第16話 当然の結末、それは始まり

「これは何ですか?」


 虎は突然目の前に差し出された紙を見て、真顔で対面の先輩に問う。


 ここは社会科準備室。

 あの時と同じで隣には、直が座っている。


 彼女も同様にこの状況に目を丸くしている。

 虎から見て、机を挟んで斜めの位置にいる市花は、今日もこの雰囲気を楽しんでいるようだった。


 今日は月曜日、あの山での体験は、つい昨日のことではあるのだが、不思議なことに、もうかなり前の出来事である感じがする。


 ちらりと机の上の、今はつかだけの状態の八握剣やつかのつるぎを眺めつつ、彼は思った。


 あれがここにあるのだから、体験したことは全て実際に起きたことではあるのだろうけれど、今更ながらあの大冒険を自分がしたという実感がどうも持てない。


「何ですか? とはどういう意味だ。ちゃんと書いてあるだろう『入部届』と」


 そんなことは言われなくても虎にだってわかる。


 ああ、この人は絶対自分よりも頭が良く、いろいろ知ってる上に、気配りまでできるのは確かなのに、なぜいつも何かが足りないのだろう。


 それとも実は自分の方が足りないから、こう思ってしまうのだろうか。


「いや、書いてはあるんですが、どういう意味なのかなと」


「説明がいるのか?」


「なんとなくはわかりますけど、やっぱりお考えはうかがいたいんです」


 隣の直も虎のこの言葉に頷く。


「そうか、いいだろう。お前たち二人は、私の『絶対予言』の呪い、そして十種神宝とくさのかんだからの秘密について知ってしまった。知ったことを言いふらすような下賤のやからではないことは重々承知してはいるが、かと言って、知ってしまった以上、私としては野放しにはできない。私の我儘わがままかもしれないが、これはわかってくれるな」


 現在部活動をしていない虎自身としては、自由を奪われるような気持ちになるものの、先輩の立場になって考えると、納得せざるを得なかった。


 客観的に考えて先輩の呪いの力は悪い方向に使おうと思えば、とんでもないことができる力だ。


 確定した未来がわかるということは、株で大儲けする等の直接的な利益につながるだけでなく、国家間の関係やそれをもとにした政治経済的なレベルで応用可能だろう。


 もし、その筋の人間に知られれば、拉致されるだけでなく、脅迫され、力を強制的に使わされることになるに違いない。


 例え信じられる相手であったとしても、己の身を守るため、秘密を知ったものは、自分の目の届くところにいてほしいと考えるのは自然だ。


 他の十種についても、神の宝であるのだから、同様の恐ろしい力を人にもたらすのだろう。


 これについての真実も、明るみになって良いものとなるようには思えない。

 国を挙げた十種捜索が行われそうだ。

 それは、十種を集めなくてはならない彼としても困ることだった。


 ここまで納得はしたが、どうするか――


「ああ、だが、ここまでは建前だと思ってくれ。勘違いしないでほしいんだ。私個人的にも、お前たちには部に入って欲しくはあるんだからな。これは本音だ」


 少し焦ったように、説明を加える。

 自分の気持ちについて。


 虎も、直も、これにはもう、敗北を悟るしかなかった。

 そう、これこそ、二人が何より確認したかったことであるのだから。


「「わかりました」」


 今日も二人のユニゾンは完璧。

 直後に思わず互いの顔を見つめて軽く笑ってしまった程だった。


「あ、ありがとう、と言っておく」


 照れくさそうに、自らの前髪をいじりだす先輩に、虎はなんだか幸せな気持ちになった。


 彼女と一緒の部活、悪くなさそうだ。

 これで、自分もキョウケンの一員か。


 む、キョウケン――?


「そういえばキョウケンって何するんですか? 初めて聞いたときになんだかとても吠えそうなイメージだったんですけど。どんな部活なんです?」


 虎はこの自分の一言が波乱をもたらすとは、かほどに思っていなかった。

 しかし、それは、ここまで和やかだったムードを一転させるものだったのだ。


「何!? ちょっと待て。浅井、お前説明していないのか? 遠山だってまるっきり知らないわけじゃないだろう」


「私は、先輩が既に説明されたのかと思っておりましたよ。秋山くんが特に違和感なく、とても流暢にキョウケン、キョウケンと言うので」


「ごめんなさい、先輩。最初に教えたのは、たぶん私ですけど、何の略なのかは言ってませんでした」


 女子全員が浮足立っている。

 謝り大会。


 直接自分を責めてはいないが、やはり知っていなくてはならなかったようだ。

 予想外のことに、虎は自分の思慮の浅さを悔やむ。


「秋山、お前が悪い! なんでわからなければわからないと言わないんだ。お前を男と見込んだ私の顔に泥を塗るつもりか」


「す、すみません。まさか自分が入ることになるとは思ってなかったんで、あまり気にしてなかったというか、その……」


 理不尽にも、やり場のない怒りを向けられたのだったが、本能的にここは謝るしかない、謝り貫くしかないと頑張る虎だった。


「言っておくが、断じて犬ではないからな、私個人もどちらかといえば猫派だ。つや様を見ればわかるだろう」


 明後日あさってな先輩の語りではあったが、その声に反応したのか、机の片隅に大人しくしていたつや様がニャアンと鳴いた。


 確かにどうみても猫。

 そういえば、あの山で八握剣を手に入れて以来、人語を話していない。あのつや様はどこかへ行ってしまったのだろうか?


