第6章 蜂比礼 ~消える少女

第91話 黄色のあの子

「こ、こら佐保理さおり、そんなにくっつくなって……」


「えー、ダーリン折角二人きりなんだしいいじゃない~」


 暗闇。

 二人きり。

 至近距離。


 ささやき声とともに、無邪気に耳の後ろに吹きかけてくる彼女の吐息が、何というか、危険が危ない!


「お願いだから、もうちょっと離れてください……佐保理さん……このままでは俺が間違いを犯してしまいそうな心境なんです」


 ささやき声で、両手で彼女の両肩をがっしり掴んで引き離す。


「犯しちゃおう、犯しちゃおう、ダーリン、ねっ、ねっ」


 そう言って、気の抜けた両手を振りほどくと、佐保理は、前進して虎の体に覆い被さり、体重を載せた。


「すりすり~♪」


 そのまま、頬をこちらの頬にすりすり……すりすり……。

 顔にかかる彼女の髪はくすぐったく、さらに彼女の体の良い匂いが鼻孔をくすぐってくる。


「ダメだって、ダメだって~~~」


 精一杯小さな声で抵抗の意思を示すが、もう虎城の陥落は目前に思われたその時!



 ♪ ♪♪ ♪♪♪ ♪  ♪ ♪



「「!」」


 隣の部屋から、ピアノの音が聞こえてきた。

 どこかできいたことがあるような、ないような。

 しかし、これは確かに何かのメロディ、この世に存在する曲。


「佐保理っ!」


「ダーリン!」


 視線を交わし、互いに頷く。

 そして、隣の部屋に続くドアを、音をたてないように気をつけながら、少し開いて様子を窺う。


 やはりそうだ。


 ピアノのフタは開き、さきほどからのメロディはあきらかにそこから聞こえてはいるが、ピアノの椅子には誰も座っていない……。


「マジか……」


 佐保理が手をギュッと握ってきた。

 怖いらしい。



 今いるのは音楽準備室。

 音楽室の隣の部屋で、音楽室からしか出入りできない。

 楽器がしまわれており、楽譜の並んだ棚もある。


 二人でどうしてこんなところにいるのかは、例の未解決の七不思議『誰もいない音楽室からピアノの音』の調査のためである。


 あまり大勢だと、犯人が警戒するかもしれない、という波瑠の意見で、他のキョウケンメンバーは、もうひとつの未解決七不思議『クラスの人数があわない』の調査をしている。


 虎は肉体労働要員だからと、波瑠の一声でこちらの七不思議担当に決まったのだが、もうひとりについては、モメにモメた上で日替わりの持ち回り制となった。


 今日は、佐保理が相棒パートナーの日。


 調査開始から、ここ数日、毎日入り浸ったため、放課後練習で利用することの多い吹奏楽部の面々には顔を覚えられ、挨拶も交わす仲になっていた。

 二年から転校してきた身の虎としては、知り合いが増えるのは嬉しい。


 吹奏楽部の練習を見学し、それが終わった後に準備室に隠れて、一時間程様子をみてから、帰宅する生活。

 部活があるせいなのか、全然怪異は現れず、音楽には全く興味がなかったのに、いつの間にか、楽器の種類と音が一致するほどのレベルに達してしまった。


 今日は、吹奏楽部がお休みとのことで、早い時間から隣の準備室に隠れて見張っていたのだ。

 何でも、最近の世間での『吹奏楽部=ブラック部活動』の風評から、保護者会で指摘があり、学校側が休みの日を設けたとのことである。

 確かに、あんなに毎日遅くまで練習していて、しかも土日も練習というのは、ナントカ基準法に引っかかってもおかしくなさそうだ。

 夢に向かって、全員一丸となって頑張っている彼女達にはたまにはゆっくり休み鋭意を養って欲しい。


 さて、こんな日だからこそ、犯人が現れるかもしれないと期待していたのだが、案の定だった――




「佐保理、準備はいいな」


「うん、ばっちりだよ、ダーリン!」


「頼んだぞ、現象の解明は佐保理にかかってるからな」


「ちょっと怖いけど……ダーリンが守ってくれるなら、怖くない!」



 暗くてもわかる彼女の満面の笑顔。



 呼吸をあわせる。

 そして二人は、静かにゆっくり扉を開けると、無言で音楽室になだれ込んだ。



 七不思議現象が発生した時の対応指示は、波瑠はる先輩から下されている。


 犯人が音楽室内にいる可能性があるから、周囲を確認しつつ、まずは一名が音楽室唯一の出入り口を塞ぐ、これは逃亡時に襲われる危険があるから虎の役目だ。


 周りを見ても人影は無い。

 警戒しながら八握剣やつかのつるぎを構えて扉の前にたつ。



 もう一名は現象の確認が役割。

 遠巻きにして様子を見、現象を把握、状況により接近し、現象の解明を行う。


 以前の虎の意見のように、オーディオプレイヤーでの悪戯の可能性もあるが、十種所有者による何かである可能性も捨てきれない。

 ともすれば、罠である可能性もあるため、担当者には慎重さが求められる。

 いざというときに、機転の利く佐保理はこの役目に適任だろう。


 彼女は、虎が配置についた後、少しピアノに近づき、じっと、鍵盤を眺めたまま固まっている。



 バラード調の優しいメロディ。


 演奏は途切れず、続いている。

 まるで、こちらのことなど気付いてもいないように。



 いくら静かに準備室側の扉を開けたとはいえ、虎が音楽室の真ん中を突っ切って出入り口走ってゆくのは、室内にいるのであれば目に入ったはずだ。


 やはり、何かで自動演奏している?

