第13話 荒神 Ⅰ
「……さま……虎様」
優しい声がする。どこかで聞いたような声。
ハッと気がつき、虎はガバッと起き上がる。
夜のようだ、辺りは薄暗い。目を凝らす。
月の光を遮っていた雲が丁度はらわれたのか、光が降り注ぐ。
目の前には、薄紫色の着物上衣に、紺色の袴を履き、白い鉢巻きをしているあの女の子がいた。
「
そうだ、なぜ車の中で思い出せなかったのだろう。
猫の名前と同じなのは彼女だった。
「むむむ、殿、失礼を承知で申し上げますが、今のこの状況、如何なるものかご存じか?」
「ご存じでは、ありません」
これでは素直すぎるかもしれないが、虎には他に回答の選択肢は無かった。
案の定
「やつの不意の一撃を喰らい、殿が倒れるとは嫌な予感がしたのじゃ。やはりこちらの殿か」
ハーッと深いため息。
虎は何だかとても悲しい気持ちになったが、それを彼女にぶつけることはできなかった。
「さて、どうしたものかの。いや、どうしたもこうしたもありはせぬな、やはり
今回の彼女の自分会議は一瞬で決着を見たようだった。
納得がいかない虎は控訴する。
「え、ちょっと待ってくれよ、俺に戦わせてくれるんじゃなかったのか?」
「妾から一本もとれずに気を失ってしまわれたことをお忘れか。それに何より
一言も返せず虎は、下を向く。
自分はここでも役立たずなのか。
「ご心配めさるな、妾こそ本来の剣の使い手。これしきの苦難、自らの手で乗り越えねば、黄梅の言う、さらなる『絶望の時』とやらを耐えられるわけはありませぬ」
「『絶望の時』?」
「こちらの殿はご存知では無いのでしたな。黄梅は法術が使えるだけでなく
『
あの黄梅は先輩に似ているとは思っていたが、どうやら同じ呪いの力の持ち主でもあるらしい。
恐ろしい偶然だ。
いや、これは本当に偶然なのか。
「ただ、妾にはこれから『絶望の時』が訪れると、それだけはなぜか教えてくれたのです。それでも生きよ、と。全く何を考えておるのでしょうな、あの者は」
なんだか自分の境遇に似ていると虎は思った。
予言されたのであれば、その未来はやはりどう頑張っても変わらない変えられないものだろう。
「そんな目をなさいますな。この戦国の世、とうに覚悟はできておりますれば。妾は殿が側にいてくださりさえすれば、どんなことがあろうとも耐えられます」
「艶……」
「ふふふ、殿ならぬ殿にこんなことを申し上げても詮無きことですが、何故かはわからぬ、申し上げたくなった
そこまで言うと、彼女は虎の腰にある剣を鞘ごと自分の手にとった。
「来たようじゃな」
近くで物音がした。それは、次第に大きくなってきたかと思うと、目の前の茂みが左右に別れ、巨大な何かが飛び出してきた。
「あ、あれは……」
見間違うはずはなかった。
自分の記憶では、さっきまで猫のつや様を抱きかかえて、あの獣から逃げていたのだから。
ただ、幾分あの獣よりも大きく、牙の大きさも倍以上あるように思えるが。
「あれはこの地の霊気を吸い、凶暴化した
猪は、見えない何かを追うように空中に何度もその鼻を突き出している。
よく見ると何かが空中に舞っている。
人の形、しかし、猪の一撃を喰らうとひらひら舞う紙と化した。
「式神じゃよ。その様子では、そなた、殿ならぬ殿と見ゆる」
傍らで黄梅の声がした。
いつの間に?
あの時とは異なり、頭巾は被っていないため、髪の毛を後ろ手に縛ってはいるものの、ますます見た目が先輩に近くなっている。
布地が少なめで、体のラインが露わになるようなデザインの着物を着ている。
それは虎にアニメやゲームに出てくる女忍者の姿を想像させた。
「艶様申し訳なし、幾分は力を削いだが、この猪、悪しき魂を吸い込みすぎて
「承知、されば!」
艶は手に持つ剣を抜き放つ。
その剣からは、青い光が溢れ、暗闇を照らしていた。
「これが、剣?」
驚く虎にニコリとすると、彼女はそのまま猪に向かって突進し、飛び上がって上段から剣を振るった。
剣は、猪の顔面に突き刺さり、それまで荒れ狂っていた動きが止まる。
「やったのか?」
しかし、それは一瞬のことで、再び獣は動き出した。
首を振るい、その勢いで剣を突き刺したままの艶を空中へ放り投げる。剣は抜け艶はそのまま地面に叩きつけられ、その手から剣が転がり落ちる。
虎は耐えきれず彼女のもとへ駆け寄った。
「艶!」
倒れている彼女を抱き起こす。
「くっ、今の一撃で往生せしめたかと思うたのに、口惜しや。流石は殿でも一撃では倒せなかった魔物よの。妾の霊力では足りぬともうすか。ぬう」
立ち上がろうとして、顔をしかめる。
どうやら足をくじいたらしい。
「殿、艶様、そこにいては危ない」
黄梅の声に横から彼女を抱きかかえて飛ぶ虎。
先ほどまで彼らがいた辺りを猛然とあの猪が通り過ぎて行く。
「残りの式神でどこまでもつかわからぬが、できるだけ遠ざけるゆえ、ここは一旦逃げられよ」
それだけ言うと黄梅は、猪を追いかけていった。
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