突然の来訪者。

 レンが住む村から半月かけて東方に向かえば、この辺りでは数少ない都市部にたどり着く。

 その都市の名を、クラウゼルと言った。



 町並みは中央に向かうにつれて隆起した地形沿いに造られている。

 上へ向かうための道はらせん状に整備されていて、外から見ると立体的。赤いレンガで造られた家々が作り出す壮麗な光景は、遠く離れた帝都の民にも評判だった。



 ――――その街並みの中心に、小さな城とも言われる屋敷がそびえ立つ。その屋敷こそ、一帯の領地を統べるクラウゼル男爵の住まいである。



 クラウゼル男爵の屋敷はその大きさ以外にも、象牙色の外観もあってよく目立つ。

 門前まで行けば、クラウゼル男爵自慢の庭園を覗き見ることもできるだろう。



 運が良ければ男爵令嬢、、、、の姿も見れるかもしれない。

 彼女に笑みを向けられた異性は必ずと言っていいほど魅了され、天使や妖精を見たと錯覚する者もいるのだとか。



 しかし――――。



「……はぁ」



 その令嬢はいま、庭園の一角でつまらなそうに佇んでいた。

 彼女は磨き上げられた純銀に紫水晶アメジストを溶かし入れたような長髪と、蒼玉サファイアを思わせる瞳が特徴的な少女である。精緻に整った顔立ちはまだ幼くとも傾城の美貌を孕み、くすみ一つない白磁の肌は下り注ぐ朝日に負けじと眩い。



 立ち居振る舞いから隠し切れない気高さを感じさせる、そんな凛然とした令嬢だ。



 ――――彼女の名を、リシア・クラウゼルと言う。



「おや、お嬢様」



 と、彼女に声を掛けた男がいる。

 その男は甲冑に身を包んだ壮年の騎士で、執事然とした物腰柔らかな男だった。



「どうなさいましたか。可愛らしいお顔が台無しですぞ」


「別に……剣の訓練をしてきただけよ」


「なるほど。もう私の部下たちでは相手にならないご様子で」


「だから言ってるじゃない。あなたが私の相手をしてくれたらいいのに、って」


「申し訳ありませんが、私はどうしても旦那様に任された仕事がございます。――――それに、今日からしばらくの間、屋敷を開けねばなりませんので」



 すると、リシアがまばたきを繰り返して驚いた。

 その表情は先ほどと打って変わって、美貌に相反して年相応に可憐だった。



「騎士団長なのに、どうして?」


「旦那様のご命令で、領内を回ってこなければならないのです。ご説明してよいものかわかりませんので、詳しくは旦那様からお聞きくださいませ」



 そう言うと、男は屋敷の門に向けて歩きはじめる。もちろん、リシアに頭を下げてから。

 門の外では、男の部下たちが馬に乗って彼のことを待っていた。



「皆、準備はいいな?」



 …………はっ!

 幾人かの部下たちの声を聞き、男は部下が用意していた馬に乗った。

 行くぞ、彼は出発の合図をして手綱を引き馬を歩かせる。



 石畳を進みはじめてからというもの、数分。



「どうしたもんか」



 男は困った様子で口にした。



「どうなさったのですか?」


「ああ……お嬢様のことだ。近頃は少し慢心しておられるようでな。恐らく、同年代でも太刀打ちできる者がいないからこそなのだろうが」


「面目ない。我らの力不足でもありましょう」


「だとしても、だ。やれやれ……私が相手をしてもいいのだが、どうしたものか」



 どこかにリシアと同等の、あるいは勝る少年少女はいないものかと。

 かといって簡単に見つけられる気がしなくて、深くため息をついてしまった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 スキルレベルが上がった翌日から、レンは庭の外にも出ることが許されるようになった。

 これにはミレイユも異を唱えることはなく、



『あなたは七歳の頃には森に入ってたものね』



 と、ロイの提案に同意した。

 特にレンの場合、スキル持ちということもあり許可が下りやすかったのであろう。

 そのことに喜んだレンには新たな日課ができた。



 毎日、朝食の前に畑道を散歩するようになったのだ。



「ふわぁ……」



 今日も若干重い瞼を擦りながら歩いていた。

 まだ覚醒しきっていない中、全身の節々に感じる筋肉痛だけが確かに存在を主張する。その感覚に気が付くと同時に、レンはスキルレベルが上がったときのことを思い出した。



 あのときの、急に強くなれた感覚は忘れられない。

 だが、喜ばしいことに違いはないのに、レンの表情は冴えない。



「スキルレベルが上がったのは嬉しかったけど……」



 その理由は、次のスキルレベルに必要な熟練度のせいだった。



「やっぱり、まだまだすぎる」



 レンはおもむろに召喚した腕輪の水晶を見て、嘆息交じりにこう言った。

 水晶に浮かぶのは、『魔剣召喚術』の詳細なのだが、



 ・魔剣召喚術(レベル2:46/1000)



