6章のエピローグ

 もう、完全に夜だった。

 魔導船レムリアは近くの空域を飛びながら戦いが終わるのを待っていたが、戦いの終わりを確認したところで神殿のある広場へやってくる。



 瓦礫の上に座っていたレンはその様子を傍目に、広場にやってきていた獅子聖庁の騎士たちの様子を見ていた。

 レムリアが広場の一角に身体を下ろし、ヴェルリッヒが外に出てきた。



「お~……すげえ圧は感じてたが、こんなことになってたとはな」



 そのドワーフはレンの元へ足を運んだ。

 道中、騎士たちと話すヴェインたちのことも一瞥してから。



「よぉ、レン! やったな!」


「……ですね」


「なんだってんだよ、勝ったんだろ? にしては冴えない表情をしてんじゃねーか」


「まぁ……色々ありまして」



 そうは言うが、来てよかったし勝ててよかった。

 レンはまだ片腕を脱力させたままでいた。



「怪我か?」


「強い相手だったので。……はじめから無傷で終わるとは思ってなかったんですけどね」


「十分だろ。生きてるならそれだけでな」


「俺もそう思いますよ」


「でもよ、応急処置くらいしといたらどうだ? 英爵家んとこの……メルデーグ家だったか? そこの坊やの力でどうにかしてもらっといたほうがいいぜ」


「それならしてもらいました。まぁ……それでもってとこです」



 スコールもかなり消耗していたし、まだ成長途中。

 ヴェインもいるわけだが、彼も勇者の力を用いるようになって日が浅く、さらに彼の本質は戦闘向きの力だ。



 レンのはっきりしない態度にヴェルリッヒが「なるほどな」と納得。



「にしても、随分とでっかい作戦だったみてーだな。獅子聖庁の騎士たちまで派遣してたとは驚いたぜ」



 ヴェインたちがここに来たとき、オルフィデが濁していた。

 ここ、ウィンデアには万が一に備えて精強な騎士たちも派遣されていた。オルフィデを相手にするのは荷が重いだろうが、それでも魔王教徒たちの相手は容易である。

 いざとなればヴェインたちの増援としても駆け付けられるように……と。



 斃れたオルフィデのことは、騎士たちの管轄。

 あとはすべて任せられるから、レンがすることは終わり。

 最後の最後まで例の少女のことは聞けなかったけれど、オルフィデの反応からわかったこともある。



 これだけでも、悪くないのかもしれない。

 レンが参戦したことの意味は、間違いなくいくつもあったのだ。



「帰るか?」


「――――」


「レン?」



 考え込んでいたレンの反応が遅れると、ヴェルリッヒが彼の目の前で手を振っていた。



「あ、すみません」


「気にすんな。疲れてたみたいだしな」



 普段のヴェルリッヒなら、レンの脇を小突くくらいはしていた。

 さすがにこのような状況でそれはレンに悪いからしなかっただが、無事に反応があったことでヴェルリッヒがニカッと笑った。



「自分で歩けるか?」


「平気です。でも、油断したら寝ちゃうかも」


「ならレムリアの中で寝ちまえ」


「……そうしときます」



 立ち上がったレンに獅子聖庁の騎士が気が付いた。

 一人がレンの元へやってくる。



「レン殿、あとは我々にお任せください」


「すみません。お願いします」



 気が付けば制服がぼろぼろになっていたレンの、普段の訓練では見せない疲れ切った様子。

 騎士は目の前の少年を誇らしく思った。



 ヴェインたちにも別れの言葉を告げ、すぐにレムリアの中へ。



 レムリアも平時であればこの高さまで来ることは難しいのだが、今日はオルフィデが周辺の魔力に影響を与えていたこともそうだし、レムリアは基本性能が高いため、様子を見ずやろうと思えばこの高さに来ることもできた。

