煌めく雪を纏いながら。

 驚きはさることながら、歓喜を極めた。

 フィオナはいまにもレンに抱き着いてしまいそうな気持を抑えるのに、精いっぱい努めた。

 大粒の涙が、今度は喜びに従い溢れ出る。



「フィオナ様!? どうして泣いてらっしゃるんですか!?」


「う、ううん……何でもないんです! ちょっと、色々なことがあっただけですから、心配しないでくださいっ!」



 涙を拭い終えた彼女の瞳は、まるで宝石のように煌めいていた。

 何でもないと口にした彼女は、こうしてレンを目の当たりにして、以前と様子が違ったことに気が付く。



 ほぼ一年ぶりの再会だ。

 ただでさえ発育のいいレンがそれだけの期間を経れば、身長が高くなり、顔立ちが以前にも増して大人っぽくなっていて然るべきである。以前は同じくらいはずだったはずの背丈が、いまでは少し見上げなければならない。



 フィオナはその変化に驚き、更に赤らんだ頬を隠すようにコートの中で少し背を丸めた。



「――――そ、そうです! レン君はどうしてここに!?」



 でもフィオナはハッとした様子で、ようやく落ち着きを取り戻したところで言った。



「この学院に居た理由ってことでしたら、入試のための書類を貰いに来たからです」



 その理由もフィオナを驚かせるのに十分すぎたが、フィオナはそもそもレンがこの場に現れたことも気になっていた。

 こちらに関しても尋ねてみたところ、



「この木の前に来た理由は、フィオナ様をお見かけしたからですね」


「わ、私を……ですか?」


「はい。お手洗いを借りた後で帰ろうとしたら、偶然フィオナ様をお見かけしたので。……ってか、コートも着ないでいたら風邪を引きますよ。どうしてここにいらっしゃったんですか?」


「――――あなたに逢えると思ってたから、ですよ」



 俯いて、わざと聞こえないように小さな声で。

 風に揺らいだ木の枝の音で、彼女の呟きは簡単にかき消された。



「え? いまなんて仰ったんですか?」


「ふふっ――――内緒です」



 人差し指を立てて、唇の前に持っていくそんなフィオナの仕草。それが雪の中で遊ぶ、いたずら好きな妖精のようだった。

 


「でも、本当に驚いちゃいました。レン君と会えたこともそうですけど、まさかこの学院を受けることにしていたなんて……」


「あれ? 聞いてませんか? てっきり、ユリシス様から聞いてらっしゃると思ってたんですが」


「ええ!? お父様とそういう連絡をされてたんですか……っ!?」


「連絡というか、実際にお会いして話してましたよ」


「……お父様ったら。私、一つも聞いてなかったです」



 レンが夏にユリシスと会った件を口にするも、フィオナはその件すら聞いておらず、いまのいままでレンがエレンディルに居ることを知らなかったそうだ。



(話してると思ってたけど……なんで黙ってたんだろ)



 裏で何があったのかと言うと、ユリシスはユリシスなりに筋を通していただけだ。

 彼はフィオナがレンに向ける気持ちは知っているが、彼の都合で二人が再会することをごり押すことは好まず、それまで傍にいたリシアのことも尊重した。



 あくまでも彼なりの仁義で、誰かに理解を求めるものではない。

 恐らく此度の件を尋ねたところで、彼は煙に巻くことだろう。



「っ……」



 一際強い雪風が吹き、フィオナの長い黒髪をさらう。

 刹那の寒さに見舞われた彼女を気遣ったレンは、歩きながら話しましょうと言った。



「ところで、どうしてコートを着ていなかったんですか?」


「実は学院に忘れてきちゃって……」


「……こんな冬にですか?」


「は、はい! ぼーっとしちゃってたみたいです!」



 明らかな嘘の気配を悟ったレンは、フィオナがその先を聞いてほしくなさそうにしていたため尋ねることは止めた。

 では、と彼女のコートを取りに行くか尋ねる。

 するとフィオナはレンの身体が冷えることを嫌って、慌てた声で「すぐにとってきます」と言ったのだが、図書館へ向かう渡り廊下の灯りが消されつつあった。

 年を越す直前の時期とあって、閉館される時間が普段より早かったのだ。



「寮に他のコートってありますか?」



 レンは暗に自分のコートを貸すから、そのまま寮に帰ればいいと告げた。

 もちろん、フィオナが嫌がったらその限りではない。

 嫌がることはまずありえないが、あくまでも考え方として。



 フィオナもレンの言葉の真意を悟ったけど、勘違いだったら恥ずかしいと思いつつ、遠慮がちな声で言う。



「あります。でもレン君が……」


「俺は別に大丈夫ですよ。割と暑がりなのでこのくらいだったら平気です。フィオナ様に急いで取りに行ってもらうほどでもないですから、このまま寮までお送りします」



 するとレンがすたすたと歩きはじめてしまう。

 また甘えっぱなしだと思いつつ、彼に「行きましょう」と後を推されるように言われたことでフィオナは頷いた。レンにエスコートされるように言われたことが、フィオナに抗う気持ちを抱かせなかった。



