第55話 揺れる思い

「こ、これは……凄い」


 虎は感嘆した。


 眼下に広がっているのは、さっきまで自分がいた園内の風景、だけでなく、その横を流れる大きな川、川沿いの木々、そして岩に彩られた美しい峡谷の風景。


 それは、虎がこれまでの人生で全く見たことの無いものだった。


「ふっふっふ、今度こそ、秋山の心を全てあっちに持って行けたようだな」


 虎の様子に嬉しそうな波瑠。


 最後の仕上げと、彼女が指し示したのは、観覧車だった。


 遊園地にはお決まりのアトラクション。


 どうせ高いところから下を見るだけ、きっと、スカイツリーや、東京タワーには及ばないのに。


 乗る前は、そう思っていた。



「この観覧車はな、地上50メートル。15階建てのビルよりもちょっと高いくらいの高さだ。そう言ってしまうと、都会から来たお前には味気ないかもしれないが、重要なのは観覧車自体の高さじゃないんだ」



 波瑠の言っていたことがようやくわかった。



 この遊園地は、木曽川という大きな川が形作る、江名峡谷の畔に作られている。


 峡谷の底にある川からの高さを考えると、実質的な観覧車の高さは、おそらく倍以上になりそうだ。


 自然と、それは雄大な眺めとなる。


 川の水面に波をたてているあれは、先ほど説明を受けた遊覧船だろうか。

 とても小さく見える。



 そして50メートルだからといっても、周りにこれ以上に高い建物は無い。

 遮るものがないまま、周囲を見渡すことができる。


 いずれの方向にも緑の美しい山々。

 晴れた青空の、その所々に浮かぶ雲が、風景に彩りをそえている。


 あらためて、山に囲まれた盆地の一角に自分がいることを認識するが、虎はその中でもひときわ高く美しい山に目を奪われる。


「波瑠先輩、あの山、あの綺麗で高い山、何ですか?」


「ああ、あれは、江名山。イザナミがアマテラスを産んだという伝説のある聖なる山だ。前に浅井が説明していた物語の舞台だな。信仰の山で、昔は山籠り修行する修験者もいたらしいし、最近はパワースポットとして人気なんだぞ。日本百名山は伊達じゃない」


