剛腕。
春の立ち合いで、セーラはリシアを相手にぼろ負けした。それはもう苦い思い出だ。
セーラはあの日を境に、それまで以上に打倒リシアを掲げて訓練に勤しんだ。
なのに、そのリシアがぼろ負けしていた。
それも、自分たちと同い年の少年相手に。
話を聞いたセーラはまだ気が動転していたものの、心躍りつつある自分もいた。
「リシアより強い男の子がいるなんて驚いたわ。でも、私もヴェインと一緒に頑張って、あなたたちより強くなってみせる」
「セーラを守ってくれた男の子のことね」
そう言われたセーラは僅かに頬を赤らめた。彼女が照れたことに気が付いたリシアは、セーラがその男の子を少なからず想っていることを知る。
不思議ではない。似た経験をしたリシアは理解がはやかった。
「学院で会える日が楽しみね。私とヴェイン、それにリシアとリシアより強い男の子がいるなんて、面白くなるに決まってる」
「私たちと学院……? 何を言ってるの?」
「何って、帝国士官学院のことに決まってるじゃない」
セーラは面食らった様子で笑った。
「リシアも入学するんじゃないの? 特待クラスの入試だって、リシアなら別に難しくないでしょ?」
リシアなら帝国士官学院に入学して当然。当たり前。
いまの口ぶりはまさにそれだ。
が、リシアは帝国士官学院に入学するかどうか決めていなかった。
「まだ入学するって決めてたわけじゃないのね」
それをセーラに言われ、リシアが「ええ」と頷く。
「帝国士官学院に通う価値は理解してる。でも、あの学院がすべてじゃないわ」
「あたしだってそれはわかってる。上位貴族の間にも、同じことを考える人がいるもの。大臣が全員、帝国士官学院を卒業したわけでもないしね」
「ええ。だから私は――――」
「でもリシア、あなたは帝国士官学院を目指すべきよ」
「――――セーラ?」
力強くて、有無を言わさぬ語気だった。
その声を聞いて首をひねったリシアの傍へ、セーラは身体を近づける。つづけて彼女はレザードに目配せをして、声を潜めた。
すると、そのときだった。
セーラが口を開こうと思ったその刹那、パーティ会場が大きなざわめきに包まれる。
「どうしたのかしら」
そう言ったリシアに倣い、レザードとセーラが辺りを見渡す。
三人は他の貴族たちが向けた視線の先……パーティ会場の入り口を見て、ざわめきの理由を知った。
セーラは視線の先に居た大貴族を見て、頬を引き攣らせた。
この会場に現れたのは、かの剛腕・ユリシス・イグナートである。
彼は隣にリシアにも劣らぬ美と可憐さの化身を連れて、ゆっくりと会場を歩いていた。
その彼は、幾人かの貴族と言葉を交わし笑みを振りまく。
すぐにリシアたちを見つけて笑みを浮かべると、こちらに足を進めてきた。
「やぁ、はじめまして――――クラウゼル家のお二方」
足を運んだイグナート侯爵――――いや、ユリシスは男性的な色香を纏ったその顔に、爽やかな笑みを浮かべて言った。
「おや? そこにいるのはリオハルド家の……」
「セ、セーラと申します……」
「ええ! もちろん存じ上げておりますとも! 幾度か私も、パーティでお顔を拝見したことがありましたのでね。――――ところで申し訳ないのですが、私もお二人とお話しても?」
このときのセーラは全身を緊張で強張らせていた。
面前に立つユリシスから感じる圧が全身を襲って止まない。いまにも呼吸が乱れてしまいそうになったところで、彼女はユリシスの強さを知った。
これが、幾多の貴族が恐れる剛腕の凄みなのか、と。
リシアたちと話していいかと尋ねられて以後、彼女はその返事をしなければならないのに、ついその返事を忘れていた。
「参ったな。緊張させてしまったようだ」
不意にユリシスが肩をすくめた。
彼は一歩後ろに控えた美と可憐の化身――――フィオナに振り向く。
「お父様のせいですからね。反省してください」
彼女は父の代わりに前に出て、セーラに微笑みかけた。
それは、同性のセーラが思わず見惚れて緊張を忘れるほど愛らしくて、つい「綺麗……」と密かに呟いてしまう。
傍にリシアとフィオナの二人がいるだけで、ここがお伽噺にでてくる神の世界なのかと錯覚する。
彼女たちの華が、自然とそうさせていた。
「その……お話の邪魔をしてしまい申し訳ありません。私たちもこちらのお二人と話をしてもいいですか?」
フィオナは自身の父が口にした問いを改めて口にした。申し訳なさそうに腰を低くしてだ。