 春先はあくまでも、まだレムリアが修理して間もなかったこともあって。



 レムリアの中に入ったレンは、居室に向かわずブリッジへ。

 ブリッジの隅に置いてあった大きめのソファへ座ると、ヴェルリッヒが「部屋で休めよ」と苦笑い。



「何かあった時のために、ここで休みます」


「おいおい……そういうことを言うと何か起こるんだぜ?」


「そういうつもりじゃないですよ。それに……気分の問題ですかね」



 なんとなく、ここで休みたい。

 レンが気を遣っているだけではない様子が見て取れたことで、ヴェルリッヒは肩をすくめた。



「好きにしろ。何かあったら呼べよな」



 間もなく、レムリアの炉が作動した。

 空へ飛んでいくレムリアが、少しずつウィンデアを離れていく。



 レンの意識があったのは、そこまでだった。

 操縦するヴェルリッヒがソファを振り向いて、レンが眠っているのを見た。ソファの肘置きのクッションに頭を乗せ、そのまま足を延ばして寝ている。大き目のひざ掛けを身体に掛けていた。

 ヴェルリッヒはいつもより丁寧に運転することを心掛けた。



 何時間後かに。



 レンが目を覚ますと、まだブリッジの中にいた。

 違うのは、もうエレンディルにある空中庭園に到着していたことだ。

 ソファに横になっていたレンは、戦いから時間が経っていたせいか寝る前よりもずっと気怠いように感じた。



 ふわぁ、と欠伸をする。

 身体を起こそうとしたら、



「だーめ。まだ寝てて」


「まだ無理したらダメですよ」



 ソファの手前から声がした。



「……どうしてここにいるんですか?」



 リシアとフィオナの二人だった。

 彼女たちもまだ制服を着ており、レンほどではないが少し汚れている。

 そして、レンの怪我をした腕が二人に掴まれていた。状況はよくわからないが、黒と白の魔力が二人の手から放たれていた。



「ふふっ、説明してほしそうにしてる」


「それはもう。どうしてこういう状況になってるんです?」



 レムリアが戻ってくるのを見て、彼女たちは町中からこちらへ向かってきた。

 もう深夜なのだが、二人は貴族としての務めを果たすべく、情報収集と敵への対処を何度かしていたという。

 え? とレンが、



「敵ですか?」


「列車の外にいたような奴らよ。エレンディルの外の街道にも現れたから、私とフィオナ様が対処してきたの」


「ど、どうしてそんな危険なことを――――!」


「もう……それ、レン君が言うんですか?」


「そりゃ、俺は騎士の子ですし!」



 思えばよく二人が戦うことが許可されたとも気になるのだが、思い出してみればクロノアが帝都からエレンディルに来ていたのだ。

 二人はクロノアが傍にいることもあり、ただじっとしていることはできずともに街道へ繰り出したようだ。

 むしろ、町中にいるよりクロノアの傍にいたほうが安全だろうと思えるくらい。



 だから制服が少し汚れていたのだと、レンはようやく理解した。

 彼が二人につづきを聞こうとしていたら、「あとでね」とリシアに言われた。



「……絶対ですよ」と必ず聞くことを告げたレンが自分の手を見てみると、


「あれ?」



 腕の様子が変わっていたことに気が付く。



「よかった。効果があったみたいです」



 オルフィデの力による影響で黒々とした皮膚になっていたレンの腕が、徐々に元の血色を取り戻しつつあった。



 フィオナがしたことは、黒の巫女の力を作用させること。

 もしかしたら、魔王教の力を除去できるかもしれないと思い、レンの手を両手で挟み込むように触れ、強く意識していた。



 だが、筋線維にまで届いていた損傷は消えず、痛みはそのまま。

 リシアが「任せて」と勝気に言って、神聖魔法を使った。

 レンが傷を負っていなければ、きっとリシアはむっとした声でフィオナに対抗していただろう。



 しかし、そんなことを考えるような状況ではなく、むしろ黒の巫女の力が活きたことに胸をなでおろしていた。

 レンの腕の深くまで到達していた傷も、徐々に癒されていく。



「どう? ちょっとでもよくなった?」


「いえ、その……」



 確かに治りつつあるのだが、まだまだ。

 いつからなのかはレンにもわからないのだが……彼女たち二人に弱みを見せることを恥ずかしく思わなくなっていたのは、きっと無意識のうちに。

 彼はまだ横になりながら、ソファの前で床に膝をついていた二人の美玉へ。



「――――まだ、とんでもなく痛いです」



 いつになく弱った声で言う。

 彼女たちはすぐに、レンを包み込むような優しい微笑みを浮かべて彼を労った。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜を経て、翌々日。



