譲れない気持ちを相手に告げて。
他の本は忘れ、参考書に気を取られたリシアが言う。
「これ、私も買う予定なんです。フィオナ様さえよければ、どういう内容なのか少し拝見してもいいですか?」
「は、はい! 大丈夫です――――けど、たはは……少し恥ずかしいですね」
なぜ恥ずかしいのかと思っていたリシアは、すぐにその理由を理解した。
フィオナがその参考書を開く。それは多くのしおりが挟まれたままだ。それに限らず、多くのページにフィオナのメモが記されていた。
自分が勉強に使ったあとが残されていることが照れくさかったのだろう。
けどそれらのメモが、更に強くリシアの興味を引いた。
「ここ……別の参考書で勉強してて、わからなかった場所なんです」
「うん? ああ、ここですね! ここなら――――」
隣り合ったまま、唐突にはじまった個人授業。フィオナの教え方は見事なもので、リシアが理解できていなかった箇所はすぐに解決してしまう。
それにはリシアも、思わず「誰かの教える経験がおありなんですか?」と尋ねてしまった。
「いいえ、今回がはじめてです。リシア様がお相手なので、頑張っちゃいました」
フィオナがころんと首を寝かせ、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「他にも気になるところはございますか?」
「実は、いくつか」
「では……ちょっとだけ、そのお話もいたしましょうか」
妙な雰囲気が、少しだけ収まりつつあった。
二人は互いに参考書をきっかけに話が変わったことに心の内で安堵して、踵を返すようにソファへ戻った。
喉から手が出るほどほしかった会話のきっかけが、新たなそれに昇華した。
二人は声に出すことなくそれに安堵しながら、新たに向かい合って座って苦笑いを交わす。
それにしても、フィオナは教え方が上手い。
リシアは他の疑問もあっさりと解決に導かれ、途中から積極的に質問していた。
すると、徐々に硬さが取れていき、パーティの夜に会ったときの最後のように、二人の間から少しずつ遠慮が消えていく。
「書いてあるメモもわかりやすいです」
「そ、そちらは恥ずかしいですが――――でも、役に立ってよかったです」
十数分が過ぎて質問が落ち着き、今度はフィオナが尋ねる。
「リシア様は、特待クラスを受験なさるんですよね?」
「はい。色々考えたのですが、そうした方が良いと思って」
「……では、次の春には受験がはじまって、再来年の春には学院でお会いすることも多くなるかもしれませんね」
かも、と言ったが実際は多くなるだろう。
同じ校舎に通うのだから、毎日顔を合わせたところで不思議ではない。
受験の話を終えて、二人は少しの静寂を交わした。
避けては通れない話題について、触れずにはいられなかった。
「フィオナ様」
「リシア様」
二人は同時に相手の名を呼び、何度目かの苦笑。
発言を譲り合った後に、リシアが口を開く。
「どうしようって、ずっと考えていたんです」
それは、二人をとりまく環境をはじめとした多くのこと。その多くのことのほぼすべてに、レンの存在が関係してくる。
いつかは話さなければならなかったことだ。
さっきまで会話のきっかけを求めていたことが、まるで逃げていたかのよう。
二人は気分を一新させ、その避けられない会話に身を投じた。
「私もフィオナ様も貴族です。派閥は違っても、縁あって友誼を持った家同士の令嬢です」
その縁は、いまごろ切れるものではない。
まず切って良いものではないし、両家の当主であるレザードとユリシスの二人も、わざわざ縁を切ろうとは思わないだろう。
現状、互いに利があって誠実な関係でいられているからだ。
もちろん、険悪な関係になることはここにいる二人だって望まない。
それを、二人は言葉にせずともわかっていた。
『――――私の恋は命懸けよ。命を懸けて私を守ってくれたレンのためなら、なんだってできる』
『――――私も、この世界を与えてくれたレン君になら、私のすべてを捧げられます』
パーティの日に交わした言葉が二人の頭をよぎった。
もう、その話は口にするまでもない。
だからここに来て二人は、互いの存在を無視することはできず、認めざるを得ないことを知っていた。互いを寄せ付けないなんてできるはずもなく、争いごとに勃発するのだってもっての外。
それに二人は、レンに命懸けの恋をしていた者同士、その強い恋心を貶すつもりだって毛頭ない。貶すことは、自分がレンに抱く恋心を侮辱するも同然だったからだ。
また、先ほど城下町で子供を救った者同士ということもある。その正義感も嫌いになれない。
二人の性格を鑑みれば、そもそもが剣呑な状況に陥ることも考えにくい。
