古びた砦の中で。

 灰色で武骨な石畳と、同じ素材で作られた壁や天井が皆を迎える。

 壁に指先を滑らせれば、じゃりっと湿った感触がする。

 レンにとってはゲームで見慣れた光景だが、それらの現実によって、ここが別の場所であると錯覚しそうになった。



 ――――元は砦として造られたからなのか、窓は小さく、灯りは等間隔に並ぶ松明に頼らなければ昼でも薄暗い。

 皆の足音が、この武骨な砦内に響き渡っていた。



(何がどうなってるんだ) 



 レンはあまりの衝撃に冷静さを欠いてしまったけど、幸い、いまは緊急時と言うこともあって皆の自己紹介は後回しにされた。



「私はメイダス。クラウゼル家の騎士たちを除く冒険者らを、今回の救助中に限って指揮する冒険者だ」



 砦の中で一行を先導して歩くフィオナの傍で、メイダスが軽く自己紹介をする。

 このとき、フィオナは誤解した。

 メイダスの話を言葉通りに受け止めれば、騎士の姿に身を包んでいないレンは冒険者ということになる。

 レンは冒険者登録をしているから間違いではないのだが、どこか正解ではない。



「何故、君たちのような少年少女がバルドル山脈に?」



 フィオナは足を止めずに話をつづける。



「私たちは受験生なんです。この砦へは、数日前から避難しておりました」


「じゅ、受験生だって……?」


「ええ。この地は帝国士官学院の特待クラスにおける、最終試験会場なんです」



 その説明にはメイダスも驚いた。

 つづけてレンも、そして騎士も驚きの表情を浮かべる。

 しかしレンたちは閉口しつづけた。

 思うところはあったけど、メイダスたちの話に耳を傾けたのだ。



「まさかとは思ったが、かの学院が誇る特待クラスの……」


「ははっ! おいメイダス! 失礼のないようにしろよなッ!」


 驚くメイダスを他の冒険者が囃し立てた。



「わ、わかってるとも! だが許してくれ! 貴族相手の口調はどうしても身についておらず……というか、お前たちも軽く自己紹介をするべきだろッ!」



 メイダスが他の冒険者たちに声を掛けた。相手が相手とあって、彼は可能な限り丁寧な対応を心がけたのだ。

 しかし、冒険者たちは難色を示す。



「私は遠慮しておくわ。前にお貴族様の護衛任務を引き受けたとき、対応が悪かったって難癖付けられたことがあるのよね」


「俺もちっとばかし遠慮したい。田舎の冒険者には、あの学院の受験生さんたちはデカすぎてな」


「だな。親御さんに報酬を頼めばそこそこの金になるだろうが、俺たち程度の冒険者が大貴族と縁を持つと、大概が面倒なことになる。遭難した件も俺たちがかかわってるとか言われたら、たまったもんじゃない」



