一段落したようで、まったくしていない夜の出来事。

 あの後、レンはミレイユに頼まれた仕事をするために部屋を空けた。

 それから少し経ち、皆で夕食を共にした。

 本来だとリシアが食事をして、その後でするべきなのだとか。しかしリシアは気にするどころか皆を同席させると、時に狩人のような視線をレンに向けていた。



(油断してると拉致られそうだ)



 などと不謹慎なことを考えたレンは一足先に食事を終え、「俺は皆様の馬の様子を見てきますね」ともっともらしいことを言って食事の席を後にした。



 だが、馬の世話なんてしたことがない。

 そのため、したことと言えば本当に馬の様子を見ただけで、干し草を与えたら馬が喜んで食べたので楽しい気分に浸ったくらいだ。



「どうしたもんか」



 厩舎きゅうしゃ――――はないから、代わりの小屋を出たレンが夜空を見上げて呟く。

 盗んでしまったリシアの下着例のブツを思い出して今一度頭を抱えた。



「いや、どうするもなにもないか」



 事実上、返すなんて無理に等しい。

 先ほどは倫理観にとらわれて冷静な対応ができなかったが、もう処分する以外の道はなかった。

 


 ……仕方ない。今から燃やしに行こう。



 盗賊の魔剣を軽率に使ったことは深く反省し、二度とこのようなことはしないと心に決める。

 だから今回だけは許してほしい。

 そう決心していたら、不意にレンの耳にリシアの声が届く。



「ここに居たのね」



 リシアは小屋の外で待っていた。

 レンはこのとき、彼女がドレス姿でなく、あの白い服を着ていることに気が付いて頬を引き攣らせる。



「しょ……食後の運動ってやつでしょうか?」


「さすが。わかってるなら話が早いわ」


「……こんな時間に汗を掻いたら大変だと思いますが」


「気にしないで。私、寝る前にもお風呂に入らないと安眠できないの」



 屈託のない笑みを浮かべたリシアは月灯りに照らされ幻想的だった。

 しかし、昼間のように剣を投げてよこされると、その可憐な笑みから視線をそらしたくなる。



「ッ――――そうだ! お嬢様がヴァイス様に怒られるからやらないほうがいいのでは!?」


「残念ね。ヴァイスには許可を取ってるから問題ないわ。それに貴方のご両親にもね」


「そ、そんな――――ッ!?」



 あの騎士団長、言いくるめられたのか!

 リシアの口が回ることは今更だ。彼女は父であるクラウゼル男爵をも説得し、わざわざこんな辺境の村まできた才女である。



 両親に至っては、もはやどうしようもあるまい。

 寄り親の令嬢に頼まれては、断る選択肢はないに等しいだろう。



(俺も選択肢をミスったか……外に出なければよかった……)



 しかしレンは冴えていた。



(あれ、俺が剣を取らなきゃいいだけじゃん)



 そうすれば戦いは成立しない。

 ほっと安堵したところで、



「剣を取らなかったら、予定より長く滞在するからね」


 

 勘弁願いたい。

 となれば答えは決まっていた。



「――――実はちょうど運動したい気分だったんですよね」


「不思議、ちょっとイラッとしちゃった。……なんでそんなに私を拒絶するのよ、もう」


(絶対に言うもんか)



 乾いた笑みで答えたレンを見たリシアは眉根を揺らした。

 だが、剣を手に取ったレンを見て若干溜飲を下げたように見える。



「いい? 私が勝ったら理由を教えなさい。それと、クラウゼルにも来てもらうから覚悟して」


「ちなみに、俺が勝ったらどうなるのですか?」



 尋ね返されたリシアは目を細めて言う。



「そのときは――――またこの村に来てあげるっ!」



 どっちに転んでも敗北だと悟ったレンの目から光が消える。

 呆然として、片手に握った剣に込められた握力は貧弱なそれだった。

 それでも対するリシアは奮起して迫る。



 完全な隙を突いたと感じた彼女だったが、振り下ろした剣はレンに難なく防がれた。



「な――――なんで防げるのよっ!? あんなに力が抜けてたのにっ!」


「いえ、そういわれても」



 元の実力差に加え、レンはリシアの立ち回りに慣れを覚えていた。

 それがたとえ一度だけの鬩ぎ合いだったとしても、二度目のいまは一度目に比べて更に効率的な動きで防げている。



(別に俺に勝てなくてもいいじゃんか!)



