第14話 荒神 Ⅱ

かたじけない。よもや一撃しか加えられぬとは、未熟にも程がある。大口を叩いた我が身が誠に恥ずかしい。『絶望の時』来たらば、か細く折れてしまう程の代物に過ぎぬのにの」


 つやは悔しそうだった。そんな彼女の姿に感じるものがあった虎はいつのまにかその思いを口にしていた。


「艶、教えてくれ」


「えっ?」


つるぎの使い方を俺に教えてくれ」


「し、しかし……」


「いいから教えろ。実は俺もお前みたいに先見さきみで死ぬって言われてる。でも死ぬまでは生きてやるんだ! 思いの力なら負けない。それに逃げてばかりじゃ勝てるものも勝てない」


 ここまで抵抗を続けて来た彼女であったが、この虎の無茶苦茶な言葉に、ハッとして考え込んだ。そして、彼を真っ直ぐ見て続ける。


「殿は殿ならずとも殿なのですね。その目はわらわとりことした目。良いでしょう。この剣は、八握剣やつかのつるぎ。言い伝えでは、四方の邪悪を斬り祓うことができると言います。さあ手にお取りください」


 虎は彼女の言うとおりに転がっている剣を拾おうとして、呆然とした。


「え、こ、これ……」


 剣のつかつまり手で持つ部分、から先が無いのだ。

 刀身の無い柄のみの剣。

 先ほどの青く光輝く刀身はどこにいってしまったのか。


「その剣は、持つものの魂のあり方で、性質が変わるのです。柄を握り、無心となり、剣のみに心を注いでくださりませ。さすれば剣がそれに応えます」


 彼女の指導に従い、両手で柄を持つ、そして念を込める。


 しかし、何も起きない。


「やはり無理でしたか。その剣はそもそも妾の剣。契りを結んだ殿ならばさておき、殿ならぬ殿では。しかし、これで無茶な戦いをさせずに済むというもの、さて、今のうちに山を下りましょうぞ」


 彼女は悲しそうにしていた。


 僅かに希望となった虎も希望たり得なかったのだ。

 これから訪れる『絶望の時』に抗う心を失ってしまったら、彼女は――


 ……



 虎は悔しかった。


 自分が剣を使えなかったからではない。


 彼女に悲しい思いをさせたことが、溜まらなく辛く苦しく、自分を締め付けるのだ。



 だから、心の中で叫んだ。


    彼女のため、


  そして自分のため、


   見えない何かに抗うために。


  柄を握りしめながら、強く、


 強く……




 『違う!』


 『俺が見たかったのは、彼女のこんな顔じゃない!!』


  『俺は、俺の魂は――――


   応えろ、


  応えろよ……』



「八 握 剣 ! ! !」




……


 光の粒が……


……

  ひとつ

    ……

 ふたつ

……

  みつ

 ……

    よっつ


 宙に浮かぶ


もう、数えきれないほど……



  しだいにそれは重なり合い


大きな光となって


 収束してゆく……





「な、なんと!?」


 突如現れたそれは白い剣だった。

 まぶしい程に輝く光は辺りをまるで真昼のように照らしている。


「わかったよ、艶。俺の魂のあり方ってやつが。無心じゃない、有心だ!!」


 虎は自信に満ちた顔で、剣を振り、艶に向かって見得を決めた。

 剣の白い光に照らされた艶は、驚きを隠せないままに、今は喜びもその顔にたたえていた。


「御見事、白き光は誠に殿の剣そのもの、明日への希望の色。剣がそなたを、殿を認めておる。あの魔物は、猪が周囲の霊気を吸って変化したもの。この剣を以て、霊気を祓えば、大人しくなるはず」


