【1巻発売記念SS】秋のはじめの出来事(3)
リシアは夕食を終えてから再びサロンに赴いた。ユリシスが予約を埋めていた、あのサロンへだ。
どうして戻ったのかと言うと、セーラに誘われたからだ。
「絶対に怪しいわ! 何か隠してるに違いないと思う!」
例の金の流れに強い違和感を抱き、その話をすべく呼んだのだ。
また、ここに呼びつけられたのはリシアだけじゃない。
夕方共に話をしたフィオナとも情報共有がしたかったから、セーラは派閥は違えどフィオナにも声を掛けていた。というかフィオナがいなくては、他二人ではこのサロンに足を踏み入れられない。
英雄派でありながら中立派のリシアと懇意なセーラらしく、派閥に捉われない姿勢が伺える。フィオナに対しても、やや緊張がほぐれているのがわかった。
ソファに座る三人が話をつづける。
「……リオハルド様? 私もリシア様も例の件は疑わしいと思ってますが、リオハルド様はどうされたいのですか?」
きょとんとした様子でフィオナが問いかける。
「夏の騒動から間もないんですから、もっと本腰を入れて調べるべきなんです!」
「え、ええっと……?」
「セーラ、フィオナ様が困ってるじゃない」
今日、何度目かわからないため息を漏らしたリシア。
「あたしが言いたかったのは、不正の疑いがあるならもっと調べるべき、ということです! もしも不正な金が魔王教に流れていたらって思うと、いてもたってもいられませんっ!」
その気持ちはリシアもフィオナも理解できるのだが、彼女たち二人にはある確信があった。
今回、魔王教は関係していない。
確信できた理由は一つ。ユリシスたちの動きが鈍いからだ。
…………ですよね、フィオナ様?
…………はい。リシア様のお考え通りかと。
二人は声に出すことなく、目配せだけで考えを共有した。
夏の騒動を経てからというもの、二人の間には譲れない感情はあっても、以前のような硬さは幾分か鳴りを潜めていた。
「イグナート嬢もそう思いませんか?」
「え、えっと……お気持ちはわかるのですが、リオハルド様はどのようにお調べさなるおつもりなのでしょうか……?」
困った様子で苦笑いを浮かべたフィオナがリシアにも目を向ける。
もうリシアには、「諦めてください」と答える以外の選択肢はなかった。
「もういっそのこと、ノーマン商会の会計を事細かに――――」
「どういう名目で調査に入るのよ。下手に疑いをかけて何も見つからなかったら、それこそ面倒なことになるわよ? そもそも表立って調べられる範囲の会計から、不正の証拠が明らかになるはずないじゃない」
ユリシスやレザードのような者が徹底して追えば、いくら表では隠れていようと今回のように疑惑が生じ、不正確実とまで言えるようになる。
だが、ここにいる三人では諸々の力が足りていないのが現状だ。
「う、うぐっ……だからそれは……」
「いわゆる不正なお金の流れは疑えても、なぜお金を渡したのか、その必要がなぜあったのか調べておかないと、動こうにも動けないでしょ。私たちが動くっていうのを、お父様たちがお許しにるはずもないわ」
「やっぱり、ダメよね……?」
「セーラが幼い頃、ヴェインとかいう男の子に救われたことを思い出してごらんなさい。同じ無茶をするっていうのなら、さすがの私も止めるからね」
旺盛な態度を保っていたセーラもそれには何も言えず、牙を抜かれたようにしょぼくれた。
「もう……一応聞かせて。セーラは何をするつもりだったの?」
「……お父様から、ノーマン商会が秘密裏に買い付けた品を聞いたの。そこから何か調べられないかと思って……」
リシアとフィオナが互いの顔を見た。
何か手掛かりを聞いてきたのなら、最初に言ってほしかったものである。
フィオナは仕方なそうに、リシアは再びため息交じりに笑った。
「リオハルド様、よければその品のことをお教えくださいますか?」
いつしかテーブルの上に突っ伏していたセーラが、リシアに窘められて間もないとあって力が抜けた様子で言う。
「地ならしに使うような魔道具と、地面を硬化させるための薬剤などです」
「それだけですと、魔導船乗り場の拡張に使うための資材に思えますね。街道整備などでも使えそうですから、特に不審な点はないように思います」
