ガーディナイト号に乗って。[3]

 翌日も優雅な地上の旅を楽しみ、翌々日の朝。

 日が昇る前の、寝ている者が多い時間帯だ。



 夜更かしをして本を読んでいたレンが目を覚まし、ベッドの上で身体を起こす。

 寝る前に閉じていた車窓のブラインドを上げ、地平線の彼方で朝日が頭を覗かせようとしているのを見た。

 朝食にはまだ早いが、もうひと眠りする気分でもなかった。



 レンは顔を洗って身だしなみを整え、客室を出た。

 軽く茶でも飲んで目を覚まそうと飲食ができる車両に向かえば、そこにはフィオナがいた。彼女は一人で、車窓の隣にある席に座って茶を飲んでいた。



「レン君、おはようございます」



 彼女の他に客は数えるくらいしかいない。

 品のいい若い夫婦が数組いるだけだ。



「おはようございます。フィオナ様は早いですね」


「私はいつもこの時間に起きてるんです。でもそれを言ったら、レン君も早いじゃないですか」



 くすくすと可憐に笑うフィオナに誘われ、レンは彼女の対面に腰を下ろす。

 すると、どこからともなく現れたサービス係がレンにも茶を用意して、すぐに立ち去った。



 対面に座ったレンがテーブルに置かれていたメニューを見る。

 軽食を注文しようと考える彼を見て、フィオナは自分の前にあるグラスを見た。ついさっきまで果実水で満たされていたのだが、いまは空。氷の冷たさで結露した雫が僅かに滴っていた。

 彼女はそこに、小さくも反射した自分の姿を見た。



「……変じゃない、かな?」



 何の気なしに呟いて、前髪に触れた。

 身だしなみはきちんと整えられているが、それでもレンとこうして会えると知っていたら、もう五分……せめて十分は身支度に勤しみたかったと思ってしまう。

 前髪の些細な角度すら気になってしまった。



「あれ、いま何か言いました?」


「う、ううん! 何でもありません!」



 フィオナは前髪から手を放し、降ろす前に胸元へ下がる絹のような髪をそっと撫でた。ようやく姿を見せはじめた朝日に照らされた彼女の横顔が、宝石に似た煌めきを纏った。

 


「もうすぐエウペハイムですね」



 レンが言った。



「ガーディナイトの旅は楽しんでいただけましたか?」


「もちろんです。また別の機会に、今度は自分でチケットを買って利用したいと思ってました」


「よかった。是非、エウペハイムでの時間も楽しんでくださいね」



 明日はレンにリシア、レザードがイグナート侯爵邸に出向く。

 兼ねてよりユリシスが望んでいた催し事、大恩人たちに感謝する席が設けられる予定があった。



 二人の会話はつづき、徐々にこの車両も賑わいはじめた。

 すっかり朝日が姿を見せた頃、二人は自室へ戻る。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 朝の十時、普段であれば学院で最初の授業に勤しんでいる時間帯。

 帝都を発ったガーディナイトが、ついにエウペハイムまであと少しに迫った。

 車窓いっぱいに広がるエウペハイム――――白い王冠と呼ばれる地の美しさを目の当たりにしたレンとリシアが驚く。

 


