戦いの後で。


 アスヴァルの力により蘇った休火山はいつしか再度眠りに付き、溢れ出た溶岩流や炎の一切が鳴りを潜めた後のことである。

 騒動の前と後で大きく姿を変えたバルドル山脈にて、一組の男女が下山の途に就いていた。



「……ここは」



 いつの間にか眠ってしまっていたフィオナが目を覚ました。

 彼女にはアスヴァルを倒した後の記憶があまり残されていなかった。レンの力でそれを成し遂げたこと自体は覚えていたけど、その後、自分が何かをすることができた記憶がない。



 だが、彼女は目覚めてすぐに困惑する。

 自分がレンに背負われて、雪道を進んでいたからだ。



「レ、レレ……レン様っ!?」


「おはようございます。――――すみません。何があるかわからないですし、少しでも早く下山した方がいいと思って」



 どうやらアスヴァルを倒した後、すぐに気を失ったらしい。

 この事に気が付いたフィオナは情けなさと恥ずかしさに頬を上気させた。

 もちろん、すぐに自分の足で歩くと言ったのだが、レンが言うには、フィオナの足首が大きく腫れてしまっているらしい。



 だからレンはこのまま進むと言ったのだが、フィオナが「だ、大丈夫です! レン様だって大変なんですから……っ!」と強がれば、レンは仕方なそうに「せめて、もう少しなだらかな道に出たら」と返したのだ。



 そのため結局、このまま進む。

 フィオナの緊張がほんのわずかにほぐれてきた頃、彼女はふと、自分の身体にこれまで感じたことのない軽さを覚えた。



「やっぱり……少なくなってる」


「フィオナ様?」


「あ、ええと……私の身体にあったはずの黒い力、、、が、少ししか残っていないんです」


「……うん?」



 すると、フィオナは深呼吸を繰り返してから――――





「私が生まれ持ったスキル――――黒の巫女、、、、、という力のことです」





 唐突にだった。

 これまでレンが気にしていて、どう尋ねようか迷っていたフィオナのスキルについて、彼女自身の口から語られたのである。



「ずっと秘密にしていてごめんなさい……あまり、口にしていい力じゃなかったので」



 でも彼女は、このまま秘密でいようとは思えなかった。

 その力がアスヴァルの復活を招き、レンを巻き込んだと思えば、いくら父に止められていようと黙ってはいられない。



「俺に話してもいいんですか?」



 フィオナは頷いて答え、つづきを語る。



「レン様は、黒の巫女と言うスキルの存在をご存じでしたか?」


「すみません。実は初耳でした」


「では、どういったスキルなのかご説明しますね」



 彼女が言うには、黒の巫女は魔物にとっての聖女にあたるのだとか。

 また、魔王に与する者の中にもそのスキルを持つ存在がいたことがあるらしく、イグナート侯爵はそうした情報を鑑みて秘密にした。当事者たるフィオナに対して誰にも言わないように、と言ったのもその影響である。



「お父様は私の将来を案じてくださったんです。その……お父様はああいうお方なので、仮に私が黒の巫女のスキルを持っていたとしても、ご自身の立場が揺らぐことはないでしょうから」


「あー……何となく想像できます」



 ようはイグナート侯爵にとって、娘が不穏なスキルを持っていたところで、彼自身のハンデになることは想像しがたいということだ。

 何せ、あのイグナート侯爵である。

 というのはレンも、ゲーム時代の強みを参考に思うだけなのだが。



 代わりにフィオナはどうだろうと思うと、彼女が蔑まれたりすることは容易に想像できる。

 レオメルにおいては七英雄の存在が大きいから、黒の巫女の過去を思えばそうあって不思議じゃない。イグナート侯爵は娘がそうした目にあうことがないよう、秘密にするべきだと考えたようだ。



「それで、黒の巫女の力が弱まってるとのことですが」


「い、いいえ! 別にその力が弱まっているようではないんです! でも何というか……私の身体の中にあった黒の巫女の力の一部、、が、不思議と鳴りを潜めたような……」



 どうにも合点がいかない説明だけど、どうやらフィオナ自身もあまりよくわかっていないようだ。

 レンも首をひねりながらつづけて尋ねる。



「アスヴァルに対して、死霊術に似た力を発揮したことが影響してるんでしょうか」


「……そうでもないと思います。そもそも黒の巫女には、死んだ魔物をアンデッドとして蘇らせる力はないんです」



 あるのは魔物に力を与える魔力を持ち、更に自身の魔法適性をぐんと高めるいくつかの効果に加え、生まれながらに膨大な魔力を持つことだとか。

 だがフィオナが言うには、その一つ目の魔力が消えた感覚であると。



(でもアイツ、割と早い段階からフィオナ様の気配を察してたみたいなこと言ってたし、やっぱり普通の魔物と同一視できないんだろうな)