「でも、それらの工事に必要な品はすべてガルガジア子爵が用意していたようなんです」
「あら……でしたらどうしてでしょう……」
頬に手を当てて考えるフィオナは、それだけで絵になる。
思わずその横顔に見惚れかけたリシアが
(自分たちで使うためなのか、売るためなのか……それ次第かしら)
リシアは一度、前者として考える。
「自分たちで使うために購入したのなら、やっぱり変ね。商会の規模にそぐわない資金を払った後で、またお金を使うようなことをしてるんだから。どこからそのお金を得たのかしら」
「私もリシア様と同じことを考えておりした。今回浮き彫りになったお金の流れと無関係とは思えません」
問題は、そこから関係性を調べるのが至難を極めることだ。
彼女たちはその事実に頭を悩ませた。
◇ ◇ ◇ ◇
『実はだな――――』
何かを言いかけたラディウスは、対面に座るレンと自分の間に置かれたテーブルの上に、ガルガジア周辺の地図が広げていた。
二人の間で、不正な金の流れについて触れられた後のことだった。
「これは?」
「ガルガジア領周辺における、数百年昔の地図だ。見ての通り、地下には古くから温泉水が流れている。そのためこの辺りは、古くからそれらの湯を楽しむ場も設けられた過去がある」
説明するラディウスの指先が、ガルガジアの町の傍にある山に向けられた。
「温泉水が複雑に交錯する地下水脈が存在した。百年以上前までは、エルフェン教徒らの旅路にもよく使われた場所で、湧き出る温泉が人々を癒したと聞く」
「百年以上前までってことは、もう湧いてこないんだ」
「ああ。古くからの地権者一族はそれを嘆き、再び湧き出ることを祈りつづけている。代替わりしても変わらず、いまに至ってもな」
昔は温泉水が湧き出たことで儲け、そこいらの貴族よりずっと金を持っていた。
が、それがなくては設けることはできず、土地を保有することによる税ばかりを支払ってきたことがわかっている。
「ガルガジア子爵は当初、山全体を買い取るつもりだった」
「でも、過去の栄華を忘れられない一族がそれを断った」
「その通りだ。周辺の土地を保有していた者たちは長くとも、温泉水が湧き出なくなった数十年後には土地を売っている。此度の地権者一族だけが、願いつづけて土地を保有してきたのだ」
既定の税も支払っていたから、帝国やガルガジア子爵も文句はなかった。
「だが今回、公共の事業となるためすべては断れず、更に地権者は提示された金額が相場より高かったことから、仕方なく一部の売却に応じたそうだ」
「さっさと山を売り切っちゃえばよかったのに」
「私もそう思うが、意外にも地権者一族の願いは叶ったということさ」
「うん? また温泉水が湧く可能性があったとか?」
ラディウスが首を横に振った。
温泉水が湧く可能性はいまも皆無だそう。
「地質調査を担当したノーマン商会と地権者一族の間で、別の話が浮上したようだ」
別の話というのが何なのか、レンはあまり迷うことなく気が付くことができた。
レンはそんな自分の成長を感じる。昔ならこんな腹芸じみたことや企てに関しては門外漢だったというのに、意外と経験値を積んでいたようだ。
「――――へぇ、もう裏は取れてるの?」
「調べてみないと断定できんが、取ったも同然だ。残るのは不正と思しき金の出所だが、
「それ、ラディウスも手を出すつもりなんだ」
問いかけに対し腕組みをしてみせたラディウスが、口元に手を当てた。
椅子から立ち上がった彼はレンに背を向け、部屋の中を歩きだす。片隅に設置されたバースペースで自ら飲み物を注ぐと、それを二人分手にしてレンの下へ帰る。
「ありがと」
「構わん。して、手を出すのかという問いに対してだが――――」
席に戻ったラディウスは、端麗な顔立ちに涼しげな笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝は招待客たちが魔導船乗り場に足を運んだ。
パーティの前に竣工式というわけではないが、似たような催し事が行われていた。
