第143話 伊勢瑞姫5 バケツ
「今川、アンタいい気になってるんじゃない?」
「いい気になんてなってないよっ!」
相手の発言を全力で否定し、義美が叫ぶ。
義美は今女子トイレで複数人の女子に囲まれていた。
彼女たちは、一様に不満を露わにした顔をしている。
なぜかはよくわからない。
「なってるじゃない、何あの大原君とのベタベタは」
こういうことか、どうやら雪夫ファンの一群らしい。
実は雪夫は容姿は悪くない、いやむしろ良い部類だ。
多分彼本人に自覚は無く、それゆえに性格の良い彼の言動に心を打ち抜かれてしまった子も多いのだ。
彼女達にとっては、義美は抜け駆けをした存在なのだろう。
義美許すまじと言う空気がトイレ中に満ちている。
「そ、それは、だって……」
口ごもる義美。
最近の雪夫とのことは自分でも多少の自覚はあるらしい。
そして相手が怒っている理由が雪夫のことだとわかったので、何と言って良いものかわからなくなってしまったのだ。
「だっても何も無い」
周囲の女子達には端から義美の発言など聞く耳などない。
彼女達にとっては、雪夫と義美がくっついたことが問題であり、それが気にくわないのだから。
「大体アンタいつも可愛い子ぶっててむかつくのよね」
「そんなことしてないもん」
「してるわよ、気付いてないならなお質が悪いわ」
「そうよそうよ、このビッチ!」
義美に向かい一団の女子が口々に悪口暴言を投げかける。
義美はとうとう泣き出す。
しかし、それでも彼女達の追求の手は緩むことはなかった。
「泣いたら許されると思ってるよ、こいつ」
「あーもうイライラするっ」
女子のひとりが勢いをつけて義美をつきとばす。
トイレの床に倒れる義美。
「はははは、ばっちくなっちゃったね今川。今綺麗にしてあげるよっ」
義美が顔を上げると、目の前には掃除用のバケツ。
ブワサッと、水しぶき。
全身ずぶ濡れにされた義美は、ただただもう泣くことしかできないようだった。
それでも相手は満足しない。
義美の様子に逆に加虐心を煽られたのか、このまま続けられたら義美の心が壊れてしまいそうだ。
「まだまだ足りないみたいだね、もうイッチョいっとく?」
残酷な微笑みを浮かべる彼女達、その時――
「あなたたち、何してるの!」
トイレの扉がバッと開き、凜とした声。
晴子だった。
「ちっ委員長様かよ。良いところなのに。見張りたてときゃよかった」
「ヨッシー……」
奥に横たわるのが義美であることに気がつき、女子の一群を押しのけて義美に駆け寄る晴子。
「こんなに濡れて……なんてことするのよ!」
「あーあ、しらけちゃったわ。ごめんなさいごめんなさい。じゃあ、失礼するよ委員長……まったくお前もむかつくわ、ケッ」
捨て台詞を残して去って行く一団。
晴子は、キッと睨んでいたが、目の前の義美の方が大事だと思ったらしく、彼女を介抱にまわっていた。
……
「まさか、ひとりで来るとか、委員長。頭おかしくない?」
学校裏の、義美が雪夫に告白された場所で、今度は晴子が、男女の一団に囲まれていた。
「少なくともあなたたちよりは良いつもりだけれど?」
晴子は、落ち着いた表情。
こんな人数を相手にしているというのにまったく不安を感じさせない。
その態度を相手は腹に据えかねたようだ。
「そういうのがムカつくんだよ!」
「先生にチクればいいと思ってるんだろ、チクリ魔がいきがるな!」
次々と来る口撃。
しかし、晴子はそれも気にしないかの風に受け流して続ける。
「はいはい、それはいいから早くヨッシーの鞄を返して頂戴」
「何言ってるのかわかんない」
「返してっていってるのよ」
「おいおい、もういいわ。なかなか可愛いし、俺らが楽しませてもらうから、どいとけ」
急に体の大きな男子が出てきた。
「おい、オマエら、囲め」
この言葉に他の男子が晴子の周りを囲む。
さすがの晴子も、少し顔に影がさしたかに見えた。
……
そう、これも夢だった。
私は教室で、授業中にも関わらずひとり頭を抱える。
今回は晴子も登場しているので、彼女には話しづらい、話せない。
でも、ひょっとして前と同じように現実になってしまうのだとしたら……。
私は、決心し、休み時間に女子トイレに向かった。
幸運なことに、誰もいない。
今のうち、とバケツをこっそり持ち出す。
そして、左右を見回し誰も自分の方を見ていないことを確認すると、窓から外にそっと放った。
これでよし。
バケツさえなければ、少なくとも最大の悲劇は防げるはず。
晴子が義美を救ってはくれるのだから、きっとそこは大丈夫。
もし単なる取り越し苦労でも、トイレの掃除当番が困るだけだから、悪いけどそこは許してもらおう。
いや、何も起きなかったら早めにもどしておくべきだ、とそんなことを考えながら完全犯罪を犯した私はそそくさと教室へ戻ったのだった。
そして問題のお昼休み。
図書室へ本を返しに行くと晴子が立ち上がり、トイレに行ってくると義美が消えた後、私は周りを見回す。
読書に勤しむクラスメートしか教室にいない。
それをいいことに、義美の鞄を更衣室の私のロッカーまで持って行った。
悪いことをしているわけではないのにドキドキする。
それは、義美にはちょっと悪いかもしれないけれど、校舎の裏で晴子が酷い目にあわされないためなのだからと自分に言い聞かせて頑張った。
ふと気がつくと、かなり時間が回っている。
晴子も義美も戻ってこない?