 冒険者には冒険者独自の理由があり、彼らは貴族が相手でも自己紹介を避けた。

 つづけて、他の冒険者が言う。



「俺たちは受験生たちを下山させる。受験生たちは俺たちに干渉せず、黙って下山させられる。これで十分だろう」


「互いに不干渉で行こう。そうしてくれれば、俺たちも安全を約束する」


「不干渉でいることが報酬、ってとこだな」



 一人が言ったように、受験生の親から決して安くない報酬を貰えるかもしれない。

 だが、この場に集まった冒険者たちは権力者の強さを知っていた。



 万が一にも難癖をつけられたら溜まったもんじゃない。言い換えれば、自衛のために素性を隠していたかった。

 特にフィオナ・イグナートの存在が、彼らをこうさせたのだろう。



「承知しました。では、そのようにします」



 フィオナは貴族の理不尽に覚えがあるのか、素直に頷くに留めた。

 歩きながらメイダスが謝罪したが、彼女は「いえ、助けてもらうのは私たちですから」と言って健気に笑う。

 重くなった雰囲気を解消すべく、メイダスが話題を変える。



「しかし、あの特待クラスを受験するのなら、剣に限らず、魔法に秀でた受験者も多いのでは?」



 メイダスが言いたかったのは、次のようなことだ。



 帝国士官学院はレオメル一の名門で、その特待クラスともなれば更に一握りの人材しか入学が許されない狭き門。

 そこを目指す受験生なら田舎の冒険者より実力があるだろう、と。



 故に此度の異常な雪でも、避難するまでではなかったのではないか? こう言いたかったのだ。



「私たちは体力で大人に勝てません。この異常な事態が数日であればどうにかなったかもしれませんが、避難を決めた際は、一週間以上も山脈を歩いた後でしたから」



 身体が成長しきっていない彼女らにとって、その行軍は厳しかった。

 仮に数日に限ってならクラウゼル近辺で活動する冒険者に勝れようとも、それ以上になれば、こと野営においてはどうしてもままならない。



「それに、不思議なくらい多くの、、、、、、、、、、魔物が現れてしまい、、、、、、、、、、必要以上の消耗を余儀なくされたのです」



 それを聞いたメイダスは一瞬眉を吊り上げた。

 だが、ほんの一瞬だ。彼はすぐに 「少年少女だけとあって、狙いやすかったのかもしれないな」と口にした。



「異常な寒さもあったし、仕方ないさ」



 メイダスが納得したところで、レンは密かに考える。



(特待クラスの試験は確かに難しい。この最終試験はその象徴………だけど)



 それは学院が指定した場所で行われ、決められた経路を踏破することを目的とした試験だ。

 主に受験生の体力や忍耐力、機転やグループ単位にわけられた受験生の協調性に至る、様々なことを見定める試験だ。

 そのため、見定めるための試験官がどこかに居るはずなのだが、



(あくまでも受験なんだから、こんな無理はしないはず)



 此度の異常気象は野営に慣れた冒険者でも救助を求めるほどなのに、それをいくら名門だからと言って、試験官が放置することは考えにくい。

 受験生には国内外の貴族に連なる者いるから、やりすぎればそれも問題になる。

 だとすれば、試験官はどこにいる? という話になる。



「気づいたか」



 レンのそばを歩いていた冒険者が密かに話しかけた。



「今回の件は普通じゃない。下手すりゃ、俺たちなんか一息に殺せる権力者が裏にいそうな事件だろ? 受験生には派閥を問わず貴族の関係者がいるってのに、それに手を出すとすればとんでもない話だ」


「……皆さんの様子が急に変わったのは、その懸念からなんですね」


「そうさ。さすがに無礼すぎるとは思うが、俺たちも自分が可愛いからな。多少の不敬なんて気にしてられない」



 二人が話すのを傍目に、前方ではフィオナが足を止めた。

 彼女は砦の奥にある広間へつづく扉の前に立つと、



「この砦に避難した私たちは、先客がいると知り胸を撫で下ろしました」



 でも、それを言った彼女の表情は冴えない。

 やがて、扉が開かれると同時に理由に皆が理解に至った。



 通された広間には簡素な寝具が敷かれ、その上にカイをはじめとした冒険者や、護衛対象と思しき商人が寝かされていた。

 彼らは皆、苦しそうな呼吸を繰り返している。



「なっ――――カ、カイッ!」



 それを見て、メイダスが慌てて相棒の下へ駆け寄って行く。

 つづけて救助に来た他の冒険者たちもまた、その後を追った。



「……ご覧の通りです。この砦に居た方々は、一人残らず歩くことすらままならない状況だったのです」



 レンが冒険者と話していた不穏さが、より一層その信憑性を増した。

 話さずとも騎士たちはレンと同じ考えを抱き、でも冷静さを欠くことなくフィオナに尋ねる。



「イグナート嬢。他にわかることがありましたら、是非、ご教示ください。私たちはあの者らが発した狼煙を見てクラウゼルから来たのですが、理解が追い付いておりません」



 フィオナがコクリ、と頷いた。



「私と同じ受験者の中に、治療の心得がある者がおりました。その者が診たところ、彼らは体内の魔力が異常に増えていたそうです」



 彼女の顔にわずかなかげりが見えた。

 心なしか、唇も少し震えていた気がする。

 これらのことに気が付いたレンはその理由はわからなかったが、フィオナがすぐにそれらを隠してしまったため、勘違いだったのかと思った。



「診たところ、器割れ、、、に似た症状でした」



 それを聞いた騎士が驚嘆。



「身体に見合わぬ量の魔力を宿した際、それが毒となり身体を蝕む病ですね。先天的に魔力を多くもって生まれた子がかかる症状だったと思いますが……それがなぜ、大人の冒険者に?」