が、恋をしてからというもの、レンの前ではただの町娘も同然の二人にとって、仕方のない悩みがある。
ここにいる互いが互いをどう思い、どう接するべきかという悩みだ。
「私たちは、どういう関係なんでしょうか」
リシアが言った。
ただの恋敵? それにしては、複雑な関係だ。
次に、二人の声が重なる。
「「友人……」」
二人は互いの顔を見て、貴族の友人というのは明らかにしっくりこないと確信した。ともあれば、残るはライバルだろうか。しかしこちらもこれもしっくりこなくて、二人は頭を悩ませた。
実際、関係を言葉にすることで、大きな意味を成すわけではない。
だが二人にとっては、この上ないほど重要だった。
「聞くところによると、同じ異性を好きになると、多くが互いを憎むことになる……と……」
「リシア様、それはどこから得られた情報ですか?」
「……れ、恋愛小説……です……」
「……奇遇ですね。私も似た情報源をいくつも持っています」
リシアがそこで、こほん、と咳払い。
「ですが、それもしっくりこない気がします」
「ええ。私も同じ意見です」
この二人がいがみ合うことの利が一つもないことは自明の理。ただそこに、感情的にならざるを得ない想い人の存在。
二人はそれから、思うことを少しずつ口にしていく。
まずは、リシアからだった。
「ライバル……」
それにつづき、フィオナが口を開く。
「譲れない気持ちがあって……」
「恋敵で……」
「懇意な貴族同士……」
いくつも口に出された言葉に、もはや整理を付けられる気がしなかった。
どれか一つ欠けても違う気がしたし、逆にどれか一つだけを強調することも良くないことな気がした。
「きっと、私とリシア様はそのすべてなのかもしれません」
明確な言葉を見つけることを諦めたのではなく、まさにそのすべてである……と。
「この世に明確な単語がないから、私たちは私たち――――ってことですか」
「はい。きっと、その方が良いんだと思います」
何らかの方に囚われることのない、二人の関係。
根底にあるのはレンを譲れない、レンの一番でありたいと言う切なる想い。
その先にあるのは、言葉にした通り多くの立ち位置が絡み合ったもの。
仮にその関係性が口に出されたすべてなのであれば、二人は互いにどう接し合うべきかという問題に立ち返らざるを得なかった。
けどそれは、意外にもはっきりしている部分がある。
何よりも譲れないことだけを口にして、その後のことは時の流れに任せることにしたのだ。
「――――絶対に絶対に、負けないんだから」
そう言ったリシアの髪を彩る白金の羽が、静かに揺れた。
「――――私だって、この気持ちに嘘は付けません」
そう言ったフィオナの胸元を飾る星瑪瑙のネックレスが、静かに揺れた。
二人は互いを真摯な面持ちで見つめ、相手の気持ちの強さを理解した。
そこで、二人の心は遂に貴族のそれではなくなった。一人の町娘リシアとなり、一人の町娘フィオナとなる。
……つまるところ、立場を忘れて思いの丈を吐露したのだ。
「レ、レンは私のためにこの髪飾りを送ってくれたんだからっ! 去年の誕生日に、自分で探してきてくれたのよっ!」
「わ、私だって……アスヴァルから助けてくれたレン君が、帰りにいい思い出を一つでも――――ってくださったんですっ!」
二人には互いの贈り物を貶めるつもりは微塵もなく、どちらが上でどちらが下かと贈り物に差を付けるつもりもない。
ただ、言っておきたかっただけなのだ。
はじめての恋敵、それも強敵を前にこのくらいの宣言は、と。
「……」
「……」
だが二人とも、はじめての恋をした者同士だ。
あの日のパーティもそうだったが、こうして感情を吐露していると、首筋から頬まで、そして耳だって真っ赤に上気していく。
いつしか二人は、真っ赤になった互いの瞳まで羞恥で潤んでいることを知った。
時計の針が進む音が、部屋の中に滔々と響きわたる。
思えば、サロンでレザードにヴァイス、それにエドガーがここにいる二人を待っている。
もうすぐ、リシアの服も乾くだろうと思われた。
となればここでの会話も、そろそろ終わりが近づいていることになろう。
二人は時計が午後の二時を示す音を奏でたところで、僅かに冷静さを取り戻した
「真っ赤ですよ。フィオナ様」
「知っています! で、でも、リシア様だって真っ赤ですからね……っ!」
「わ、私は湯上りで身体が火照ってるだけですっ!」
このままサロンに向かうことは避けたい。
二人はそれから交わした沈黙の中で、肌の赤みが収まるまでじっと耐えた。
◇ ◇ ◇ ◇
また少し時間が経ってから、そろそろ帰るという時間になった。
午後の二時を過ぎて間もなくというそう遅くない時間だが、鍛冶屋街へ行くのはやはり延期になった。