 梅雨の時期が訪れる前でも、最近は暑い日が多い。

 今日も暑くて、多くの生徒が夏用の制服に袖を通している。

 シャツの袖を何度かまくっていたレンと同じように、ラディウスもそう。



 帝都は三人が思うより早く日常を取り戻し、学院も今日から平常通りの授業が行われることになっていた。

 朝の授業がはじまる前に二人が屋上で。



「ようやく落ち着いて話せるな」



 互いに事後処理をはじめ忙しかったこともあり、ウィンデアの騒動の後で会うのはこれがはじめてだった。



「オルフィデの件は助かった」


「いいよ。俺のためでもあったから」


「俺のため?」


「あー……何というか戦って、俺の居場所を守るためって意味で」


「ああ、そういうことか」



 夢のことをそれらしい言葉で濁すと、ラディウスは疑いを持つことなく頷いた。



 レンは近いうちに、夢で見た少女の名などをラディウスやユリシスに共有するつもりで考えていた。

 いまならオルフィデから聞いたとでも言ってしまえばいい。

 七英雄の伝説のこと以外なら、話しても問題はなかった。



「作戦は無事に完遂。司祭オルフィデはこちらが想定していた以上の力だったが、こちらは先ほども言ったように、レンの助力もあり無事に済んだ」


「じゃあ、完全に落ち着いた?」


「そうなる。次はどこに現れるだろうか、と考える段階だ」


「ん、りょーかい。ならよかった」



 七英雄の伝説Ⅱ、一章に置き換えるとその物語は一区切りついた。

 ラディウスとは他にも、いくつかのことを話した。



 たった数日の忙しさだったはずが、まるで数か月も話していなかったように感じる。そのくらい、濃密な日々を過ごしたということなのだろう。

 また、オルフィデとの戦いを経て、魔剣召喚術が一段強化されていることもあったがのだが……

  