「……残念ですが、その理由まではわかりません」



 ただ、と。



「器割れは生まれ持った魔力が多ければ多いほど死亡率が上がる病です。しかし、あちらの方々は命に別状はないそうです」



 その症状は、以前リシアが罹った病と似て非なるものだ。

 レンには医学の心得がないから説明を聞いても理解はできないが、大きく言えば、直接命に係わるかどうかという話である。



 また、器割れは基本的に生まれてすぐに罹るため、それも違いと言えよう。

 冒険者たちを診た者が言うには、彼らの身体を蝕む異常な量の魔力は少しずつ落ち着いているらしく、またしばらく時間が経てば調子を取り戻すだろうと。



 こうなれば何故そんな状況に陥ったのか気になるところだが、やはり不明であるそうだ。



「だから最近の狼煙は、私たちが上げていたんですよ」



 自嘲しつつ言ったフィオナはコロン、と首を寝かせた。

 その横で、騎士は腕を組み考えはじめる。

 やがて彼は自身も倒れた冒険者たちに向かうため、フィオナに頭を下げてから言う。



「考えるべきことはいくつもありますが、まずは私も、冒険者たちの様子を確認して参ります。その後に、皆様の下山についてご相談させていただきたく」



 ……では。

 こう言って背を向けた騎士を見るフィオナは密かに、「私はまた、クラウゼル家に力を貸していただくのですね」と言い、彼女も広間へ足を踏み入れた。

 ここで、これまでの緊迫感を一瞬で消し去る出来事が発生する。



「はぁ……しょーもないわね。後で報酬を上乗せしてもらわないと、こんなんじゃ割に合わないじゃないわ」



 レンと同行していた女性冒険者が肩をすくめ、ため息交じりに言った。

 もう一人の女性冒険者と顔を見合わせ、それからレンに目を向ける。



「どうせ今日はここで一夜を過ごすんだし、さっさと寝る部屋だけでも決めちゃいましょ」


「そうね。あっちのことは男たちに任せておけばいいし」



 そう言った二人が、レンの身体へしな垂れかかる。



「私たちと一緒の部屋はどう?」



 最初は驚きに唖然としていたレンだったが、彼はすぐに苛立った声で言う。

 この緊急時に何をしているんだ、と。

 二人の色香に惑わされるどころか、煩わしさを覚えていた。



「あの――――こんなときに変なことをしないでください」



 両腕を伸ばし、彼女たちのことを引きはがした。

 二人はそのつれない態度を笑いながら、この場を後にしてしまう。



 残ったレンは「はぁ……」と苛立ちが残るため息を漏らしてから、ハッとする。

 さっき大広間に足を踏み入れたはずのフィオナが、いつの間にか扉の傍に居て苦笑いを浮かべていたのだ。



「え、えっと……」


「念のために言うんですが、俺があの二人をはべらせていたとかではありませんからね……?」


「だ、大丈夫ですっ! ちゃんと見てましたから……っ!」



 何ともタイミングの悪い事件だった。

 幸い、フィオナが妙な誤解をしていないことだけが救いなのだが、この微妙に重い空気をどうするべきか。



(まっずい。完全に自己紹介し辛くなった)



 フィオナにとってレンは命の恩人なのに、ここで自己紹介と言うのは如何なものか。別に情熱的な挨拶を交わしたいわけではないが、この出会いはさすがにどうかしてると思わざるを得なかった。



 この非常時に、フィオナを混乱させてしまうことは間違いない。

 余計な混乱を招くことは、レンの本意ではなかった。



(ひとまず棚上げにして、騎士にも相談して場を改めよう)



 フィオナはレンを冒険者と勘違いしているし、冒険者と受験生の間で不干渉の約束が交わされたばかりなこともある。

 とりあえず、ここで自己紹介をすることは避けることにした。

 後はこの微妙な空気の中でどう振舞うかなのだが、



「イグナート様! 私、少し相談したいことが……っ!」



 予期せぬ助け船が来た。

 二人の近くにやって来た女性の受験生が、フィオナに話しかけながら手を取ったのだ。どうやら相談内容がやや込み入った内容らしく、現れた受験生はレンの顔をチラチラと覗いている。



「俺はこの辺で失礼します」



 レンがフィオナに背を向けると、



「あっ……冒険者さん! ご助力いただける件、心より感謝申し上げます っ!」



 彼女はその背に深々と頭を下げながら、心からの礼を口にしたのである。

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