見知らぬ場所で。

 すべての感覚が鈍かった。

 まるで自分が自分ではないようだったし、見ている光景も自分の意思とは別に移ろいでいく。

 いつしか、レンは自分の背を見ていた。

 自身に付き従う影のように、一定の間隔を置いて自分の後を追う。



 ――――村が、燃えていた。



 いまのレンと違い、二匹だけのリトルボアを担いだレンが畑道を呆然と歩いていた。

 隣を歩く騎士たちは、言葉を失っていた。



『母さん……?』



 ふと、そのレンがリトルボアを放り捨てて駆け出す。

 同じように駆けだした騎士たちが肩を並べて駆け、一行はアシュトン家の屋敷へ急行する。

 ……たどり着いたその先で、屋敷が猛火を放っていた。



『そん、な』



 それを見たレンが力なく膝をつきかけた。

 だが、身体を震わせながら屋敷へ近づいていく。

 あの中には、母が居るはずなのだ。

 何も考えられず、母の声を聞くことだけを願っていた。



 しかし、止められる。

 騎士に羽交い締めにされ、レンは自由を奪われた。



『なりませんッ!』


『離してください! 母さんが――――ッ!』


『ッ……駄目ですッ! あの炎に飛び込めば、それこそレン殿も……ッ!』



 それでもレンは抵抗をつづけた。

 けれどそれは弱々しい。

 見せつけられた姿が、自分とは思えないほど弱々しい姿だった。



『私は父さんと最期、、に約束したんですッ! 絶対に母さんを守るって……だから……ッ!』



 自分ではない自分を見つめるレンの視界の端に、簡素な石の墓標らしきモノが見えた。

 見たことのない、どこか寒気を催してくるモノだった。



 すると、そこへ。



『退きなさいッ! 早くッ!』



 背後から聞こえてくる蹄鉄の音に混じり、一人の少女の声がした。

 二人のレンがその声に振り向くと、眩い光が辺り一帯を包み込んだのである。





 ――――その後すぐ、新たな光景が広がった。





 今度もまた、自分ではない自分を背後から見せつけられる。

 それは夕方の空が広がっていた。

 村はずれの平原に居たレンは、目の間に並ぶ数多くの麻袋を前に佇んでいた。



『レン殿。リグ婆殿ですが……』


『……わかってます。もう、覚悟してました』



 騎士に振り向かず答えたレンが肩を震わせた。

 すると、騎士はその背後で頭を下げて立ち去った。

 そこへ入れ替わりに、甲冑を煤で汚したヴァイスが現れる。



『――――少年』



 ヴァイスは呆然としたレンを抱き寄せ、力強く抱擁した。

 そのヴァイスは、間もなく頬を涙で濡らす。しばらくの間そうしていたと思えば、ヴァイスは幾度も謝罪の言葉を口にした。



『すまない。我らがもっと早く到着していれば』


『……いいんです。すべては、私が弱かったせいですから』


『だが……ッ』


『いいえ……父さんのことだってそうです。父さんが死んだ夜、勇気を出してロンド草を採りに行けばよかった。そうすれば父さんは死ななくて、今日の賊もどうにかできたかもしれない』


