ガーディナイト号に乗って。[2]

 夜が更けても本を読んでいた。さっきの本ではない、別の本を。

 本を閉じたレンが、車窓の外に目を向ける。



 ここはレンに用意された客室だ。普段暮らしている屋敷に比べて狭く、アシュトン家の村にある屋敷の部屋よりもさらに狭い。

 しかし居心地がよく、落ち着ける空間だった。



 最新鋭の魔導列車らしく、客室は近年のレオメルでも真新しさがある。

 木材や石材を活かしたアンティークなそれというよりは、単色のカーテンや絨毯をはじめとした、一見すればシンプルながら真新しい意匠。

 時代の変化すら感じさせる、目新しさに富んだ内装だった。



 ……そろそろ行こうかな。



 窓際に置かれた机に頬杖をついて外を眺めていたレンが立ち上がる。

 自動で開く魔道具の扉を通って渡り廊下に出れば、渡り廊下一杯の車窓から外を見る客たちの姿。



 つい一時間ほど前までパーティが開かれていたこともあり、ユリシスも忙しそうにしていた。だが、せっかくの地上の旅を思い思いに過ごしてほしい、そんなユリシスの思いからパーティは早めに終わり、会場は憩いの場として提供されている。



 レンは彼らの横を通り過ぎるように奥へ向かい、ユリシスの部屋へ向かう。夜に話をしようと誘われていたからだ。



 しばらく進んだ先にある後部車両の一つ。

 その奥へ通じる扉の前にエドガーが立っていた。



「レン様、ごきげんよう」


「ちょっと早いかと思ったんですが、来ちゃいました」


「いえ、時間通りなのでお気になさらず。ですが申し訳ありません……主はまだご挨拶が済んでおらず、いまだお戻りになられていないのです」



 エドガーはレンに伝言を預かっていたから、一足先にここへ来ていた。

 燕尾服の紳士が申し訳なく言う言葉を聞いたレンは、慌てて、気にしないよう言った。もとよりこの旅でユリシスが忙しいことはわかっていた。



「そろそろお戻りになると思いますので、中でお待ちいただくのはいかがでしょうか」


「あ、よければ是非」



 レンの返事を聞き、エドガーが扉を開けて中へ誘った。

 奥にある大きめの客室がユリシスの部屋で、ここもレンの客室と似た雰囲気の場所だった。



「申し訳ありませんが、こちらでお待ちください」



 エドガーに従い、中に置かれたソファに腰を下ろして待った。

 その老紳士が淹れた茶を楽しみながら、待つこと十数分。

 慌ててやってきたユリシスが襟元を正し、軽く頭を下げた。



「待たせてすまないね」


「いえ、お気になさらず」



 挨拶から帰ったユリシスがレンの傍に来て、腰を下ろす。

 普段と違い、今宵のユリシスはパーティ向けに華やかな服装に身を包んでいた。

 スーツに変わりはないが、胸元のチーフやラペルを飾る宝飾品など、嫌味なく添えた姿には気品がある。



「今晩は君が最近どうしてるか、ゆっくり話しておきたかったのさ」



 剛腕が発した柔らかな声。



「どうかな。最近、変わりはないかい?」



 レンは答える前に疑問を漏らす。



「珍しいですね」


「私が言ったことがかい?」


「はい。ユリシス様にしては、普通のことを尋ねてこられた気がします」


 ユリシスが笑って目を細める。

 レンの返事を不愉快に思うなどない。



「ローゼス・カイタスの事件のあと、ゆっくり話す時間がなかったろう? だからこうして話す時間を設けたかったのさ」



 招待状を届けたときは、あまりゆっくりできなかった。



「――――ローゼス・カイタスあのときのことはご心配をおかけしました」


