鞄の旅人の興味。

 帝国士官学院、女子寮の門前。

 ここまで送ることは目立つかもしれないが、フィオナは気にしないと言った。

 では、とレンが彼女を送ることに決め、その建物の前で。



「レン君、ありがとうございました」



 名残惜しそうに礼をした侯爵令嬢。彼女はこの時間の終わりに後ろ髪を引かれる思いだった。

 レンはこのあと、アーネアではなくエレンディルに帰る。

 あまり引き留めても迷惑になってしまう。



「あれ、フィオナ様?」



 フィオナが振り向いて女子寮に向かおうとした寸前、レンが呼びかけた。



「髪の毛に何かついてますよ」


「え? どこですか?」


「ほら、そっちの……いえ、もっと右です」


「……?」



 どこなのかわからず、フィオナが頭を左右にくるくる回しながら髪に触れる。

 しかしどこに何が付いているのかわからず困っていると、



「すみません」



 レンがそっと指先を伸ばし、髪についていたものを取った。街路樹にわずかに残されていた葉が彼女の頭に落ちていたようだ。

 放るように手から離した彼が「葉っぱでした」と笑った。

 優しくて、ずっと見ていたくなる笑みだった。



「あ、ありがとうございます……っ!」



 いつのまにそんなものが髪についていたのか、これは気にならなかった。

 唐突なレンの振る舞いに嬉しさと照れくささを抱くだけ。



「――――あのっ!」



 別れ際、フィオナが勇気を出してレンを止めた。

 すでに背を向け、女子寮の前を離れようとしていた彼が振り向く。



「はい? どうしました?」


「……レン君って、冬休みは何かご予定とかありますか?」


「冬休みの予定……予定……」



 少しの間迷ってみたレンの頭には、いくつかのことが浮かんでいた。

 まずは獅子聖庁に通い剣の腕を磨くこと。

 他には対魔物の訓練を積みながら戦技も磨くことだったり、冬休み明け、春の前に迫る試験に向けて勉強することくらいだ。

 なので言い換えれば、ずっとエレンディルにいると思う。



「――――って感じです」



 話を聞いたフィオナがぱぁっと表情を明るくして、



「じゃあ……ときどき会いに行ってもいい……でしょうか……?」


「もちろんです。俺でよければ、いつでも話し相手になれますので」



 レンが間髪入れずに頷いたのを見て、フィオナが頬に喜色を浮かべる。やった、と小躍りしかけたところで咳払いをして居住まいを正す。



「呼び止めてしまってごめんなさい! その――――おやすみなさい!」



 フィオナはレンに深く頭を下げると、軽い足取りで女子寮に戻った。

 残されたレンは彼女の後姿が見えなくなるまで見送った。彼女は最後に、女子寮の入り口で足を止めて振り向いた。もういないと思っていたレンが見えたから、嬉しそうに手を振って今度こそ別れた。