『そうではない! 我らのせいだッ!』


『……騎士の皆さんには、手や足を失ってまで戦ってくれた方も居ます。父さんが追い返したシーフウルフェンを討伐出来たのだって、そのおかげですよ』



 だから、彼らの責任ではないとレンは言う。



『それに母さんのことを助けてくださいました。賊のことだって、ヴァイス様が一掃してくださいましたもんね』


『……いや、一人だけ取り逃がしてしまった。すまない。もう少し早く足を運べていれば』


『やめてください。ヴァイス様に謝らせてしまうと、私が父さんに怒られちゃいます』



 それに、とレンがつづける。



『さっきのお方って、お嬢様……ですよね。はじめてお姿を拝見しました』


『あ、ああ。お嬢様は冬のシーフウルフェンの件に心を傷め、ご当主様の代理としてこの村に同行したのだ……』


『聖女様って、すごいんですね。屋敷の炎を払えるなんて』


『…………ああ』


『おかげで母さんが助かりました。それで私がヴァイス様たちを恨むなんて……できません』



 言い終えたレンはその場に力なく座った。

 膝を抱き、平原に並ぶ人間大の麻袋の前で顔を伏せる。

 幾分かの静寂が過ぎ、レンは考えることをやめていた。



 今日からどうしよう。

 もう、この村では暮らせない。

 ほとんどの家々は焼き払われてしまい、食料だってほんの僅かだ。

 先々の不安が徐々に心の内を占領しはじめる。



『……隣、座らせてもらうわね』



 そこへ少女――――いや、リシアの声がした。

 顔を上げたレンは見た。

 指先を包帯で覆い、頬などにもかすり傷を負ったリシアを。



『貴方のお母さんの身体は、私ができる限り治療したわ。他の村人も……可能な限り』



 リシアは自らの身分にいたるすべてを顧みず、傷を負いながらも村人の救出に手を尽くしたのだ。



『ありがとうございます。――――その、』


『けど、もっと治療しないといけない目を覚まさないと思う。だから生き残った皆も一緒に、私の町や他の村に護衛するわ』



 言い終えたリシアがレンの顔を見る。

 そのリシアは、賊が英雄派か皇族派の手の者だろうと口にした。

 派閥争いにクラウゼル家が巻き込まれた。派閥拡大に勤しむ者たちが、強引且つ残虐な方法を以てして村を襲わせたのだろう、と。



 ただ今回の件は、前触れどころか予見できる要素が何もなかった。

 ヴァイスたちがやってきたのはほんの偶然で、その偶然が無ければレンは母のことも失っていただろう。

 それでもリシアとヴァイスは、すべて自分たちのせいだと言っていたのだ。

 特にリシアは、自分に償えるならどんなことでもすると言いきった。



『……正直、どうしていいかわからないんです。私は貴女様を恨む余裕が無くて、重症の母さんや、村人のことで精一杯なんです』



 リシアが何も言わず、沈痛な面持ちを浮かべて頷いた。



『でも、父さんが言ってました。私たちはクラウゼル家に仕える騎士だから、命懸けでこの村を守るんだ……って。だから恨むのも筋違いって……何も考えられなくて……』



 言い終えたレンの双眸から、大粒の涙が溢れ出た。

 彼はいまのいままでそれを我慢できていたけど、一気に我慢が瓦解してしまう。

 そんなレンの身体を、リシアが優しき抱き寄せた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 いまのは夢……なのだろうか。

 レンは目を開け、半ば寝ぼけたままに考える。



(あれはもしかして……ゲームの中のレンとお嬢様……なのかな)



 自分が知らない世界線の出来事を見せられたような気がして、不意にこんな予想が脳裏を掠めた。



 だが、わからない。

 仮に本当にゲームの物語で語られなかった話だとして、どうして急にそれを見た?

 しかも、あの様子ではレンが聖女・リシアを殺す流れに違和感を覚える。



 仮にあの世界線の出来事が本当だったとして、レンがクラウゼル家に大きな憎しみを覚えて復讐をしての凶行と言われたら、わからないでもない。

 だが、そうではなかった。

 あの後で別の世界線のレンが冷静になり、クラウゼル家に復讐すると決める可能性は捨てきれないが、あの様子ではその線が薄い気がした。



 ……結局、考えても考えても答えは見当たらなかった。

 そのためレンは、いまの状況を理解することに勤めた。



(この香りは)



 最初に感じたのは、木々の香りに混じったカビ臭さだった。

 次に不快な揺れを全身で感じ、間もなく木材が軋む音が耳に届く。ガラン、ガランと何かを踏みしめる音も聞こえてきた。



 いままで暗くて良く分からなかったが、目を細めて辺りを伺うと、古びた小屋を思わせる空間に寝かされていることがわかった。



(ここはどこだ)



