第130話 ひとりごと 6 心友

 気がつくと病院のベッドの上。

 私は、あれからまる一日意識を取り戻さなかったのだと、病院の先生は教えてくれた。


 そして私はさらに残酷な現実を知らされる。


 一緒に運び込まれたジョーは、意識を取り戻すことなく、そのまま命を失った、と。


 ……涙がとまらなかった。

 


 幸運なことに個室が割り当てられていて、容態を見に来る医者の先生と看護婦さんくらいしか人と接することは無かった。

 だから、あの時のように心の声に圧倒されることは無かったけれど、その方がまだマシだったかも知れない。


 ジョーは私のせいで死んだのだ。


 これは間違いの無い事実。

 ごまかせない真実。

 ひっくり返りはしない現実。


 それが、私を、苦しめた。



 数日の後、精密検査の結果何も問題無しとのことで、自宅に帰った。

 自宅では、部屋に引き籠もり、食事も廊下側の扉脇に置いてもらうようにした。


 親はさすがに何か察しているようで好きにさせてくれた。

 ようだというのは変ね、私には全部聞こえていたのだから。

 彼らの素直な心配の声。

 もっとも、それを感じてたところで、感じる私自身が無感動無感覚の領域に達していたので意味はなかった。


 私は良心の呵責に耐えかねていた。

 大好きだったジョー。

 彼のあの笑顔はもう見られない。

 全て自分のせいで。


 ……


 そして、私は自殺を考えた。


 しかし、刃物を体に当てたときに、ジョーの顔が目に浮かんで、私は躊躇う。

 この命は彼が救ってくれたのではないか、それを捨てることは彼の生を冒涜することになりはしないか。


 ……できなかった。意気地の無い私。

 刃物を捨てて、ただ、泣いた。

 泣くことしかできなかった。


 それからは生きていても死んでいるような毎日。

 あの怒濤のように声が押しよせた時のことを思うと、学校など行けるはずもなく、行きたくもなく、ぼーっと一日中部屋で過ごし、時々泣く、一体私は何なのだろうと自問自答する、そんな毎日。


 いつまで続くのだろう、いつまで続けるのだろう。

 出口が見えない迷路の中で泣いている子供がこの時の私だった。



 そのままだったら本当に、自宅で一生を終えかねなかったと思う。


 転機は彼女が運んできた。



 いつもどおり、午後のけだるい時間を部屋のテレビを見ながら過ごしていたところ、扉をノックする音がした。


「ノリ、開けて、私よ……ハル」


 紛れもないハルの声だった。

 しかし、彼女にあわせる顔なんてない。

 私は頑なに扉を開けなかった。


「ダメか……じゃあこのまま話すね。学校へ来てよ、ノリ」


「……無理」


 感情を抑えてようやく言えたのがこの一言だった。


「あの日のことなら、私に言ったことなら、私は気にしてない、から」


「嘘」


「嘘じゃないわ。何となくなんだけど、あの時のノリ、ノリじゃないみたいだったから。上手く言えないんだけど、何かに乗り移られたみたいな、そんな気がしたの」


 ハルはやっぱり勘が良い。気が違っていたのは確か。

 でも残念ながら、あれは私だった。醜い本性をさらけ出した私。


「ジョーが死んでしまったことは、私も辛い……でも、私やノリがひきずったままでいるのは、ジョーは望まないと思うの」


 私もそうだと思っている……だから死ぬことができなかった。


「ねえ、何か言ってよ」


 この言葉の後、沈黙のまま、彼女は待っていたようだったが、私は、何も言う気になれず、何も言えなかった。


「まだ、時間が必要かな……また明日、来るね」


 寂しそうな声でそれだけ言って、彼女は帰っていった。



 そして、翌日から、彼女は毎日学校が終わると私の家にやってきた。


「今日も来たよ、ノリ」


 私は相変わらず、扉を開けなかったので、彼女はいつも扉の外から話しかけてきた。


 いつも私が沈黙したままなので、彼女は少しでも自分の方へ興味を惹こうとしたのか、それとも外の世界に注意を向けさせようと計ったのか、こちらが頼んでもいないのに色々な話を自分からしてくれた。


 今日学校であったこと。

 昨日のテレビで面白かったもの。

 最近読んだ本のおすすめ。

 ……


 以前部活で時間を共にしていたときでも、これほど彼女から何かを話すことは無かった。

 話の内容から、彼女の意外な一面を知ってしまった気がした私だった。

 語るという行為は、聞き手に対して自分を形作る行為なのかもしれない。


 話の中でもとりわけ、彼女がテレビを見るというのが驚きだったが、これはジョーがチューとの会話で面白いと言っていた番組を見たのが始まりだと付け加えたのを聞き、私は納得した。

 彼女は、自分の中のジョーを消さないように頑張っているのだ。

 


 ひととおり、話終えると、彼女はいつも扉の向こうでじっと静かに私を待っている風だった。


 私の反応が無いまま、小一時間たつと、「また明日来るね」と言い残して去って行く。


 この繰り返しだった。


 私は出て行きたくはなっていた。

 でも出て行けなかった。

 あと一歩が踏み出せない。


 ……そんなある日。


 その日、いつもどおり挨拶して、ひととおり話をした後、彼女は沈黙せずに続けて言ったのだ。


「ジョーがいなくなって、寂しいのがどうしようもなくて、考えたんだ。私の中にジョーを作る方法」


 何を言い出すのだ?

 とうとう彼女もどこかおかしくなってしまったのか?

 私は慄いた。


「おい、ノリ、出てこいよ。外の世界は、広くて光りに満ちてるぞ」


「えっ!?」


「こんな感じだよな。ジョーの話し方。俺……はちょっと無理か。でも、これで私の中にジョーがいるわけだ。どうだ?」


「ハル……」


 私は気付いたときには扉を開けていた。

 目の前には弱々しい顔をしたハルがいた。

 どうしようも無くなって、彼女に抱きついて、泣いて泣いて……。


「おい、ノリ、私のセーラー服、お前の涙でグチャグチャだ……」


「……」


 ハルの胸から顔を外して見上げると、そう言う彼女の顔も目元が真っ赤。


「離れろって、まったく美人が台無しだぞ、ノリ」


「そういうハルだって……本当にジョーみたいかも。ジョーだね」


「ああ、これがジョーだ。私の中にジョーがいるんだ」


「私もやろうかな……」


「お前はダメだ。ノリは可愛い女の子のままでいろって、私の中のジョーが言ってる」


「あはははは」


「フフフ、ははは」


 二人して、泣きながら、笑っていた。

 本当に疲れきってしまうまで。


 この日私は、近くの公園にハルと一緒に出かけた。

 夕陽の差す時間で、人がいなくていろいろ助かった。

 散々泣いた後で二人とも涙の跡が凄まじい顔になっていたし、やっぱり心の声の問題もある。


 それでも、公園に面した道を通りかかる人はいたんだけれど、一人、二人程度で、心の声も微かにしか聞こえなかった。

 そして、私はこの時、心の声を聞く能力がコントロールできそうであることに気付いたのだった。

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