 いつもどおり、こうして虎が考えに耽っている間にも先輩の話は進んでいた。


「部の名前を書く前でよかったと言うべきかもしれないな。カモミールでリラックスさせているばかりではいけなかった。頭が働くよう、カフェイン多めのものを今度から用意することにしよう」


 配慮はとてもありがたい気もするのだけれど、やっぱり明後日あさってなのは変わらなかった。


 たまらず虎は彼女に促す。


「せ、先輩。そろそろ教えてくださいよ」


「あーそうだな。しっかり理解した上で入ってもらわんとこっちも困る。文化系とはいえ、ちゃんとした部活動なんだからな」


 ようやく、その気になってくれたようだ。


 彼女は居住まいを正し、真っすぐに虎に向かうと説明を始めた。

 直も、市花も今は神妙な顔をして彼女を見ている。


「キョウケンとは、キョウドシケンキュウカイの略だ」


「キョウドシケンキュウカイ?」


 こうだ、と適当なノートの一ページに、目の前で漢字を書いてみせてくれた。


 郷土史研究会


 なるほど、「ドシキュウカイ」だから、キョウケンなのか。語感は良いが、噛みつかれそうな印象はやはり受ける。真ん中のドを取らないで、キョウドケンでも良かったのでは、と虎が言うと、先輩はこう答えた。


「そんなこと言われても困る。私がつけたわけではないからな」


 意外に歴史があるらしいのだ。


 先輩が語るところでは、元々はその昔、同好会的に発足した会だったのだけれど、諸先輩方の努力によって正式な部として認められ、現在に至るという。

 名前に部がつかないのはそのためだと。


 そして、この略称は同好会としての発足以来、とのことだった。


 部の具体的な活動としては、高校のあるこの江名市周辺地域の歴史の研究。

 資料をもとに、まとめたり、時には現地で調査したりして、その成果を毎年学校祭で発表しているらしい。


 自分にできるだろうか。

 『研究』という文字に、少ししり込みする虎。


 下を向いている彼の様子に、そのあたりを嗅ぎ取ったのか、先輩が肩をたたいて励ますかのように言ってくれた。


「大丈夫だ、この地は歴史的にもいろいろあってな面白いんだぞ。例えばほら、お前も男なら好きだろう戦国時代。この辺りは実は武田信玄と織田信長の領地の境目にあたるところでな、日本史の教科書にこそ書かれていないが、実は激しい戦いが繰り広げられていたりしたんだぞ」


 知っている。

 なぜなら、直によく似た女の子と、先輩に良く似た女の子に、教えてもらったのだから。


 そうか、あれは戦国時代。


 だとすると、艶は、あの後どのような運命を辿ったのだろう。

 彼女は最後は笑っていたが、『絶望の時』に抗えたのだろうか。


 あの、つや様にまた逢えるなら尋ねることだってできなくはないが、これは自分でも調べてみようと、この時彼は心に決めたのだった。


「よし、では最後にコレに自分の名前を書いてもらうかな」


 キョウケン名簿と書かれたノートが目の前に開かれた。

 虎は名前を書こうとして、ふと腕を止める。


「どうした? 何か問題でもあったか? 別に間違えてもいいぞ。ただ、破らないようにな、これは頼む」


 そうではなかった。


 一番上に書いてあった名前に彼は心奪われていたのだ。


 『北条波瑠はる


 先輩の名前は綺麗で不思議な響き。

 名は体を表すのかもしれない。


「よし、遠山も書いたな。手続き的なところは全部完了だ。ようやくだが、これで新生キョウケンのスタートだ」


「そういえば先輩、二年生のとあるクラスで妙な噂を聞きました」


「ほう、ではそれを二人を加えての最初のミッションとしようか」


 これには虎も突っ込まざるを得なかった。


「ちょっと待ってくださいよ。郷土史の研究会じゃないんですか?」


「お前わかっていないな。歴史というのは現在いまに繋がるものだ。この学校だって、郷土の歴史の一部と考えろ。こうしている間にも、歴史は紡がれているんだ」


 屁理屈な理屈ではあったが、納得するしかない身分の虎だった。

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