第23話 状況一変

「あ、さおりんおっはよー」


 教室の扉を開けていつもどおり目を伏せたまま、誰とも目を合わせずに席までいこうとしたところを急に呼び止められる。


 さ、さおりん?


 首を持ち上げる。声の主と目があう。


 目の前にいたのは、クラスでも割と中心的というかギャル勢なグループにいる子のひとりだった。

 つまりは、スクールカースト上層民。


 もちろんこれまで全く話したことはない。


 むしろ、たまに「お前いたのか?」と言わんばかりのジロリと冷たい目で見られるか、無視されるかくらいの感度で過ごしてきているはず。


 自分であっているのだろうか?


 でも、相手の目は間違いなく自分を見ている。

 とにかく反射的に挨拶するしかなかった。


「お、おはようございます」


「何~、今日はまた別モード? ま、いっか。もうアタシら友達よね」


 肩を叩いてくる滅茶苦茶フレンドリーな彼女に、あはは、と力なく笑って答え、ともかく席に向かう。


 その席に着くまでの間も、何故か男女関係無く、異様に周りが挨拶したり話かけてくるので、席につくまでにいつもの十倍くらい時間がかかった。


 さらにそのうえ、席についてからも、前後左右からまた違うクラスメートがひっきりなしに話しかけてくるのだ。


「ねーねー、さおり、私の悩み聞いてよ」

「ウチの部活入らない。運動神経良いやつが今いなくてさ、募集中」

「放課後空いてる? 一緒にいきたいとこあるんだけど」

「今付き合ってるやついる? 俺とつきあわねー?」

「こらこらどさくさに紛れて告白? 私も男だったらしてるかもだけど自重しなさい」

「そんなこといいからさー、委員会の仕事手伝ってほしいんだけど、だめ?」


 全くこういう状況に慣れない彼女は、和やかに応対に努めるも、心の中では閉口していた。


 そして、あまりに多い、多すぎるので、耐えきれず。

 情けないことに目を回して、倒れてしまったらしかった。




 意識を取り戻すと、目には白い天井が映る。


 自分はベッドに寝かされている。

 どうやらここは保健室らしい。


 ふと見ると、そのベッドの脇にひとり女子生徒が椅子に座っている。


 佐保理が起きたのに気がついたらしく、手にしていた文庫本をパタリと閉じた。

 そして彼女は言ったのだ。


「あ、目が覚めた? 大丈夫?」


「う、うん」


 まだ少しぼーっとする頭のまま、思わずしげしげと彼女を眺めてしまう。


 ちょっと明るめのブラウンの髪を三つ編みにして片側サイドに降ろしている。

 当然顔のラインが露わになっているものの、輪郭は綺麗な曲線を描いており、女子の自分から見ても綺麗な方だと思える。


 どことなく、ちょっとお嬢様っぽい。

 目は細く優しそうな印象を与える。


 多分保健委員ではないかとは思うのだけれど、こんな子クラスにいただろうか? 思い出せない。


 微妙に疑念は湧いたものの、そもそも今日学校に来てからの自分に対する皆の反応も理解できていない自分としては、自身の学校の認識自体に自信が持てなかった。



 全ての原因は、今朝目覚めてカレンダーを見たら火曜日だった、これに尽きる。


 今日は土曜日だとばかり思っていたので、自分の目を疑って何度も確認したが、残念ながら状況は変わらなかった。


 ソウジと武蔵と初めて会ったのが金曜日、その夕方近くに晴明にさらわれているのだが、そこから数えると、土・日・月の三日分飛ばされている。


 三日分の記憶が無い。


 休みが無かったために、体もついてゆけていない。

 教室で倒れてしまったのは、必然。


 記憶が無いことについては、いつも自宅で読書に励んでいるだけの土日はともかくとして、問題は学校のあった月曜。


 昨日、自分でない自分は、いったい何をしでかしたのか。


 全く世界が変わってしまっているのに、佐保理は正直とまどっていた。

 まるで、浦島太郎。



「本当は人付きあい全然得意じゃないものね、あなた。皆に一気に色々言われたから疲れちゃったんでしょ」


「えっ?」


 固まる。

 そして彼女の言葉を頭の中で反芻する。


 間違いない、目の前の女の子は、自分の真の姿を理解しているのだ。嬉しいような気もするが、しかし、いったい彼女は何者なのか?