 嘆息の理由がこれだ。

 次のレベルに至るために必要な熟練度が一気に十倍になってしまっている。



「いつ見ても遠いなー……」



 レンは力なく言い、次にスキルの説明を見た。



  レベル1:魔剣を【一本】召喚することができる。

  レベル2:魔剣召喚中に【身体能力UP(小)】の効果を得る。

  レベル3:魔剣を【二本】召喚することができる。

  レベル4:*********************。



 これを見れば、悲しいことだけではないことがわかる。レベル3の効果が見えるようになっているのだ。このときになって、魔剣はまだ一本しか召喚できない事実に気が付く。



 ところで、『魔剣召喚術』はいまレベル2だから、一つ先までが明らかになる仕組みのようだ。



 問題となるのは十倍になった次レベルまでの必要熟練度だが、こればかりはどうしようもない。



「努力が一番の近道……っていう話なのかもしれない」



 レンは諦めた様子で呟いて腕輪を消した。 

 気が付くと、意識が随分と覚醒してきている。



 初夏とはいえ、この時間はまだ涼しい朝風が頬を撫でる。清々しい空気を大きく吸うと、全身が洗われるような感覚だった。



「いい加減、木の魔剣の自然魔法(小)も試してみたいな」



 さすがに屋敷の庭で試す気になれなかったため、まだ手を出せていない。

 できれば近いうちに……と思いながら畑道を歩いていると、



「おや坊ちゃん。今日も早いのう」


「坊ちゃん、おはようさん」



 朝早くから畑仕事をしている村人に声を掛けられた。

 最近のレンは毎日のように散歩しているとあって、村民たちもレンに対し気軽に話しかけてくることが多い。



 彼らに挨拶を返していると、レンが進む先から一人の老婆が近づいてくる。



「あらら、坊ちゃんったら今日も早いわね」



 その老婆は中でも村で唯一の産婆である、リグ婆だ。

 彼女は若い頃からこの時間に散歩をしているらしく、ほぼ毎日、レンと顔を合わせていた。



「おはよ、リグ婆」



 二人は軽めのあいさつを交わすと、並んで歩きはじめた。



「またお父君が自慢してましたよ。坊ちゃんは俺よりもすごい騎士になるって」


「うーん……なれるかなー」


「きっとなれますよ。ゆくゆくは帝都で名高い騎士様になるかもしれませんしね」


「や、それはないと思うよ」



 レンに即答され、リグ婆は小首を傾げた。



「もしそれくらい強くなれたとしても、俺はこの村を出るつもりはないし。というか、俺が居なくなったら、父さんの仕事を継ぐ人が居なくなっちゃうって」


「それでしたら大丈夫ですよ」


「へ?」


「坊ちゃんにもいつか、弟か妹ができるでしょうからね」



 なるほど、とレンは頷く。

 確かにそうなればレンがこの村を出ることもできなくはないだろう。だが大前提として、そもそもレンにこの村を出る気があるかということになる。



 もちろん、その気は皆無だ。



「そうなったら、俺の弟か妹が帝都に行けばいいだけだよ」



 などと言っていたら――――ふと、リグ婆の足が止まった。



「リグ婆? どうしたの?」



 彼女は村の端にある小高い丘の端を見て、驚いた様子で口を開く。



「坊ちゃん、急いでお屋敷に戻りませんと」


「急にどうして……あれ? あっちに居る馬に乗った人たちって……」



 そして、レンも丘の端を見て気が付いた。

 そこには馬に乗った大人たちが居て、皆が皆、甲冑に身を包んでいた。

 辺境暮らしのレンにもわかる。彼らは騎士で間違いない。



「――――あの方たちは、男爵様の使いです」



 更にリグ婆がこう口にして、レンの予想を裏付けたのである。

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