気になった私は、件のトイレに向かった。
途中ですれ違う女子生徒の一団。
あの夢に見た彼女達に相違なかった。
悪い予感がして急ぐ私。
そしてトイレの中で見たのは、ずぶ濡れの義美とハンカチでそれを拭いてあげながらあやす晴子の姿だった。
側にあのバケツがころがっている。
「えっ!? どうして濡れてるの?」
私は驚きのあまり声をあげる。
バケツは確かに無かったはずなのに。
「あんまりヨッシーのこと見ないであげて。そうだ、ミズ、タオル持ってきて貰える? あ、ヨッシーの体操着とジャージもついでにおねがい」
「う、うん、わかった」
急いで更衣室へ戻り、頼まれたものを手にして戻る私。
ありがとう、と言いながら、晴子は悔しそうに言うのだった。
「ここのバケツが外に転がってたから、戻したんだけど、戻すんじゃなかったよ」
謎は解けた。
解けたのだけれど、晴子以上に残念な気持ちになってしまった私だった。
そして放課後。
運悪く職員室にいる先生に用事のあった私は、義美の様子を見てくるという晴子の言葉を信じて見送らざるを得なかった。
義美はお昼休以来ずっと保健室。
晴子は、授業に出てはいたが、珍しく、遠目でも彼女の精神が穏やかで無いのがわかる有様だった。
おかげで私は鞄を戻すタイミングを失っていた。
用事がすぐに終わった後、ロッカーから義美の鞄を出すと、私は保健室に急いだ。
ベッドの上で膝を抱えるジャージ姿の義美はいたが、晴子の姿が……無い。
「あれ、はるちゃんは?」
「……来てない……」
か細く答える義美に悪くは思ったが、私は、その言葉を聞いた次の瞬間、保健室を飛び出し、全力で走っていた。
自分が行ってもどうにもならないかもしれないけれど、叫んで人を呼ぶことくらいはできる。
「!」
校舎裏についた私の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
「はるちゃん!?」
男子生徒が四名ほど、地面に倒れている。
気を失っていそうだ。
そして、最後の一名なのだろうか、あの大きな体軀をした男子が私の目の前で投げ飛ばされた。
地面にくたりと落ちる頭。
どうやら投げられたショックで意識を失ったらしい。
その勢いに周りの女子は怯えているように見える。静かだ。
「ミズ、来ちゃったのか……見られちゃったね」
「こ、これって……」
「合気道よ、合気道。まさかここまで決まるとは思わなかったけど、素人は悲しいわね」
本当に悲しそうな顔をする。
なるほど、合気道、晴子がやってるって聞いてたことは聞いてたけれど、まさかこれほどとは思わなかった。
「さて、あなたたちには、謝ってもらわないといけないわね。それとも投げられたい?」
この言葉にその場にいた私以外の女子全員が背筋を伸ばしていた。
そして一斉に頭を下げる。
「すみませんでした、源さん、いえ、姉さん」
「ちょ、ちょっと……?」
「半端なのは自分達でした。許してください」
「今川さんのこと、羨ましかったんです、ごめんなさい」
口々に謝る謝る。
最初は口から言っているだけだと思ったのだが、目を見て彼女達の本気度を確信した。それだけ、さっきまでの戦闘が恐ろしいものだったのだろう。
「もう二度としないって言うなら許すけど、ちゃんとヨッシーに謝ってね」
一件落着……とはいかなかった。
この後私は鞄を隠していたことを白状して、晴子に烈火の如く怒られることになったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます