第52話 蛇比礼

「くそっ! 万事休すかよ」



 絶体絶命の状況にオオナムジは叫んだ。



 「蛇の試練」、話には聞いてはいたが、これほどとは思わなかった。

 部屋を埋め尽くす、蛇蛇蛇。


 この部屋に入った最初は、足の踏み場もあったのだが、気が付くと彼は部屋の片隅に追いやられていた。


 ここに入る前に、丸腰にされているため、武器は無い。

 一匹一匹であれば、対処できそうではあるが、これだけの数となると、素手でどうにかできるものではない。


 やむを得ず、神力で身辺に結界を張り、なんとか噛まれるのを防いでいる状況だった。


 暗闇の中に光る眼。万はいるのでは、という群れが、一斉にチロチロと舌を出したり引っ込めたりしている。



 彼の神力が切れるのを待っているのだ。


 結界が切れた瞬間に襲ってくるだろう。



 消耗を防ぐため、結界の範囲を小さくしてはいるが、いつまでも、もつものではない。このままでは遠からず――



 そんなときだった。



 急に目の前に金色の大きな大きな蛇が現れ、他の蛇を威嚇する。

 蛇たちは大蛇に逆らえないようで、部屋の片隅に戻ってゆく。



『よかった。どうやら間に合いましたね』


 オオナムジの頭の中に、聞きなれた、優しい声が響く。


「スセリ、君なのか!?」


『はい、私です。』


「その姿は? 君は蛇の神様だったのか?」


『いいえ、これは、蛇比礼の呪いの力ですよ』


「呪いだって? 大丈夫なのか?」


『そうですね……この姿、一度なってしまっては戻れないのです』


「そ、そんな、どうして!?」


『オオナムジ、貴方が好きだから、ではいけませんか?』


「いや、それでも、困る、困るんだけど」


 どうしてか、彼女のこの行為で示された好意をそのまま受け取れない。


 中つ国に残してきたヤガミヒメへの誠意なのか、あのスセリの妹タギリもいるからか。


 いや、なんだか他にも、長い黒髪の乙女、後ろ手に纏めた栗色の髪の乙女、魅惑的なそばかすの乙女、短髪の小柄な乙女の顔が次々と浮かぶ、彼女たちは何なのだろうか?


 そもそも、神婚は、複数の女神と交わしても問題ないという。

 彼は、自分がなぜ困るのかが、一向にわからなかった。



『仕方ありません。少し私のお話を聞いてくださいませ』



 頷くオオナムジ。


 彼女は語り始めた。


 ……


 私の母様、クシナダの国は、中つ国にあって

 常に外敵の脅威に脅かされていました


 そして、ある時、四方の国から同時に攻められ

 存亡の危機に陥ります


 クシナダはアマテラスに祈りを捧げます

 そして与えられたのが、『蛇比礼』でした


 身に纏うことで、あらゆる敵から身を守る力を得る神宝

 しかし、一度身に着けると元の姿に戻ることはできない

 とも教えられました


 人々の涙を見て、彼女は決断します

 大蛇の姿となっても、この国を守るのだと

 たとえ元の乙女の姿に戻れずとも、と


 蛇の比礼をまとう彼女

 その姿は、瞬く間に、山のような大きさの大蛇となります


 相手も神の軍勢でしたが

 大蛇となったクシナダの敵ではありませんでした


 今や彼女は国を救った英雄神


 ですが、国の民はその姿におそれを抱いたのです


 飛んでくるのは感謝の声ではなく弓

 手の代わりに差し伸べられるのは剣と槍


 クシナダは、守った国の民に裏切られた

 彼女はひどく傷つきました


 どんなに言葉で説いても

 反撃せず、非戦を貫いても

 ただその姿形だけで、敵意が向かってきます


 後から後から



 繰り返し向けられる憎悪に

 とうとう彼女は心を失いました



 そして目の前の全てを一瞬で薙ぎ払うのです

 もはや、彼女を止められるものは、いませんでした


 荒れ狂い、田畑を、人家を、国を焼きつくす


 人々の憎悪を吸って、その姿はいつしか

 八つの首を持つ大きな竜となります


 悪神『ヤマタノオロチ』の誕生です



 中つ国は彼女により、焦土と化しました



 どうしてこうなってしまったのか

 彼女はこんなこと、望んでいなかったのに


 ……


 そんな時、天の国、高天原から一人の男神おがみが降り立ちます

 彼は、中つ国の荒廃を悲しみました

 そして剣を片手に、彼女の、ヤマタノオロチの元へと

 やってきます


 当然、剣を持つ彼と、心を失った彼女の始まりは

 戦いでした


 彼女は、一撃で彼をしとめるつもりでした

 これまで葬ってきた勇者と名の付くものと同様に


 しかし、そうはいかなかった


 彼の剣技はそれまでの敵とはくらべものにならないものでした

 こちらからの攻撃はことごとく躱され

 彼女の首は次々落とされてゆきます


 なかなか首が再生しない

 彼女は衝撃を受けます


 彼の手にするは神の祝福を受けた最高位の霊剣『十握剣とつかのつるぎ

 持ち主の神力と相まって『蛇比礼』の力をも上回るものだったのです


 そして、七つの首が落とされ、最後の1つとなった時

 オロチは、クシナダは、終わりを悟りました


 そんな彼女に向けて天から振り下ろされる神々しい一撃

 彼女は思わず目を瞑ります

 

 ……?


 なかなか来ない一撃に彼女は訝しみ、目を開けました

 剣は寸前で止められていました


『なんで 泣いてるんだ?』


 その持ち主は、彼女の目の前で、彼女をじっと見ながら

 尋ねます


 彼女は自分が涙を流していることに気が付きました


『悲しいのか?』


 重ねて尋ねる優しい声

 彼女は答えます


『望んで至った、この姿

 されど、故に心は何人とも、通じず

 言葉の代わりに向けられるは、剣、槍、弓

 妾は体のみならず、心まで化け物と成り果てました』


 彼は言いました


『何と、惨い』


 この一言で彼女は救われました


 そしてこの勇者にであれば、討たれてもよいと

 そう考えたのです


『勇ましき人 さあその剣で

 妾を滅ぼしてくださいませ』


『できない』


 彼は剣を納めていました。


『ど、どうして?』


 彼はオロチの顔に触れながら言うのです


『お前の、その澄んだ心に、触れてしまったからな』


 そして彼の口がそっとオロチの頬にふれたのです。


『わ、妾を愛してくださると……』


 気が付くと、彼女は乙女の姿に戻っていたといいます。



 ……



『私を……愛してくださいますか?』


 頭に彼女の、スセリの声が響く。


「……俺は、君のことを、愛する」



 このオオナムジの言葉で、彼女の姿がもとにもどってゆく。



 乙女の姿に戻った彼女は首から下げた布しか身につけていなかった。

 気づいた彼は、自分の上着を彼女の肩にかける。



「でも、ちょっと計画的過ぎないか、スセリ。俺に選択肢無いと思うんだけど」


「こうでもしなければ、オオナムジはこたえてくださらないでしょうと、おばあ様からの入れ知恵です」



 彼女の悪戯そうな笑顔はとても綺麗だった。

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