そこでレザードがセーラに助け舟を出す。
「リオハルド嬢、今宵はお声がけいただきありがとうございました。また是非、リシアと懇意にしていただけますと幸いです」
「え、ええ……わかりました……」
彼の言葉はここは任せて、大丈夫――――という気持ちの言い換えだ。
助け舟を出されたセーラはそれを悟り、席を外す。どうしてユリシスがここに来たのか、彼女は最後まで知る由もなかった。
「さて――――と」
そう言ったユリシスがレザードに身体を向き直した。
「お二方、テラスに場所を移しましょうか」
「よろしいのですか? 我らが何か密談をしてると思われるかもしれませんが」
「ははっ! それはないですよ! こちらの様子を伺ってる人たちにとって、いまの私はクラウゼル男爵を詰問する悪者ですし!」
たとえば冬の騒動に関連して、バルドル山脈を領内に置くクラウゼル男爵に文句を言う、とか。
実際、彼らの様子を伺う貴族たちはそのように誤解していた。
話にでたように皆が場所をテラスに移すと、そこには他の貴族が一人もいなかった。様子を伺いに来ようとする者も皆無だったのは、ここに居るのがユリシスだったからだろう。
一行はそのテラスを歩き、パーティ会場である屋敷の庭園に向かった。
庭園の一角にある生垣の裏手にたどり着くと、ユリシスが足を止めた。
「やっとお会いできましたね。クラウゼル男爵。話したいことは山ほどありますが……まずは礼を」
唐突に、だった。
足を止めたユリシスはレザードとリシアに頭を下げ、同じようにフィオナもまた深々と頭を下げたのだ。
いくらなんでもそれはまずいと思い、レザードが慌てて制止する。
「お、おやめください!」
「いいや、私は止めませんよ。クラウゼル男爵は私と私の娘の恩人です。こうして頭を下げられる日を、どんなに待ちわびたことか」
二人が頭を下げている間、レザードとリシアは気が気じゃなかった。ようやく頭を上げてくれたとき、どれほど心が落ち着いたか言うまでもない。
「本当にありがとうございました。私がいまこうして生きているのは、クラウゼル男爵がご協力してくださったおかげです」
「……イグナート嬢。すべてはレンの頑張りによるものですよ」
「それも承知しております。だけど私にシーフウルフェンの素材をお譲りくださったのは、クラウゼル男爵で間違いありません」
フィオナは強い意志で言い切ると、もう一度頭を下げた。
次に彼女が顔を上げたとき、彼女の視線とリシアの視線が交錯した。
すると、二人はまったく同じことを考える。パーティ会場で相手をみたときにも考えたことを、ここでもう一度。
……こんなに綺麗な子、はじめてみた。
決して声には出さず、表情からも悟られぬよう気遣った。
ふと、夜風が辺りに吹く。
その風でリシアの髪を彩る白金の羽の髪飾りが揺れたと思えば、フィオナの胸元にあった、加工されていない星瑪瑙のネックレスも揺れる。通常の星瑪瑙と違い、紅色がさした星瑪瑙だった。
「「あの――――っ!」」
二人はほぼ同時に口を開いたのだが、彼女たちの声はユリシスに遮られる。
「先日の件では――――っとと、二人とも悪いね。つづけてくれるかい?」
「し、失礼いたしました。私は大丈夫ですので、どうぞイグナート侯爵が……っ!」
「ごめんなさい! 私も平気ですので……どうぞお父様がっ!」
「そうかい? ではお言葉に甘えて」
ユリシスはバルドル山脈での件に触れ、フィオナがまたレンに救われたことを口にしていく。
「娘から聞いたよ。レン・アシュトンのおかげで助かって、彼にも直接礼を言えたとね」
「それについては申し訳ありません。我が領内であれほどの騒動を巻き起こしてしまったことには、申し開きもございません」
「やめてくれ。あれはどうしようもない事件だったんだ」
「ですが……」
「それを言ってしまうと、考えが足りなかったのは私の方さ。私がもう少し頭を働かせていれば、フィオナはあのような騒動に巻き込まれることもなかっただろうね」
「しかし、イグナート侯爵でもわからぬのなら、他の者でも同じことでしょう」
「そうかい? ならクラウゼル男爵にも罪はない気がするが、どうかな?」
間髪入れない言葉に、レザードは苦笑いを浮かべて閉口した。ここで否定してしまうことは、ユリシスを否定するのと同じことだ。
余計なことは言うまいと、恐縮した様子を保った。