 また、遠慮しすぎることも彼の厚意を踏みにじってしまう。遠慮しすぎることは避け、おずおずと彼の後を追って歩いた。

 やや後ろから彼の後姿を見ているだけで、嬉しさから頬が緩む。



「そういえば、護衛の方とかは大丈夫ですか?」



 以前、ユリシスはフィオナに護衛を付けていると言っていた。

 近くにエドガーが控えていても不思議ではない。



「学院内にはおりませんし、寮までの道も巡回の騎士がいるので平気です」


「あ、通学の際はいつも傍に誰かが居るというわけでもないんですね」


「ふふっ。ええ、そうなんです」



 あるいは、フィオナがわからないところから護衛されているかどうかだ。

 剛剣技における剣聖級に値するエドガーのことだ。彼に至っては、フィオナに見つからぬよう護衛していても不思議じゃない。



 ただその一方で、この辺りは町中に騎士が多く巡回している。

 貴族令息、令嬢も多いために、元から警備状況は万全を喫していた。



(そういうもんか)



 レンは深く考えることはやめて、フィオナを連れて学院の庭園を歩いた。

 先導しながら、でも歩幅を合わせたレンを半歩後ろから見て、フィオナは「?」とつい首を傾げた。



「レン君、詳しいんですね」


「え? 何がですか?」


「学院の造りもご存じみたいですし、寮までの道も知っていそうな感じでしたから。もしかして地図とかで確認してたんですか?」


「……そんな感じです」



 レンが迷うはずもない。この帝国士官学院の中はゲーム時代にどれくらい歩いたかわからないなじみのある場所である。



 二人はそこから寮への道を歩きながら、久方ぶりに言葉を交わした。

 特にフィオナが、弾む声で嬉しそうに何度もレンに話しかけた。



「えっ? レン君って獅子聖庁にも行ってたんですか?」


「はい。ユリシス様に紹介状をいただいたんです」



 彼女はどんな会話でも楽しそうに、本心からレンと話すことを楽しんでいるのがわかった。

 だが、寮に近づくにつれて少しずつ気分が沈んでくる。

 もうすぐ、レンと別れる時間だと思うと胸が痛かった。



「……また、こうしてお話しできるかな」



 今日まで我慢してきた気持ちを吐露してしまい、申し訳なさを覚える。

 まったく意識していないうちに漏れ出した言葉にフィオナはハッとして、すぐに「なんでもないんです!」と口にした。



 気丈にも笑みを繕い、必死にしてみせた。

 レンに迷惑を掛けない一心だった。



 だが、時を同じくしてレンが、



「帝都とエレンディルなんてすぐ傍ですし、いくらでも話し相手になれますよ」



 彼にとっていつも通りの、あっさりとした声だった。 

 それを告げられ、フィオナはきょとんとしてしまう。

 いままでの逡巡してきたことがすべてかき消されたような、心にすっと風が吹いたような思いだった。



 レンに微笑みかけられながら言われ、前向きになれた。

 心の中で、以前と違う明るい言葉すら考えられた。

「頑張って、いいんだ」雪風にかき消されたフィオナの呟きは、彼女の心に生じた変化の表れだ。

 


 また数分ほど歩き、寮のすぐ傍にたどり着く。



 そこでレンに借りていたコートを返したフィオナが、別れ際――――トン、トンとレンより数歩前に出た。

 軽くて、いまにも踊りだせそうな足取りだ。



「明日から、もっともっと頑張ろうと思います」



 彼女はレンを見ることなく、どこか意味深な口調でそう言った。



 フィオナは特待クラスの制服で、スカートを風に靡かせる。

 やがてレンに身体を向けたフィオナの周囲には、ダイヤモンドダストが如く粉雪が舞っていた。

 絹を想起させる黒髪が、その風にたなびいた。



「頑張る?」


「はい。頑張るんです」



 唐突な言葉に疑問を呈したレンと、それに対し弾む声で言ったフィオナ。

 そのフィオナが最後には「だって――――」と、



「絶対に、振り向いてもらいたいですから」



 他の誰にも見せたことない、決意に満ちた可憐な表情を浮かべて。

 揺るぎない気持ちの証明である、凛然とした声で口にした。





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