第144話 伊勢瑞姫6 事故

 体が痛かった。

 痛いどころではなかった。


 痛いだけでは無く、体の自由が効かない?

 なぜか手足の感覚が無いのだ。

 我慢して力を振り絞り、かろうじて動く首を周して辺りを見回す。


 いったい何時なのだろう。やけに薄暗い。

 シートがたくさん見えるから、ここは、バスの中か?


 目の前の床には四散するガラス、そしてそこに倒れて動かないクラスメートの姿。


 動かないだけでなく、あらぬ方向に体が曲がっているものもいる。

 どこからか、うめき声が聞こえるから自分と同じで意識がある者もいるようだ。

 

 しかし頭がぼーっとする。眠いようなけだるいような。

 次第にあらがえなくなってきた。

 私の意識が薄くなっていく……消えていく……

 いけない、このままでは……

 ……



 ……



「ミズ? ミズッ!」


「ミズキー、起きてよ~」


 聞き慣れた二人の声。

 目をあけるとそこには、目を真っ赤にした義美と、珍しく取り乱した様子の晴子がいた。


「あれ……私……?」


 天井から目を落とすと、薬品棚。

 ここは保健室のようだ。


 この状況、あの騒ぎの後、不良達を連れてここまで来て、義美に対し謝らせた後らしい。

 私は時計で時刻を確認してそう思った。


 この冷静さ、少しは晴子に近づけただろうか。

 そう思えるということは、まだ頭は大丈夫みたいだ。


「いきなり、倒れるからびっくりしたよ、ミズキ。倒れるときはちゃんと倒れそうって言ってから倒れてよっ!」


「こらこら、ヨッシー無理なこと言わない。でも、大丈夫、ミズ?」


「あ、うん、何ともないみたい。疲れてたのかな、私」


「そーだ、きっとハルコが怒りのハルコモードでめちゃめちゃ怒るからだぞ、だから疲れちゃったんだ」


 よかった。顔はひどいことにはなってるけど、いつもの義美の調子だ。元通り元通り。


「そんなことないでしょ! ああ、でもちょっと言い過ぎたかも。けれどヨッシー、あなただっていきなり抱きついてたでしょ。あの時ミズがくらっときてたみたいだったよ。どこかにぶつかってなかった?」


「ひどいなーぶつかってないよー。ね、ミズキ」


 晴子もいつもどおりだ、と二人のやりとりを見て思いつつ、彼女の発言で私は考える。


 そうだ、確かに義美が私に抱きついたときまでの記憶はある。

 問題はそこからだ。


 フラフラしてあぶなかったから私が手で彼女の腕を支えた。

 その次の瞬間、何だか色々な映像イメージが頭の中に流れ込んできたのだ。


 雪夫と二人きりの下校、授業であてられて焦る姿、弟と喧嘩……頑張れば全部思い出せそうではある。

 あれを一気に見たから、私の頭がオーバーヒートしてしまったのか?

 でも、一つ解せないことがある。

 映像イメージの中で私は多分義美だった。

 弟君とか雪夫の顔はどう考えても義美に向けられた者だと断ずることが出来る。

 義美を通して世界を見ていた。


 となると……最後のは……一体……?


「ちょっと、ミズ。本当に大丈夫?」


「おーいミズキ~聞こえてるか~?」


「ああ、ふたりともごめん。心配かけちゃったね。私は大丈夫だから」


 腕拳をつくるポーズで元気をアピール。


「そんなことされると、逆に怪しく思えちゃうんだけど、ミズ」


「うんうん、怪しいミズキだな……あ」


 二人が私を訝しげに見ていた丁度その時、保健室の扉が開く。

 そこには血相を変えた雪夫が立っていた。


 彼はそのまま義美の方に駆け寄ってくる。


「大丈夫か、ヨシミ!? クラスのやつが俺のところまで謝りにきたんだけど」


「大丈夫、大丈夫。ハルコとミズキのおかげでぴんぴんしてるよ」


 笑顔。

 その顔では、とは思うけれど、彼女の自然な笑顔だ。

 つきあいの長い雪夫にもそれは伝わったらしい。


 それから、晴子が、義美に許可をとり、一部始終を話す。

 わざわざ許可をとったのは晴子らしい細やかな配慮。

 義美がどう思うかが重要なのだろう。

 本当に保護者みたいだ。


 話を聞いた雪夫は、女子の非道に憤っていたが、二度とさせないという頼もしい姉さんモードの晴子と、それより何より、謝ってもらったしもういいからという義美を前にして、剣を鞘に収めた。