 レベル7:魔剣を【三本】召喚することができる。



 魔剣を三本も同時に召喚する機会があるのだろうか。召喚して腰に携えておけばいいかもしれないが、それなら、ヴェルリッヒに専用の鞘を発注しておいた方がよさそうだ。



「ところで、ようやくレンも力を披露したか」


「披露って、そんなんじゃないでしょ。別にそういうタイミングだってだけの話だよ」


「そんなものか?」


「そんなもんだよ。取り立てて言うほどのことじゃない」


「獅子聖庁の者からは、うちの少年の価値を示せたと笑って言われたが」


「……誰がそんなこと言ってたのさ」


長官エステルだ」



 あの人は変なことをと思いながらレンが苦笑。



「まぁ、しばらくゆっくりしてくれ」


「そのつもり。獅子聖庁に行って剣を振るくらいかな」


「それがゆっくりしていると言えるのかわからんが、レンがいいなら構わん。だが、ラグナから急に声が掛かるかもしれないから、それだけ覚えておいてくれ」



 そう言うと、ラディウスが懐から便箋を一つ取り出した。



「俺に?」


「私ではなく、ラグナからな」



 この時期にあの研究者から届く手紙と聞けば、内容は予想できる。

 ラディウスの前で手紙を取り出すと、




『鍵が直った。近いうちにまた連絡する』




 という文章だけ、紙の真ん中に書かれていた。

 ただ一言連絡するために手紙を送ってきたところが、なんとなくラグナらしい。

 レンは手紙をポケットに入れた。



「どうせ短文だったろう?」


「どうしてわかったのさ」


「ラグナとは長い付き合いだ。数年前に……内容は忘れたが、仕事を頼みたくて手紙を送ったときは、『嫌だ』と二文字だけの返事をもらったことがある」


「……やっぱりラグナさんらしいかも」



 話をしながら、レンはこの春からの出来事のはじまりを思い返してみた。



 まずは剣の庭へ行き、剣王ルトレーシェと会った。

 彼女から紋章付きエンブレムを確かめてみることを勧められたことから、ラグナとウィンデアへ向かったのだ。



 目的は、伝説の吟遊詩人ミューディの隠れ家を探すため。

 エウペハイムの旧市街にあるジェノ院で見つかった鍵を修理することで、セシル・アシュトンやジェノ院の院長の情報を得られるかもしれないと考えて。

 