 女子寮を離れていくレンは駅に向かわず、通い慣れた帝国士官学院へ向かっていた。

 この時間は教員も数えるくらいしか残っていない。生徒の立ち入りも特別な理由がない限り不可能な時間帯だ。

 それでもレンが学院に向かっていたのは、が待っているから。



「話はすべて聞いている。大変だったな」



 第三皇子にして、レンの親友のラディウス。

 彼は学院を囲む塀を背に待っていた。



「護衛は?」


「近くにエステルがいる。何者かが襲ってきたら一瞬で捕縛してくれるぞ」


「一瞬、冗談で手を出してみようかなって思っちゃった」



 するとレンの冗談を聞き、



「レンがじゃれついたのを、私にどのような名目で捕縛しろというのだ」



 物陰からエステルの声がした。

 それもそうかとレンが笑ってラディウスの隣に立った。

 この日、身体を酷使していたレンは息を吐き、塀にもたれかかるように背を預けた。

 隣を見れば、ラディウスの目元にくまがあった。



「あんま寝てないんだ?」


「……ここ最近は毎日三時間くらいしか寝られていない。酒におぼれた者のように、ポーションを大瓶で呷る日々だ」


「うわぁ……倒れないようにね」


「レンのことだから、休んだ方がいいと言うと思ったのだが」


「言ってもいいけどさ。ラディウスはどうせ言っても休まないんだし、それなら倒れないようにって言う方がまだ有意義じゃん」


「なるほど、確かにそうだ」


「まぁ、寝られてない理由は気になるけど」



 ラディウスは答えに詰まり、「また今度」と誤魔化した。レンもさらなる追求はしない。



「てかさ、聞いておきたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


「派閥争いのこと。レオナール家の秘宝とも言える盾が見つかって、英雄派がすごく賑わってるじゃん」


「どうしたんだ。レンは派閥争いに興味がないと思っていたが」


「派閥争いに参加したいなんて思ったことはないよ。それに、クラウゼル家が巻き込まれることも二度とないようにって思ってる。けど、ラディウスがどう考えてるのかは気になってるかな」



 ラディウスはくすりと笑った。



「七英雄が手にしていた盾が見つかった。素晴らしいことじゃないか」



 彼の本心である。

 英雄派筆頭、七大英爵家に舞い降りた吉報をラディウスは素直に喜んでいた。



「我が国の民が喜んでいるのならそれでいい。私はそう思う」


「でも、派閥関係は面倒だよ」


「それも間違いない。だからこそ私も無視できないわけだ」


「何か皇族派も考えてるとか?」


「ん……考えていると言うか、いろいろと動いているぞ。主に私がな」


「前に言ってたのと、最近忙しそうにしてること?」


「そうだ。レンにもいずれ伝えるから、もう少し待っていてくれ」



 もうすでに歴史の多くが変わってしまっているものの、七英雄の伝説でラディウスはこの時期に何かしていただろうか。

 思いつくことはなかった。逆に切なくなってしまう。

 七英雄の伝説ではこの冬に、ラディウスが攫われて命を落としていたことを思い出して。



「レオナール家に七大英爵家の当主も一人残らず顔を揃える、ここ数年ではなかった大きな席が設けられるそうだな」


「あ、ああ……そうなるだろうね」


「どうした急に。歯切れの悪い態度だな」



 レンが気にしないでくれと言えば、ラディウスが一呼吸置く。

 話題は皇族派の動きへ移り、



「あとはユリシスが最近、運動不足らしい。だから自分たちは英雄派に対抗し、どこかへ遠出してパーティを開くのはどうか、などとしょうもない手紙を送ってきたぞ」


「遠出って、たとえばどこにだろ?」


「私もあまり思いつかんが、バルドル山脈のような場所にはならないだろうな」



 レンはぽかんとしながらも、



「あそこにラディウスとユリシス様が行くのは止めた方がいいね。絶対に」



 バルドル山脈とユリシス、それにラディウスの三つが合わさるのはいろいろと縁起が悪い。

 すべて冗談ではあるが、レンの笑みが一瞬凍り付いた。



「そろそろ帰ろうかな」


「確かにいい時間だな」



 邪魔をしないよう控えていたエステルが二人の近くに足を運ぶ。



「レン、私の部下にエレンディルまで送らせようか」


「大丈夫ですよ。送ってもらうほどか弱くはないと思いますので」


「くくっ、違いない。暴漢のほうが逃げていくだろうさ」



 ラディウスたちと別れて、エレンディルへの帰路に就く。

 レンはその道すがら、



「……英雄装備を見つけたときのイベントかー」



 確か、英雄装備を見つけるというサブイベントを進めることで生じるもの。

 七英雄の伝説Ⅱの時点でも、七英雄の装備が各地に眠っている理由は明らかにされていない。もちろんそこに何らかの理由が隠されているのだろうと予想されているが。



 英雄装備は歴史的な遺産である。

 魔王を討伐した英雄たちの貴重な装備だから、それが見つかったとなれば大ごとも大ごと。レンとラディウスも、アーネアの客室で話していたリシアたちも会話自体は仰々しくなかったけれど、実際にはレオメル中で騒ぎになっている。



