第54話 夢の中へ

「江名ワンダフルランド!?」


 入り口のところで、初めてその名前を見た虎は、唸った。

 これで何も思わない者がいたら、人間で無いのではなかろうか。


 何がワンダフルなんだ……。



「凄い名前だろう。だが、中身も名前に負けていないんだぞ」


 とてつもなく嫌な予感がする虎。

 不安を隠しきれない。


 その逆に、波瑠は、ワクワクを抑えきれないという、素敵な笑顔でそれに答える。

 こんな時に、彼女はなぜか、今までで一番良い顔をしている。


「ここは、とてつもなくユルい遊園地なんだ。レトロとか表現するやつもいるが、私はユルい、のほうがしっくりくる」


 ユルい、というのは、初めて聞く表現だった。


「ネジが緩んでいるイメージですか?」 


「おいおい、それじゃあ、怖くてジェットコースターに乗れないだろう。風評被害になるから、変な物言いはよしてくれ。ここが無くなったら、私はどうすればいいんだ?」


「は、はい……すみませんでした」


「ユルいというのは、ゆったり、余裕のある感じだ。まあ、頭のネジが緩められると言えばそうかもしれない」


「子供だまし、ってことですか?」


「子供だましだと? 子供もだませなくてどうするんだ、ってな。いや、違うか、お子様でも安心、これだ」


「すみません」


 言ってることがもはや理解できないけれど、なぜか謝ってしまった。


「いいか、考えるんじゃない、感じるんだ、身を任せればいい、全てを委ねろ」


 どこかで聞いたような台詞。

 この饒舌さ。

 彼女は相当、上機嫌のようだ。


「とまあ品質は私が保証するが、ネックは料金なんだよな。乗り物券と入園がセットになった、お得パック以外の選択肢は無い。乗り放題のフリーパスや入園無料は、11月の終わり頃とか閑散期限定という、切なさだ」


「いつもやってたら、潰れるとかでは……」


 12月から3月までは休園期間で営業していない、という話を聞いて、虎はこの遊園地の運営自体が心配になっていた。


 お正月休みは、普通、稼ぎ時ではないのだろうか?


「何てことを言うんだ、秋山。今時こんな博物館レベルの遊園地なんて、どこも潰れてしまってなかなかないんだぞ。冬期の休園時期に集中メンテナンスしてくださっている職人さんの気持ちを考えろ! めったなこと言うんじゃ無い」


「やっぱり他は潰れてるじゃないですか……」


「ここが潰れていないということは、それだけのものがある、ということだろう。ええい、とにかく、各人お得パックを購入の上、入場すること、以上」


 先輩は、言い残すと疾風のように、ゲートの脇にある窓口に向かっていった。 



「本当に久しぶり、ジェットコースターまだ動いてるかな? ここのは怖くないから大丈夫なのよね。ちょっと肩にくるけど」


 怖くないジェットコースターだと? それはジェットコースターと言っていいのか? 直。


 それはともかくとして、肩にくるって何なんだ?



「私は何と言ってもビックリハウスですね、天地がひっくり返るあの感触がまた味わえるとは感動です。生きていてよかった」


 天地がひっくり返るって、どんなアトラクションなんだ!?

 いや、お婆ちゃんじゃないんだから最後の一言はないだろう、市花


 それに聞いた感じ、激しく心臓に悪そうなんだが。

 


「ここのゲームコーナー、普通に無いものばかりだから、楽しみ!」


 こらこら、今日はみんなと一緒だからな、佐保理。


 ……もしかして普通のゲーセンと何か違うのか?



 何だか、虎以外のキョウケン女性陣は皆ノリノリであった。

 何もわからず、取り残された感覚で、彼女らの後を追う虎。




 波瑠に、ゴールデンウィークの予定を尋ねられ、特に家族でどこかに行く予定は無いと言ったところ、では、面白いところに連れて行ってやると、言われた。


 いつもどおり、駅に集合し、いつもどおり、政さんの車に乗ってやってきたのが、この遊園地。


 何でも一度は潰れたが、復活した遊園地なのだという。

 

 確かに見た目はそのものだった。

 