 たったそれだけだったはずなのに、この春も濃い日々を過ごした気がする。



「さて、私はそろそろ行こう。ミレイと話さなければならん」


「わかった。じゃあ俺も」



 屋上を出てすぐにラディウスを別れたレンは、廊下の一角へ向かう。

 そこで待っていたリシアとフィオナに「お待たせしました」と言って、つづきを話す。



「あんなことがあったばっかりなのに、普通に学院があるのってどうなんでしょうね」


「そう? こんなものじゃない?」


「事件はあれっきりでしたもんね。それに、学院を休みにしたほうが怒る貴族のほうが多いかもしれませんよ。その……ここでの時間は有限ですから」



 国内外に名を轟かす名門だからこそ。

「それもそうですね」とレンが頷いた。



 最初の授業がはじまるまでまだ時間がある。

 食堂で茶でも飲みながら時間を潰そうかと三人で廊下を歩いていると、



「クラウゼルさん! こないだはすごかったわね!」


「ええ、ありがと」



 すれ違った生徒にそう言われ、



「イグナート君、聞いたよ。見事な魔法で魔王教徒たちを追い払ったそうじゃな」


「ありがとうございます。先生」



 すれ違った教員が言った。



 先日、魔導列車を降りて戦ったときのことだ。

 リシアとフィオナが力を振るった光景を目の当たりにした生徒も、話を聞いた教員もいて、彼女たち二人は時折声をかけられることがあった。



 一方で、レンは声をかけられなかった。



 彼は魔導列車を降りても戦わず、リシアとフィオナの二人が魔王教徒を無力化していたから、なんだったらレンが一緒にいたことを知る者が少なかったくらい。

 オルフィデの件は公のものになっていない。事が事で、相手が相手だったからまだ慎重に管理されていた情報だった。



「ねぇレン、手はもう平気?」



 リシアが言い、



「昨日まで痛そうにされてましたけど、大丈夫ですか?」



 フィオナもつづけた。

 レンの腕は今朝、ようやく以前のように動くようになった。リシアとフィオナに助けられ、普通ではあり得ない速度でやっとのこと。

 女子寮に住むフィオナも心配して、昨日は朝からエレンディルを訪れていた。



「もう大丈夫ですよ。お二人のおかげです」



 彼の返事を聞き、彼女たちも安心していた。

 階段を下りていた三人が、踊り場の窓の外から入り込む風に心地よさを覚えて足を止めた。

 足を止めたところでリシアが、いまだ尾を引いているある情報について触れる。



「……そういえば、大森林では何があったのかしら」



 エステルが向かった大森林には、黒帝角こくおうかくのベヒーモスの住処があった。

 彼女という戦力を派遣する必要がある強力な魔物だ。

 大森林で魔王教の魔力が感知されたことから、万が一に備えて調査されたのだが、



「エステル様が言ってたでしょ? 黒帝角こくおうかくのベヒーモスは住処の奥に隠れて出てこなかった、って」


「何かに怯えてるようだった、って仰ってましたものね」



 レンもそのことは気にしていたけれど、いまでは確かめるすべはない。

 大森林の奥地で何があったのか。黒帝角こくおうかくのベヒーモスは何に怯えていたのか。

 いまも現地周辺で調査はつづけられているが、帝都に戻ったエステルは昨日、



『念のために調査はつづけるが、この様子で有力な情報は望めん』



 これまで軍属だった彼女の経験から、そうなるだろうとのこと。



 レンはエステルから話を聞いたときに、ある存在のことを考えた。

 夢で見て、オルフィデの反応からも得られた手がかりの、あの少女のことだ。

 黒帝角こくおうかくのベヒーモスは何かに怯えていた。まさかとは思うが、あの少女が関係しているのではないか、と。



 絶対に多くを知っている、レンが何が何でも話を聞きたいと思わされた相手。

 レン・アシュトンが誰にとっての黒幕だったのか、レンが知るべきことをいくつも知っている謎めいた少女。



 あの子のことを考えながら階段を降り、廊下を歩いていると――――

 三人が歩く先から七人組が姿を見せた、ヴェインをはじめとした英爵家の者たち。



 まだあの戦いから日が浅いからか、いまもこうして七人で何か話していたのだろう。

 面と向かい合うと、ヴェインが六人を置いて駆け足でレンに近づいた。

 レンの傍にいた二人はその様子を見て距離をとる。



「レン! 腕はもう平気なのか?」


「うん。二人のおかげでね」



 はにかんでみせたレンの後ろで、リシアとフィオナが微笑んでいた。



「……ああ、本当によかった」


「ヴェインたちも大変だったと思うけど、怪我は平気?」


「はは。俺たちはぼちぼちかな」



 彼らもポーションを使ったり癒しの魔法を用いたりなどして身体を癒していたが、まだ疲れが抜けていない。

 あの夜の戦いがまさに死闘だったからだろう。

 ヴェインにセーラ、カイトという前衛を務めた三人はいまでも筋肉の痛みに苛まれていた。



 話題は変わって、



「ロフェリア先輩もご先祖様の弓が見つかったみたいで、おめでとうございます」


「ありがと。あの夜も言ったけど、アシュトン君のおかげよ」


「とんでもない。俺は気になったから階段の調査をお願いしただけですよ」

 


 これで、英雄装備と呼ばれていたものは二つ目。

 英雄派がまた一段と活気立ちそうな気配がある話だが、それもラディウスが言うように、民を思えば悪くないこと。



「……俺たちも、ご先祖様の武器を見つけることになるのかな」



 ヴェインが窓の外のどこか遠くを眺めながら。

 答えは「きっとね」とレンの口から。

 彼の声を聞いたヴェインが窓の外から視線を戻して、レンを見て白い歯を見せた。



「変だな。レンに言われると、本当にそうなるかもって思えてくるよ」



 話は終わり、三人と七人がすれ違う。

 この場を離れていこうとするレンたちを振り向いたヴェインが「あの!」と声を上げた。

 すると、三人が足を止めて振り向いた。



「こないだは本当にありがとう!」


「もういいって。ウィンデアでも言ってもらったんだからさ」



 そう笑って言い残したレンが、リシアとフィオナの二人と廊下の奥へ遠ざかっていく。



 三人を見送ってから、カイトの頭にある言葉が浮かんできた。

 昨年、いまくらいの時期にセーラが彼に告げたことだ。



『あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて……レン・アシュトンを舐めてると、カイトの大盾が砕かれるかもよってこと』



 レンが入学して間もない頃に話した言葉が、何故か頭に浮かんでいた。

 当時、カイトはそんな馬鹿なと一蹴したのだが、ウィンデアでの戦いを見たいまは違う考えを抱いていた。



 もしも……あのときのレンの強さが自分に向けられていたら。

 明確に考えてしまうことは意図的に避けながら、しかし考えてしまう。



 だがレンと戦う理由はない。

 少なくともいまはそんなことになる状況も想像できない。当然、リシアとフィオナに対してもそうなのだが。



「…………」


「カイト先輩? どうしたんですか?」



 レンたち三人の後姿をじっと見ていたカイトにヴェインが問いかける。

 カイトはあまり間を置くことなく、



「いや! なんでもねーぜ!」



 気分を変えて笑っていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夏になる前に試験がある。最高学年のフィオナが先日受けたのとは違い、どの学年も共通で行う中間考査だ。

