敗北には慣れっこの聖女
エレンディルに到着して間もなく帝都へ向かったのは、レザードの仕事の関係からだ。屋敷に向かわず忙しなく移動したのは、そうした理由によるものだった。
魔石の力を動力源にした魔導列車は馬と比較にならないほど早く、レンはあっという間に帝都へ到着した。
そこでの景色も、彼にとってはどこか懐かしく見慣れたものだ。
帝都の外からやってきた魔導列車を受け入れる線路。扇状に広がったその線路が集められた駅は大通り中央に鎮座する。更に帝都内を巡る魔導列車の線路が高架によって設けられ、広い帝都に鉄道網を広げていた。
いくつもの区画にわかれた帝都はクラウゼルの数十倍は広く、数えきれない家々が立ち並ぶ。
そこには国内外に名を轟かせる巨大な高級宿や、名のある研究所だって。また、数多のギルド本部もこの帝都に並んでいるし、帝国士官学院をはじめとした名門校も片手に収まらないほど存在する。
更に帝都に住まう上位貴族の屋敷が並ぶ貴族街は、まさに圧巻だ。
もちろん、そのすべてを駅から見たわけじゃない。
数階建ての駅から見れるのはほんの一部で、魔導列車を下りて間もないレンは「おおー……」という感嘆の声を漏らしながら歩き出した。
彼は駅の客で賑わうホームを進み、外が見える手すりから帝都の最奥を見上げる。
大通りを真っすぐ進んだその先に鎮座する、帝都の象徴を見るために。
「帝都は大きいだろう」
その隣にやってきたヴァイスが言った。
エレンディルでも驚きっぱなしだったレンは、今日一番の驚きを覚えた様子で口を開く。
「……想像以上でした。画面で見るのと自分の目で見るのじゃ全然違って、もう驚くことしか出来ません」
「うん? 画面というのは?」
「い、いえ! 何でもありません!」
レンは無駄な言葉を口にしたことを反省した。
気を取り直し、帝都の象徴へ意識を向ける。
――――大国レオメルにおける大都市の多くが、象徴と言える建物を持っている。
だが、それらすべてを比較対象にすることすらおこがましい、レオメルそのものの象徴と言うべき建物が、この帝都には存在した。
それこそが、帝城だ。
数多の外殻塔や側塔の他にも、天高くそびえ立つ尖塔が並んだ薄灰色の全体は、アーチ状の道が地上の遥か上で架けられ、複雑な造りでそこにある。その複雑さは建築技術の
神が住まうと言われても違和感のない、まさに神秘の結晶だ。
「私、帝城だけでクラウゼルの町のほとんどを覆えそうだ――――って、帝都に来るたびに考えるのよ」
と、ヴァイスの後で傍に来たリシアが。
「ヴァイスは本当にすごいわよね。若い頃はあの帝城で働いてたんだから」
「そう言えば、ヴァイス様は昔、近衛騎士だったんでしたっけ」
昨年開かれたリシアの誕生日パーティにて、ヴァイスがそのようなことを口にしていた。
思いだしていたレンの傍に来たヴァイスが腰に携えた剣を示す。
「これは陛下より拝領した剣だ。まだ近衛騎士だった頃の私が、謁見の間にて陛下より授かったのだ」
レンはどうしてヴァイスがクラウゼル家に仕えているのかが気になった。
だが、尋ねる気になれる雰囲気ではなかった。近衛騎士だったことを語ってからというもの、ヴァイスの顔に切なそうな表情が浮かんでいたからだ。
(いまは止めとこ)
空気を読んだと思えば、聞こえはよかった。
◇ ◇ ◇ ◇
四人は他の騎士も連れて宿へ向かった。
帝都にはいくつも評判の高級宿があるものの、一行が泊まるのは決して高級過ぎない、けれど満足できる警備が約束された宿が選ばれた。
エレンディルの屋敷へ帰らない理由だが、パーティは夜に開かれるから。
更に夜会へつづき、その集いが夜遅くまでとされているのが宿に泊まる理由だ。
レザードの部屋に足を運んだレンが、その豪奢な部屋にあるソファに腰を下ろした。
「夜遅くまで待ってもらうことになるが、本当にいいのか?」
「気にしないでください。俺から同行を申し出たんですから、一人で待つことくらい何の問題もありませんよ」