「確かに心配はした。けれどそれ以上に私は怒っていたよ、エルフェン教の管理はどうなってるんだってね。君たちが気に病む必要はまったくないんだ」



 肩をすくめたユリシスのもっともな言葉。

 言葉に詰まったレンを見て、ユリシスはもう一度笑う。



「今日のパーティは楽しんでいただけたかな」



 話題が変わり、レンは「はい」と間髪入れずに頷き返した。



「リシアとレザード様も楽しんでいらっしゃいました」


「それは何より。ところで――――ふむ」


「どうかしましたか?」


「直接君の口から聞いて、なるほどと思ったのさ」



 ユリシスが僅かに前のめりになった。

 じっとレンの目を見ながら、



「噂には聞いていたが、本当に彼女を名前で呼んでいるのだね」


「え、ええ……いろいろとありまして……」


「まぁ、いろいろあったんだろう。私もわかっているよ」



 ユリシスは言葉には出さない。

 彼が自身の娘の奮闘に期待することはさておいて、無粋な言葉を口にするほど野暮ではなかった。

 娘とレンの距離も近づくようにと願い、背をソファに戻す。



「いま、うちのフィオナはクラウゼル家のご令嬢と勉強してるみたいだよ。さっき様子を見てきたら、随分と愉しそうにしていた」


「リシアと勉強? わざわざこの車両の中でですか?」


「正しくはリオハルド家のご令嬢もいるんだけどね」



 それを聞き、レンは合点がいった。

 十一月になる前に、先の試験について話したことを。



「リオハルドさん、この前の試験の成績が微妙だったって言ってました」


「おや、そうなのかい? リオハルド家は勉強にも厳しい家だったと思うが」


「一応、微妙と言ってもいい方ではあったみたいです。リオハルド家の基準としてって意味でしょうね。ちなみに、剣の授業は問題なかったって喜んでました」


「ははっ! それこそ心配は要らないね! 彼女の実力は伊達じゃない!」


「でも特待クラスの試験が難しいですから、筆記科目の方は苦労されてたんだと思います」


「わかるよ。元の基準が高いからね、しょうがないといえばしょうがないか」



 するとユリシスが嬉しそうに、



「……フィオナは友人が少ない。こうして人付き合いが増えることはいいことさ」



 派閥の違いという大きな問題はあっても、口に出さない。

 口にしてしまえば、無視することができないことが生じるかもしれない。そうすることで、娘たちが楽しんでるところに水を差したくなかった。

 だがユリシスも馬鹿じゃない。それどころか、レオメルでも有数の知恵者だ。

 きっと、見えないところで気を遣って動いているのだろう、レンはそう思っていた。



 それから――――

 存分に話ができたと思しき頃合いを見計らい、ユリシスが「いい時間だった」と言った。

 振り返ってみれば、本当にただの世間話をしていた気がする。



「また話そう。ゆっくり、時間を気にせずにね」


「俺もです。是非、またゆっくりと」


「ああ、そのときを楽しみにしておくよ」



 レンはソファから立ち上がり、頭を下げてこの部屋を後にする。

 彼が自室に戻る途中、リシアが渡り廊下の壁を背に立っていた。彼女はレンを見つけて可愛らしく頬を緩める。



「イグナート侯爵のところに行ってたのね」


「リシアたちは勉強を頑張ってたんですよね?」


「ええ。セーラの成績が悪かったって話をしてたら、フィオナ様が会話をしながら教えてくださって。そしたらセーラがちゃんと教わりたくなったみたいだから、私の部屋でさっきまで頑張ってたの」



