第133話 ひとりごと 9 少女

「人気者は辛いね」

 

 そう言って私はハルを送り出した。

 出し物は学年棟で各クラスの教室を使って行われる。


 きっと、ハルのファンクラブが許さなかったのだろう。

 むしろ、ファンクラブがハルにメイド姿をさせるために仕組んだのではないかとも思える。執事との選択に悩んでいたりもするのではないだろうか。


 ハルのメイド姿は見てみたいが、さすがにちょっと行きづらい。

 それを理解してくれている彼女は、後でクラスメートに取ってもらった写真で、と言ってくれた。

 断らないのがハルらしい、とつくづく思う。



 二、三時間程拘束されそうだから、その間社会科準備室で自由にしてくれていいとは言われたけれど、やはり気になった私は、再びキョウケンの掲示がある多目的教室に来てしまった。

 しばらくいるつもりだったから、鞄まで持って。



 といっても何もすることがない。

 人はあいかわらず来ない。

 いや、来ても困る困るのだけれど、その時は、掲示を見てる一般人の振りをすればいいと、そう軽く考えていた。

 軽く考えすぎていた……。



「もしかして、ノリ?」


 突然の懐かしい声に私はふり向く。


「チュー……」


 そこにいたのは、チューだった。

 一般人の振りをしてかわすことはできない人物。

 その前に、どんな顔をしたらいいのかがわからない。


「まさかこんなところで会うなんて」


「私も同感」


 とりあえず、あわせておいたが、案の定会話が弾むわけもなく、静寂が続いた。

 見つめ合うでも無く、互いに別の方を向きながら。


 ちらりと横目で様子を窺うと、チューは掲示をじっと見ていた。


「俺のはさすがに無いんだな」


「……掲示したかったけど、もう部員じゃないからチューが嫌がるかもしれないし、やめといたってハルが言ってた」


「そうか……」


 彼が軽くすませたように、この時の私は感じた。


「そうか、って、それだけなの?」


「えっ!?」


「どうしてキョウケンやめちゃったのよ。ハルがあんなに苦しんでたのに」


 我慢できなくて言ってしまった。

 これは、本人に直接聞いてみたかったことだった。

 ハルはジョーの死のショックでと素直に受け取っていたようだが、私はそれでは納得できていなかった。


 能力を使って心の声を聞けばわかるけれど、そう言う問題ではないのだ。

 私は、彼自身の言葉で説明してほしかった。



「ジョーのお葬式で殺されかけたんだよ、俺……」


「えっ!? どういうこと?」


 彼の口から語られた言葉があまりにも衝撃的だったため、私は聞き返さずにはいられなかった。


 彼は、周りを見回して自分達以外がいないのを確認すると、こう言った。


「ノリ、やっぱりお前は知っておいた方が良いと思うから、話す」


 そして語り出した。恐ろしい話を。



 彼は、ジョーのお葬式にハルと一緒に参列した。

 事情が事情だけに、ほとんど親族のみで行われたそうだ。

 チューとハルはその例外だった。


 親族、すなわち、ジョーの妹の武田たけだ松莉まつりもその場にいた。

 彼女は、泣きどおしで、母親らしい人にずっと付き添ってもらっている状況だったという。


 ここまでであれば、何の問題も無かった。



 お葬式がひととおり終わり、会場の駐車場でハルを迎えに来た政さんの車に彼女が乗るのを見届けてから、チューが一息ついている時にそれは起きた。



『お兄ちゃんを殺したのはお前か』


 声にふり向くと、そこには松莉がいた。

 手でカチカチと音をさせている。

 それがカッターナイフであることを、チューは信じたくなかったという。


『松莉ちゃん?』


『誰がお兄ちゃんを殺したの? 殺した奴を私は許さない』


 彼女は明らかに狂っていた。

 殺意の塊。


『やめるんだ、松莉ちゃん』


『やっぱりお前が殺したのか?』


『そんなことしてない! するわけないだろ! 俺だよ、チュー兄だよ』


『知らないね、そんなやつ。鬱陶しいな、やっぱり殺しておくか』


 彼女はカッターナイフを振り回した。

 偶然駐車場を通りかかった会場のガードマンがいたのはチューにとっては幸運だった。

 所詮女の子、とりおさえられて、彼女は呼ばれた親御さんとどこかに連れていかれたという。


 切りつけられたこともショックだったが、チューはもともと彼女のことが好きでもあり、二重に辛い状況。


「俺が好きだった彼女はどこかへ行ってしまった」


