第90話 真実 2

「浅井先輩、確かに、ぬいぐるみに見覚えがあります。八重のものに違いないんです。このジュースのしみ、私と遊んでこぼした時のだ……八重……」


 菊理は、そう言いながら、ぬいぐるみを抱きしめた。

 市花が、既に目を赤くしている菊理の髪を優しく撫でる。


 一見その穏やかな情景に気を取られて忘れてしまいそうになったが、やっぱりわからない。


 ここが、彼女の、諏訪八重の部屋。

 菊理が彼女の痕跡に納得する以上、間違いはなさそうだが、どうして市花の母親の実家にそれがあるのか?

 市花はどうしてこれがわかったのだろう?



「秋山くん、疑問に思っていますね」


「な、市花、俺の心読めるのか!?」


「わかりやすいですからね、いつもどおり顔に出ています。でも疑問に思えるというのは秋山くんが賢いということですよ。賢い人は何か分かったとき、分からないことも同時に分かるものなのですから」


「何だかとても哲学的で理解しがたい難しさがあるが、とりあえず褒められたと思っておくぞ、市花よ」


「ええ、褒めていますよ。では褒めついでに種明かしを。あ、声は小さめでお願いします……綾さん、実はバツイチなのです」


「バツイチって……離婚してるってこと……か」


 あんなに心やすい、感じの良い女性であるのに、何があったのだろうと虎は考えてしまう。



「ええ。そこはあまり追求しないであげてくださいね。きっといろいろあるのです」


「そうだな……」


「ありがとう、秋山くん。それで、単刀直入に言いますと、綾さんが結婚していた頃の姓が、諏訪すわ、なのです」


「苗字が一緒なのか」


 しかし、苗字が一緒なだけでは、ちょっと弱い気がする。



「彼女は、結婚したときに、一度この家を出ました。その後、夫の仕事の都合で県外に引っ越しています。そして、離婚とともに、この家に戻ってきたのです。それが丁度二年前くらい前のこと」



 そういえば、諏訪すわ八重やえも、一度引っ越している。



「病院に私が検査入院していた頃のことです」


「え!?」


「それじゃ、八重の従姉妹って、浅井先輩!?」


 これには、菊理も反応した。



「本当にごめんなさい、菊理さん。私には全く八重さんの記憶が無いのです。だから全てはもっともらしい憶測です。ですが、あなたが言うのであれば、きっとそれが真実なのだと思います」


 道理で、あの夜、屋上で菊理に間違えられたはずだ。

 叔母である綾さんだって、今日出会った時に気が付くレベルで似ているのだ。

 年の近い従姉妹同士ならば、なおさらだろう。



「菊理さん、あなたが、私が八重さんに似ていると言ったことは、私に見たことが無い従姉妹の存在を感じさせたのです。ここに来る度に、謎に思っていたこの部屋のことを思い出させるほどに」


 身に覚えの無いものがある自分の部屋。

 しかも、なぜかそれは自分の家ではないところにある。

 不思議に思わないほうが難しい。



「苗字の一致に、二年前の私、記憶に無いこの部屋、ひとつだけであれば、何も思わなかったかもしれません。しかし、三つ重なったとき、私はそこに因果を見いだしたのです」


「浅井先輩……」


「どうして忘れてしまっているのか、わかりません。しかし、あなたを止めようと強く願ったもうひとりの私は、きっと八重さんなのだと、今はそう思えます」



 小柄な二人の乙女が、肩を寄せて折り重なっている様子。

 八重という子と、菊理もこんな感じだったのだろうか。



「八重……確かに、苗字は気にしたことがありませんでした。あの子、ひょっとしてお母さんだけになっちゃったのも、寂しかったのかな」


「そうですね。綾さんは身内であることを差し引いても、魅力的な女性であると、私は思いますが、当時は引きこもるようにされておりましたので、八重さんのことを構ってあげられるほどの心の余裕は無かったでしょう」


 自分が大変なときは、なかなか人のことは考えられない。

 虎は、十種のことで我が身を振り返り、ひとり納得する。



「こんなこと言うのも悲しいことですが、綾さんのことで心ないことを言われることもあったかもしれません。そして、たくさんの綻びがより集まって八重さんを辛いめにあわせたのではないかと」


「八重……」


「ごめんなさい。このくらいにしておきましょうか。全ては推測に過ぎませんし。事実であるとしても、既に起きてしまったことはどうにもなりません」


 市花は、ここで、下を向き、深いため息をついた。



「ただ、考えることは無駄ではないと、私は思います。八重さんという一人の少女の消失。これは明らかに常軌を逸した現象。今は全くその全貌がつかめませんが、考え続ける限り、必ず真実は明らかになるはずです」



