第154話 源晴子8 言霊

「こんなとこにいたのね。脱出するわよ。ついてきて」


 格子の向こうに貴子たかこさんが現れた。

 彼女がその手のひらを前に向けると、格子が砂のように散って消える。


 私は、猫のつやと一緒に牢獄から飛び出す。

 そして、貴子さんに導かれるままに、走ろうとしたのだが、その矢先に、私たちの行く手を遮る影に出くわした。


「困るわね。勝手に連れ出されたら」


「お前はっ! 大陰たいいん


「久しぶりね、天乙てんおつ


 大陰たいいんと呼ばれた人影は観音みおん

 貴子さんが見知っている様子から、彼女もやはり式神なのだろう。


「……やる気なの?」


「愚問ね、天乙。互いにあるじに召喚されている身。十二天将同士だからって、関係ないわ」


「主神の私も、あなた相手だとやりづらいけど、やるしかないわね」


 貴子さんが白い羽衣の姿に変わる。

 観音も、黒い和服がいつのまにか黒い羽衣に変わっていた。


 一瞬即発の気配。

 そんな中、貴子さんがこちらに向かって意味ありげな表情を浮かべる。


「心得た」


 つやが、私の体を伝い、頭の上からジャンプ……したかと思うと、次の瞬間には観音の顔に張り付いていた。


「こ、こら、な、何するのよ」


「今のうちよ。行きなさい、晴子!」


「は、はい」


 貴子さんの指示に従い、私は観音の横をすり抜けて走る。

 そのタイミングで観音の体を離れたつやが私の頭の上にひょいと乗っかった。この子、器用だ。


「くっ、干支の影響をこんな処で受けるとは……待ちなさい」


 後ろで私を呼び止める声。

 そんなこと言われたって止まらない。

 私は全力で走る。


余所見よそみしている暇はあるの? あなたの相手はこの私ッ!」


 貴子さんの声と、衝撃音が続いたが、彼女を信じて私は振り返らない。



 行き止まりにあった階段をのぼると、あの屋敷の廊下らしきところに出た。


 廊下に設えられた申し訳程度の灯りと、月明りで十分にわかる。

 そこはすでに戦場になっていた。

 外れた襖が何枚か、無残にも破れた姿で転がっている。

 なおかつ喧噪。


 危な……!

 目の前を光線が通り過ぎ、そのまま屋敷の壁に当たって壁が砕ける。

 光線の飛んできた方を見ると、部屋の中に、にらみ合う二つの影。


「かてーな、俺の全力を弾くなんて、流石だよ玄武げんぶッ!」


「相克が全てよ。貴様では我には勝てぬことはわかっておろう、白虎びゃっこよ」


 ひとりは大牙たいが

 もうひとりはあの白髪の不気味な男だった。


「大牙!」


「おっ、晴子無事だったか」


「何ッ! 大陰たいいんは何をしているのだ」


 私の声に、大牙は気付いてくれた。

 そして、私の登場に驚く白髪を手から出す光弾で牽制すると、私の側に来てこう言った。


「とりあえずお前は屋敷の外に逃げろ」


「えっ! で、でも」


「いーから早く! 俺もすぐに追いかけるから」


「う、うん」


 いつもと同じ真っ直ぐな瞳。

 この瞳には逆らえないのだ。


 私は頷くと、屋敷の廊下から庭に降りて、再び走り出す。

 その後ろで、爆発音。


 ふり向くと、さっきまで私がいたところが床ごと吹き飛んでいる……。

 でも、私は、戻ることはしない。

 彼を、信じているから。

 代わりに、その場で叫ぶ。


「大牙! 絶対に勝ってよ! 待ってるから」


 獣の咆哮が聞こえた。

 思いはきっと届いているはず。


 私は走り出す。


 しかし、その前に立ち塞がる者がいたのだ――



「逃がしはせぬぞ。『先見』の娘よ」


 庭の灯りのお陰で見間違うことはなかった。


 灰色のスーツの銀髪の男。

 観音と白髪の男の主。


 眼鏡の奥の表情は窺えないが、私を逃がしてくれるつもりのないことはわかった。


「まさか、天乙と白虎が来るとはな。しかし、これでお前の力は保証されるわけだ。もはや面倒、私の傀儡くぐつとして、働いてもらうことにするよ」


 言うなり次の瞬間、彼は私の目の前にいた。

 瞬間移動!?


 彼は、私のあごに手をかけると、ニヤリと微笑む。

 体が……動かない。


「さあ、私の目を見なさい。私の目を見るのだ」


 体が見えない何かに固定されている。

 自由を完全に奪われた状態で、せめてと瞼に力を入れるが、空しい努力だった。


 男の目が私に迫ってくる。

 意識が朦朧として、不思議な感覚に私が溺れつつあった……

 その時――


「くっ、新手かッ!」


 焦るような男の声。

 体が軽くなる。


 しかし、急なことだったので、上手く力を入れられない。

 足がもつれて、溜まらず私はその場で尻餅をつく。

 痛い。


 そんな私の前に、庭の灯りと月明かりを遮る背中があった。

 直感的に理解できた。

 何も言わないけれど、いつも暖かいこの感じ。


まさしさん!」 


 こちらをふり向くことはなかったけれど、私の声に、微かに頷いてくれた。


「貴様、何者だ」



「えっ!?」


 初めて聞く、政さんの声。男性としては少し高めの声。

 それも驚きではあったが、彼の詩を吟じるような言葉とともに、私の体が光りに包まれたのはそれどころでない驚きだった。


「何を言っている?」



 今度は彼自身の体が光輝く。


「何を言ってると聞いてるんだよ!」


 銀髪の男が、ふっと片手を差し出すと、そこから炎が吹き出し、政さんと私の方に押し寄せてきた。

 私は溜まらず目を瞑ってしまう。


「あ、あれ……」


 何と説明すればいいのだろう。

 炎は、私たちの手前で止まっていた。

 そう止まっていた。


「初めて見るか? あれは言霊ことだまなり」


「つ、つや!」


 いつの間にか、猫のつやが側にいた。


「言霊って何?」


「口に出した言葉を実現させる力。ゆえにあの男は普段自分で話すことはない。どんなに話したくともな。まこと因果な力よ」


 政さんが自分から話すことが無いのにそんな意味があったなんて。

 私は、恥ずかしがり屋なのだと勝手に考えていた自分が情けなくなった。


「くっ、鬼道が効かぬ。貴様まさかとは思ったが言霊使いか」


 男の焦りの声が、夜の闇に吸い込まれていった。

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