「だが、謙遜はしないでくれよ。クラウゼル男爵の有能っぷりは私も知っているんだ。この様子なら、クラウゼル領は今後数年のうちにでも格を上げるだろうね」
「といいますと、何のことでしょう?」
「私にわからないと思ったのかい? 最近、周辺の領地にいる商人たちを抱え込みはじめてるって噂だよ。まぁ、私の頭の中でだけだが」
「確かに最近は商人の出入りが多くなりましたが、私は特に何もしておりませんよ」
「本当かい? じゃあ、兼ねてより商人たちにとって頭痛の種だった、バルドル山脈周辺の街道整備は何のことだろうね」
「それでしたら、いずれ他の領地へ行きやすくなるようにと思いまして」
「そのためだけに、わざわざ山脈近くの山を一つ切り開いている、と?」
レザードは何も言わず、涼しげな顔を浮かべていた。剛腕・ユリシス・イグナートを前に決して気後れした様子はみせず、ただいつも通りの姿でそこにいた。
「切り開いている最中の山だけど、切り開けた後にはその先の領地と、元・ギヴェン子爵領の行き来が容易になる。すると、その周囲を移動したかった商人たちが経由することは必定だ。二つの領地に留まらず、それらの領地から魔導船で行ける領地も影響を受けるだろうね」
「仰る通りです。なので最近は、多くの貴族からお声がけいただいておりまして」
「ははっ。本当の狙いは商機ではなくて、そっちだろう?」
ニヤリとほくそ笑んだユリシス。
「中々食えない男だよ、クラウゼル男爵。君はその声を掛けてきた貴族たちと、いくつか取り決めを交わしたんじゃないのかい? たとえばそう……新たな道を経由地として安全に解放することを前提に、交易に際して税の優遇とかね」
「……私からはまだ何とも」
「――――やれやれ。もう一度言うが、本当に食えない男だよ。まさか男爵の身でありながら、単身で上位貴族も交えた取り決めを実現させるなんてね」
リシアはそれらの話を一つも聞いていなかった。
話を聞いていた彼女は父の仕事に驚きを覚え、思わず横で彼を見上げてしまう。
「悪いが、事が大きかったこともあって、余計な心配を掛けたくなかったのだ」
「……お父様」
「まぁ、そういうことだ。私もレンにばかり世話になっているわけにいかないからな」
ユリシスも称えるほどの仕事ぶり。
いつのまにと驚いたものの、貴族として勢力拡大に励み、領地を富ますための振る舞いは娘のリシアも誇らしく思った。
話はその後もつづいた。
パーティ会場ではレザードが詰められていると思う者しかいなかったが、庭園の一角ではユリシスが幾度も礼をして、同じ数だけフィオナと共に頭を下げる。
交わされる話はやがて、アスヴァルの角の件へと移った。
「アスヴァルの角だって? 興味深いね」
「しかしながら、どのように取り扱うべきか迷っているのです。私の方で勝手にというのも、イグナート侯爵に無礼かと思いまして」
「無礼なんてとんでもない。けど、気遣ってくれて助かるよ」
そうだな、とユリシスが腕を組んだ。
「角の所有権は誰にあるんだい?」
「当家で預かっておりますが、私はレンに所有権があると考えます。献上すべきとなりましたら、話は変わりますが」
「なら何も気にすることはない。その角はレン・アシュトンのものさ」
皇族派筆頭のユリシスが言うのだから、間違いなく気にするべき些末事はない。
アシュトン家の主であるレザードも認めたのなら、それこそユリシスにとっても危惧する点はなかった。
残るのは、使い道と言う本題だ。
「後はレン・アシュトン次第だね。一応、私からも使い道を提案できるように考えておくよ。たとえば、
「畏まりました。では、イグナート侯爵にお任せいたします」
「任せてくれたまえ! 私はこう見えて知人が多くてね!」
こう見えても何もなかったのだが、レザードとリシアは何も言わずに苦笑した。
「でも不思議な話があったもんだ。流れ着いた先がアシュトン家の村だなんて、偶然とは思えないね」
「……ですな。私もそう思います」
一瞬、レザードの眉がぴくっと動いた。
しかし彼は、アシュトン家の先祖にかかわる話は口にしない。いくらユリシスが相手でも、レンの話を勝手にする気はなかった。
が、ユリシスはその一瞬の反応を見逃していない。
それでも言及することがなかったのは、偏に相手が恩人だからだ。
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