 ゲームでは描き切れない話も、山ほどあることだろう。

 それらの騒ぎはさておき、レンは一つ気にしていることがあった。



『これからも頑張ろうぜ、ヴェイン』


『はい!』



 レオナール家のパーティでの一幕。

 以降、レオナール領を移動中、ランダムで魔王教の襲撃を受けるイベントが生じる。ランダムというのは、時間帯やどこを移動中に――――という何一つ指定のない文字通りのそれ。



 だが、いわゆるイベント戦だから敗北はなかった。

 カイトが手にしたアイリアが絶対的な力を示す、そのためのイベントだった。

 魔王教がけしかけた強力な魔物を撃退、、すれば、経験値などを得て終わるはず。



 レンはもうほとんど覚えていないが、当時、その魔物を何とかして討伐できないか試みたことが何度かあった。急に現れるにしては強すぎて、しかも妙に意味深な敵だったことから試さずにはいられなかった。

 しかし他のプレイヤーたちと同じで、やはり討伐できなかった相手である。



「――――話しておかないとか」



 危険性を、黙ってはおけない。

 ただ、どう伝えるべきかが相変わらず迷いどころだ。

 レンがただこういうことが起きるかも、と言ったところで何一つ説得力がなく、大人たちを動かすには力不足だ。

 だが伝え方はどうとでもなると思う自分もいた。 




 ◇ ◇ ◇ ◇




 開かずの扉のうちの一つが、解放された。

 神秘庁の中でもラグナの研究室が中心となって行われる調査が、この日も終わりを迎えようとしていた。



「室長、そろそろ時間です」


「すぐ行く。外で待っていろ」



 ラグナは室長と呼ばれることがあれば、博士と呼ばれることもある。



 もう十年以上前になるが、ラグナも学校に通っていた時代がある。名門・帝国士官学院ではなく、とある地方都市にある有名でもない、あり触れた学び舎だった。

 学生だった頃から、ラグナは両親の影響で考古学をはじめとした分野に興味を深めた。



 やがて彼の研究対象は、七英雄が生きていた時代が中心となった。

 だが、七英雄に対しては実のところ、あまり興味がない。

 彼らのことは嘘か真か、様々な言い伝えが残されているし、七大英爵家の存在もあって研究のし甲斐がないと感じていた。



 ラグナがいるのは、孤児院の奥の壁画があった部屋。

 いま、彼は魔道具の灯りに照らされた壁画をじっと見つめながら、



「間違いない」



 壁画に描かれた少女を見て、確信。

 この世界の開闢の物語――――いわば神話。世界に光と闇の概念すら存在しない頃、この言葉からはじまる物語。



 世界がはじまるその前に、一人の少女が存在したという。

 彼女に名前はなく、自分がそこにいる理由もわからずただそこにった。



 少女は何もない空間で一人、膝を抱いて寂しさに身体を震わせた。気が遠くなるような時間をそう過ごしていると、いつしか涙を流せるようになったという。

 すると、少女の涙は無を漂い光りはじめる。

 少女がはじめて目の当たりにした光は、彼女が涙を流すたびに辺りを照らした。



 落ちた涙の波紋がどこまでも伝わっていくと、何もなかったはずの空間に緑豊かな大地が生まれ、花が芽吹き、紺碧の空がどこまでも広がった。

 広大な海が波を立て、眩い陽光が少女を照らす。



 少女が蹲っていた場所には、小さな泉ができた。

 泉の水を少女が両手で掬って振りまけば、陽光に反射してキラキラと輝く。煌めく水飛沫が宙を泳ぎながら一際強く輝きを放つと、四人の姉妹を生み出した。



 それが、はじまりの四女神。

 特に信仰を集める絶対存在たちのこと。

 そして少女こと――――



「創造神アリス。ジェノとやらは珍しい神を描いていたものだ」



 誰よりも古い神を祀る場所は現在、世界中を探しても数えるくらいしかないだろう。長い歴史を経て人が崇める神の中心はエルフェンへと変わり、語られることすら少なくなっていた。