 彼女が稀有な向上心の持ち主であることは重々承知してる。

 レンにとって障害となるのは、彼女が生粋の負けず嫌いであることだろう。



 だが、彼女の実力から鑑みるに、わざと負けると確実にバレる。そして怒らせてしまうことは必定だ。

 そうなれば、今度こそ拉致られそうなものである。



「そうまでして、なんで私に勝ちたいのですかッ!」


「言ったでしょ! 私は負けず嫌いなのっ! それに『白の聖女』としても、同い年の男の子に負けたくないっ!」



 二人は何度も剣を交わし、その最中に会話をつづけた。



「『白の聖女』が関係する意味が分かりませんッ!」


「私が持つ『白の聖女』は剣の適正と身体能力に恵まれたスキルなのっ! それと神聖魔法も使えるのに負けるなんて、すっごく、すーっごく悔しいじゃないっ!」



 ようは剣術、身体能力UP、神聖魔法の三つが一つになったスキルと言ってもいい。



 特に神聖魔法は強力だ。

 それは傷を治す力を持つ白魔法に加え、対アンデッドや解呪、解毒などの力がある聖魔法の強みを併せ持つ。他にも神聖魔法独自の能力や、自分やパーティメンバーに対するバフも使えるため、リシアが参加するイベント戦は難易度が格段に下がる傾向にあった。



「ここからは本気っ! 絶対に貴方を倒して見せるんだからっ!」



 リシアの動きが変わった。

 彼女が一瞬だけ眩い光に包み込まれたと思うと、更に速度を増した。交わされた剣からはまるで別人な膂力を感じる。



(神聖魔法か……ッ!)



 それは主神エルフェンの加護であり、身体能力UPと別物だから効果は重なる。

 恐らく、リシアの身体能力UPはレンと同じく(小)だろう。これは彼女がまだ幼いからで、成長するにつれて(中)、そして(大)へと変化を遂げるはず。



(こうなってくるとさすがに強いな)



 レンの顔色が変わった。



「それ、さっきも使えばよかったじゃないですかッ!?」


「わかってるわよっ! でも、ヴァイスの許可なく使ったら怒られちゃうのっ!」


(ってことはつまり――――)



 逆に言えば、許可を得たということになる。



(お嬢様に甘すぎるだろッ!)



 自分が知らないところで話がされていた事実には、少しムッとしてしまう。

 眉をひそめたレンは「それなら」と言い、剣を握る手に力を込めた。双眸にも力強さが宿り、僅かに優勢になりつつあったリシアを驚かせる。



 そして――――。



「…………嘘」



 最後の鬩ぎあいは刹那に終わる。

 リシアは気が付くと、目の前にレンを迎えていた。

 彼女の剣が防御の姿勢を取るより早く、レンの剣が首筋に押し付けられていたのだ。



「俺の勝ちです」



 吐息を感じられそうなほど、睫毛の一本一本を数えられそうなほど近くで、じっとリシアを見つめながら言った。



「…………まだ、負けてないもん」



 緊張か、それとも羞恥か。

 リシアは顔を弱々しく震わせ、目元を潤ませながらか弱い声で言う。

 一方でレンはと言えば、やはり頬を引き攣らせていた。



(ま、負けず嫌いにもほどがある……)