1・5倍の規模に拡張された魔導船乗り場は、この式典ですさまじい賑わいを見せていた。町中にもその余波が届いていた。
『この度は、皆皆様の――――』
よくある挨拶の言葉を、齢七十を超えたガルガジア子爵がしゃがれた声で口にする。
リシアたちはそんな中、魔導船乗り場の建物内に居た。
汚れ一つない巨大な窓から、拡張済みの魔導船乗り場を隅々まで見渡せる。
管制塔が如く施設の中に特別な席が設けられ、そこから式典の様子を見ることができた。
三人の令嬢たちは昨日の縁あって、今日も共に過ごしていた。
父たちとは別の特別席から、じっと外を眺めながら。
「セーラったら、まだ不満そうなのね」
「だって、調べたら不正が明らかになるのよ? イグナート嬢もそう思われませんか?」
「ええ。間違いなくそうできると思いますが……」
リシアもフィオナも、勝手なことをして皆に迷惑をかけることは本意じゃないのだ。
だが、
(こういうとき、レンだったら)
彼は間違いなく、彼自身の正義に則って動くはず。
一方でリシアに正義感がないわけではない。
彼女は貴族の責をよく理解して、ときに自己犠牲を惜しまずに動ける、まさに聖女然とした少女である。
だが自分たちが勝手に動くことで、場を悪化させることを危惧している。
彼女の逡巡を悟ったのか、フィオナが「リシア様」と声を掛ける。
「一度、私たちの家族に話してみるのはどうでしょう?」
フィオナもリシアと同じ思いだった。
三人の父たちがきっと動いていることは承知の上だったが、自分たちも無視したくない話だ。
何もせずじっとしていることは、彼女自身の心が許さなかった。
「お父様たちに私たちが気が付いたことを話してみて、判断を仰いだ方がいいですね」
リシアが答えた。
三人の父は別の特別席にいるため、まずはそこへ向かわなくてはならない。
彼女たちはいままでの特別席を離れ、別の部屋に設けられていた特別席へと足を運ぶ。
今回用意された特別席はこのようにいくつかあった。
派閥が違うのに集まっても平気なのかどうかについては、あまり気にならない。
大きな事業では、今回のように貴族が派閥を問わず仕事に従事することがあるためだ。
故にわざわざ、式典でいがみ合うような姿を見せるようなことは滅多にない。
特に、この三家の場合は殊更だった。
別室の特別席に居た父を訪ねた令嬢は各々が自分の父の下へ向かい、気が付いたことを告げる。
三人の父は誰も驚かず、娘たちの言葉を真摯に聞いていた。
すると、ユリシスが代表して口を開いた。
「ははっ! 三人が揃うと頼もしいね!」
皆が彼に注目する。
リシアとフィオナは知っていた。いまのユリシスの態度が、普段と違い演技交じりだということを。
そして、この状況が彼の想像の範疇にあったということを。
「では私から提案だ。ノーマン商会と地権者の間で、どのような不正が行われたのか。それを大人の協力なしで暴けるかどうか、是非、我々に見せてほしい」
「お、お父様!? 急に何を仰ってるんですか! 私だけではなく、リオハルド家とクラウゼル家にもご迷惑をかけるようなことを仰らないでくださいっ!」
すると、エルクが答える。
「そうでもない。私としてもセーラが勝手に動かないでくれるなら、止めるべき話と考えていない」
「イグナート嬢、実はこのレザードも同じ考えでございます」
三人の父がそれぞれ否定の意を示すことなく、ユリシスの言葉に応じていた。
それが、ユリシスの娘からしてみれば違和感でしかない。彼女は父の顔をじっと見つめ、その瞳の奥に真意を探った。
けれど探らせないのが剛腕ユリシス・イグナートである。
「もう……お父様は何をお考えなのですか?」
「色々なことをさ」
「その色々をお教えいただきたかったのですが、どうせ教えてくださらないんですよね?」
ユリシスは肩をすくめて苦笑いを浮かべるばかりで、それ以上のことを口にしない。
これ以上の質問は無意味だ。
「フィオナ様、どうしましょうか」
「うん……あたしたちだけで調べていいって言われると、それはそれで本当にいいのかって思っちゃいますよね……」
リシアとセーラの反応を見て、フィオナがユリシスから意識を離す。
