再びの獅子聖庁にて。
年を越す一週間ほど前。
日が暮れたところで、ドワーフのヴェルリッヒが屋敷を訪れた。
「これはヴェルリッヒ殿!」
「おう。久しぶりだな、ヴァイス」
彼は屋敷のエントランスでヴァイスと久しぶりの挨拶を交わすと、「約束のもんだ」と言って、白木の箱を残して屋敷を立ち去る。
いきなり来てすぐに帰るその振る舞いに、ヴァイスは懐かしさを覚えているようだった。
「お嬢様、どうぞお受け取りください」
白木の箱を開け、中に収められていた剣を取り出したヴァイス。
リシアは彼の手から、黒い鞘に入った直剣を受け取る。彼女はその直剣を鞘から抜き、曇り一つない白い剣身をさらけ出した。
(やっぱり、アレのことか)
レンは声に出さず内心で、見覚えのある剣だったことに目を見開く。
空中庭園で話を聞いたときの予想が正しかったことが、いまこの場で証明された。
「……綺麗」
方やリシアは、その直剣の美しさに声を漏らす。
見惚れている彼女の横顔を見て、ヴァイスは頬を緩めた。
「まだお嬢様の身体には少し大きいかもしれませんが、いずれちょうどいい長さになるでしょう。――――銘は『
それは七英雄の伝説においてはリシアの代名詞ともいえる剣で、物語中でもトップクラスの攻撃力を誇った。
『
レンが思いだす白焉の説明欄だ。
当然、プレイヤーがその剣を得る手段はない。攻略できないヒロインと呼ばれていたリシアと同じで、手の届かない存在だった。
「ありがとう。大切にするわ」
「そう言っていただけると光栄です。今後、お嬢様の剛剣技がその剣から放たれることを、楽しみにお待ちしております」
「うん、頑張るから。ね、レン! 一緒に頑張りましょう!」
「はい。俺もリシア様に負けないように頑張ります」
「それじゃえっと……あ、ヴァイス! 魔物相手の訓練も、この剣を使っていい?」
「もちろんです。しかしこれまでと重さや長さが違いますから、最初は無理せず、いままでの剣もお持ちください」
「わかってる。無理はしないって約束するわ」
そう口にして心躍るままに、軽快な足取りで歩き出したリシアが向かったのは、既に食事が用意されている食堂だった。
その後を、レンとヴァイスが追って歩く。
(言うなら今日が良いかな)
リシアが対魔物訓練に赴く前の方が良いと思った。
明日の訓練はリシアが帝国士官学院、特待クラスの受験のためにするものだから、レンも同じ受験を心に決めたいまこそ、絶好の頃合いのはず。
この機を逃し、また頃合いを見計らうことこそ避けたかった。
夕食を共にする席で、レンは美食に舌鼓を打ちながら考える。
今日も今日とて共に夕食を取る中で、レンは自分の決心に揺らぎがないことを再確認した。
生まれてすぐは絶対に避けるべきと思っていた場所を目指すことが、いまとなっては良い選択だと思うことになろうとは……。
様々な想いと後押しで至ったこの結論を口にするまで、あと少し。
リシア、レザードの三人が食後の歓談に勤しみだした……そのときだ。
「お二人に、聞いていただきたいことがあるんです」
と、レンが話を切り出した。
「なーに?」
「どうしたのだ?」
傍に座るリシアとレザードの返事を聞き、レンはすぅ――――っと息を吸う。
彼はとうとう、心に決めた言葉を口にする。
よどみのないはっきりとした声だった。
「――――俺も、帝国士官学院の特待クラスを目指そうと思うんです」
それは、この席に静寂をもたらした。
レンは先日、自分もクラウゼルを離れることを決心したと言い、その際にリシアのことを守るためでもあると添えた。
あの日と違い、この夜は明確な将来として語られた。
「……私、レンと一緒に通えるの?」
「はい。と言っても、俺が受かったらですが」
「レンなら受かるに決まってるじゃないっ! お父様っ! 聞いた? レンが私と同じ受験をしてくれるんですってっ!」
「聞いたとも。何と喜ばしいことだろうな」
もしもレンがリシアと同じ学院に通うなら、それこそユリシスではないが、娘にとって安全なことだ。
それに未来のことを思えば、レンのような存在がアシュトン家を継ぐことも頼もしい。
「ならば、レンもリシアと共に受験勉強に勤しまねばな」
「ですね……こちらでできる仕事をしながら、頑張って勉強するつもりです」