 結局、剣を下ろして距離を取った。

 今回はそれで追撃を仕掛けてくる様子もなく、刹那に敗北まで追い詰められた事実に未だ驚いてるようだった。



 そこへ、拍手の音が響き渡る。



「また腕を上げたな、少年」



 その音と共にヴァイスが足を運んだ。

 彼の後ろを、部下の騎士が何人か歩いている。



「神聖魔法を用いたお嬢様に完勝するとは。さすが、幼くも単独でシーフウルフェンを討伐した英雄だ」


「……別に、そんなんじゃないですよ」


「ははっ、不満そうだな」



 そんなことはない、とは口にしない。

 しかし知らないところで立ち合いの許可をしていたと知り、不満を抱いているのは当たり前だった。



「我々も驚きましたぞ!」


「私は帝都で働いていたこともあるのですが、レン殿ほど強い少年は見たことがない!」


「うむ! やがてはクラウゼル家をはじめとした一派、、の象徴になられるでしょうな!」



 騎士たちが驚き、讃える声の後で、



「だから言っただろう? レン殿は本当に強い方なのだ」



 最近、この村に駐留している騎士が楽しそうに言った。

 更にヴァイスが繰り返す。



「すまなかったな、少年。この者らも言ったように少年は強い。その強さをお嬢様にもよく理解してほしかったのだ」



 所詮、アシュトン家はクラウゼル家に仕える家系だ。

 そのお嬢様のためと言われると、レンは何も言い返せない。



「さて、お嬢様。この少年の強さは骨の髄まで理解できたはずです」


「…………」


「お嬢様はお強い。しかし少年は、お嬢様と比べて恵まれない環境下で強くなった。裏を返せば、お嬢様もさらに努力を積むことで少年に追いつけるかもしれない、ということになりましょう」


(追いつくどころか、あっさり追い越されそうだけど)


「おわかりいただけたなら、屋敷に帰ってからはこれまで以上に励まれるとよろしい」


「ええ……わかってる」



 リシアはそう言ってレンを見る。



「今日は急に来てごめんなさい。でも、すごくいい経験ができたわ」


「あ、ああ……こちらこそ、いい経験ができました」


「――――クラウゼルに来てくれたら、毎日立ち会えるわよ?」


「残念ですが、それとこれとは話が違います」



 依然として首を縦に振らないレンを見て、リシアがくすっと頬を綻ばせる。すると彼女はレンに背を向け、屋敷に戻って行った。



 立ち会う前に言っていたように、これから湯を浴びて休むのだろう。



「本当にすまなかった。どうか許してくれ。ご当主様にも、アシュトン家に世話になった旨は確かに伝えよう」


「別に大したことはしてませんよ」


「いいやしたとも。そうだろう? お前たち」



 かぶりを振ったヴァイスが部下に話しかけた。



「お嬢様にとって、いい刺激になったのではないでしょうか」


「ええ。……我ら相手では、訓練をするのもつまらなそうでしたからな」


「少年よ、この者らが言ったとおりだ。――――できればあと数日は滞在して、少年にはお嬢様に付き合ってもらいたかったのだが……」


(ものすごく遠慮したい)


「しかし、明日の朝には発たねばならんのだ」



 想像していたより出発が早い。

 これにはレンも驚き、同時に喜びを覚えた。



「お忙しいのですね」


「うむ。お嬢様はこの村に来るためにご当主様を説得なさってな。アシュトン家へ褒美の話をする以外にも仕事がある。周囲の村々を巡り、此度の騒動で生じた動揺を抑えねばならんのだ」



 それは領主一族の責務であった。

 リシアにはレンと会うという目的はあったが、代わりに、対価となる仕事をクラウゼル男爵に提示していたのだ。



(ほんと、根は立派で素直ないい子なんだけどな)



 思いもよらぬ負けず嫌いっぷりには驚かされた一日だった。



「また明日の朝にも礼をさせてくれ」



 ヴァイスは執事然とした振る舞いで頭を下げ、部下を連れてレンの元を立ち去った――――と思いきや、先に立ち去ったはずのリシアと共に戻ってくる。



「ねぇねぇ、後でヴァイスを連れて部屋に行ってもいいかしら」



 また唐突な、と驚きながらレンが尋ね返す。



「どうかしたんですか?」


「せっかくだから、貴方が普段どんな訓練をしてるのか聞きたいわ。ヴァイスも気になってるみたいなの。だから、ちょっとだけ夜更かしに付き合ってくれる?」



 レンは慌てずに「構いませんよ」と言った。

 自室には例のブツがあるけど、彼女が来る前に処理すればいいだけだ。

 それをもう心に決めていたレンは迷うことなく答え、余裕のある態度で屋敷の中へ戻っていく。



 自室に戻る途中でリシアとヴァイスの二人と別れ、二人が見えなくなってから自室に駆けこんだ。

 レンは木箱を手に持ち蓋を開け、火が付いたままの暖炉を見る。

 迷うことなく、油断することなく木箱の中身を燃やすために動いた。



『レン、戻ったんだろ? 入るぞー?』


 