 言い聞かせるような口調。

 これは、菊理でも、虎にでもなく、きっと自分自身に向けての言葉なのだろう。



 そして、市花は、顔を上げた。

 その瞳に垣間見えるのは決意の炎。



「市花……」


「秋山くん。おそらく十種の所有者の中に犯人はいます。必ず、見つけ出しましょう」


「あ、ああ」


 真っ直ぐなその瞳に、頷く。



「浅井先輩。ちょっと、いろいろ見てみてもいいですか?」


「もちろん女子ならオーケーです。あ、秋山くんはダメですからね。とくに片隅の乙女の秘密ゾーンには近寄るだけでも私の必殺技が繰り出されますので、ご注意です。今の位置を動かないことをお勧めしますよ」


 釘を刺された。


 虎としては不本意ではあるが、これはいつもの市花の調子。

 ウィットに飛んだブリティッシュなジョークなのだろう。

 今日のこれまでの様子を思うと、少し安心しないでもない。



 虎がこうしてあれこれ考えていることなど、全く感知していないであろう菊理は、既に部屋を物色しはじめていた。



「壁にたくさん本がありますね、この本もこの本も借りた記憶があります。ああ、やっぱり同じ本です。このページの折れに見覚えが」


「何だかんだで、この部屋の本は、私も読んでいます。完全に一致ではないですが、趣味も同じようになっているのは確かです。知らず知らずのうちに私も八重さん色に染められていたのでしょう」


 嬉しそうな菊理に、微笑む市花。



「このノートは? 『日記』ってかいてあります」


 ふいに、棚の隅にあった端がボロボロになっているノートを菊理が取り出した。



「ああ、ちょっと見せてください。この部屋、一時期住んでたこともありまして、私のもあったりはするので……」


 市花は、ノートを受け取ると、ページをパラパラと高速でめくり、中身を確認する。

 途中で一度手をとめ、しばらく凝視。

 そこからは、真剣な顔で一枚一枚めくっていたが、ふいにその手を止めてパタンとノートを閉じると言った。


「ごめんなさい。懐かしくてつい見入ってしまいました……これは私のですね、持って帰らなければ」


「そうですか、危なかった。見てしまわなくてよかったです」


「何が書いてあるんだよ、市花。お前凄い真面目な顔してたぞ、さっき」


「秋山くん、乙女のプライバシーを侵害した現行犯で逮捕しますよ!」


「ダメですよ、秋山先輩。女の子のノートは秘密でいっぱいなんですから」


 二対一は分が悪い。


 しかし、まさか、菊理も一緒になって責めてくるとは思わなかった。

 笑顔を交わす二人。キョウケン関係者の中でもおそらく智恵が回る最高峰の二人。このコンビを相手には絶対にしたくない。


「わかったよ、わかったから、あやまる、ごめん……そ、そういえば、さっき綾さんに借りた本は読まなくていいのか?」


「おやおや、話をそらそうとするとは。まあいいでしょう。『小説本朝二十四孝』、このファンタジー小説は、ここに来るための口実だったのですが、それなりに面白いですよ」


「原作の浄瑠璃は江戸時代に書かれてるんだろ。それなのに、ファンタジーなのか?」


「その上、ミステリーで恋愛モノであやかし的ホラー要素もあります」


「何だそれは!? どういう話なんだ?」


「時の室町幕府将軍が暗殺されて、上杉謙信と武田信玄が犯人捜しをすることに。しかし、見つからず、責任を問われて、信玄の息子である勝頼が死刑になります。彼に恋をしていた上杉家の姫は彼の死を悼んで……そんな恋の物語。ほら、気になるでしょう」


 いいところで話を切る市花。

 気になる、なりすぎる。

 なんだその戦国ライバル同士の夢の共演は。



「お家同士の確執もあったりでロミオとジュリエット要素もありますね。ひょっとしたらシェイクスピアが日本に伝わっていたりしたんでしょうか?」


 気がつくと、脇にいる菊理も目を輝かせて市花の話をきいている。

 このお話は読んだことがないとみえる。



「最後は、下克上で有名な美濃の斎藤道三が犯人であることがわかり、道三は追い詰められて自害。実は生きていた勝頼と姫は結ばれ、めでたしめでたし。ちなみに美濃って、ここ岐阜県ですからね、秋山くん」


 なるほど、それで郷土史研究会にこじつけられたのか。

 今更ながらに、市花の機転の良さには舌を巻くしか無い。



「そういえば、姫様の名前は出てこないのか?」


「……」


 さっきまでの饒舌が、急に押し黙っている。


「市花?」


「い、いえ、お相手の武田勝頼と違い、架空のお姫様ですがちゃんと名前はあります。八重垣姫やえがきひめ。彼女の名前に……似ていますね」

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