三人は顔を見合わせた。
「どうやら私の父と、お二方のお父君には何か考えがあるみたいです」
隠された考えを聞きたいところではあるが、どうせ聞いても教えてくれない。
自分たちの娘――――それも皆が皆、立場ある令嬢に違いない。それなのにあのような提案すること自体が、一般的な貴族の考えからかけ離れていた。
が、あくまでも一般的な貴族の場合だ。
ユリシスの場合、何をどう考えても一般的な貴族ではない。
レザードの場合、彼もまた様々な経験を積み、実力を増しつづけている。ユリシスも認める実力ある貴族だ。
エルクに至っては、七大英爵家が一つの当主にして、七英雄の中でも雄々しい剣の使い手だったガジル・リオハルドの末裔なのだ。
ふぅ、と息を吐いたセーラが言う。
「――――戸惑っちゃったけど、悪くない話よね。お父様たちがあたしたちに調べていいっていうのなら、調べちゃえばいいだけよ。七英雄が救ったこの国で不正を行うなんて、このセーラ・リオハルドが許さないわ」
強い口調で言い放ったセーラに対し、リシアが頷いた。
(――――そうよね)
さっき、レンならどうするだろうと考えた。
彼のように自分も動いていいのなら、迷うことなく動くべきと思った。
「フィオナ様は構いませんか?」
リシアに尋ねられたフィオナだってそうだ。
彼女も他でもないレンならどう動くかを考えて、彼に倣う。
「もちろんです。三人で力を合わせましょう」
急転した状況にありながら、はっきりしていることがあった。
三人の父たちは明確な目的があって三人を促し、いまの状況を作り出した。
こんなのは、今更になって言うまでもないことかもしれないが……。
リシアとフィオナ、それにセーラの三人は大人たちの考えを少しずつ看破していく中で、それでも乗ってやろうという気概に溢れた。
目の当たりにしたも同然の不正を、ここまでお膳立てされて「お父様たちに任せます」と答えるつもりはない。
だから、彼らの思惑に乗るからには不正の真実に近づいてみせる気でいた。
――――これがもしも七英雄の伝説であったなら、なんていうのはただの妄想に過ぎないのだが、そうなっていたらきっと、
【サブクエストが発生しました】
・『不正な金の流れ 難易度:★☆☆☆☆』を受諾しますか?
〈はい〉/いいえ
◇ ◇ ◇ ◇
「エドガー、後は任せたよ」
「お任せください。他の者らと連携し、お嬢様たちが貴重な経験をする機会を見守って参ります」
箱庭と表現するのは些か意地が悪いかもしれない。
故にこれは、勉強をする機会とだけ表現しておけばいい。
ユリシスは兼ねてから、いつまでも自分が娘を守れるとは思っていない。人はいずれ死ぬ、その考えの下で、彼はフィオナが様々な経験をできるよう計らってきた。
此度の一件も、せっかくだからその機会にしてしまえばいいと思ってのことである。
またレザードもエルクも、その考えに否定的じゃない。
大人が責任を取れて、安全を保障できる状況下であるのなら、彼女たち三人の成長に繋がるだろうからだ。
「派閥を超えて、娘たちが手を合わせるとは」
エルクが肯定的とも、否定的ともとれる複雑そうな表情を浮かべて言った。
「当家のリシアはお二方と懇意にしていただいております。それ故、中立派の私としては喜ばしい状況でございます。甘いと言われても、我らはレオメルのための貴族でしょうから」
理想論と言われるかもしれないが、最良なのは派閥を問わず協力できること。
そんな未来を夢見て口にしたレザードの言葉を、皇族派と英雄派の二人は静かに聞き入った。
――――特別席を出て、ガルガジアの町中へ向かった令嬢たち三人。
彼女たちを秘密裏に護衛すべく特別席を出たエドガーの下に、此度は同行していなかったはずの部下がやってきた。
「おや? どうしてここに?」
「某所より、ご連絡が届いております」
「預かりましょう」
部下から預かった手紙を開き、中を確認する。
すると、エドガーは「ふふっ」と執事然とした柔らかな笑みを浮かべた。
「どうやら、
と、彼は意味深に呟いた。
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