 チューのところには、松莉の親御さんが謝りに来たという。

 彼女の様子を聞くと、中学にも行かず、ずっと家に閉じこもっているとのことだった。 


 勘の良い彼は思った。両親が松莉を自宅に閉じ込めているのでは無いかと。

 娘のことを話す親にしては、あまりに、感情を感じなかったそうなのだ。


「あの時、彼女、松莉ちゃんの狙いは俺のような気がして、そのままキョウケンにいるとハルまで巻き込むんじゃないかと思ってやめたんだ」


 ジョーと一番一緒にいたのは俺だったからな、と付け加える。


「でも、家に閉じ込められてたんでしょ? もう施設とか病院に行かされてるとかないの?」


「わからない。これはあくまで人づてに聞いた噂なんだけど、あの時の車の運転手事故にあったらしいんだよ、急にタイヤがパンクしたとかで。彼女は、まだ探してるのかも知れない、他にも兄の死に関与した人物を」


「そんな。中学生の女の子なんでしょ?」


「わからない、俺も気が狂いそうなんだ。あの笑い声があたまに残ってて……」


「笑い声?」


「ケケケケケ」


「そうこんな……」


「ケケケケケ」


「えっ!?」


 ぐしゃぐしゃの髪に、よれよれの服。

 入口側に彼女がいた。見間違うはずもない。武田松莉――

 手には、カチカチあのイヤラシい音をさせている。


 隣では、情けないことに、チューが腰を抜かして崩れていた。

 もう見た瞬間に。

 以前の駐車場の一件の恐怖が彼の心に沁みついているのだ。



「松莉……ちゃん?」


「ケケケケケ、お兄ちゃんを殺したのはお前か」


 念のため誰何したが、予想通りの返事がかえってきた。


「そうね、ジョーが死んだのはきっと私のせいかも」


「やっと見つけた。お前を殺すよ」


 カッターナイフで切りつけてくる。

 さっと避ける。

 彼女は、掲示板につっこんだ。掲示板が倒れる。


「残念ね。この命はジョーにもらったものだから、あなたにはあげられない」


 起き上がり、即座に再びつっこんでくる彼女をかわす。

 私の命を確実に奪うつもりなのだろう、動きが直線的で読みやすいことこの上ない。

 今も不思議に思うけれど、この時の私は、チューの情けない分を補おうとしたのかすこぶる冷静だった。


「松莉ちゃん、キョウケンはお兄さんがいた部活なのよ、この掲示板はあなたのお兄さんの発表でもあるのよ」


 こうすれば、兄の筆跡を見て、彼女の心に響くものがあるのではと期待したのだが、裏目に出た。彼女はもう行き着くところまで行ってしまっていたのだ。


「知らないよそんな殺人クラブ、こうしてやんよ」


 彼女は私が指さした掲示をカッターナイフで切り刻んだ。

 私とハルのものも含め見境無く。

 私は、あまりのことに呆然としてしまい、止めることもできなかった。


「ケケケケケ、ジョー兄を失った私の心の痛みはこんなもんじゃないんだよ」


 やはり、やるしかないのだろう。

 私はようやく心を決めた。


「松莉ちゃん、あなたがこうなったのは私のせい。ジョーごめん、あなたの妹、……書き換えリライトするね」


 私は念じて手をかざす。


「あん? 何言って……」


 私への文句を言い終える前に、彼女はその場に崩れ落ちた。


「な、何したんだ、ノリ?」


「ごめん、チューも……書き換えリライト、全部忘れて」


 チューもそのまま意識を失う。


 二人に行ったのは大規模な記憶操作。

 この場合、脳が耐えられなくて意識を失ってしまうらしい。

 これは、過去にショッピングモールの万引き犯を更生させようと試みた時に実証済みだった。


「さて、あとは、周りの連中の記憶を消して……これでよし。あっ!」



 ここまでスムーズに事を運んでいた私は頭を抱える。

 倒れている二人は、もうすぐここに来るであろう先生に任せればいいとして、掲示板はどうしようも無い。


 ハルがどんな思いでこれを作ったのか私は知っている。

 下手な小細工では、チューと松莉のことが知れてしまう可能性が残る。


 ハルは自分の口から言わないが、きっとジョーのことが好きだ。

 その妹が、こんな事をしたことを知ったら悲しむだろう。


 これがハルでなかったなら。何度そう思ったことか。

 彼女の心には触れられない。触れられなければ書き換えリライトできない。


 そこまで考えて、もう私の腹は決まっていた。

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