな表情を見て「……そっか」と、



「うん。やっぱりレン君らしいね」



 穏やかに、その少年に微笑みかけた。



 この日の本題。

 レンがクロノアに時間をもらった理由はラグナと話した水の女神の聖遺物の件で。

 外に出たレンの隣をクロノアが歩いていた。クロノアは外に出る際によく着るローブを羽織っている。上機嫌に軽い足取りで冬の帝都を進んでいた。

 彼女の隣でレンが早春の空を見上げて、



「もうすぐ卒業式ですね」


「だねー……今年もたくさんの子が巣立っていっちゃうなー」



 クロノアは残念そうだが、しかし嬉しそうでもあった。

 この学び舎で四年間、最後まで頑張った生徒たちの門出を祝わずにはいられない。

 もうすぐ学院の庭園をはじめ、街路樹にも花が咲いて春の到来を告げるだろう。

 そしてこの時期のクロノアは一年の中でも一二を争うくらい忙しかったのだが、珍しくレンが相談してきたからか、仕事のことは一度忘れて外にいた。



 二人が歩いて向かうのは、帝都の魔導船乗り場だ。

 帝都の魔導船乗り場は規模がエレンディルの空中庭園に劣っていたので、はじめから空中庭園に向かう者が多く、こちらは空中庭園ほど混んでいない。



 短い空の旅を経て到着したのは、ローゼス・カイタスの近くに設けられた魔導船乗り場だ。

 この辺りには、昨夏開催されたばかりの獅子王大祭で訪れる巡礼者向けに作られた簡易的なものがそのまま残されている。見た目もレンがリシアと聖歌隊の歌を聞きに来たときと、変わっていなかった。



 タラップを抜けて地上に降り立てば、レンとクロノアは周りの巡礼者を気にすることなく歩いてローゼス・カイタスへ歩を進めた。



 現在この周辺は、レオメルとエルフェン教が厳重な警備の下で管理している。

 入口へ通じる橋などには、騎士や僧兵、聖職者たちが何人もいた。一般的な巡礼者は橋の手前までしか歩を進めることができず、封印が解かれたローゼス・カイタスへはそこから祈りを捧げていた。