 騒動から間もなくても学業は学業。最近は忙しくてあまり勉学に励めていなかったが、だからといって成績を落としたくはない。



 レンたち三人は放課後になっても帰らず、三人で帝都の本屋を何件か巡った。

 購入した参考書が、三人が持つ紙袋に収められていた。



 この日の帝都は、先の騒動で外に出ることを控えていた民が急激に外に出たこともありとても賑わっていた。



 獅子王大祭期間中ほどではないが、いつも以上の人込みだ。

 気を抜くとすぐに迷ってしまいそう。

 レンがそうならないように気を遣っていたが、あまりの人ごみにリシアとフィオナの手の甲がこすれあい、いつしか二人の手が繋がった。

 二人は互いの顔を見て、苦笑。



「いまは共闘これでいい?」


「ええ。そのほうがよさそうですね」



 離れ離れになってレンに迷惑をかけるのも本意ではないから、とりあえず人混みが少なくなるところまでは。

 レンが二人の様子を見ると、彼女たちの手が繋がれていて驚いた。



「すみません。俺が女性だったらあまり迷わずできたんですけど」



 むしろいまでこそ迷わないでくれと言いたげではあるが、あまりにも大胆な言葉なので二人はその言葉を飲み込み、



「……気にしないで」


「……私たちなら平気ですから」



 恋敵同士で切なくも強がった。



 近くを帝都大神殿の馬車が通り過ぎるのを、三人は見た。

 あれはエルフェン教のものだから、リシアは表情を強張らせそうになったのだが、そうはならなかった。

 黒の巫女フィオナに支えられたというほどではないが、手をつないでいることに大部分の意識が向けられていたからだろう。




 学院が立ち並ぶ区画に近づくにつれ、少しずつ人混みが減ってきた。

 リシアとフィオナの手は離れて歩き出す。彼女たちはレンの前を歩きながら、色々なことを話していた。



 大森林のことや、学院生活に関係したささやかなこと。

 また、訓練場を借りて手合わせをしないかという話まで。



「次も負けませんから」


「いいえ、次は私が勝ちます」



 リシアが剣聖になる日も、そう遠くないだろう。

 と思うと、一足先に剣聖になったレンは考えることがある。



(リシアが剣聖になるためのきっかけって、何なんだろ)



 レンもひどく悩んだ経験から、彼女も苦労する可能性を思った。



 彼女も剣豪級になってからもう長い。

 長いといっても一般的に見れば数年、人によっては十数年かけてようやく一つ位を上げるようなもので、剣豪から剣聖になるにはかなりの時間を要するのが常だ。

 

 リシアはむしろ早すぎるともとれるのだが、そこはリシアだからで説明ができた。

 先日、魔導列車の外で強力な魔法を見せたフィオナとともに、努力を惜しまない彼女たち。



 切磋琢磨する彼女たちの声に、レンも負けてはいられないと考えさせられた。

 そしてもう一つ。強くなること以上に忘れてはならないのは、あの惨劇のこと。

 オルフィデと戦いに行くことを決めた理由のことも。



『見てわかるだろ? 俺はいま、彼女を殺したんだ』



 白の聖女リシアとレン・アシュトンが、なぜあのようなことになっていたのか。

 答えはきっと、そう遠くないうちにわかるかもしれない。



『だけど、誰にとっての黒幕かしらね。あんな騒動の中心にいた貴方は、もしかするとレオメルにとって事件の黒幕かも。エルフェン教にとってもそう。あとは、魔王教にとっても貴方は七英雄の末裔を庇う敵。まるで誘導されたかのように切り伏せられた教徒たちにとっては、きっとその企ての黒幕みたいなもの。いったい、どういう立場なのかしら』



