第4章 足玉 ~あやつる少女

第53話 翼をください

「どうだ、楽しいだろう、秋山」


 隣に座っている波瑠が虎の目の前にぴょこりと顔を出す。

 ち、近い!


「せ、せんぱい、近いです!」


 遠ざかろうとして反動でボートが揺れる。

 ここには逃げ場が無いのだった。

 これは厳しい。


「何度話かけてもお前が反応しないからだぞ。なりゆきとはいえ、女子が隣にいたら、しゃべりでエスコートくらいしてほしいものだ。まったく」


 そう、この状況はなりゆき。

 虎は、今、波瑠と二人でスワンボートに乗っている。


 スワンボートとは、その名の通り、白鳥の形をしたボートである。

 大きさは小型の車程度。

 胴体部分が屋根付きの搭乗場所となっている。

 足下に自転車のようなペダルがついており、これを漕ぐことで、水面を前に進むことができる。


 さて、なぜ二人なのか?

 このスワンボートが二人乗りだからである。


 なぜ波瑠なのか?

 それは……虎の隣を狙う、直と佐保理の静かな戦いに、波瑠自ら買って出たのだった。



『三方一両損だから、いいだろう』



 和やかに言う彼女に逆らえるものはいなかった。

 けして、単に、部長だから、ではない。


 ふと振り返ると、少し離れた水面で、直と佐保理は今は仲良く二人でスワンボートを楽しんでいるようだ。


 さらに離れたところに、市花と波瑠の兄、政のペアがいる。

 他のスワンに比べると、速度が段違い、かなり飛ばしている。

 政さんは相変わらずの表情、一方市花は楽しそうだ。



「三方一両損って、皆損するってことですか?」



 知らない言葉ではあったが、虎は損という言葉の響きが気になっていた。



「そうか、知らなかったか。古典落語でな、お金を三両落とした人がいて、拾った人が届けるんだが、落とし主は、『一度落としたものだし、拾った方に差し上げてください』、拾った人は『受け取れません』と、奉行所でどちらも譲らない。結局、お奉行様が自分のお金を一両だして、これなら平等だろうと、二両ずつ受け取らせたという話だ。登場人物三名の全員が一両ずつ損、だから三方一両損。太っ腹だよな、お奉行様」