「また顔を出してくれって言われてたから、ちょうどよかったんだ」


「すみません。そう言っていただけると俺も助かります」


「いいのいいの。ほかでもないレン君の相談だもん。ぜーんぶお姉さんに任せなさい」



 クロノアは聖地にあるエルフェン教の総本山、銀聖宮で仕事をしていた。

 いまでも時折、国から依頼を受けてローゼス・カイタスの様子を確認することがある。

 今日も見張りの騎士に告げ、ローゼス・カイタスへ入ろうとしたら、



「クロノア・ハイランド様ですね」



 レオメルの騎士に声を掛けられ、「そうだよ」と。



「そちらにいらっしゃるのは、噂の剣聖殿ですか?」



 騎士がレンを見て問いかけた。

 レンが答える前にクロノアが答える。



「それも正解。この子と一緒に行ってもいいよね?」


「はっ。こちらでも身分は確認できておりますし、問題ありませんが……」


「うん? どうかした?」


「いえ、彼はハイランド様の護衛……のようではございませんので……」



 クロノア・ハイランドは世界最高の魔法使いの一人だ。

 いくら剛剣技の剣聖になったからと言って、レンがクロノアほどの実力者の護衛につく理由がなかった。



「あははっ、ボクが一緒に来たかったから連れてきたんだよ」


「な、なるほど……」


「あーでもでも、こういう理由だと怒られちゃいそうだから、やっぱり護衛ってことにしておいてくれるかな? 平気?」


「問題ないかと。我々はハイランド様のご意向に沿うようにと仰せつかっておりますので、そのように」



 普通なら私情のみで通すことは騎士もできないが、相手はクロノアだ。

 こうして茶目っ気を見せながら、その実、何か考えがあるのかもしれないと騎士は思わされた。



 彼女に剣王を目の当たりにしたときと同じような迫力はなくても、余計なことを告げる気にはさせられない。



「お通りください」



 レンがローゼス・カイタスの中央にある神像の広場へ向かうのはこれが二度目だ。

 こうして正規の道を経てこの山道を進むのははじめてのことだが、ようやく封印が解けたのだから、普通なら、誰にとってもだいたいがはじめての経験になる。



 ……振り向いたときに外が見えると、すごく安心する。



 歩きながらレンが思ったこと。

 獅子王大祭期間中に閉じ込められた際は、まさに封印の内側に紛れ込んだ状況だった。外へ通じる道はおろか、ローゼス・カイタスの外側すら見ることができなかった。

 その当時に比べ、いまはクロノアが隣にいることも安心できる。



「どこを見てもボロボロだね」



 クロノアがローゼス・カイタスの惨状を見て。

 レンとリシアが剣魔と戦った際の余波で、この山の各所がひび割れたり、地形に大きな影響を与えている。二人がさまよっていたときはまだ、ここまでではなかった。

 静かに歩いていたレンを、前を進んでいたクロノアが足を止めて振り向いた。



「……大丈夫? 無理してない?」


「え? 俺がですか?」


「うん。レン君とリシアちゃんはここですごく大変なことがあったし、レン君の気分が悪くなってたらどうしようかなって思って。無理はしたらダメだからね?」


「ありがとうございます。俺は別に何ともありませんよ。……まぁ、ここでの戦いとか、エルフェン教に思うところはありますけど」



 レンの苦笑いに嘘のような感情は窺えない。

 クロノアはレンの気持ちに寄り添った



「それにしても、中には本当に誰もいませんね」


「魔王教退治に忙しい人たちだからじゃないかな?」


「そういや、そんな話もありましたっけ」



 昨年、帝都を発ちエウペハイムに向かうガーディナイト号の中でカイトから聞いた。

 近頃のエルフェン教は、魔王教と精力的に戦っているようで、



(威信にかけてって感じなのか、なんなのか)



 ローゼス・カイタスが解放されて以来、特にそうだという。



 昨夏の騒動の前まで、剣魔とともに封印されていた神像が並んでいた広場。

 この辺りはほとんどが崩落しており、地下河川や地底湖へ通じる大穴ができたままだ。神像は破壊されているのが基本で、見る影もない。



 レンは痛々しいこの場に足を運んだ目的を忘れず、残された足場をクロノアと歩いて水の女神像を探した。



 レオメルの騎士も、エルフェン教の聖職者も誰もいない。ここにいるのはレンとクロノアの二人だけ。

 二人の声や、小さい瓦礫を蹴る音だけが微かに木霊していた。



「ボクがちょくちょく来てた頃は誰かしらいたけど、あれから何か月も経っちゃったもんね」



 クロノアは明るい声でそう言うと、ローブから杖を取り出して宙に振る。

 金色に光る絵が宙に描かれた。



「これが水の女神の神像の見た目だよ」


「おー、すごくわかりやすいですけど……それって……」



 レンがそれはもう歩きにくい足場を進みながら、



「明らかにアレですよね?」


「わかっちゃった? そう、アレがお目当ての神像なんだけどねー……」



 隣を歩くクロノアが可愛らしく苦笑していた。



「すごいですね。見る影もないじゃないですか」



 開き直って言うと意外に悲壮感もなく、そもそもレンは、うまくいったら程度の気持ちでここにきている。ラグナが言った、鍵の補修に使う力がもしもあれば――――くらいの温度感だった。

 それで、何を見つけたのかだが、



 ……かろうじて、服の模様はわかったけどさ。



 彼が目の当たりにしたのは、見るも無残に壊れていた水の女神像の全貌だった。

 水の女神像の大きさは相当なものだ。健在だった時の高さはきっと三十メイルもあるだろう、と大穴に落ちていない残りを見ているだけで予想させる。

 広場に残されていたのは、神像の足元や服を模した彫刻部分などの残骸だ。

 だからレンもすぐに気が付いたのだが……。

 


――――――――――



 引き続き、3巻ともども何卒よろしくお願いいたします!

 つづく4巻も鋭意製作中です!

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