 レン・アシュトンは誰にとっての敵だったのか。

 魔王教? レオメル? それともエルフェン教? あるいは世界の敵、なんていうのは言い過ぎかもしれないが……。



 彼女のことを探さなければ。

 絶対に、あの惨劇の理由を知っているはずだ。 



 この世界でもあの惨劇が起こる前から理由を知っているか、というのは矛盾が生じるが、あれほどの人物であれば、それ以外にも何か知っているかもしれない。

 いまはまだ、彼女が何を言いたかったのかわからないが、確かに近づいていた。



 あの世界線で何があったのか……少しずつ、理由がわかりそうな気がしていた。 



「……はぁ」



 少女たちにつづいて歩くレンがため息の後で、



「彼女は、どこにいるんだろ」



 と、ほぼ無意識のうちに呟く。

 すると、前を歩く二人がぴたっと足を止めた。



 聞き捨てならない。

 いや、「彼女」という言葉が男女の付き合いを意味しているわけではないと思ったが、それはそれとして、レンが言う「彼女」の正体が気になり、ゆっくりと振り向いた。



「あれ? お二人ともどうかしましたか?」



 だが、付き合っているわけでもないのに「誰よその女」と騒ぎ立てるのは恋をしているといっても品がない気がしていた。

 リシアとフィオナは慌てながら、



「だ、誰のことを探してるの……?」


「だ、誰のことを探してるんですか……?」



 声を重ね、遠慮がちに尋ねた。

 いまここで話すのは軽すぎるし、場を改めて話したほうがよさそうに思える。



「魔王教絡みなので、あとでちゃんと話しますね」



 そういえば、彼女たちは納得しながら神妙に頷いた。



 なんとなくこのまま帰る気にならず、三人は近くの公園に足を踏み入れた。

 ベンチに座ったリシアとフィオナ、それにレンが二人の傍に立つ。途中で飲み物を売る屋台で冷たい飲み物を買って、それを片手に空を見上げた。 

 フィオナが声を弾ませて、 



「見てください。今日はすごく星がキレイですよ!」



 満天の星はレンがウィンデアで見たときほどではなかったが、近い。

 手を伸ばせば掴めてしまいそうなくらい大きな光の粒が、数えきれないほど漆黒の空を彩っていた。



 三人で過ごす、穏やかな時。

 新たな騒動を経て訪れたこの時間に、三人はようやく心落ち着く思いだった。

 星を見ること数分、リシアが提案。



「ねぇレン、今度は一緒に訓練しない?」


「獅子聖庁でってことですか?」


「ううん。この前、私が訓練場でしたみたいにフィオナ様と。今度は三人で」



 それはいいとレンも思った。

 剣王を目指す彼にとってもいい機会だし、望むところ。



「あっ……その前に、中間試験がありますけどね……」



 レンが言えば、少女たちが「あっ」と言い思い出す。

 そうだ。訓練も大切なのだが、近くに迫る中間試験もどうにかしなければ。

 普段から成績のいい三人ではあったが、最近は多くのことが重なっていたこともあり、あまり思うように勉強できておらず若干焦っている。



「……訓練の前に、いつもの部屋で勉強する?」


「そうですね……」



 リシアが砕けた口調でフィオナに聞けば二人が決め、レンも倣うことに決めた。


 

 試験のことに訓練のこと、伝説の吟遊詩人ミューディの隠れ家のことや、レンの夢に出てきた少女のことも。

 セシル・アシュトンのことや惨劇の真相もそう。

 するべきこと、考えることはいくらでもある。



 もうすぐ、レンにとって十五回目の夏が訪れる。

 


 ――――その夏は、どんな夏になるだろう。

 レンはリシアと、フィオナと笑みを交わして考えた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ロフェリア英爵領からそう遠くない別の貴族の領地にある、大きな町で。