リシアとフィオナが女子寮と男子寮の間にあるサロンに向かうと、そこに居たレザードたちが二人を迎えた。
このサロンもまた、深紅の絨毯が敷き詰められて高級宿のように華やかだった。
「クラウゼル嬢、よければあの小瓶をお見せいただけますか?」
「小瓶って、剛剣技の練習用のものかしら?」
既にリシアの肌から赤みは消えていた。
すぐ傍にいるフィオナもそうだが、それでも二人は少し気を抜けば先ほどのことを思い返して、また肌を上気させてしまうことだろう。
「その通りでございます。状況を確認させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……いいけど、中にある水晶玉に変化はないわよ?」
リシアはそう言いながら、フィオナに借りた服のポケットに手を入れた。
近頃はよく手にしている小瓶を取り出し、それをエドガーへ手渡す。
彼女が何の気なしにそう振舞おうとした、刹那のことである。
パリン、という音が彼女の手元から鳴り響く。小瓶の中にあった水晶玉が、真っ二つに割れていた。
「――――驚きました」
というのはエドガーが言葉通り感嘆した声だった。
「クラウゼル嬢は剛剣技において、まさしく稀有な才能をお持ちのようです」
「っ……ほんとに!?」
「間違いありません。もしご興味がありましたら、いずれレン様と一緒に剛剣技を学ばれるのも良い――――いえ。私個人としては、是非学んでいただきたいと思います」
それを聞いたリシアは跳ねるように喜んで、父のレザードに抱き着いた。
◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、エレンディルの町から離れた大自然の中で。
街道をしばらく進み、そこから森の奥へ足を踏み入れてから、また更にしばらく進んだ先には湖がある。
そんな、エレンディルを発ってから三時間と少し場所に、レンは足を運んでいた。
周囲に背の低い山々を臨んだ湖は、冬の寒さで分厚い氷を張っていた。
「よし」
レンはそこで、湖を囲む陸地に腰を下ろして意気込んだ。
彼は鉄の魔剣を召喚して、湖の様子を伺う。
「冬だからちょうどよかったな」
彼は分厚い氷を張った湖の上を歩いた。
十数分かけてど真ん中へ向かい、手にした鉄の魔剣で氷を切り裂き、大穴を作る。
「ぱぱっと上げちゃおう」
魔剣の進化が開放されることを知ってからというもの、かなりの月日がたった。
だが、今年はクラウゼルと都会の移動に要する時間ばかりだったため、例年に比べて狩りをすることができなかった。
そのため今日まで時間がかかったけど、もうレベルの上げ時だ。
レンは腕輪を確認し、今日のうちにそれを成し遂げることを再確認する。
――――――
レン・アシュトン
[ジョブ]アシュトン家・長男
[スキル] ・魔剣召喚(レベル1:0/0)
・魔剣召喚術(レベル4:3481/3500)
レベル1:魔剣を【一本】召喚することができる。
レベル2:魔剣召喚中に【身体能力UP(小)】の効果を得る。
レベル3:魔剣を【二本】召喚することができる。
レベル4:魔剣召喚中に【身体能力UP(中)】の効果を得る。
レベル5:魔剣の進化を開放する。
レベル6:*********************。
[習得済み魔剣]
・木の魔剣 (レベル2:1000/1000)
自然魔法(小)程度の攻撃を可能とする。
レベルの上昇に伴って攻撃効果範囲が拡大する。
・鉄の魔剣 (レベル3:2925/4500)
レベルの上昇に応じて切れ味が増す。
・盗賊の魔剣 (レベル1:0/3)
攻撃対象から一定確率でアイテムをランダムに強奪する。
・盾の魔剣 (レベル2:0/5)
魔力の障壁を張る。レベルの上昇に応じて効力を高め、
効果範囲を広げることができる。
・炎の魔剣(レベル1:1/1)
その業火は龍の怒りにして、力の権化である。
――――――
確認した通り、魔剣召喚術のレベルが上がるまでもうすぐだ。
魔剣召喚術に関しては、魔剣を召喚して訓練をすることで熟練度を得られるため、魔剣そのものと違い少しずつ熟練度を得られていた。
それが、今日ようやく上げられる。
レンは自分が開けた大穴に、懐から取り出した生肉を放り投げた。
ぼちゃん、と音を立てて沈んでいくその肉は、屋台でも買えるもので、たとえばリトルボアの肉と同じで安価なものだ。
しかしそれが、大きな働きをする。
肉を湖に落としてから十数秒後、水面にぶくぶくと泡が届きはじめた。
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