予期せぬ再会と、予期せぬ会話と。

 唐突な寒風に髪の毛を抑えたリシアは冷えた頬の冷たさを指先に感じながら、ふとした疑問を口にする。

 猶も鍛冶師への興味が尽きていなかった。



「ヴァイスと知り合いの鍛冶師って、どういう人なの?」



 問いかけられたヴァイスは歩きながら腕組み。彼の口から出てきた言葉は、彼にしては珍しい言葉選びによる人物評だ。



「偏屈で奇特で、仕事嫌いのドワーフですな」



「そ、そうなのね……聞いてる限りだと、本当に剣を打ってくれるか気になるわ……」


「それならご安心を。奴はそんな性格をしておりますが、義理堅い男です。鍛冶師なのに魔導船技、、、、、、、、、、師でもあるという妙な、、、、、、、、、、ですが、義理堅さは信用できますぞ」


「すごいわね。聞けば聞くほどどんなドワーフなのか気になっちゃう」


「ああ。随分と珍しい鍛冶師のようだ」



 驚いた二人は、心の底からどんなドワーフと会えるのか楽しみになった。

 いつしか足取りも早くなり、心が急かしているかのようだった。



 だが、更に歩いて十数分後のことだ。



「……?」



 リシアが足を止めた。

 大通りを一つ外れて、それでも人で賑わう道に入ってすぐに、何となく視界の端に違和感を覚えた。

 娘の異変にレザードも振り向く。



「リシア? どうしたんだ?」


「いえ、少し気になって」



 自分が何を気にしているのかはわからない。

 だけど、覚えた違和感が鳴りを潜めず、リシアはその違和感に視線を向けた。 

 その先にあるのは、解体途中の古びた雑貨屋だ。

 解体に携わる者たちが建てた木製の囲いが周囲にあって、その傍を歩く数人の幼い子供たちの姿――――。



 ふっ……と、木製の囲いが揺れたと思えば、すぐ傍を歩く子供たちに倒れていく。



 刹那、リシアは「ヴァイスはお父様の傍に居なさいっ!」と叫び、神聖魔法で身体を強化して駆け出した。

 イェルククゥとの戦いでレンに用いた頃よりも、その練度は増していた。



「間に合って……っ!」



 リシアは護身用に持っていた剣を走りながら抜き、上を見上げて驚き立ち止った子供たちの前に立ちはだかる。

 急な事態に驚く子供たちの声を聞き、双眸を鋭く細めた。



 すぐに倒れてきた木製の囲いを切り裂き、子供たちを守る。

 子供たちは急なことに泣き声を上げる。剣を振るうリシアがほこりにまみれていると、不意に足元から冷気が奔った。



「これ……」



 間違いない。魔法だ。

 冬の寒さと違う冷気に対し、リシアは一瞬でそれを悟る。

 リシアの足元に届いた冷気はいつしか、まだ崩れる最中にあった木製の囲いを支える巨大な氷柱を生んだ。突如現れた氷柱により、木製の囲いはそれ以上の崩壊を免れたのである。



 感嘆せざるを得ない見事な魔法だった。その規模も精度も、間違いなく一流であるとわかる凄みがあった。

 いま、リシアの目の前に広がる光景はまるで氷の神殿だ。

 地面から生えた氷柱が陽光を反射し、悠々と木製の囲いを支えている。



 ――――あ、危なかったな……

 ――――いまの、魔法だよな? 



 行き交う者たちは安堵の声を漏らし、そして驚いていた。

 リシアもほっと安堵して、でも先ほどの魔法の気配を忘れず辺りを見渡した。

 すると彼女の傍に、駆け足で近づいて来る少女がいた。

 


「間に合って良かったです――――っ!」



 と、リシアの後ろから。

 聞いたことのある、小鳥のさえずりに似て軽やかで透き通った声だ。服が埃まみれになっていたリシアは、その声に振り向き驚いた。

 なぜならそこには、



「フィ、フィオナ様っ!?」


「え――――リシア様っ!?」



 以前パーティで顔を合わせて以来の、フィオナ・イグナートが居たからだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 埃まみれになったリシアを連れて鍛冶屋街に行くのは、いかがなものか。

 リシアはフィオナの厚意により、いまフィオナが住まう帝国士官学院が女子寮の部屋に案内されていた。



 もちろん、リシアの身体についた汚れを落とすためだ。

 彼女はフィオナの部屋にある浴室でシャワーを浴びながら、すりガラスの扉越しに言う。

 


「……シャワー、ありがとうございます」 



 湯を借りられたことへの礼を告げれば、扉の外に居たフィオナが微笑んだ。彼女はリシアのためにタオルなどの一式を用意していた手を止め、口を開く。

  


「ゆっくり温まっていってください。あっ、お着換えはこちらに用意しておきますねっ!」


「あ、ありがとうございます……っ! 私のこともそうですが、父とヴァイスのことだって、エドガー殿にもてなしていただいてしまって……っ!」


「ふふっ、どうかそちらもお気になさらず」



 フィオナは一人で帝都を歩いていたわけではない。

 彼女はエドガーを護衛に連れて買い物の最中だったのだが、その際に、リシアが子供たちを守る場に遭遇した。

 レザードとヴァイスの二人は、女子寮と男子寮の間にあるサロンでもてなされているという。

 そこは生徒の保護者や学院に出入りする商人らも使う場所とのこと。



「……ふぅ」



 やがて、湯を浴び終えたリシアがタオルを巻いて外に出た。ここに来るまでに着ていた服は女子寮で洗濯してもらっている。

 それもフィオナの計らいで、リシアは代わりにフィオナの服を借りていた。

 胸元に普段より余裕があったことに、リシアは若干敗北感を覚える。



「いいもん……別に、私だってすぐに……」



 リシアはそう言うと、洗面台の前にある椅子に座った。

 置いてあった魔道具で髪を乾かすためだ。

 しかし、櫛が見当たらない。

 するとフィオナが頃合いを見計らって脱衣所の扉をノックして、リシアの返事を聞いて戻ってきた。

 