「待て待て。帝国士官学院――――それも特待クラスだぞ? 片手間で勉強してどうにかなるはずがあるまい」
そうは言うものの、レンは幼い頃から欠かさず勉学に励んできた。
七英雄の伝説では受験も一つのイベントだったため、意外にも必要な勉強はこなしてあると言ってもいい。
とはいえ、間違えても受験に落ちないように、これまで以上の勉強は必要だろうが。
(後で参考書とかも買いにいかないと)
近いうちに帝都へ行き、いくつかの準備をしておきたい。今回の話を両親にも連絡しておこうと思ったレンは、手紙の用意も必要なことに気が付いた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日の昼、レンは一人で帝都へ出向いた。アスヴァルの角の輸送について、その予定が組まれたことをヴェルリッヒに連絡するためだ。
一人ということで、リシアとレザードはもちろんヴァイスも居ない。
彼らはクラウゼル家の公務が
別に手紙を送っても良かったのだが、果たして手紙に気が付いてもらえるものか……。先のユリシスの言葉が脳裏をよぎっていたレンは、自ら彼の元を訪ね報告したのである。
ついでと言ってはなんだが、レンはその帰りに獅子聖庁へ足を運んでいた。
以前、エドガーと共に通って以来だけど、獅子聖庁を守る騎士はレンのことを覚えていた。
「お久しぶりです。レン殿」
彼は以前、エドガーに頼まれて風魔法を披露した騎士だった。
以前と変わらず漆黒の鎧に身を包んでいたその騎士は、レンが一人で来たことに気が付いて彼の傍に足を運んだ。
騎士は威圧的な鎧の姿に相反して、穏やかな笑みを浮かべていた。
「今日はお一人で?」
「そうです。エドガーさんから奥の訓練場……? を使ってもいいと聞いていたので、時間が合えば皆さんの訓練を拝見しつつ、自分も勉強しようと思って」
本来であればエドガーが居た方が都合はいい。
しかし今回は急な予定だったから、連絡する余地がなかった。けれど、ありがたいことにそのエドガーは獅子聖庁にいるらしい。
「本日はエドガー殿もいらっしゃいますから、てっきりお約束があったのかと」
「え? エドガーさんがここに居るんですか?」
「はい。今朝いらしてすぐ、レン殿に指南するために支度を――――と申しておりましたから、本日にでもなさるご予定なのかと思っておりました」
その偶然がちょうどいい。
もし、エドガーがまだ獅子聖庁に残る予定なら、他の騎士に自分のことを紹介してもらえたら最良だろう。
中に入ってよいかと騎士に聞けば、騎士はすぐに頷いた。
「ここでは基本的に、誰かが必ず剣を振っております。非番の騎士も度々足を運び訓練に勤しんでおりますから、いつ来られても立ち合う相手に不足はないでしょう」
歩きながら騎士が言う。
それは暗に、レンに遠慮せず来て構わないと言う言葉を告げている。
「訓練場には、常に人がいる感じなんですね」
「はい。それこそ夜間あろうとです」
レンが久方ぶりに足を踏み入れた獅子聖庁は、以前と変わらず荘厳且つ静かだった。だが奥へ向かい、エドガーと使った訓練所の一室を過ぎてから様子が変わりはじめた。肌がひりつくような圧を感じたのだ。
(――――確か)
エドガーに聞いて訓練場はほぼ獅子聖庁の最奥に位置しており、吹き抜けとなった開けた作りであるとか。
例によって巨大な石造りの扉を開けた先に、その場所はあった。
少し進めば、眼下に設けられた広い訓練場を手すり越しに見下ろせる。半地下に設けられたそこは高い天井のガラスから陽光が降り注ぐ。以前レンが使った一室と違うのは、その地面が石畳ではなく硬い土であることだ。
(――――ッ)
ここに来たら、さっきまでの圧がより一層増していた。手すり越しに見下ろしていたレンの姿に気が付いて、訓練中の騎士たちが彼を見上げたことによる得体のしれない圧だった。
ただ、彼らがレンを歓迎していないわけではない。
ある者はレンを見上げて小さく笑んでいたほどだから、間違いないだろう。
だけど、十数人の剛剣使いに見上げられると、レンはあまり経験のない圧を感じて止まなかった。
……目的のエドガーは、そこに居た騎士たちと話をしていたようである。
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