「本当に大丈夫なんだな、ヨシミ」


「うん大丈夫、さっきミズキに抱きついたときに、一瞬頭がくらっとしたけど、そのくらい」


 この言葉に、雪夫より先に私が反応する。


「えっ!? よっちゃん。もしかして何かその一瞬で見えた?」


「へっ? ……秘密」


 我ながら変な物言いだったが、この反応。

 見てないなら見てないという彼女だ

 おそらく彼女にもあれが見えていたに違いない。

 秘密なのは雪夫と、その……なのもあったから。


「何々? 二人して何暗号言ってるの?」


 晴子が割り込んできた。

 困ったどうしよう。

 隠すつもりは無いけれど、どう説明したら良いのかがわからない。

 それにさっきのあのバスのこともある。


 そう私が悩んでいると、別の人物が更に割り込んできてくれた。


「おいおい、ちょっと待ってくれ。ここは俺の顔を立ててくれよ、源」


「ユキオ、あなたはちゃんとヨッシーのこと守ってくれないからダメ」


「これは厳しいな」


「そう思うんだったら、ちゃんと彼女をおうちまで送っていきなさいな」


 晴子は、義美のことを『彼女』なんて言わない。

 鈍感そうな雪夫も、さすがに今回はその意味に気がついたようだ。


「あ、ああ、わかった」


「善はいそげ、さっさと二人で帰って」


「「ええっ!?」」


 追い立てるかのような晴子に、動揺する二人。

 彼女はさらに追い打ちをかける。


「それとも、二人でここで、いいことするの? それなら私とミズが先に帰るけれど」


 二人とも真っ赤っか。

 困っている。困っている。


「か、帰るよ、な、ヨシミ」


「帰ってやる帰ってやる、ハルコのエッチー」


「何言ってるの? 私何もエッチなことなんて言ってないわよ?」


 こんな時にも彼女は容赦無い。これでこそ晴子節。


 二人は照れくささと恥ずかしさでもう何も言えなくなって、帰ることにしたらしい。

 義美の鞄を無理矢理持った雪夫の背中を、義美が押しながら保健室の出口へ向かった。早く早く、また何か言われる前にと。


「後でヨッシーに無事を確認するからね、ユキオ」


 ここで追い打ちを掛ける晴子に、雪夫はもう苦笑いを浮かべながら手を振ることしかできないようだった。


 義美は舌を出してべーっと口にしていた。


 賑やかな二人がいなくなり、急に静かになる保健室。


「長い一日だったねー、はるちゃんお疲れ様」


「誰かさんが鞄を隠したりしなければ、もっと早く終わってたかもね」


「厳しいなーはるちゃんは。でもあれは仕方なかったんだよ」


「仕方なかった?」


 ここで私は気がついた。

 夢のことを話していなかったことに。


 丁度良い機会だし、私は彼女に話すことにした。


「あの、その、ほら、前にユキオがよっちゃんに告白する夢のこと話したの覚えてる?」


「覚えてるけど……まさか今回も?」


「うん、全部夢に見たとおりだった」


「ちょっと待って。それならどうして鞄を隠したの?」


「それは、はるちゃんがクラスの子に、よっちゃんの鞄を返すように言ってるのを夢で見てたから。それなら、私が保護しておけば防げないかと思って。結局、夢と結果が変わらなかったから意味なかったけど。あれ? そういえばどうして」


「私、あの子達が、鞄を持って行ったものだとばかり思ってて、校舎裏に行ったのよ。置き手紙ではただ『来い』とだけあったんだけど勘違いして。でも私心底ムカついてたし、冷静じゃなかったかも」


「そっか、バケツのことといい、私無駄なことしかしてないね」


「バケツ?」


「トイレのバケツ。あれで水掛けられてよっちゃんが泣いちゃうのも見たから、私、隠しておいたんだ」


「ああ、だからあんなとこに」


「うん、本当に無駄だった。逆に迷惑かけちゃったね、ごめんね」


「……」


「はるちゃん?」


 難しい顔をしている。

 こういうときは、晴子は考え込んでいるのだ。

 私は、待つことにした、彼女が何かに辿り着くことを。


 そしてその時は来た。


「ミズ、それって、あなたの見た夢が絶対の未来になってるってことよね?」

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