 つい数分前まで少女たち三人が同じ部屋にいて、勉強をしていた。

 リシアは壁から背を離し、レンの隣にやってきた。



「展望車に行かない?」



 彼女の提案を受け入れたレンが歩を進めた。

 日中も足を運んだ展望車に、リシアはまだ行っていなかった。

 いまは夜景が美しく、もう一つ都合がいいことも。

 二人が足を踏み入れた展望車は、日中と違って他に客が一人もおらず、二人だけの空間だった。



「貸し切り状態ですね」


「みんなパーティ会場の方にいるみたい。だからゆっくりできるでしょ?」


「もしかして、下調べしてから誘ってくださったんですか?」


「……悪い?」



 リシアがぶっきらぼうに言い、照れ隠しに大きな車窓へ近づく。

 天井もガラスで造られている展望車、満天の空を一望するのにこれ以上の車両はない。普段見ているエレンディルや帝都の夜空以上に、この辺りの夜空は澄んでいる気がした。



「すごく綺麗」



 感嘆の声を漏らすリシアの横顔は、満天の空に劣らず美しかった。

 彼女は一頻り夜景を楽しんでから口を開き、



「教えてほしいことがあるの」


「その、急に眉根を寄せながら言われると、俺も身構えてしまうんですが」


「当然よね。そうなるようにレンを見てるんだし」



 隣に立つレンを見上げ、腰をくの字に曲げたリシア。

 指先を伸ばし、レンの鼻先をちょんと突いた。



「第三皇子殿下と何をしてたの?」


「俺がラディウスと? いつのことですか?」


「今朝。それと最近、こそこそしてることもだからね」



 言い逃れを許さぬ追い込みに、レンは往生際が悪いことは言わなかった。

 彼は「バレてましたか」と苦笑を交え、開き直った。



「もしかして、神聖魔法わたしのこと?」


「はい」


「わかったわ……それで第三皇子殿下に何か頼んでたのね。最近、レンが隠れて神聖魔法について勉強してたのも同じ?」


「あれ、神聖魔法を勉強してたことも知ってたんですか?」



 こくりと頷いたリシアのため息。

 レンの鼻先に押し当てられていたリシアの指は、いつの間にか下ろされていた。



「私に内緒で調べようとしてた理由は?」


「言わなきゃ駄目ですか?」



 笑うリシアが「当然でしょ」と即答。



「できるだけ、リシアを心配させたくなかったからです」


「私が神聖魔法のことで不安になるのを見たくなかったってこと?」


「そうです。他にもクロノアさんに相談することとは別に、俺なりに調べていたかったのもありますが。……でもずっとこうしてるつもりじゃなかったですからね。話を聞いたら、ちゃんとリシアにも伝えるつもりでしたから」



 彼の優しさに心温まるも、リシアはそれだけで終わらなかった。



「私を心配してくれるのは嬉しいけど、次からちゃんと最初に話してね。それで、レンはエウペハイムで何をするつもりなの?」


「そこまで予想してましたか」


「ふふっ、そうじゃないと、わざわざ出発する前に第三皇子殿下とやり取りはしないでしょ? 騎士を介してたけど、私も見てたんだからね」



 余裕があるなら忙しなく動く必要はなかった。リシアの見立てに間違いはない。

 諸々観念したレンは何一つ隠さずに、



「ラディウスの先生をしてた人を紹介してもらいました。エウペハイムにいる間、何度かお会いして話を聞いてくるつもりです」


「す、すごい人を紹介してもらってたのね」


「俺も話を聞いたときは驚きましたよ。――――というわけなので、リシアは留守番ですね」


「留守番……って?」


「言葉通り、宿にいてください」


「さっきの話からどうしてそうなるのよ! 私も一緒に行くってば!」


「いえ、あくまでも俺個人に紹介って感じなので、いきなりリシアを連れて行くのは先方に悪いですし」



 興奮したリシアに対し冷静な言葉が投げかけられる。

 感情は別として、反論の余地がないくらい正しい言葉だった。



「言われてみればそうね」



 返事と裏腹に少し唇を尖らせている。



「納得してるのに不満そうなのはどうしてです?」


「いきなり正論を説かれちゃったから、ついよ」



 それでもリシアは素直に「ごめんなさい。熱が入り過ぎちゃってた」と言う。

 こほんと咳払いをした彼女がレンを改めて見つめる。



「また何か秘密にされるようなことがあったら、次からはずっとレンを見張ってなくちゃ」



 冗談を言いくすくすと笑って。

 レンも同じように冗談を言うつもりで口を開く。



「寝るときもですか?」


「そ。寝るときも」



 冗談の話の中ではあるが、まさか一緒に寝るわけではないだろうに。

 それとは別に、レンが致命的な一言を口にする。リシアが反論できないような言葉だった。



「リシアは俺より先に寝ちゃうと思いますよ」


「…………」


「リシアもそう思いませんか?」



 リシアも同じことを思った。

 たっぷりと、十数秒の沈黙を交わし合う。

 じとっとした視線をレンに送るリシアはもの言いたげながら、隣に立つレンを見上げつつ唇を尖らせる。

 


 彼女はとうとう反論を諦めて、後ろ手を組んだ。

 右の肩口をレンの腕にとんっと、ちょっとした抵抗のつもりで一度だけぶつけた。



「……レンのいじわる」



 彼女は可愛らしく拗ねてそっぽを向いてしまう。



 ――――――――――



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 引き続き、書籍版ともどもどうぞよろしくお願いいたします!

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