 これはレンの予想に過ぎない。

 アスヴァルが他の魔物と隔絶した強さを誇っていたことで、今回は黒の巫女が持つ『魔物に力を与える魔力』が作用して、アスヴァルは偶然にもアンデッドとしてよみがえったのかもしれない、と思った。

 あまりにも不完全な復活を遂げたアスヴァルを思えば、こう考えてもそう違和感はなかった。



(ってことは、やっぱり俺が――――)



 炎剣・アスヴァル。

 その力をレンが行使する直前に迷い込んだ空間と、あの場所にあった漆黒の長剣……それらの存在が、フィオナの影響を受けたものだと思えば、これもしっくりきた。

 状況は違えど、リシアの魔力に影響を受けた眩い魔剣とどこか似ている。

 だが、リシアの場合は身体に魔力を宿している。



「つかぬことをお聞きしますが、フィオナ様が身体に魔石を宿してる……なんてことはありませんよね?」


「え、ええ……ありませんが……急にどうされたんですか?」


「いえ。自分でも良くわからないことを聞いてしまいました」



 フィオナはレンの背できょとんとして、すぐに小さく微笑んだ。

 一方のレンは、やはりと頷く。



(リシア様は身体に魔石があって、その力で俺に魔剣を顕現させた。けどフィオナ様はそうじゃない)



 フィオナの場合は黒の巫女の力によって、レンの身体に最初からあった力を顕現させた……こういう印象だった。彼女の力の一部が鳴りを潜めたというのも、その力をレンに分け与えたからなら――――それなら諸々の説明が付いた気がする。



 結局のところ、色々なことが定かではなかったけど。



「……私はこれから、あの魔王教という者たちに狙われるのでしょうか」


「あ、それはあまりない気がします」



 これだけははっきりと言えた。



「ど、どうしてですか?」


「もちろん可能性がゼロとは言いませんが、メイダスとカイあの二人はフィオナ様が持つ黒の巫女の力を知らなかったんです。――――知っていたら、最初からアスヴァルの復活を目的にした企てをしていたはずですから」



 だがしなかった。しかもあの二人も状況を理解していなかったということは、アスヴァルの件は彼らにとっても、予想外の状況であったことの証明だ。

 本命はイグナート侯爵を帝国から離反させることだから、あくまでもその狙いのためだったのだろう。

 ゲームと違うかたちで行動が起こされたのは、ゲームと違ってフィオナが生きていたからだと想像できる。



「むしろこういう状況に陥っても嵌められないとわかったでしょうし、逆に手を出しづらくなって不思議じゃないですよ」



 今回はイグナート侯爵が隙を突かれたが、次も同じように嵌められるとは到底思えない。

 帝国士官学院の受験という、特別すぎる状況下でなければ今回の企ては実現しなかったろうからだ。



 ……ついでに言えば、フィオナの力が魔王教の気を引くこともなくなったと思える。

 何故なら、黒の巫女が持つ力のうち、魔物に作用する魔力が鳴りを潜めたというのがあれば、仮に奴らがフィオナの力を知ったところで、それを理由に彼女を手中に収めようとすることも考えにくい。

 もっとも、イグナート侯爵の娘としての価値は変わらないから、何事もこれまで以上に警戒すべきことに変わりはないのだが。



(うーん……やっぱり、俺が原因のような)



 黒の巫女が魔剣召喚に関係して、その力の一部をレンに与えた。



 かといって、あの世界に迷い込もうと思っても迷い込めるわけではなく、実のところレンはここに至るまでに腕輪の水晶を眺めたけど、そこには炎剣・アスヴァルの名はなかった。元々あった炎の魔剣に戻っており、漆黒の長剣を示す不可思議な名も消えていたのだ。



 リシアに影響を受けた時と同じ状況だった。

 つまり、またあれらの力を顕現するには、フィオナにもう一度何らかの力を貰う必要がある――――レンはそう確信していた。

 まるでそれは、黒の巫女がレンに忠誠を示したような、、、、、、、、、……だから彼女は力の一部を失ったかのような、そんな感覚である。



 ――――やがて、二人の耳に届いた大きな音。

 上を見上げた空に轟く、あまり聞いたことのない音にレンが目を見開いた。



「魔導船、ですね」



 空を悠々と飛ぶ魔導船が何隻も。

 クラウゼル家の騎士たちが届けた連絡によって、ようやくこのバルドル山脈へ駆けつけたと思しき魔導船群がそこに居た。



「というわけですから、フィオナ様」



 別れのときは近い。

 レンは色々な事情を知るから、少なくともその情報をイグナート侯爵をはじめとした帝都の者たちへ告げなければいけないが、その前にフィオナは、レンの傍を離れることになる。