 その後すぐ、部屋の外からロイの声が届く。

 ロイはまだベッドの上から動けないが、第三者の力を借りれば、簡素な車椅子に乗って屋敷の中を動くことはできた。

 今回もそうして移動してきたようで、予想だにしない声にレンは息を呑んだ。



 しかし、レンの心に宿った決心は揺るがなかった。

 もう長引かせることはできない。

 瞬時に覚悟を決めたレンは腕を大きく振りかぶり――――



(この木箱ごと……ッ!)



 木箱を暖炉の中に放り投げた。

 薪が割れるパキッ、という乾いた音が響き渡る炎の中へ、木箱が勢いよく放り込まれる。



 木箱は瞬く間に炎に包まれ、木くずと灰に埋もれた。

 それを見たレンは勝利を確信する。数秒後にロイへ返事をしたときには、勝ち誇った笑みを浮かべていた。



「ヴァイス様たちと話をするんだってな! 俺も呼ばれたからミレイユに連れて来てもらったんだ!」



 間もなくレンは返事をして、ミレイユに車椅子を押されてやってきたロイを迎えた。

 すると、ミレイユがレンに言う。



「暖かい飲み物を用意するから、ちょっと手伝ってくれる?」


「わかりました。では、父さんにヴァイス様を迎えていただきましょう」


「おう! そのくらい任せておけよなっ!」



 こうしてレンは自室を後にした。

 キッチンに向かい、ミレイユと共に簡素ではあるが夜の歓談のために茶を用意し、僅かながら夜食の用意もした。

 


 やがてそれらを自室に運んだレンとミレイユだったが、ミレイユがハッとした様子で申し訳なさそうにする。



「いっけない。ナイフを忘れちゃったわ」


「あ、それなら俺が取ってきますよ!」



 と言い、レンがキッチンにとんぼ返りした。

 一方でレンの部屋に残ったミレイユだが、彼女は不意に鼻を利かせた。

 すると暖炉の方に歩いていき、火ばさみを手に暖炉を漁る。

 そうして、レンが放り投げたはずの木箱を取り出した。



「あらら……遊んでて暖炉に入れちゃったのかしら」



 火に包まれていた木箱は、不思議と赤茶色に滴る液体に包まれている。

 それが外気に触れ、ロウで固めたように木箱全体を包み込んだ。



「おいおい。あのレンがそんな箱で遊ぶかよ」


「そうかしら。あなただって、小さい頃は机の近くからリトルボアの骨を投げて遊んでたことがあるじゃない」


「言われてみれば、似たようなもんだな。狙った場所に放り投げられると楽しいんだぞ、あれ」


「はいはい。けど、この箱は駄目よ」


「ああ、使ってる塗料が燃えたときの煙が身体によくないんだっけな。代わりに燃えにくくなるって話だが」

 


 ミレイユが頷き返す。

 彼女はそのまま、火ばさみの先に木箱を持ったまま扉に近づいた。



「倉庫に運んでおくわね」


「ああ。レンのことは俺が叱って――――いや、どうせなら俺が動けるようになってから、その箱を直しながらにするか。それまで倉庫の奥にでも置いといてくれ」


「そうね。そしたらこういう塗料もあるって教えられるわ」



 ということで、レンが燃やせたと思った木箱をミレイユが倉庫に運んでいく。

 レンはそのミレイユと廊下ですれ違うこともなく、自室に戻るとロイしかいなかったことに首を傾げる。



 ロイにその理由を尋ねるも「ちょっと用事でな」としか言われず、特に言及する気にもならなかった。



(早いけど、もう燃えたのかな)



 レンは暖炉の方を見て、木箱が見えないことに安堵した。

 ……それが燃えていたわけではないと知るのは、きっとまた、しばらく後のことになるだろう。

 


 ――――その数分後にヴァイスが、更に少し後でリシアが。

 彼女たちが足を運んでからはじまった歓談により、レンはそれ以上、木箱のことを考えることはなかった。








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