 その割には、ピアノの音は、自然に、まるで目の前で鳴っているように聞こえる。



 見つめる佐保理の表情は堅く、ただならぬものを感じる。

 どうしてオーディオプレイヤーを探さないのか、彼女は?

 何が見えているのだろう?

 虎の側からは全く見えない。


 それにしてもこの曲。

 どこかできいたことがある。


 ピアノアレンジされてはいるが、この旋律……もしかして。


 そうだ、ここでヒロインの騎士が手に持つ剣を振りかぶり、あの一撃を放つ。


 オープニングだ! 間違いない!



「『デスティニー・ドリーミー・ナイト』か!」



 思わず大声で叫んでしまっていた。

 毎週楽しみにしている深夜アニメのタイトルを。



「ダーリン!?」


 突然のことに、佐保理が驚く。

 しかし、反応したのは彼女だけではなかった。


 ピアノの音が止まる。



「「えっ!?」」



 変化に気付いた虎と佐保理二人の目の前に、ピアノの椅子の上に、いつのまにか彼女はいた。


 セーラー服の上に、ショート丈の黄色いパーカーを纏う短髪の少女。

 鍵盤の上で手を止めて、無言のまま出入り口の前にいる虎の様子を窺っている。



「き、黄色、お前だったのかよ!」



 謎は解けた。

 やはり、彼女の十種は、姿を消すことが自在にできるのだ。


 蒲生がもうと武道場で戦ったとき、学年棟三階で生駒いこま率いる全校生徒と戦ったときを思うと、そうとしか考えられない。


 生徒会のうち、蒲生がもう冬美ふゆみ生駒いこま徳子のりこの十種は能力が判明している。

 となると、彼女の、黄色の十種に違いない。


 ……これは、波瑠先輩の推測だったが、どうやら的を射ていたらしい。


 調査開始する時に、どうせならと、こっそり蒲生にも声をかけてみたのだが、『生徒会の仕事もあるので』と微妙な反応だったのも納得である。

 知っていたのだろう。



「……」


「な、何だ」


 虎に声をかけられた後も彼女は沈黙を守っていた。

 そしてじっと虎の方を見ている。


 正体がバレたのだから、もう少し狼狽などしても良いものではないか?

 虎の心が不審に染まったその時――



「『デスティニー・ドリーミー・ナイト』……好きなのか?」


 黄色の唇から、発せられた意外な言葉。



「当たり前だろう! 古の英雄達が集い、願いを叶える力を持つ姫を巡って繰り広げる熱いバトル! いや、これは好きとかじゃないな。もはや俺は愛だとすら思っているぞ」


「ダーリン、熱いよ、熱すぎるよ……」


 佐保理のツッコミに我に帰る。

 そうだった、これは七不思議の調査、いったい自分は何をしているのだろう。


 しかし、この場合、どうするのが正解なのか?


 生徒会会計の彼女を取り押さえる?

 ただピアノを弾いていただけなのに?


 考えてみると、誰も迷惑していないのだ。

 現象に出くわしたことのない吹奏楽部の部員達は、怖がることはなく、むしろ一緒にアンサンブルしてみたいと全員ノリ気だった。


 それに、そもそも相手は生徒会。


 ……


「じゃあ、エンディングも弾いてあげるよ」


 黄色は、固まる虎にそう言うと、再びピアノに向かった。

 

 アニメのエンディング曲は元々バラード調なのだが、ゆったりとしたテンポのピアノにするとさらにそれが際立つ。


 やっぱり良い曲だ。

 全てが最高なんだよな、あのアニメは。


 ふと隣を見ると、佐保理もうっとり聞き惚れている。


 そして、最後まで聞き終わり、満足した時に気付く。



「これまだCDとか出てなくないか? ネットに楽譜とかあるのか?」


「うん? 全部耳コピだよ」


「耳コピって、聞いただけで、ここまで弾けるってことか?」


 仲良くなった吹奏楽部の部員と話した時に話題に出ていた。

 『耳コピ』とは、テレビ等で聴いた曲を楽器の音に分解し、自分で楽譜を作り上げることだという。

 耳で聞いたものをコピーするイメージだから、略して『耳コピ』。



「会長が言うには、『絶対音感』ていうのがあるらしいんだ、アタシ」


「凄いな、黄色」


 吹奏楽部の部員曰く、『絶対音感』とは正確な音の高さがわかるという伝説級のチートスキル。

 吹奏楽部員でもめったにいないのだという。

 もちろん虎には無いから、何だか凄そうだということしかわからない。



「黄色じゃない」


「えっ?」


「ちゃんと名前がある、細川ほそかわいぬい


「ごめん、いぬい


 虎がそう言うと、彼女は満足そうな顔をしていた。


「ありがと、とらきち」


 隣に佐保理がいるにも関わらず、不覚にも虎は思ってしまった。

 彼女の笑顔を、可愛い、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る