「二つほど、お願いがあるんです」


「ええ。レン様のお願いでしたら、どのようなことでも」


「そう言っていただけると助かります。実は――――」



 一つ目の頼み事というのは、今回の騒動でフィオナを助けた人物として、自分の名をイグナート侯爵に告げないでほしいというもの。

 どうせあの男のことだから看破するだろうとレンは思ったけど、これはあくまでも時間稼ぎだ。



 レンは正直、色々なことを考える時間がほしかった。

 予想外に魔王教の者たちを接触してしまった事に対して、これまで同様の生活をしていていいのか、自分はどうするべきなのかを考える時間が欲しかった。

 だからイグナート侯爵に対しては、



「冒険者さんが助けてくれた、って言っておいてくれますか?」


「も、もう……そうお呼びするの、すっごくむずがゆかったんですからね……?」


「すみません。実は俺も、呼ばれてて若干むずがゆかったです」



 レンは確信していた。

 あの男なら、フィオナがそう言えば確実に気が付く。誰がフィオナを助けて、どういう目的でそれを口にしたのかを、あの男ならすぐに理解してくれるはずだと。

 逆にレンは自分の存在を隠す気はないし、隠しきれないとも思っている。

 だから当初の目的通り、色々なことを考える時間がほしいだけ。



(しっかし、一瞬でバレそう)



 とはいえ情報提供はする。

 あくまでもレンが知る限りの……と言っても、魔王教は神出鬼没で情報らしい情報はレンも持ち合わせていないが、可能な限り協力しようと思った。無論、レザード・クラウゼルを通してとなるが。



 いずれにせよレンは、イグナート侯爵と会うことは避けられない。

 まだ例の招待状の件が残されているから、そもそもとして無視はできないのだ。

 だが今回のことがあったから、また落ち着くまで様子見ということになるだろうし、この辺りも少しレザードと語らう必要があるだろう。



(とりあえず、アスヴァルの件も報告しないとだし……)



 当然、黒の巫女の力を伏せて……それこそ嘘ではないから、何かの偶然であの騒動に巻き込まれ、フィオナを救うために戦ったと言うしかない。魔王教の情報もゲームで知ったなどとは言えないため、カイとメイダスが言っていたことにして説明する他なかった。



 ……考えてみれば考えるほど、整理しなければいけないことだらけだった。



「レン様、二つ目のお願いはなんでしょうか」


「その呼び方です」


「呼び方……? レン様はレン様ですのに、何とお呼びすれば……」


「いやあの、様って呼ばれるのは照れくさいので、できれば呼び捨てとかの方が助かるかなと……」



 命の恩人にそんなことはできない。フィオナは固辞した。

 だが、レンも大貴族の令嬢に様をつけて呼ばれることが受け入れがたく、つい食い下がってしまう。

 やがてフィオナは諦めた様子で、



「ではレン君……とかはどうでしょう?」



 まだ不満げだったが、レンが「それでお願いします」と言えば彼女は諦めた。

 すると、今度はフィオナが。



「せっかくですから、レン君も私に様を付けないというのは――――」「色々無理があるので勘弁してください」「――――むぅ」



 不満そうにされてもこれは譲れない。相手は侯爵令嬢なのだ。



「お土産を差し上げますから、それについてはご容赦ください」



 レンはおもむろに懐を漁り、小さな何かを取り出した。

 それは拾っておいた星瑪瑙の欠片である。フィオナはそれを見てハッと驚くと、背中越しに渡してきたレンから素直に受け取って、思わず「……綺麗」と呟いた。



「嫌な思い出ばかりでしょうし、最後に一つくらい綺麗な思い出をお持ちください」



 確かに、いい思い出とは言えないことばかりだった。

 だけどフィオナは決してそれだけではない、とはっきりと言い切れる。

 ずっとお礼を言いたかったレンに会えて、その彼にまた命を救われたのだから、これを嫌な思い出だけだったと言うなんてことはあり得なかった。



「――――レン君。一度ならず二度までも、私を救ってくださりありがとうございました」



 彼女は受け取った星瑪瑙をぎゅっと握りしめながら言った。



「また……お会いできるでしょうか」


「それはもう。一応俺は、イグナート侯爵に屋敷へご招待いただいてますので」


「そ、そのときは私におもてなしさせてください! お茶は……その日まで毎日練習しますっ! 給仕たちに認められるよう、ずっとずっと頑張りますから……っ!」


「俺はいまのお茶も好きですが――――」



 別に気を遣って言ったわけではないが、フィオナは恥ずかしそうに目を伏せる。

 絶対に美味しく淹れられるようにならなくちゃ、と密かに頷けば、



『――――レン殿ーッ!』


『あっちだ! あっちから声が聞こえたぞ!』



 一週間も離れていたわけではないのに、随分と懐かしく感じるクラウゼル家の騎士たちの声。



 道もなだらかになってきたから、フィオナはここでレンの背を離れ自らの足で地面に立つ。道の悪さを気遣ったレンが彼女に手を差し伸べれば、いま一度、魔導船群が響かせる大きな音が辺り一帯に響き渡った。


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