第15話 謎はかえって深まった

「とら、とーら、起きて、起きてってば」


 瞼を開ける。目の前に、見慣れたあの顔があった。

 とら、と柔らかい口調で呼ぶのはこの子しかいない。


なお


 体の節々が痛い。

 一体どうなったのだろう。


 自分は横たわった状態で、やわらかく暖かいものの上に頭を乗せられている。

 上から直が覗き込んでいる状態から考えると、どうやら直の膝のようだ。


 膝枕?


 虎はあわてて飛び起きた。


「あーもう大丈夫なの? 急にいなくなるんだから、びっくりしたよ。それで探そうとしてたら、周りも何だか急に暗くなって、皆とはぐれちゃうし、虎はこんなとこで倒れてるし」


 介抱してくれていたということか。


 そういえば、頬に絆創膏が張ってある。

 恥ずかしさに負けた彼はちょっと申し訳ない気分になった。


 左右を見渡すと、四方を遮るものは何も無く、近くの山々が一望できる。


 近くに、大きな岩と、その近くの地面に突き刺さった細長い棒があるくらいだ。

 不自然なあれは、元は何か標識でもついていたのか。


 自分はどうやら、山の頂上にいるらしいと、吹く風を感じながら彼は悟った。


「そのうち皆も来ると思うから、ここで待ってよっか……あ……」


 直は急にガタガタ震えると、虎の背後に回って、一方を指さした。


「とら、あれ、あれ」


 急に太陽が遮られた。


 先ほどの岩が数歩の距離に迫っている。

 目は爛々と輝き、突き出た鼻の横には牙が二本。

 ひゅーひゅーと音をたてながらブルブル震えている。

 ザッザッと足を何度も前後させている。


 岩ではなかった。


 まごうことなき、つや様と虎を追いかけたあの猪である。

 直が生命の危険を感じて震えているのも無理はない。


 虎は一瞬身構えたが、その猪の姿にどこか懐かしさを感じて、構えをといた。


「お前、あの時の子猪だな」


 ブルルルと唸る大猪。そうだ、と言っているに違いない。


「大きくなったな~。牙も立派になったじゃないか」


「ちょっと、と、とら!?」


「大丈夫、知り合いだ」


「知り合いってどういうことなのよ~~~」


 まだ警戒を解いていない直を背後に従えながら、彼は頭を下げた猪の顔の横あたりを撫で、牙に触れた。


 ブルルル、おや、何か意味ありげな目であの棒を見ている。


「そうか、じゃあアレがそうなんだな」


 猪が頷いた気がした。


「お前はこれを教えてくれようとしてたのか、逃げて悪かった」


 虎は猪に頭を下げた。


 猪はブオーと吠える。

 これはきっと喜んでいるのだろう。

 気持ちが通じるということはそういうことなのだから。


 彼は、棒に近づくと、自分の目の下辺りの位置を右手で掴み、一気に力を込めた。


 想定外に抵抗は無くスッと抜ける。

 引き抜かれたのを合図としてか、棒は光輝くと、彼の手の中で形を変えた。

 そして、光が収まると、彼の手には、くだんの剣のつかが握られていた。


「ほう、苦も無くつるぎの封印を解くとは。あの猪から逃げた時は、どうかとは思うたが、あやつが認めたということは、やはりそなたが殿ならぬ殿であったか」


 急に後ろから声がした。

 剣のつかを手にしたまま、虎は振り返る。


「直?」


 他に誰もいない。


 その台詞は直の口から発せられたようだ。

 彼女は先ほどまでのように怯えておらず、不思議な落ち着き、というか威厳のようなものすらその身に纏っているように虎には感じられた。


「おお、そうであった。少し自由になったのでな、この者の体を借りて話をしておる」


 この時代がかった話し方。

 どう考えてもいつもの直ではない。

 そして直はふざけてこんなことをすることはなく、最近現実と夢とで出会った人物を全て総合して考えると……


「えーっと、もしかして、つや?」


「その呼び名は少々照れくさい。わらわのことは様をつけて呼べい」


「は、はい、つや様。で、でも、『照れくさい』ってのは何で。黄梅おうばいの前でも普通にこう呼んでたじゃないか」


「そなた、ま、まさか覚えておらぬのか? ぬー、妾の気遣いは無駄であったのか。いや、そもそも妾自身の問題であるのかこれは」


 何のことやらわからない虎の前で、直の姿をしたつや様は赤くなったり、顔をしかめたり大変そうだった。


 うん、この一人会議はどうかんがえてもあの艶だ。

 ここにきて、ようやく、心から彼女だと実感することができた虎だった。


「と、ともかく、これで二つめの十種とくさの封印は解けた。解けてしまったことになる」


 先輩の沖津鏡おきつかがみが一つめで、この八握剣やつかのつるぎが二つめか。あと八つ、先は長いな。


 そんなことを考えながら、虎は、つや様の言い方が気になった。

 解けてしまった、とは、どういう意味なのだろう。


「一度解けてしまった以上、もはや止められぬ。いや、そもそも封印の力が弱まった証に相違ない。妾がこうして人の身に現界することができておるしの」


 彼女が直の体を借りているこの状態と、封印との関係がイマイチよくわからない。十種が復活することで、霊的な力が周囲に及ぼされるということなのだろうか?


「つや様、十種の封印って何なんだ? もしかして解いちゃマズいのか?」


 彼女の両肩をつかみながら、虎は問うた。


「おっと、余計に話過ぎてしもうたか。今はまだ言えぬ。言わばそなたたちは混乱するであろうからな。しかるべき時がきたらば、そのときに伝える。ともかく今は十種を集めよ」


 彼女がそこまで話したあたりで、遠くから、虎を呼ぶ声が聞こえた。


「連中もやってきたようだの。妾も久々の乙女の体に少しつかれておる。さらば、失礼する」


「え、つ、つや様?」


 そのままの状態で彼女の肩を揺さぶる。

 すると、目の前のつや様は目をぱちくりさせてこう言った。


「とら、ちょっと痛いかも」


「え、つや様、いや、直なのか?」


「何言ってるの? 訳わかんないよ」


 そうしている間に、先ほどの声の主たちがもうそこまで来ていたようだ。


 これはいけない。

 虎はすっと、直の肩から手を離す。


「秋山お前無事だったのか?探したんだぞ、ハアハア」


 咎める声は北条先輩。息せき切っている。


 今は、膝に手をあてて、呼吸を整えているようだ。

 彼女の優雅な黒髪は、今日は少し乱れていた。


 必死で探してくれていたのだろうか。

 虎は感謝を感じつつも、いやだからこそ弁明しておく必要を感じた。 


「い、猪に追われたんです」


「猪? 猪なんていたのか? まあ、ここらは田舎だから時々出るんだ。それは災難だったな」


 先輩の言葉に周りを見るが、あの巨大といっていいサイズの猪の姿はどこにもなかった。

 虎にとっては何度めかの狐に包まれる心地だった。


「秋山くん、こんなとこで直とランデブーとは、意外に積極的ですね」


 いつもどおり楽しそうで興味深そうな目をしてこちらの心を覗き込んでくる。


 どうやら遠目からでも見られてしまっていたらしい。

 傍らで直が赤くなっている。


「ち、違う、つや様が」


「つや様? つや様ならここにいますが」


 彼らの傍らで猫のつや様がニャアンと鳴いた。

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