 壁の合間から差し込む光からいまが日中であることは理解できるも、他のことは一つもわからなかった。

 だけど隣から、苦し気な呼吸の音が聞こえてきたことで顔を向けてみる。



 手足が縛られていたことに気が付いたのもこのときだ。

 そして、顔を向けた先に居た人物を見たレンは、ようやくすべてを理解する。



「お嬢様……ッ!」



 魔獣使いに眠らされてからの記憶がない。

 つまり、あれから何処かに連れ去られている最中なのだろう。



「ハァッ……ハァッ……」


「お嬢様、私です! レン・アシュトンです!」


「ッ……ァ……」



 話しかけてもリシアは答えない。

 彼女は一向に辛そうに吐息を漏らし、額に浮かんだ大粒の汗を頬に伝わせることしかできなかった。



『ほう、目を覚ますとは驚いた』



 不意にこの空間の外側から声が聞こえてきた。

 屋敷で耳にした、魔獣使いの声だった。



『よく眠れただろ? 四日も寝れば十分だろうさ』


(四日だって……?)



 それほど寝ていたのなら、村からかなり遠くまで来ているに違いない。



『レン・アシュトン。大人しくしていればお前は無事でいられる。余計なことは考えず、もう数日だけ我慢していろ』


「なら、お嬢――――この娘はどうなるんだ?」


『ふふっ、敏いなお前は。リシア・クラウゼルのことを私が知らないと思い、素性を明かさぬために言い直すとはな』



 思惑を悟られた事実にレンは眉をひそめた。



「答えろ。お嬢様も無事でいられるのか」



 だから開き直った、というわけではない。

 ただ魔獣使いがリシアに触れなかったことは無視できなかったから、今度は強い口調で尋ね直したのだ。



『もちろんだとも。くははっ、だが私が無事、と答えても信用できるのか?』


「…………それは」


『しかし安心してくれ。私は嘘をつかないんだ』



 魔獣使いは笑みを交えて言った。



『ただ、当初は彼女が病に伏している予定ではなかったからな。道中で薬を入手できれば投与するつもりだ』



 リシアの病はそれ単体では命に関わる病ではないが、合併症を引き起こせば死を招く可能性がある。



 以前、ヴァイスがこう口にしていた。

 そんな中、リシアの様子は、屋敷に居たときと比べ悪化していた。

 この劣悪な環境のせいだろう。



(俺たちはきっと、馬車に乗せられてるはずだ)



 カビ臭く、日光が僅かしか入り込まぬ環境では、様態が悪化して当然だ。

 早期の投薬に加え、リシアが休みやすい環境にしなくてはならない。



「そもそも私は、今日まで二人にポーションを与えて世話をしてやったのだ。故に、感謝してほしいくらいなのだが』


「なっ……言うに事欠いて……ッ」


「……ハァッ……ァ……」



 激昂しかけたレンの隣で、リシアが苦しそうに吐息を漏らしつづける。

 彼女のためにも、このまま黙っているなんてできない。



(薬を入手できればって言葉も、信用するわけにはいかない)



 屋敷を襲い、騎士たちの命を奪った男のことなんて、はなから信用するつもりはなかった。



 だから、逃げなければ。

 魔獣使いの下を逃げ、なんとかして薬を入手しなければリシアが危険だ。

 だがレンは村を出た経験が一度もない。



 なのに、馬車で四日も過ぎたところを進んでいるとなれば、仮に魔獣使いから逃れられたところでどうなるかわからない。



 土地勘がないのだから、どこかで野垂死にするかもしれない。

 が、それでも、



(見捨てるなんて、有り得ない)



 黙っていれば自分の安全は約束されるようだが、受け入れる気になれなかった。

 たとえその先でリシアが命を失い、七英雄の伝説と同じ未来が訪れないと確定するとしても、ここで彼女を見捨てたら後悔すると確信していた。



(魔剣は……ないな)