 白塗りの家々が立ち並ぶ街並みと、複雑に入り組んだ水路。それらの水路に浮かぶボートや、大都市らしく立ち並ぶ巨大建築物の数々。



 三日月状の湾岸を臨んだ水の都が白い王冠と呼ばれる所以や、歴代の皇族が足しげく通った意味をエウペハイムが雄弁に語っているかのよう。

 風光明媚なその都市は、帝都に負けじと大きかった。



 ガーディナイトが停車したのは、エウペハイムで最も大きな駅。

 家々とよく似た白塗り、そんな駅の外観はやはり息を呑む美しさの巨大建築だ。

 ここでも当然のように催し事が行われる。ユリシス曰く貴族たちの面倒くさい挨拶がつづいた。

 予定されていた催し事が終わり、客人が一人、また一人と駅を出て町中へ。



「リシア、レン」



 賑わう駅のホームで二人に声を掛けたのはレザードだ。



「宿への馬車を用意していただいているから、そろそろ向かおう」


「ええ」


「わかりました」



 今日はまず宿へ行き、荷ほどきから。

 三人が歩きはじめると、フィオナが足を運び声を掛ける。



「皆様、明日は当家の迎えが宿に参ります。本日はエウペハイムでごゆっくりお過ごしください。何かあったら、いつでも呼んでくださいね」



 彼女はそう言い、美麗なカーテシーをして立ち去った。



「レン君も、また明日!」



 彼女にしては珍しく、去り際にレンを見て可愛らしくウィンクを残して。明日のことが楽しみでたまらない様子だ。



 馬車に乗り込むと、特に行き先を告げることなく御者が馬を歩かせはじめた。

 リシアが窓の外を見ながらレンに話しかける。



「すごいのね、エウペハイムって」


「いまのところ、こんな大都市の領主様とあんなに仲良くしてる自分が不思議でなりません」


「そんなこと言ったら、レンは第三皇子殿下ともすごく仲がいいじゃない」


「……確かに」



 生まれは田舎の村だというのに、思えば遠いところまできたものである。

 おかげで村のためにも活動できていると思えば、たまには自分のことを誇らしく思いたくもなった。



「二人とも、あっちに興味深いものが見えるぞ」



 レザードが微笑みを浮かべて言えば、レンとリシアが揃って同じ方向を見た。

 視線の先に巨大な港の一角が見えた三日月状の湾岸にある港は、レオメルで最大の規模を誇る港だ。

 港には何隻もの軍艦も停泊していた。

 ……軍港に停泊していない軍艦はどれもユリシスの戦力だと言うから恐れ入る。



 エウペハイムが歴史的、また文化的にも重要な都市であることに変わりはないが、それ以上にこの都市は、貿易都市としても大きな意味を持つ要所だ。

 貿易、そして国防のいずれもレオメルで一級の規模を誇っている。



 宿で早めの昼食を終え、食休みに勤しんでいたレンの元へ、



「レン様にお客様がいらっしゃいました」



 ここまで同行していたクラウゼル家の給仕が告げた。

 当たり前のようにレンの部屋で昼食をともにしていたリシアが「え?」と声に出す。



「レンに? イグナート公爵かフィオナ様かしら」


「いえ、違うお方でございます」


「誰かしら……」



 レンが立ち上がり、リシアの傍を離れた。

 廊下では騎士が待っていた。レンが獅子聖庁で度々顔を合わせている剛剣使いだ。



「ごきげんよう、レン殿」


「なるほど。ラディウスでしたか」


「はっ。私は殿下と共に帝都から魔導船でこちらに。殿下の命を受けてレン殿を迎えに参りました」



 獅子聖庁の騎士が頷いた。

 ラディウスは多忙ということもあってガーディナイトの旅に同行していなかったのだが、彼もエウペハイムに到着したようだ。



 レンは一度部屋に戻り、リシアにいまのことを話した。

 これから、宿を出ようと思っていることも。



「わかったわ。お父様には私が伝えておくから、行ってきて」


「ありがとうございます。では、ちょっと行ってきますね」


「うん。気を付けて行ってきてね」



 再び部屋を出たレンが私服姿の騎士と歩く。宿の昇降機へ歩を進め、一階へ向かった。

 昇降機の中で二人が話す。



「ガーディナイトの旅はいかがでしたか?」


「楽しかったです。列車の中で一晩過ごすのははじめてでしたが、二泊三日の貴重な体験ができました」


「おお、やはり!」



 騎士の生き生きとした声。



あの列車ガーディナイトに興味があるんですか?」


「それはもう! いずれ非番の日に乗るつもりでして、一等車両のチケットを取りたいと考えていたのです!」



 一等車両というのはレンたちに用意されていた車両のことだが、なにぶんチケット代が高いのが難点だ。

 しかし、騎士は関係ないと言わんばかりにつづける。



「はは……独り身で騎士をしていると、給金は溜まる一方ですので。こういうときに楽しまなければ……」


「……是非、楽しい旅をお過ごしください」



 ガーディナイト関連はあのユリシスが主導となって行われた事業だ。

 これまでにない地上の旅は、剛剣使いたちの興味も集めていたらしい。





 ◇ ◇ ◇ ◇ 




 ところ変わって、レンの客室に戻った給仕がリシアに話しかける。



「お嬢様はご自室に戻られますか?」


「……ええと、どうしようかしら」



 てっきりすぐにレンの部屋を戻ると思ったのに、彼女は一度迷ってみせた。

 すぐに「冗談よ」と言って立ち上がるも、いままでになく、レンを意識した仕草に給仕が若干驚いた。

 彼女が部屋を出ると、廊下の反対側から友人の声が届く。



「あっ、リシア! 探してたのよ!」



 廊下の向こう側から姿を見せたのはセーラだ。

 リシアが友人との思いがけぬ再会に驚いていると、セーラの後ろから少し遅れてヴェインが姿を見せた。

 リシアは一足先に目の前にやってきたセーラと言葉を交わす。



「朝に別れて以来ね。セーラもここに泊まってたの?」


「ええ。それで、あたしたちはちょうどお昼を食べ終わったから、外に出てみようって話してたとこなの。リシアはどう?」


「私もさっき、レンと食べ終わったとこよ」



 セーラは腰に剣を携え、少し遅れてやってきたヴェインも同じだった。

 二人は何故か学院の制服を着ていた。



「二人はどうして制服なの?」


「さっきも言ったけど、いまから外に行こうと思って。それなら動きやすい服の方がいいじゃない」


「……それだけ?」


「そうよ? あと私たちは学生なんだし、いまのうちに有効活用しておかないともったいないじゃない。どうせ卒業したら着なくなるんだしね」



 得意げに胸を張ったセーラ。

 だが、エウペハイムに来てまで制服を着なくともいいだろうに。

 動きやすいところはリシアも同意できるのだが……。



「せっかくだから、リシアも行かない?」


「うーん……どうしようかしら」



 迷うリシアにヴェインが、



「レンも一緒にっていうのはどうですか?」


「残念。レンならさっき用事があって出かけちゃったわ」


「えっ……そうなんですか」


「ええ。ほんの数分前にね」



 残念そうにするヴェインとセーラがため息を吐いた。

 彼女たちは一歩遅かった。



「レンがいないのは残念だけど、リシアはどう? 時間があれば一緒に行かない?」



 レザードは少しだけ仕事があるが、彼の厚意でレンとリシアに仕事はない。この機会に、エウペハイム過ごす休日を楽しんでくれと言っていた。

 なのでリシアも今日は宿でゆっくりするだけで、帰ってきたレンと夜のエウペハイムを見に行きたいと思っていた。



 だが、話の流れから察するに、外というのは恐らく宿の外ではなく町の外だ。

 つづきを聞かなければ、とリシアが頷く。

 

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