時の檻。

 セーラはリシアがレンをじっと目で追っていたことから、すぐに察しがついた。

 あまり細かな事情は尋ねず、普段のリシアとレンの様子を考えながら語りはじめる。



「ヴェインも最初は私をリオハルド様って呼んでたし、口調だって、使い慣れてない敬語だったわよ」


「そ、それって、いつからいまみたいになったの!?」


「あたしがヴェインに助けてもらった話は覚えてる? あの後から」



 確か以前、エレンディルで再会したときにセーラはそのように言っていたことがある。当時のことを思い返したリシアは話を聞き、意外と早かったのだと驚かされた。



「……急にやめてくれたとか?」


「急にってよりは、あたしがやめてって言ったからかしら」



 衝撃を覚えたリシアは目を点にしてまばたきを繰り返す。

 その目を向けられたセーラがすぐに笑った。いつもは凛としているリシアの姿が可愛らしくて、頬が緩むのを止められない。

 一方、リシアは聞いたばかりの返事に疑問を呈する。



「ほ、ほんとにそれだけ?」


「そうよ」


「……うそ」


「ほんと。実際にそれでいまこうなってるのよ」



 セーラは自分が大雑把に説明した自覚があったけれど、実際にそうだったのだから他に説明のしようがなかった。

 ただリシアが真面目に相談してきていることもわかっているため、



「人と人の関係なんてそれぞれよ。私がどうしたかはあまり関係ないんじゃない? リシアはリシア、それでいいと思う」



 慰めたわけではなく、あくまでも本心として。

 自分の例が正しいとは言わず、リシアとレンの関係性は二人だけのそれであると口にした。

 リシアの気持ちはセーラもわかるけれど、と前置きがあっての言葉だ。



「そう、かしら」


「もう一度レンに頼んでみるのはどう? とりあえず、獅子王大祭が終わった頃にでもゆっくり話してみるとか」


「……うん。そうしてみる」



 素直に頷いたリシアの頭をセーラが撫でる。

 ふと、唐突な疑問を呈するのがそのセーラだ。



「ってか、ローゼス・カイタスも急だったけど、呼び方のことも急ね。何かあったの?」



 あれは前の連休中、レンと一緒にエレンディルに繰り出したときのことだ。

 あのネム・アルティアと出会い、話したことを語ったリシア。彼女たちが何を話したのか聞いたセーラは額に手を当て、ため息。「ネムったら、相変わらずね」と呟く。

 すると、



「んん!? ネムのこと呼んだ!?」



 いつから近くにいたのか、気が付けばネムが二人の傍にいた。



「い、いつの間に来てたのよ! ネムっ!」


「セーラ、少し前からよ」


「ぴんぽんぴんぽんっ! リシアちゃん、大正解!」



 背後から声を掛けられたセーラは慌てて振り向いたが、リシアは違う。

 一応、ネムが近くに来る気配は察していた。



「それでそれで、どーしてネムのことを話してたの?」


「ネムが造る魔道具はすごい、ってセーラと話してただけよ」


「ふっふーん! そっかそっかぁー! ネムのことを褒めてくれてたんだね! 嬉しいなーっ!」



 するとネムは素直に二人の傍を離れる。両手を後ろ手に組み、軽い足取りで何処かへ行ってしまった。ネムは特に用事があったわけではなく、ただ単に、二人の姿を見かけたから声を掛けてだけらしい。

 ネムを見送ったところで、セーラがリシアの顔を見る。



「とりあえず、獅子王大祭が終わったらレンに話してみるのはどう?」



 ネムが来る前まで話していたことだ。

 別に名前の呼び方くらいいつ話してもいい気がしたが、いまは獅子王大祭前でレンもリシアも忙しい。セーラはさっき少し考えて見ればいいと言った手前、今日にでも話してみると言いとは口が裂けても言えなかった。



 リシアは「ええ、そうする」と簡潔に答えてからセーラに礼をした。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 レンとリシア、フィオナの三人が学院長室にいた。

 昼休みに実行委員の面々にご馳走でも、というクロノアの計らいなのだが、残念なことにラディウスは公務があって学院を休んでいた。彼に付き従うミレイもまた今日は学院に来ていない。



 四人で昼食を楽しみはじめてから、およそ三十分後。

 レンが三人に茶を淹れて、皆で食後に話す時間を過ごしていた頃。



 リシアがセーラと話していたことを口にする。もちろん、レンが自分に様を付けて呼ぶことについてではない。

 それはまた今度、頃合いを見計らって。



「クロノア様、ローゼス・カイタスの封印ってどのくらい強度があるのですか?」


「はえ? ローゼス・カイタス?」



 リシアがセーラに話したのと理由を話すと、クロノアは「ふむふむ、だからか」と呟く。

 するとその言葉を聞き、レンとフィオナの二人も頷いた。



「俺も気になります」


「私もです。よければお聞かせください」


「うん、いいよ。じゃあええと――――」



 三人に教えを請われたクロノアはローブの懐から杖を取り出した。彼女がその杖をテーブルの上で振ると、いくつかの水の球が生まれてすぐに一つになる。彼女がもう一度杖を振れば水は形を変え、テーブルの上で山のような形を模した。

