第155話 源晴子9 北条家

 あの銀髪男は、陰陽師としての力を私利私欲や悪事に使う、道を踏み外したいわゆる『はぐれ陰陽師』で、まさしさん達正当な陰陽師のネットワークでマークされていた人物らしかった。


 彼があの後どうなったのかは、私にはわからない。

 二度と世に出ないようにされるだろう、だから安心しろと大牙たいがは言っていた。


 それよりも問題なのは私自身だった。


 家に帰って改めて思い知らされる。

 犯人が刑に処されたところで、父親の体にもはや魂が宿っていない事実は変わることはない。


 家に来た警察とお医者さんには、心不全と判断され、数日後、政さん達のおかげで荼毘に付してあげることはできたが、私の心は晴子への申し訳なさでいっぱいになった。


 自分しかいない家。

 起きてしまった事は仕方ない、私のせいではないと、大牙も貴子たかこさんも言ってはくれたが、自分でもこの感情はどうにもできない。


 政さんが喫茶店に訪れなくなった私を心配してくれたのか、二人は毎日来てくれた。

 腫れ物の様に扱うことはなく、まるで友達のように自然に接してくれるのは嬉しかったが、二人の作ってくれる雰囲気に上手くのれない自分がもどかしかった。


 そんなある日。

 いつもどおり玄関のチャイムで扉をあけると、そこにいた大牙にこう言われたのだ。


「晴子、出かけるぞ。支度してこい」


 彼の後ろに車から身を乗り出して手を振る貴子さんの姿が見えた。

 あの車は、確か政さんの車。


「どこいくの?」


「いーからいーから早く」


 急かされるままに、私は着替えて、彼に従った。


 車中では、皆無言。

 でも、それは自分に気を遣ってくれているのだとわかっていたから、私は敢えてそれ以上行く先等何も聞かず、ただ窓を流れゆく光景をずっと見ていた。


 いつしか車の周りにはのどかな田園風景が広がる。

 全く見たことが無いわけではないが、今まで街で暮らしていた私には、新鮮で、田んぼの優しい稲の緑色が、自分を優しく包んでくれるような気がした。


 その一角で、車は止まる。


「ここだ、ここ」


 大牙に導かれるまま車を降りる。


 天井が無く、車庫というよりは駐車場。

 しかも舗装されていない。


 周りは田んぼと畑に囲まれている。

 何故かはわからないけれど、とても心が落ち着く。


 私がそれに目を奪われていると、大牙に袖をくいくいっと引っ張られた。

 ごめん、と謝り、彼に続く。


 田園の一部と化しているような、古めかしい御屋敷。

 表札を見ると、『北条』とある。

 考えるまでも無い。政さんの苗字だ。

 どうやらここが目的の場所。


 政さんは玄関の扉を無造作に開けた。

 私はカギが掛かってないことに驚く。

 大牙はそれに気がついたのだろう。


「このあたりは人がいるときはカギを掛けないことが多いんだ」


 言ってニヤリと笑う。


「それって、泥棒とかに入られない? 危険なんじゃ……?」


「確かにそうだが、この家に限っては大丈夫だ。何しろ家のあるじが最強だからな」


「主って……政さん?」


「いや、もっと恐ろしい。この世で最も恐ろしいと言っていい人物だ」


「誰がこの世で一番恐ろしいって?」


 玄関の奥から声。

 着物の上に割烹着を着たお婆さんがいつのまにかそこにいた。


 さっきまで、気配は無かった。

 だから気兼ねなく話していたのだ。


「ひぃいいい、すみません、ハル様。言葉のアヤです。言葉のアヤ」


 なんとあの傍若無人な大牙が萎縮している。謝っている。

 そのまま、虎ではなく、借りてきた猫のように大人しくなっている。


 この様子、彼女がこの家の主人なのは間違いない。


 ということは、政さんと関わりがあるということになる。

 失礼かもしれないが、母親にしては年が行き過ぎていると思う。

 お祖母ばあ様なのだろうか?

