第132話 ひとりごと 8 文化祭
「はい、ノリこれ」
いつもどおりの公園でのひととき。
ベンチに落ち着いた私の横で、ハルは、かばんをごそごそしてプリントを取り出すと、それを私に手渡した。
「もうそんな季節なのね」
文化祭の案内だった。
ウチの高校の文化祭は秋に行われるというのは聞いていたが、この時まで私はすっかり忘れていた。
そのプリントには、二日間にわたって、各クラスの出店や、演劇、楽器演奏などがあると書いてあった。
「ウチの高校の文化祭、OBとか学校外からの来客も多いらしいし、それに混じれば注目を浴びることは無いと思うんだが、どうだ?」
ハルが真剣な表情をして、私に提案してきた。
私的には願ったり叶ったりの内容。
迷うことは無かった。
次の瞬間、私は彼女に抱きつく。
これは予想していなかったらしく、ハルはあたふたし始めた。
「お、おい、どっちなんだ、行くのか行かないのか? む、無理なら、また何か考えるぞ。ちょ、ちょっとノリ!?」
「無理じゃないよ。ありがとう、ハル。立ち直りの機会をくれて」
それだけ言って、さらにしがみつく。
ハルの体はとても暖かかった。
そんな飼い犬のような私に、ハルは困った顔をして『こら、こんなとこでダメだろ』と言っていたっけ。
大丈夫、周囲に今いる五人は、全員こちらが気にならないように制御してる、とはさすがに言えなかった。
「私は、キョウケンの教室発表があるからずっと一緒にはいられないんだ。大丈夫そうか?」
開放される教室のひとつで、一年の活動報告を掲示するのだが、案内のため持ち回りで会場にいることになっているのだとハルは説明してくれた。
いざとなれば、心を操ってどうにもできる。
私は、大丈夫と答える。
そして、そのついでに疑問に思ったことを聞いてみた。
「でも、よく発表の準備できたわね。あ、その、いつも学校が終わると来てくれてるじゃない。いつの間に、って思って」
「……私も実はしばらく教室に行けなくて、保健室登校していたんだ。その間に、することが無くて落ち込むだけの私を見かねたのか、保健の先生が顧問の木下先生と相談してくれて、文化祭の準備をしていいことになったんだよ」
それでしばらくは、教室で授業を受けずに、社会科準備室でずっと一人文化祭での発表の準備をしていたのだという。
時々木下先生も来て、アドバイスしてくれたり、雑談したりしてくれたそうだ。
そのおかげで、段々落ち着いてきて、ハルは教室にも行けるようになった。
私はハルに救われたが、ハルもまた、木下先生に救われたのだ。
不思議な因縁。
この流れだと、私も同じように誰かを救わなければいけないときがくるのだろうか。ハルの和やかな顔を見ながら、そんなことを考えていた。
そして文化祭当日がやってくる。
久々の学校。家から学校にいくまでは本当に足が重かった。
人の心を操る能力を身につけたのだから、何も気にしなくてもいいはずなのに。
つくづく自分はまだ人間なのだと思えた。
何とか時間通り到着。
文化祭用の飾り付けがされた校門の前でハルが待っていてくれた。
「良く来たな、偉いぞノリ」
「ありがと、ハル。自分でも良く来れたと思う」
誇らしげにしてみた。実際ここまで来るのは心理的に大変だった。
そんな私の頭をハルが撫でた。
「ひゃっ、ハ、ハル?」
「ふふふ、この前の公園のお返しだ。抱きつかれる前に撫でる」
「誰かに見られたらどうするのよ」
「そうしたら私の彼女だって紹介するから問題ない」
男前発言。見事に公園でのかたきを取られてしまった。
学校は私にとってはまだアウェーで分が悪い。
「江戸のカタキを長崎で討たれた感じね」
言いながら、こんなカタキだったらいいかもと思ってしまった私がいた。
きっと、ハルは私をリラックスさせようとしていたに違いない。
過剰なスキンシップのおかげで、先ほどまで堅く重くなっていた体が急に柔らかく軽くなったように思えたから。
そのまま私は、ハルに導かれるままに、キョウケンの発表が飾ってある教室に向かった。
久しぶりの下駄箱、久しぶりの廊下、久しぶりの特別棟。