 いつもながら波瑠の説明はとてもわかりやすい。

 しかし、これもいつもどおりであるが、虎が聞きたかったのはそういうことではなかったのだ。



「俺と一緒は、先輩にとって損なんですか……?」


「それは損だろう、久しぶりのスワンボートだぞ。何も気にせず、童心に帰って全力で漕いでみたいじゃないか」



 何だか違う話になっている気がする。

 虎は先輩の言っていることがわからなくなった。



「波瑠先輩、べつにボートは好きなだけ漕いでいただいて構いませんよ」


「だって、秋山がいては漕ぎづらいだろう」


「俺がいると、漕ぎづらいんですか?」


「……」



 波瑠の顔が赤くなっている。

 何かあるのだろうか? 虎の疑問は深まった。



「ち、ちなみに、さっきの話に出てくる奉行は、大岡越前守と言う、徳川吉宗の享保の改革を支えたことで有名な人物だ」



 どうやらはぐらかされてしまったようだ。


 こうなると、もう一度聞いても、いつも答えてくれない。

 今回も謎は謎のままで終わりそうである。


 むしろ、内容が波瑠好みの歴史になってしまったので、この話がなかなか終わりそうに無い。


 先ほど伏し目がちだった目は、今は爛々と輝いている。


 波瑠はとても生き生きしていた。


 珍しく垣間見せた彼女の可愛らしさに、虎が一瞬見とれてしまうほどに。


「奉行といえば、天保の改革を行った老中、水野忠邦を失脚させた、遠山金四郎も有名だな。彼は、実は、ウチの地域に縁のある人物なんだぞ」


 先輩の顔に気を取られていた虎は、話の内容に注意を引き戻された。どこかで聞いたことのある姓。いや、いつも聞いている姓。

 思わず口に出す。


「ウチの地域? 遠山? まさか直のご先祖様とか? な、わけはないですよね」


「わからないぞ。遠山の家は昔は武家だったと聞いているからな。家系図もあるとか言っていた。お前、幼馴染なのに知らないのか?」


「知りませんでした……」


「そうか。まあ、気にするな。私が歴史好きだと知っているから教えてくれたのだろうし」


 確かに直は話し上手。相手を見て、話の内容を変える。

 相手が波瑠だから、話したのだろう。


「話を戻すが、遠山氏は、この地を治める大名だったんだ。殿様の家系ということだな。ちなみに、お前の家の近くにある岩山城、あそこが遠山氏の本拠地だ」


「岩山城……もしかして、つや様も?」


 虎は思い出した。

 つや様は、あの艶。岩山城主だったと言っていた。


「つや様か……彼女があの女城主つやだとすると、ちょっと難しいんだよな」


「どういうことです?」


「女城主艶は、織田信定の娘。織田信定は、かの有名な織田信長の祖父だから、彼女は、つまり信長の叔母さんなんだ」


「信長の叔母さん?」


 驚きだった。

 織田側だと聞いてはいたが、まさか血縁であるとは。


「叔母さんといっても、信長よりも年下だけどな。そういうわけで、実家は織田家、政略結婚による嫁ぎ先が、遠山家なのだが……」


「秋山伯耆守の妻になるんですよね?」


「お、お前何故それを!? 隠れて勉強でもしていたのか?」


 波瑠が目を丸くしている。

 虎は少し誇らしい気持ちになった。


「考えてみると、自分と同じ姓というのは気になるものではあるな。そういうことか」


 誤解されてしまったが、いくら何でも、戦国時代で、直接本人から聞いたとは言えない虎だった。


「ということは、お前は知っているのか?」


「何をです?」


「……やめておく。つや様も、自分のことはあまり語りたがらないからな」


 何かを言おうとして、歯切れの悪い言い方で、やめる。

 波瑠にしては珍しい。


 虎には、何のことだかさっぱりではあったが、波瑠の望まないことを進んで確認するのも気が引けたため、話題を変えることにした。


「そういえば今日は、つや様いないんですね?」


「そうだな。今どこでなにしてるんだろうな」


 予想していなかった一言に、虎は驚く。


「ええっ? てっきり俺、先輩の家で飼ってるものだと思ってました。あの山の時もいたじゃないですか」


「あれはたまたまだ。べつにあの猫をうちで飼ってるわけじゃない。前にも言ったが、本当にきまぐれなんだ、彼女は」


 猫は家につくというが、猫に憑いているのが、つや様だけに勝手が違うようだ。


 ある意味、学校に憑いている?


「まあ、安心した」


「えっ?」


「お前、最近、蒲生のことばかり考えていただろう」


 波瑠は全てお見通しだったようだ。





 蒲生はあの日から学校に来なかった。


 虎は、あの翌日から毎日彼女のクラスに行ってみたのだが、その度に、体調が悪く、休みであると、告げられる。


 そして、そのままゴールデンウィークに入ってしまった。


 八握剣のためとはいえ、自分が、無理矢理に勝負をさせ、蛇比礼の力が解放されてしまったせいではないかと、彼は自分を責めざるを得なかった。

 

 気がつけば彼女のことを考えている。

 今日このスワンボートに乗ってからも、半分以上。


 それは、隣にいる波瑠にはとても失礼なことだったと、虎は反省する。


「こうして、他のことを考えられるなら、大丈夫だな。一つのことしか見えなくなったときは要注意だ。周りが見えなくなる」


「……」


 何度も同じようなことを言われた気がして、虎の申し訳なさは頂点に達していた。

 そんな虎に悪戯そうな微笑みを浮かべて、波瑠は続ける。


「例えば、さっきの三方一両損だが、実は、落とし主と拾った人物がぐるだったら、お奉行様の一人損だよな。一方一両損」


「あっ!」


 素直に驚く虎に、波瑠は満足そうな顔をして頷くと、続ける。


「もちろん冗談だ。視点を変えれば、という意味でとらえてくれ。発言からだけでは何が正しいかは導けない。自分の見たこと、聞いたことからだけでは真実にはたどり着けない。そう言える」


「自分にしばられないで見る、ですか」


「そういうこと。これを話す機会が持てただけでも、ここに連れてきた甲斐があったというものだ。堪能したことだし、そろそろ降りるか。後ろの二人からの視線が凶悪なものになってきたからな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る