 名前の音が晴子の『はる』と一緒なのは、親近感を感じるのだが……。


「まあいいさ、その子が例の子だね。立ったままじゃ疲れるだろう。奥へお入り」


 招かれるまま、お座敷に案内された私達は、あてがわれた座布団に座り、一息つく。

 座敷机の私の右に大牙、左に貴子さん。

 向かって正面左に政さんが座った。


 お茶菓子の入った盆が机の真ん中に置かれている。


 家主のハルと呼ばれたお婆さんは、人数分のお茶を注ぎ、それぞれに配ると、私の正面に腰を落ち着けた。


「良く来たね。遠かったろ」


 何とも言えない、優しい声だった。


「いえ……ここは、緑が多くて、ゆったりしてて、何だか私、ここに来て心が楽になりました」


「そうかいそうかい」


 和やかで柔らかい彼女の声に、私の遠慮の紐が少し緩む。


「あの……おばあ様は、政さんの親戚でいらっしゃるんですか?」


「そうだねえ、政を育てたのは私だから、親代わりというところかね」


 この言い方、血のつながりは無いということなのだろう。


「この子もあんたくらいの頃に力を発現してね。どうしようも無くなって、私のところへきたんだよ」


「政さんも私と同じだったんですね……」


 視線を向けると、彼も育ての親に似た優しい瞳で迎えてくれた。


「ハル様は、今は隠居してらっしゃるが、昔はその筋では名の通った陰陽師だったんだ。主も容赦無く鍛えられたし、俺もかなりこき使われた」


「これこれ、大牙。人聞きの悪いことをお言いで無いよ!」


 叱られてシュンとする大牙。

 思わず私は笑ってしまう。


「あんた、良い顔をするじゃないか」


 言われて思い出す。

 心から笑えたのは、いつぶりだろう。


「よかったら、あんたの話……あんたの言葉で聞かせてもらえるかい?」


 もちろん、嫌だったら話す必要なんて無い、と付け加えられたけれど、逆に私はこのお婆さんに話したくなってしまったのだ。


 多分、話だけなら、既に政さんから伝わっているはず。

 でもそうではないのだ。

 彼女は、私の言葉で聞きたいと、そう言った。

 その思いに、応えたい。


 それから私は、彼女に話した。

 これまでのこと、全てを。

 彼女は話を遮ることは無く、全部頷いて聞いてくれた。



十種神宝とくさのかんだから沖津鏡おきつかがみ』の絶対予言か、それがあんた自身を苦しめているんだね」


「はい……」


「そうか、じゃあ、その手袋を取りな。私と握手しようじゃないか」


「え、えっ、でも……」


「おや、あんたは老い先短い老人の頼みを断るのかい?」


「そういうわけじゃ……」


「はいはい、とったとった、それじゃいこうかね」


 私が躊躇している間に、彼女は隣にきて、私の手から手袋を抜き取ると、そのまま両手を握った。



 次次とシーンが浮かんで消えていく。


 そのシーンの多くで私は彼女と共にあった。


 そして最後には……。



「余命幾ばくも無いって医者は言ってたけどまだ結構生きられるもんだね。おやおや、どうしたい?」


 私は泣いていた。

 涙が止まらなかった。


「泣くんじゃ無いよ、こんなことで。美人が台無しじゃないか」


「ご、ごめんなさい。何だか悲しくて」


 鼻水で言葉も濁っていて、絞り出すようにして、ようやくこれだけ言えた。


 そんな私の頭を優しくなでながら、彼女は続ける。


「人は誰でもいつか死ぬんだ。それが早いか遅いかだけ。私が死ぬのはあんたのせいじゃない。お天道様が決めてくださってるのさ」



 今となっては、この言葉が決め手になったのではと思える。


 『絶対予言』で見たからではなく、私は彼女の生き様を最後まで見届けたいと思ってしまったのだから。



「あの……私を……ここに置いてくださいませんか」


「さっき見たとおり、残り少ない人生だ。あんたのような綺麗な花と一緒に生きられたら私はきっと幸せになれるね」


「あ、ありがとうございます」


「ただ、そうなると、ひとつだけあんたに無理強いしなければならないことがあるんだよ」


「……何でしょう?」


「あんたは、みなもと晴子はるこでは無くならなければならない」


「えっ……」


「話に出てきたヤチという神の目を眩ますためには、別の人物になる必要がある。憑いていた分け御霊みたまが消滅したとはいえ、源晴子のままでは遠からず見つかってしまうだろうからねえ」


 その理屈に納得はできたものの、私は躊躇する。

 それは晴子の完全消滅を意味するから。


 この悩みは、どうやらすっかり隣の人物には読まれているようだった。


「あんたは本当に優しい子だね。いつも自分よりも友達や他の人間のことを考える。そういう人間だからこそ、こういうときは逆も考えるんだよ」


「逆、ですか?」


「その友達の方はどう思うか。自分の気持ちではなく、相手の気持ち。いてもいなくても変わらないものだよ」


 最後は謎かけのようだったが、自分の選択に対して晴子がどう思うのかを考えろということ。それはわかった。


 晴子だったら私に即答するだろう。


 そうか、晴子、ごめん。

 迷うことじゃ、なかったね。



「その目は、決めたようだね。じゃあ、あんたには私の名前をやろう。『北条ほうじょう波瑠はる』。さんずいでミズは入ってるし、音にはハルもある。どうだ、良い名前だろう」


 私はもう、頷くしかなかった。


「そうかそうか。では、ここからは政の役目だ。あんたの妹になるんだ。しっかりおやり」


 政さんは、彼女の言葉に微笑むと、おもむろに立ち上がり、私に手を伸ばす。そして口を開いた。


「『汝、北条波瑠となる』」

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