 よく言えばレトロ、悪く言えば……。


 このように、入園前の時点の虎の印象はあまり良くなかった。



――――――――――



「そういえば、まだ答えを聞いてなかったな」


「えっ?」


 スワンボートの昇降口が間近になったところで、急に、波瑠から意味深な一言。


 虎はドキッとした。


「どうだ、ワンダフルランド、楽しいだろう?」


「そのことですか……」


 脱力する。


「何のことだと思ったんだ?」


「ええ、いや、何でもないです。そうですね、思ったよりは楽しいですよ」


「歯切れの悪いやつだなー、これでもまだ満足しないのか」


「ああ、そうじゃなくて。遊園地って、それ自体が楽しいっていうよりも、皆と一緒に過ごす時間が楽しいのかなって」


 ちらりと後ろを見る。


 直が手を振る。

 佐保理はウィンクで返してきた。


「何を当たり前のことを言ってるんだお前は!? ここは総力を結集してお前を楽しませるしか無いようだな!」


「ええっ!?」


 スワンボートから降り立った波瑠は、虎以外のキョウケンメンバーに厳命を下す。


「いいか、お前達、秋山を自分のお勧めのアトラクションに連れて行け。そして、この遊園地の良さをこいつの肌身にしみこませるんだ」


「「「イェス、マム」」」


 三人とも、目を輝かせ、軍隊式の敬礼を以て、上官の指令に強く頷いた。

 虎は、逃れられない運命にようやく気がついた。




「このジェットコースターはね、全長800メートル。最高で高低差26メートルしかないけど、それだけに安心して乗れるのよ!」


 隣の直が興奮している。

 二人が乗っているのは先頭車両。

 自分たちの前には誰もいない。


 だが、虎は、緊張感を持てなかった。

 乗る際に思ったのだ。思ってしまったのだ


「箱?」


 虎の想像するジェットコースターは、流線型で風を切りそうな形だった。このコースターは、のどかな木の切り株を思わせるようなペイントで、どう見ても、木の箱。

 自分がリスか小鳥になったような、メルヘン感覚は抑えきれない。


 そのため、斜めになって上に運ばれているのに全く恐怖が感じられない。



 しかし、それは最初の下りを終えるまでだった。



「でも、油断は禁物。とにかくカーブが多くて、スピードを一切落とさずにいくから、左右に揺られて……な、なんでもない」



 直の言っていたとおりだった。


 最初の下りこそ単調ではあったが、その後のカーブはいずれもきつめの設定らしく、横にGがかかることかかること。


 そして、全くスピードが落ちないため、自然と直の体とくっついたり離れたり、虎は別の意味でドキドキが止まらなかった……。


「どう、良かったでしょ」


 気のせいか、直の顔のつやが良くなっているように、虎には感じられた。

 



「例え錯覚だとわかっていても、人間にはどうしようもないこともあるのです」


 市花に案内されて入ったそこは、一見普通の部屋だった。

 偽風景が描かれた窓、壁に掛けられた時計、無造作に置かれたぬいぐるみ。

 真ん中にソファが二つ向き合って置いてあり、彼女と虎は対面に座る。

 メルヘン風味なこの部屋の中で、おそらくその一部を成している市花は不敵に笑う。


「ふっふっふ、秋山くんの泣きべそを正面から見ることができるこの幸せ」


「この部屋よりも、お前のほうが印象に残りそうだ。怖いぞ市花よ……」


「そう言っていられるのは今のうち、何事も経験です。むっ、……来ますよ!」


 彼女の声とともに、急にソファが揺れ出す。

 だんだん揺れは大きくなってくる。

 すると……。


「な、何!?」


 いきなり天地がひっくり返った。

 天井が下にあるのだ。



 錯覚……なのかもしれないが、

 ともかく今は、


        天 地 上 下 が

逆 転 し た 


     という実感しか、


 無 い !



「何だよ~これ~」


 アトラクションの時間は数分だったのだが、虎の疲労感は半端なかった。


「うんうん、秋山くんの素敵な顔が撮れました。あとで直に高値で売れそうです」


 市花は満足そうだった。




「あれ? ゲームコーナーじゃないのか?」


「あそこにいったらね、例えダーリンと一緒でも、ううんダーリンと一緒だからこそ、戻ってこれないと思うから」


 佐保理は、キメ顔で意味深なことを言ってはいるが、つまりハマって時間を忘れると言いたいらしい。


 そんな彼女が銃を手に取る。


 選んだアトラクションは『ドラゴンシューティング』。

 要は、ゆっくり進む乗り物に乗って、行く手を阻むドラゴンを次々銃で撃つというゲームらしい。


「ドラゴンなのに、銃でいいのか?」


「野暮なこと言ってると消されるよ、ダーリン。あ、始まる」


 そこからは、彼女の独壇場だった。

 虎の銃が火を吹いたことは数回ありはしたが、空しく彼女がドラゴンを倒した後の空間をすり抜けて行くのだった。


「わーい、ハイスコアだって!」


「よかったな、佐保理」


「うん」


 嬉しさの余り、抱きついてくる彼女。

 この笑顔のために、今日はここに来たのかも知れないと、この時彼は思った。



「よし、二人とも戻ったな。では最後の仕上げはアレにするか」

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