「申し訳ありません……櫛のことを失念しておりました」



 そう言ったフィオナの手には、櫛と思しきものがあった。

 みてくれはくすみ一つない白銀のそれで、櫛にしてはあまり見ない意匠の品だ。

 フィオナ曰く、魔道具であるそうだ。

 櫛の形をした魔道具と聞いてもあまりピンとこなかったリシアが尋ねる。



「髪を梳くだけの櫛ではないのですか?」


「実はそうなんです。これはちょっとだけ特別な品で――――そうだ。リシア様のおぐしを梳かすのは私にお任せいただけますか?」


「あの――――え?」


「私も髪が長いからわかるんです。一人で梳かすのは大変でしょうから、もしよければ、私にもお手伝いさせてください」



 実際、確かに大変だった。

 正直助かる面もあるが、どうしても身分差が脳裏を掠めて迷ってしまう。また互いの精神的に複雑な関係も相まって、思わず怯んだ。

 だが使ったことのない魔道具を借りて壊すことも怖く、リシアは遂に頷いた。



 まだ濡れた髪にすぅ……すぅ……と櫛を滑らせる音が、二人の耳には妙に大きく聞こえた。



「普通の櫛で梳かすより、髪が艶やかになる……らしいです」



 フィオナのあまり自信がない声。



「この櫛、お父様が去年の誕生日にくださったんです。でも私にはあまり違いがわからなくて……あはは……」


「そ、それは……」


「リシア様はいかがですか? 普段と違うような感じはいたしますか?」



 正直に言えば、全くそんな感じはしない。

 櫛で梳かされるリシアの髪はいつも通り絹のようで、滑らかな手触りに水気を孕んだ艶が浮かんでいた。

 一瞬言葉に詰まったリシアの反応を見たフィオナが苦笑した。



「やっぱり、よくわかりませんよね」



 二人は鏡越しに苦笑いを交わす。

 次に訪れたのは静寂だ。

 でもすぐに、フィオナが別の話題を口にしだす。

 


「今日はびっくりしちゃいました。リシア様はクラウゼルに居ると思っていたんですが、エレンディルにいらっしゃったんですね」


「はい。色々用事があってエレンディルに来たんですが、帝都へは服を買うために……それと、鍛冶屋街にいく予定だったんです」


「そうだったんですね。そこで、あのような騒動に――――」



 二人は言葉を交わすうちに、パーティの夜と違う硬さを覚えつつあった。

 あの夜と違い、二人が交わす言葉は以前にも増して他人行儀で、互いにどう接するべきか迷っている節が垣間見える。

 


 やがてフィオナがリシアの髪を梳かし終わると、フィオナは席を外した。

 椅子に座ったまま鏡を見ていたリシアは、整理しきれない感情に息を漏らし、置いてあった魔道具で髪を乾かす。



 髪を乾かしてすぐ、脱衣所を離れた。

 寮と言うには豪華すぎる気がしたこの部屋のリビングへ向かい、フィオナに促されてソファに座る。

 二人はあの日のパーティと同じで、互いの姿に見惚れかけた。



 どうも日常会話らしいそれも思い浮かばず、二人は互いに意味もなく窓を見た。 

 窓の外では、雪が降り出していた。大粒でふわふわと舞い降りる雪だった。



「――――あ」



 ふとした瞬間にリシアの目がこの部屋の片隅に向けられた。

 壁にある大きな本棚に気を取られる。



「フィオナ様は本がお好きなんですか?」


「ええ……お恥ずかしながら、私は身体が弱かったので、ずっと本ばかり読んで育っちゃいまして……」



 幼少期のフィオナは、ほとんどをベッドの上で過ごした。

 そのため楽しみと言えば、本やユリシスとの会話ばかりだった。



 リシアはフィオナの生い立ちを知っているが、直にその話を聞くとぐっと心に来る思いだった。レンが居なければフィオナも死んでいた思うと、リシアも特別な縁を感じてしまう。

 言わずもがな、自身もレンに救われた身だからだ。



 会話のきっかけを得たと思った二人は、ほぼ同時に立ち上がった。

 いきなりと言えばいきなりだが、いまの二人にとって喉から手が出るほど欲しかったきっかけだ。

 二人は本棚に近寄ると、平静を装いながら更に言葉を交わす。



「すごく難しそうな本もあるみたい……」



 と、リシアが呟けば、



「実はそうなんです。けど、まだちゃんと読めない本ばっかりなんですよ。読んでみようと思って頑張るんですが、難しくて辞書を引きながらというものも多いんです。――――もしご興味がおありでしたら、リシア様もご覧になりますか?」



 興味がないと言えば嘘になる。

 それに、互いの間に残る妙な他人行儀な雰囲気を解消するためにも、リシアは「是非」と口にした。



 本棚には難しそうな学術書のほか、分厚い小説や、多くのしおりが挟まれたままの参考書らしき本が並んでいた。

 中でもリシアは、一冊の参考書に目を奪われた。



「これ……帝国士官学院向けのですよね?」


「ええ。それは私が入学試験のために使った参考書なんです」



 フィオナが照れくさそうに微笑む。

 彼女はその参考書を本棚から取り出すと、その表紙をリシアに見せた。リシアが目の当たりにした参考書は、帝国士官学院の特待クラス向けのものだ。



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