 さながら、水の模型といったところ。



「順を追って説明するから、ちょっと見ててね」



 水の模型に作られた山の部分は抉れ、巨大な開けた場所ができあがった。数多の像と思しきものが並べられると、そこへ通じる山道が皆の視界に映し出される。

 ローゼス・カイタスとそれがある山が、クロノアの魔法で立体的に現れたのだ。



「大きな神像が並んでいるこの場所が、昔、巡礼者が目指した聖域だよ。だけど三人も知ってる通り、魔王軍の襲撃でほとんどの像が壊れちゃったんだ」



 ローゼス・カイタスを模した水の塊、並ぶ像がいくつも崩れはじめた。



 当時、レオメル軍とエルフェン教が協力して魔王軍と戦うも、帝都近くまで進行していた魔王軍は精強だった。世界最大の軍事国家だったレオメルは苦戦を強いられて、派遣した軍は壊滅状態に陥ってしまう。

 対する魔王軍もその数を大きく減らした死闘は、ローゼス・カイタスごと封印することで終結した。



「――――こんな風にね」



 クロノアが杖を振ると、水の模型を覆う水の壁が生じた。水の壁は表面が細かく波打ち、ローゼス・カイタスの大部分を隠す。噂に聞く濃い霧のように。



「記録によると、封印はエルフェン教が主導となって行われたんだ。時の女神の力が宿った聖遺物を用意してね」



 聖遺物を用いてローゼス・カイタスを封印するためには時間を要した。

 現地で魔法陣を敷く際には、エルフェン教の者はもちろん、彼らを守るレオメルの者も多く命を奪われた。

 だがその甲斐あって、ローゼス・カイタスを囲む封印が完成する。

 魔王軍の多くはその内部に封印されたという。



「それって、封印が解けたら魔王軍が復活するのですか?」


「私も気になりました。中に封印されているだけなら、何かの拍子に封印が解けたら危ないような気がします」



 フィオナとリシアが尋ねた。

 いまの話だけではその疑問を抱いても無理はない。だがクロノアは、すぐに首を横に振った。

 二人の疑問はもっともなのだが、



「エルフェン教曰くそれはあり得ないんだってさ。封印が――――確か『時の檻』って呼ばれてるんだけど、効力が凄すぎるから、中で魔王軍が生きることはできないみたい」



 封印はその名を現すかのように中と外で時間すら隔絶されている。封印の内部は時が止まった不思議な空間が広がっており、聖なる魔力で満たされていた。時の女神の力が宿った聖遺物を使っているとあって、しっかりと神の力が力を発揮しているのだ。



 故にクロノアが言ったように効力が凄まじい。

 内部は時が止まっているにもかかわらず、聖なる魔力のみが働いて封印の内部を浄化しつづけている。



 間違いなく、魔王軍は装備はおろか骨すら残されていない。

 すべて例外なく、聖なる力に浄化されているだろう――――と。



「ボクはローゼス・カイタスの封印をもっと詳しく調べたくなったから、銀聖宮ノディアスにいた頃に色々してたんだ」


「あ、そう言えばクロノアさんって、去年まで聖地に行ってましたもんね」


「そう! ――――けどあんなに頑張って仕事したのに、書庫の本を一冊の読ませてくれなかったんだよねー……」


「希少な本だからとかですか?」


「それもあると思うけど……どちらかというと、ボクがエルフェン教の関係者じゃないことの方が強かったんだと思う。ある程度予想できてたから、ボクも仕方ないかーって感じだったかな」



 クロノアは一切の恨み言を口にすることなく、聖地やエルフェン教の事情を理解していた。

 聖遺物をはじめ、貴重な本も多いだろうから管理は厳重だろう。

 


(大変だったんだろうなー)



 レンはいま、実行委員の部屋を掃除した際にクロノアが見せた表情のことを考えていた。あのときの彼女が見せた苦労を思い、慰めるような優しい目をクロノアに向ける。

 彼女はそんなレンの目線に気が付いて、少し困惑した様子で言う。



「レン君? 急にそんな優しい目でボクを見ちゃってどうしたの?」


「いえ、クロノアさんは毎日大変そうだと思いまして」


「そうだよぉ~っ! だからこうして、みんなと話せる時間がボクにどれだけ重要か……!」



 苦労人のクロノアへ茶のお代わりを淹れてあげると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。また杖を振るとテーブルの上の水はその端から霧になって、あっという間にテーブルの上から消え去る。




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