文化祭仕様になっているため様変わりしていて、随分長く来ていないように思えてしまった。
通りがかる生徒が私を奇異な視線で見ているように感じる。感じてしまう。
全員が全員私のことを知っている訳はないのだし、今日は学校のセーラー服を着てきているから、そもそも知り合いに会わない限り、おかしく見られることのほうがないはずなのだけれど、引き籠もりとは悲しいもの。
そう、心を読めばきっと安心できる。
でも、私はそれをしたくなかった。
余計なものを見てしまう可能性の方が高いから。
だからこの日は耳を塞ぐように心を塞いでいた。
ハルの気遣う視線を感じる。
大丈夫と視線に込めて返す。
ようやく社会科準備室についてほっとする。
ハルは、ここで一日ゆっくりしてるといいよ、と言ってくれた。
しかし、それに対し私は首を振る。
怪訝な顔をするハルに、私は、連れてって、とそれだけ返した。
ハルは最初は心配げな顔で諭したが、私の強情さにやがてあきらめて手招きした。
私はハルが作ったものを見たかったのだ。それだけだった。
彼女に連れられて階段を降りる。
特別棟の一階にある多目的教室。そこが目的地。
利用したことが全くないため、普通の教室よりも大きめな以外は特徴が無い場所の印象だったが、なるほど、今回ようやくこの教室の真価が理解できた。まさに、今日この日のためにあるような場所だったのだと。
入り口脇の机にいる生徒に、挨拶して中に入る。
中は幾つかのエリアに区分けされ、文化系の部活の成果がそこらここらに飾られていた。
キョウケンは左手の奥の一角が割り当てられていた。
そこに掲示されている内容に私は驚く。
「これ、私の……」
「こらこら、私たちの、だろ」
そうだった、『女城主
二人で集めた史料、全部覚えてる。
私は、誇らしげにそれを眺める。
木下先生の肝いりなのだろう。
岩山城の女城主
ハルは、『私たちの』と言ってくれて、それはとても嬉しいことだけれど、やはり、ここまでの形にしたのは彼女の力であると思わざるを得ない。
夢中になって見ているうちに、あっという間に最期まで見終えてしまう。
そして、自然と視線を横に。
そこには、『武田信玄の生涯』と続いていた。
ノートをそのまま貼り付けて作られている。
なつかしい筆跡。
「ハル……これってジョーの」
思わず、抱きついた私に、この時はハルも抵抗せず、優しく私の頭を撫でてくれた。
「私の中のジョーが、飾っとけって、言ったんだよ」
誕生から、父親を追放しての甲斐(山梨県)継承、信濃(長野県)への侵攻と進んでいたが、村上義清という武将と戦って負けたところで終わっていた。
「ふーん。武田信玄も負けたことがあるのね」
「勝ち負けを何で定義するかは難しいが、そこに書いてある『上田原の戦い』と、『砥石崩れ』で村上義清には二回負けている。しかも、いずれも戦死者が多数出るほどの大敗だ」
「同じ相手に二回も? そんなに負けちゃって、大丈夫だったの? ああ、でも大丈夫だったから、こうして歴史に名前が残ってるのか」
「そうだな。負けた原因を彼なりに分析して、負けないように挑み、最終的には村上義清に勝利して信濃を手にするんだ。大事なのは、どん底に落ちたときに、そこで諦めるのかどうか、そういうことなのかもしれない」
「ねえ、そこまで調べてるのにこの先が無いのはなぜ?」
「ジョーの発表にしたかったから、私はレイアウトした以外、全く手を加えてないんだ。さっき話したことは、私も気になったから個人的に調べたんだよ」
もう何も言えなかった。
涙がいきなり溢れてとまらなかったから。
それから、しばらく、そこでハルと一緒に過ごしていた。
残念なことに人は全く来ない。
でも、それはそれで、いいような気もしていた。
そして、時間は瞬く間に過ぎ、お昼。
私たちは社会科準備室で一緒にお弁当を食べた。
箸でハンバーグをつつきながら、思い出したようにハルが言い出す。
「そうだ。午後からクラスの出し物があるんだ。さすがに免除とまではいかなくて……その、メイド喫茶なんだが」
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