「……すまないな。では、レンの言葉に甘えさせてもらうとしよう」
対面に腰を下ろしていたレザードは申し訳なさそうに頭を下げ、それを見たレンが慌てて頭を上げるように言う。
「何か必要なものがあれば騎士に言ってくれ。帝都を見て回りたければ案内もつけよう」
「帝都を見て回るのって、俺一人じゃ駄目でしょうか?」
「ん? だが、案内がないと迷ってしまうと思うぞ」
護衛をつけるかどうかの判断は今更とも言える。
レンはクラウゼルで東の森に一人で行き魔物の調査をしているし、冬にはバルドル山脈でも活躍したばかり。
巡回の騎士も大勢いる帝都なら、心配には及ばない。
「大丈夫だと思います。大通りとかの広い場所にしか行かないので」
「ああ。ならば構わないとも」
話が落ち着いたところで、レンは立ち上がってレザードの部屋を出る。
すると、レザードの隣の部屋からリシアが姿を見せた。隣りの部屋は彼女が泊まる部屋で、その更に奥にあるのがレンの部屋だった。
「あらレン。お父様と何か話してたの?」
「帝都を見て回ろうと思って、一人で行ってきてもいいか聞いてたんです」
「いいなぁ。私も一緒に行きたい」
「駄目ですよ。リシア様はこれから、お着替えなどで忙しいんですから」
「もう……わかってるもん」
そう言いつつも、リシアは不満そうに唇を尖らせる。
「ちゃんとレンの分まで、イグナート侯爵にご挨拶してくるわ」
レンは「お願いします」と言い、まだ一緒に外へ行きたそうにしているリシアの表情を見て心を傷めた。
「もしよければ、次の機会は俺に帝都を案内してくださいますか?」
「っ――――うん! 任せて!」
レンの気遣いに可憐な笑みを浮かべたリシアは、自身の胸が早鐘を打ちはじめたのがわかった。では――――そう言って自分に背を向けたレンの後ろ姿に手を伸ばしかけたけど、今日のパーティは重要な催しだ。
イグナート侯爵が来るのだから、気を引き締めなければならない。
「……いつもレンに助けられてばっかりなんだから、私もちゃんとしなきゃ」
気を引き締め直したリシアはレンの姿が見えなくなるまで彼を見送り、それからレザードの部屋を訪ねた。
◇ ◇ ◇ ◇
帝都に住まう貴族の屋敷で開かれるパーティは、特に華やかな催し事になることが常だ。
豪奢な屋敷に、その庭園に集まった馬車と貴族たち。その馬車から降りた紳士淑女の身を包む衣装も相まって、どこを見渡しても煌びやか。
夕暮れの茜色を帯びたそのすべてが、帝都貴族の華だった。
そんな会場に足を運んだレザードとリシアの二人は、同派閥の貴族をはじめ、英雄派や皇族派に属する貴族たちと言葉を交わした。
その際、リシアは常に注目の的だった。彼女の傾城とも称される抜群の容貌は皆の目を引く。優れた容貌の貴族令嬢が多く足を運ぶ会場の中でも、彼女は特別視されていた。
「……ふぅ」
立てつづけの挨拶が済み、ようやく訪れた休憩にリシアが息を吐く。
娘の姿を見て、レザードはグラスを片手に笑った。
「疲れたようだな」
「ええ。頬が引きつってしまいそうです」
「実は私もさ。明日には私の頬も筋肉痛になっているはずだ」
「ふふっ、お父様ったら」
クラウゼルで開かれるパーティくらいなら余裕があっても、次々に上位貴族と顔を合わせる場となれば話が別だ。
二人は冗談を交わしながら、パーティ慣れしていない自分たちに自嘲する。
そうしていると、また別の貴族がやってきて二人に声を掛ける。
だがその貴族はそれまでと違い、リシアは気を遣わなくて済む相手だった。
「ごきげんよう、クラウゼル男爵」
やってきたのは、リシアが春に再会したセーラ・リオハルドだ。
英爵家の令嬢である彼女も、当たり前のようにこのパーティに招待されていた。
「リオハルド嬢、お久しぶりでございます。先日は娘が失礼をしたと聞きました。何とお詫び申し上げれば良いものか」
「う、うぐっ……べ、別に失礼じゃないから、気にしないでください!」
レザードが言ったのは、エレンディルの詰め所での立ち合いについて。