「なんとなくなんだけど、それだけじゃない気がする」


「何を申される?」


 虎はふと気がついたのだ。

 猫のつや様と共に逃げたあの猪と、先ほど眼前に見た猪の違いを。


 もしかしたら、違うのかもしれない、でも彼は手に持つ白い光の剣を信じたかった。


「艶、あの猪をここに連れてくるように、黄梅おうばいに合図とかできないか?」


「借りている式神があります。これをつかいましょうぞ」


 彼女は懐から、お札のようなものを取り出すと、それに口づけして宙に投げる。

 すると、お札はみるみる人の形となり、一瞬の後に鎧武者となった。


「黄梅に、連絡を」


「カシコマリマシタ」


 それだけ言うと、武者はすっと消えた。


「便利だな。それ」


「気を抜いておる暇はありませんぞ、殿」


「わかっているさ、もうそこまで来てるみたいだしな」


 言うか言わないかのうちに、あの凄まじい音が近づいてくるのがわかった。

 そして再び、黄梅と共に、あの山のような猪が眼前に現れる。


「殿に戻られたのではと淡い希望は抱いておりましたが、もしやその殿のままとは」


 ひょいと虎の傍らに現れた黄梅は、彼の手にした白い剣を眺めて感嘆する。


「剣が解放されておりますな。ならば、止めはしませぬ。艶様は私めにお任せくだされ」


 彼女のその声とともに、最後の式神が魔物の牙に砕かれる。


 獣はそのまま突進しようとしたが、目の前の白い剣を持つ人影に警戒し動きを止めたようだ。

 グルルル、と吠えてこちらを威嚇している。


 虎は、それに向かい正眼に構えた剣で対峙する。


「押されたら負けだ。耐えろよ、俺」


 彼は、自分に言い聞かせた。

 緊張のあまり口が乾くのが自分でもわかるのだ。

 鼓動は早鐘のように鳴っている。


 無理も無い、考えてみると、戦いというのは初めてだ。


 普段から喧嘩なんてしたことないし、ゲームで剣で斬り合うのはあくまでディスプレイの中のキャラクターであって自分ではない。

 未経験者の生身の戦い、普通に考えれば敗北必至だ。


 だが、負けるわけにはいかない。


 ふっと、虎は目を閉じた。剣の軌道をイメージする。目標は決まっているのだ。よし。

 そして目を開くとともに深呼吸し、剣を斜めに掲げつつ、目の前の猪に向かって走り出した。


「と、殿?」


 艶の声が遠くに聞こえる。確かに突撃は無謀に見えるかもしれない。


 正直怖い、怖すぎる、はずなのだが、この段で虎は自分でも不思議なことに落ち着き払っていた。


 向こうもこちらに突貫しつつあるが、その動きがよく見える。


 これはひょっとして、この剣の力なのだろうか。



 まあ、どうでもいい、やることはひとつだ。



 虎は、眼前の猛り狂う魔物の前で、剣を、勢いよく横薙ぎに振り払った。

 

「おっと」


 そして横に飛び退く。



 魔物はそのまま前進してゆくかに見えたが、虎に斬られてから、数歩進めた辺りで、四肢をがくっとまげて潰れるように倒れた。


 その反動か、牙が二本ポロリと転げおちる。


 魔物側の牙の折れた部分からは煙のようなものが渾々と湧き、天に昇って行く。



「なるほど、牙の部分に霊気だまりがあったのですな。それを見抜かれるとはお見事という他無し」


 艶に肩を貸した状態で黄梅が褒めてくれている。

 何だか先輩に褒められているようで、くすぐったい気持ちになった虎だった。


「なんとなくだよ。そう、別の猪に比べてアイツは牙が異様に大きかったからな」


「殿はやはり殿にござりましたな……む、あれは!?」


 虎をたたえながら、突然警戒の表情を浮かべる艶。


 その指さす先には、別の猪が現れていた。

 あの大きな猪よりは二回りほど小さいがそれでも大きい。


「あの大猪の子供、だと思う。大丈夫さ、牙を折っただけだ。手傷こそ負わせちゃいるけど深手じゃない、あの親の方も少ししたら回復するだろう。そうすれば全部元通りさ」


 言い聞かせるように、艶に優しく語る。


「おかしいと思ったんだよな。黄梅が引き離そうとしてるのに、なかなか遠くにいかないみたいだったから。子供を守ってたんだろうな」


 実は虎は気がついていたのだ。もう一匹別の猪がいることに。


「ほら、お母さんを解放してくれてありがとう、って言ってるみたいだぜ。た、多分だけどな」


 若干クサい台詞になりかけたのを自覚して、しまらない虎だった。

 そんな彼らに向かって、小さい猪がブウブウとうなりをあげている。


「あれ、何だか急に眠くなってきた……」


 頭がぐるぐる廻る感じ。運動会などで疲れ切った日にベッドに潜り込んだ直後のような、あの感じが虎の全身を巡っていた。

 もう目も空けていられない。耳も遠くなり、感覚もおぼろげになってくる。

 

「戻られるようであるな。殿の世界に」


 黄梅の声が聞こえる。


 こんな時も彼女は冷静なんだな。

 本当に先輩らしい。


「この身、殿に捧げたものなれど、そなたはなぜか他人とは思えぬ。なれば殿も許されよう」


 艶がそう言った後、一瞬体のどこかに柔らかい感触があった。

 でも、もうどこだかわからない。


「またお会いできればその時に、さらば、もうひとりの殿」

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