 高価な宿のレストランに、一人で足を運んだ美しい少女がいた。彼女は食事を終えるとすぐにレストランを出て、部屋へ向かおうとした。



 途中、ある気配を感じるまでは。



 彼女はそれから、宿の屋上へ向かった。

 客が足を踏み入れることのできない空間へ、従業員用の階段から上がって行く。



 屋上は展望デッキのようなものがないただの屋根のようなところなのだが、ここに一人、漆黒のローブに身を包んだ男が待っていた。

 男は少女がやってきたところで、屋上に膝をつき頭を下げる。

 高所に吹く風で、少女の髪と男のローブが靡いていた。



「急な訪問で申し訳ありません」


「いいわ。それで、私に何か用?」


「……オルフィデ様が、陛下の元に向かわれました」



 魔王教徒が命を失ったとき、それをエルフェンの下に行くとは表現しない。

 いまの言葉を聞いた少女は「そう」と素っ気なく言い、空を見上げた。

 一度目を伏せ、オルフィデを悼んだ。



「報告してくれてありがとう。他には?」


「……はっ」



 魔王教徒は言いづらそうにしていた。

 数秒、十数秒と時間が経つにつれてその気持ちが高まる一方だったが、言わないわけにはいかない。

 彼がようやく、少女に告げる。



「……これ以上、教主様のご機嫌を損ねてしまう前に、お戻りになられたほうがよいのではないかと愚行いたしま――――っ!?」



 すると、彼女から漂う圧に魔王教徒が腰をついた。

 生きた心地がしない、とはこのことを言うのだろう。

 可憐で美しい少女の笑みに、普段なら魔王教徒の男も見惚れていたが、いまはその笑みが恐ろしくてたまらない。



 肌を刺すような圧。男の前でひざを折って視線を近づけた彼女から届けられる。

 深紅のドレスから覗く細い脚に目を奪われるようなことはない。



「ねぇ」



 少女が。

 圧は消えなかったどころか、増していた。



「人が生きているのは偶然か、強いかのどちらかなの。偶然、世界の理不尽に遭うことなく生き延びたのか、強いから理不尽を跳ね除けられたかのね」



 彼女が言う、偶然が終わるときがいつかくるかもしれない。

 いつか、唐突に。



「あなたは――――そのどちらなのかしら?」



 銀髪に黒のメッシュ、宝石より美しい二つの瞳。

 少女に見つめられ、男の呼吸が乱れる。

 男が答えられず身体を震わせていたのを見た少女が立ち上がり、別の話をはじめる。

 唐突だが、聞けば彼女の意図を汲めるような話だった。



「正義という概念ほど、人を正当化させる言葉は他にないわよね」


「……え?」


「知性がある生き物は皆、正義それを餌にして文明を築いてきた。いつの時代もそんな人たちが生き残るのよ。エルフェン教を見ればわかるでしょ?」



 すると少女が、



「私はそれが嫌い。自分が正しい振る舞いをしていると確信している俗物が、なにものも押し付けて正義だと言い張るのがこの上なく嫌いなの。だから教主、、に……ううん」



 レンが見た夢。

 カーテシーを披露して名乗っていた少女。



には、私がいま話した言葉をそのまま伝えなさい。どうせ兄の差し金で話しに来たんでしょ?」



 少女が男に背を向けた。



『ひどいことを言わないで。せっかく私が自分からしようと思ったんだから、素直に聞いてくれてもいいじゃない』



 レンが夢の中で見たこの少女の名を、



『私は――――イヴ。教主メダリオの妹よ』



 ――――――――――



 六章もお読みいただきありがとうございました。たくさんの応援を、本当にありがとうございます。


 そして、この場を借りていくつか告知を……!


 原作三巻が先月発売しましたが、続く四巻も製作中です! 四巻も改稿を重ね、多くの新規書下ろしを用意させていただいている途中です!

 さらに、原作一巻の翻訳版(中国語繁体字)が来月発売となります!

 是非、私のツイッター(x)などもチェックしていただけますと嬉しいです!


 それではまた、次回の七章で皆様にお会いできますように……!

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