 召喚したままだったから、魔獣使いがどこかに隠したようだ。

 でもレンには関係ない。魔剣は再召喚すればいいだけだ。



『そうだ。そのまま静かにしていろ』


「話しかけてくるな。お前の声を聞いてると気分が悪くなる」


『くははっ! それはすまなかったな』



 レンはいますぐの逃走は避けた。



 もう少し、せめて魔獣使いが眠ってからにしようと思った。

 少しでも成功確率を上げておかないと、失敗した際にレンはもちろんのこと、あまり重要視されてないリシアの命もどうなるかわからないからだ。



(土地勘がない場所で夜に逃走する……馬鹿みたいだな)



 だが、その方がいいと思った。

 どこか人里に付いたところで大声で叫ぶことも考えたが、それで誰かが助けてくれるとは限らない。



 結局、信じられるのは自分だけだったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇

 



 木材の合間から光が差し込まなくなってからしばらく経つ。



(もう夜か)



 目を覚ましてから、最初の夜がきたことを悟ったレンは、不意に馬車が停車したことに気が付いた。



「ところで、俺が大声を出して助けを呼んだらどうする?」


『無意味に終わるだけだ。中からの音は私にしか聞こえない。そういう魔道具を設置してあるからな』



 そりゃ便利なことだ、とレンが溜息を漏らした。



「ッ……ァ……」



 隣からはリシアの苦し気な呼吸音が聞こえてくる。

 その苦しさは、日中に比べて悪化の一途をたどっているようだった。

 これでは、最悪の結末となる可能性も低くはないはず。



「馬車を急がせてくれ」


『もう夜だぞ。今日は寝て、また明日になったら村を探してやる』



 無情にも言い放った魔獣使いが立ち上がったことで馬車が揺れた。

 彼はこれまで御者の場所に座っていたのだが、立ち上がると馬車の横に向かい、鍵を開けて扉を開けた。



 その先に居たレンは、魔獣使いから食べ物を放り投げられる。

 乾いた肉とパン、革袋に入れられた水だった。



「大切なお嬢様にも食べさせてやれ」



 言い終えるとさっさと扉が閉められた。

 レンは馬車の中で這いずり、革の水筒を空けた。

 それを咥えたままリシアの口元に運んで水を垂らせば、彼女は少しずつ飲みはじめた。



 しばらく経ったところで、レンはその水を乾いたパンに垂らしてふやかした。

 すぐに「すみません」と謝ると、ふやかしたパンを唇に挟み、リシアの唇の上にそっと置く。



 それは少し食べづらそうだったが、リシアはうなされながらも何口か咀嚼した。



(こんなんじゃ、あと何日か耐えるのだって無理だ)



 リシアはもちろん、レンだって体力を失ってしまう。

 逃走するなら、その前に動かなければならない。



(今夜だ。様子を伺ってる余裕がない)



 決心してからは、不思議と心が落ち着いた。

 これしか道はないと覚悟したからか、意外にも冷静で、恐怖に身体を支配されるなんてこともなかった。



 ――――やがて、微かに魔獣使いの寝息が聞こえはじめてきた。

 同じく、外からはマナイーターの呼吸音まで聞こえてくる。



(やるしかないんだ)



 しかし魔獣使いを倒すなんて考えてはならない。

 目的は逃走、この場からの離脱だ。

 Dランク相当のマナイーターがいるのだから、そうするほかに道はない。



「お嬢様、俺に命を預けていただけますか?」



 囁き声でリシアに言うと、彼女の唇の端が少し綻んだような気がした。

 それを見たレンは、すぅ――――っと大きく深呼吸をする。

 いつの間にか、胸が大きく鼓動を繰り返していた。



 気が付かない間に緊張していたことを知って、今更弱るんじゃない! と自信に強く言い聞かせる。



(いくぞ、レン――――ッ!)



 葉が擦れ合う音よりも小さく言葉を発し、鉄の魔剣を再召喚した。

 コトン、と馬車に落ちたそれに腕を拘束するナニカを擦りつける。そのナニカは金属の鎖だったが、鉄の魔剣はそれすらも難なく断ち切ってしまう。



 レンは立てつづけに足の拘束を断ち切り、リシアを縛る鎖も断ち切った。

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