 剣王という存在を定める戦神たちの存在もまた、影響している。



 ……という、古い神話の一部分。

 ラグナはそれらを思い返したのちに、すぐさま絵に対する興味を失った。

 彼にとって、これ以上に興味深い研究対象があった。



「これほど心躍るのは、生まれてはじめてかもしれないな」



 独り言をつづけ、小部屋を出た。



 ホールに残る研究員たちを横切りながら……叡智を求めてやまないシェルガド人がもう一度小部屋へ通じる扉をちらっと見てから、再び歩きはじめた。



 孤児院の外に出る。

 水の底に沈んだ旧市街に注がれる星明りはごく僅か。周囲を照らす灯りはすべて魔道具によるものだ。

 一人、ゆっくりと歩きながら孤児院の敷地内を出たラグナに研究員が声をかける。



「しかし、いったい誰がここの封印を開けたのですか?」


「特殊な立場にある人物だ。偉大と他称される帝国法に記載されているように、神秘庁の守秘義務に該当する。責任者の俺以外には知る権利がない。詮索は不要だ」


「承知いたしました」



 図書館の前に集まっていた研究員たち。

 ラグナは研究員たちから少し離れたところにある、図書館手前にある壁を背に立った。

 彼は孤児院の方角を見つめ、



「――――『不死鳥と戦った旅人はこう言った。子供と接するのは慣れている。友人を手伝い、子供の相手をすることが何度もあった、と。旅人こと英雄はそれを証明するかのように、赤ん坊のことをあやしていた』」



 なんてことのない古い話。シェルガド皇国の一部にだけ残されている、不死鳥が討伐された際にあったとされている話の一部だ。



 不死鳥と戦った英雄の話は、シェルガド皇国のいたるところに残されている。

 地域によっては、ラグナが語ったような小話もあった。



「……妙に引っかかる。どうしてレンが開かずの扉を開けられた? それに、冒険家アシュトンだって?」



 ロマンと叡智を求めて止まないシェルガド人は思う。

 天空大陸に伝わる昔話の一端と、この孤児院の存在に対して……そして、レンが言い残した『冒険家アシュトン』の言葉を思い浮かべながら。

 これらすべての話は、繋がっているのではないか――――と。



「いろいろと、調べてみるのもよさそうだ」



 彼はこのあと、神秘庁へ帰参した。

 軽く身支度を整えると、部下たちに「少しの間席を外す。調べ事だ」とだけ告げた。



「せっかく孤児院に入れるようになりましたのに、よいのですか?」


「別に気になることができたんだ。なるべく早く戻るから、お前たちも慎重に作業を進めろ。壁画などに傷をつけてみろ。今後七十年はキレ散らかしてやるからな」


「はぁ……わかってますから、どうかご安心を。そもそも七十年後だと、私たちの多くが老衰でこの世におりませんが」



 言い方はきついが、声はいつも通りだし話を聞く部下は笑っている。

 ラグナの部下は彼が一人残らず、直接面談をしている。ラグナも部下の仕事ぶりを疑っているのではなく、癖のように、笑いを交えて言っただけ。



 ラグナは相応以上の成果を出すから、急に姿を消しても神秘庁が咎めることはない。

 今宵、新たなる叡智とロマンを求めて、



「行くか」



 彼は一人で神秘庁を出る。

 着なれたローブと巨大な鞄を背負った、噂の旅人の様相を呈して。

 とある情報、、、、、に彼がたどり着くまで、あと一か月もない日のことだった。



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