いくらセーラから申し込んだと言っても、レザードはその立場上、いまのように言わざるを得なかった。レザードに皮肉を言うような意図は毛頭なかったものの、リシア相手に完敗を喫したセーラには耳の痛い話だ。
「しかし、リオハルド嬢のお父君はどちらに?」
「父なら別の場所に。英雄派の方たちと話をしていますよ」
「……リオハルド嬢は、私の下に来てよろしかったのですか?」
「お気になさらず。派閥のことがあるので、父にはついてこないよう強く言ってありますから」
それはそれでどうなのだろう、とリシアとレザードは思った。
だが、いずれにせよセーラがクラウゼル家を気遣い、派閥の違いにより生じる問題を持ち込むまいと振舞ったことに、二人は素直に感謝した。
「それでセーラ、お父君と別れてまで私のところに来た理由は?」
「特にないわよ? 強いて言うなら、あたしもリシアと同じで疲れたから、一緒の方がお互いに都合がいいと思っただけ」
そう言ったセーラの頬には、僅かに疲れが見え隠れしていた。
どうやら彼女も、多くの貴族相手に挨拶で忙しかったのだろう。彼女もリシアと同じでまた人目を惹く容貌をしているから、それもあるだろうが。
「セーラはパーティに慣れてると思ってた」
「慣れてるけど、だからって疲れないってことにはならないでしょ」
二人は笑い合ってから互いのグラスを軽くぶつけ、乾杯を交わした。
グラスに注がれていた果実水を、二人は数口ほど飲んで喉を潤わせた。
「春は聞きそびれたけど、リシアはクラウゼルでどんな訓練をしてるの?」
「普通よ。庭で剣を振ってるだけ」
「ほ……本当にそれだけ?」
「ええ。そうですよね、お父様」
傍で静かにしていたレザードが「そうだな」と頷いてからセーラを見た。
「リシアは当家の騎士に剣を教わる他には、当家に仕える騎士の息子と剣を交わすことくらいしかしておりません」
レザードが意図的に何かを隠している様子はない。
それをセーラも悟ったことで、彼女は疑問を深めた。
「嘘………敗北を知らずにあの強さなんて……」
疑問の他には、驚きだ。
英爵家に生まれたセーラはひけらかすことはなくとも、幼い頃から剣に関する英才教育を施されてきた。
現リオハルド英爵に限らず、帝都だからこそ呼べる高名な剣士の教えも乞った。
英爵というのは、明確にどの上位貴族相当という指針はない。
だが一般的に侯爵級とされることが多く、その成り立ち以前にも貴族としての地位も高く、高名な騎士を呼ぶことに何ら苦労はない。
だがリシアは、そうした教育を受けていないと言う。
それなのに自分を凌駕する実力を誇るリシアの生活に、セーラは疑問を覚えずにはいられなかったものの、
「敗北なんて、毎日経験してるわよ」
リシアの勝気でも、謙遜してもいない声だった。
「敵は自分自身ってこと?」
「ううん。男の子。別に敵じゃないけどね」
「……なら、自分より強い男の子を想像して、心の中で戦ってるとか?」
「実在する男の子よ。さっきお父様が言ってた子のこと」
レザードは当家に仕える騎士の息子、と言っていた。
その言葉を思い返したセーラは手にしたグラスを口元に運び、静かに果実水を飲み干した。呆然と立ち尽くしたままでいると、会場の給仕がお代わりを注ぎ、立ち去っていく。
するとセーラは、もう一度果実水で喉を濡らしてから「え?」と言った。
間が空いてしまったのは、理解するのに時間を要したからだ。
「驚いてるみたいだけど、本当だからね。私とあなたと同い年の男の子なんだから」
「け、けどそれって、リシアがギリギリの戦いで負けてるとか――――そういうことよね!?」
「違うわよ。手心を加えられてるのに、私はそれでもぼろ負けしてるの」
「っ――――!?」
言葉にならないとはこのことか、とセーラが当惑。
それにはリシアがくす、と可憐に微笑んだ。
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