「曇ってると見えないんですよね。今日は天気が良くて、とくに綺麗。良かったね、とら」


 直が、隣から、この景色が見られることの幸運を教えてくれた。


 あの山こそ、日本のお母さんが、最高神を産んだ場所。

 そう思うと、さらに神々しく思える。


 見方が変わるとは、こういうことか。

 虎は実感する。


「しかし、何よりもいいのは、これが六人乗りということだよな。全員で一緒の空間でゆったり楽しむ。これぞ遊園地の醍醐味というものだ」


 キョウケンの五人と、波瑠の兄の政で、計六人。


 座席は、片側の真ん中に波瑠、彼女から見てその左に市花、右に政さん。

 波瑠の対面に虎、虎から見て右に直、左に佐保理。

 もっともな布陣だった。


 虎はふと、左隣の佐保理がいつもより大人しすぎるのに、気がついた。

 乗り込んだときからずっと、声を聞いていない。

 いつもならば、この配置、直と何か始まっていてもおかしくはないのに。


 気になる。なりすぎる。


 堪能している風景から目を離し、そちらを見ると、下、即ちゴンドラの床を見たまま、無表情で青白い顔のまま、無言で静止している彼女の姿がそこにあった。


 その肩は微かに震えている。



「だ、大丈夫か、佐保理!?」


「……わ、私、大丈夫……じゃない……」



 弱々しく、残された力を振り絞るかのようにして、か細い声で言う。

 頭は固定したまま、顔を上げるそぶりもない。



「どうしたんだよ? さっき射撃してたときは、あんなに元気だったじゃないか」


「ごめんね……ダーリン……折角良い雰囲気なのに……私のせい……で……」



 くたり、とさらに前のめりになる。

 気のせいでは無く、生気が失われている。



「……ゆれる……ゆれる……どうしてゆれるの……」


 うわごとのように呟く。


「……人間て……体なんてあるから……不自由よね……」


 この言動の変化。

 どう考えても、状況は悪化している。


「佐保理、しっかりしろ! 人間をやめないでくれ」


 悲痛な叫びをあげる虎。

 しかし、対面の波瑠から意外なツッコミを受けた。


「秋山、あまり穴山の隣で動かないでやってくれ、彼女の体に障る」


 まるで、虎が悪いことをしているような言い方だ。


「波瑠先輩、原因わかるんですか? でも、何とかしてやらないと」


「お前は、勘が悪すぎるぞ。観覧車で外を見ない、見ることができない症状と言えばひとつしかないだろう」


「……すみません、全然わからないです」


 虎は即座に降参した。


 今は佐保理の体が第一だ。

 自分の名誉なんてどうだっていい。


 意気込む彼に、波瑠はスパッと斬るように一言。



「高所恐怖症だよ」



「あ!」


 納得した。思い出した。


 観覧車に皆で乗ることが決定した時、シューティングゲームのハイスコアでご満悦気味だった彼女の、それまで明るかった表情が急に曇ったのだ。

 自分と同じで、観覧車にロマンを感じないのかもしれないと、微妙に彼女にシンパシーを感じていたので、虎は良く覚えている。


 その真実が、かくも残酷なものだったとは。


「そうです……私……高いとこ……ダメになっちゃって……前は大丈夫だったのに……屋上、いたし……」


 もはや息も絶え絶えという状態。

 刻は一刻を争う!


 しかし、何ができるというのか、観覧車はもう少しでようやく最高地点に達するところだ。


「気をしっかり持つんだ、佐保理! くそうっ、こんなことになるなら乗るときに言ってくれれば」


「ダーリン……私ね……ダーリンのこと……大好き……だから、揺らさないで」


「佐保理ぃいいいい」


 ……



「あーーーーーーー、



 もーーーーーーーーーーーーーーーーー!」




 突如ゴンドラ内に響き渡る絶叫。


「な、直?」


「直……ちゃん? ゆ、ゆれてるから」


「もう、こうなったらいいわ。とら、穴山さんに抱きつきなさい! ガシッとね。あ、背中から、背中からね」


「え、ええええ」


「ど、どうしろって言うんだよ」


「あーもうじれったい。こうよ、こう」


 自分から虎の背中に手を回してくっついてきた。

 虎は、背中に柔らかいものを感じて赤くなる。


 つや様、これ、意外にと思うんだけど。


「ちょっと、何ぼさっとしてるの、とら。こういう感じで穴山さんの背中にくっつく」


 後ろから肩のところを抱く感じ、のようだ。

 これならばまあ、いやらしくはないが、彼女の合意は必要だろう。

 自分は男なのだから。


「佐保理、いいか?」


「だ、ダーリンなら……オーケー」


 虎は恐る恐る、彼女の背中に手を回し、肩をぎゅっと握る。

 変なところをさわるわけではないが、とてもドキドキする。


「あ、これ……なんだか、落ち着くね。ありがと、直ちゃん」


「ど、どういたしまして」


 あれ、俺なんだけどな、こうしてるの。

 虎は、佐保理も直もよくわからなくなっていた。

 その時――


「乙女二人のサンドイッチですか、隅に置けないどころか、真ん中においてはいけませんね、この男は」


 市花のこの言葉に三人とも顔が赤くなる。


「まったく、出世したもんだな、秋山。私もそっちにいっていいか?」


「「「揺れるからダメです」」」


 絶妙な理由で三人は、波瑠を退けた。


「ふふ、手の震えが止まったか。穴山はもう大丈夫そうだな。では私は、この後どこに行くかを考えておくよ」

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