 疑惑の念がむくむくとわき上がる。


 だが、考えてみると、保健室でこうして着いていてくれたということは、味方だと考えても良いだろう。

 ひょっとしたら、こんな自分をいつも影で見ていてくれていたのかもしれない。


 それならば。

 佐保理は勇気を出すことにした。


「うん、ちょっと困ってるの。そもそも昨日自分が何をしたのか覚えてないし。知ってる範囲でいいの。教えてもらえる?」


 ちょっと唐突で、変な質問だっただろうか。

 変な子に思われたかもしれない。

 でも、相手は自分のことをわかっていそうだから、大丈夫、きっと大丈夫。


 こんな風に不安と希望の間で揺れる佐保理をよそに、彼女は表情も変えずに淡々とこう言った。


「いいわ、教えてあげる」


 それから彼女が語った内容は、佐保理を絶句させるものだった。



――――――



 早朝、登校した私は、下駄箱横の廊下で、とある男子生徒が他の男子生徒に絡んでいるのを見た。


 絡んでいる側は、どうみても上級生の不良。

 絡まれている側は、一年生。


 どうやら、肩がふれただの、ふれないだの些細な理由らしかった。

 通行人は、巻き込まれるのを恐れてか、誰も皆見なかったように通り過ぎて行く。

 見かねた女子生徒が、呼びかけるが、ギロリと睨まれて二の句を告げることができず、その場を離れる。


 これが私は気に入らなかったらしい。

 らしいというのはその後の行動による推測だ。


 私はいきなり、かの不良の後頭部に回し蹴りを放ち、一撃で成敗したのだ。


 この一撃で彼は完全に意識を失っていたという。

 こちらは女子だというのに、全く見かけ倒しも甚だしい。


 次の瞬間周りの生徒からは、やんや拍手の大洪水だったという。

 騒ぎを聞きつけて生徒指導の先生もやってきたが、相手が札付きの悪であったこと、脅されていた一年生の男子が証言してくれたこと、何より周りの他の生徒も声を揃えて庇ってくれたことで、その場で無罪放免とされた。


 我ながらなんという武勇伝。

 しかし、これだけでは終わらないのだった。


 体育の授業中、私は気がついたらしかった。クラスメートの女の子が先生にセクハラされているのに。


 その子は、少々派手な外見をしていることで、目立つため、云われなく職員室に呼び出されることが多く、弱みというほどでもないが、内申書をちらつかされ、脅されていたのだという。


 生徒の体を気遣う振りをした何気ない接触に見せかけてはいたが、明らかに嫌がる彼女の顔に、私はきっと許せなかったのだと思う。多分。


 またも突然の回し蹴り。

 一撃で倒れる体育教師。


 私の放つ蹴りは必ず会心の一撃クリティカルヒットとなるらしく、この時も喰らった教師は完全に意識を失い、起き上がるそぶりすらなかったそうだ。


 ただ、暴力を振るった相手が教師だったこともあり、校長も出てくるほどのレベルで問題になり、教師に手をあげた自分はあわや退学、という事態になりかけたという。


 しかし、周りの女子のセクハラ被害の証言が二十を超えた辺りで、校長も彼もかばい立てできなくなったらしく、私は無罪放免。

 教師は即刻、謹慎処分となり、今日はもう来ていない。

 事は教育委員会にも伝わっており、現行犯だけに、彼の懲戒解雇は確実。


 先生にセクハラされていたというのは、あのギャル子だろう。

 どうりでなつかれるはずである。


 こうして世間の注目を集めてしまった私は、よせばいいのにそれに留まらず超人性を発揮した。


 授業では教師が意地悪で出した大学レベルの数学の問題をすらすら解いて、絶句させたという。

 彼は何度も手元の解法と見比べていたというから、よほど信じられなかったのだろう。


 放課後は当番でもないのに掃除当番を手伝い、教室の床は私の手により鏡のようにピカピカに磨き上げられた。

 ここまでする人間はいない、当然私の声望は良い意味で高まった。


 そして掃除の後、ゴミを捨てにいったところで、私は痴話げんかをしているカップルを見かけたのだ。


 一緒に帰る帰らないから、もつれて別れ話になっているところを、回し蹴りならぬ、一喝!


「好いているなら、まず相手を尊重なさい!」


 これに二人とも参ってしまったらしい。


 元々相手のことが嫌いになったわけではない、好きだから逆に思い通りにならない状況に地団駄踏んでいたのだから。


 思いを再確認した二人は、互いに謝りあって泣き始める。


 そして落ち着くと、満足げに頷く私に同時に抱きついてきたという。

 なんという青春。


 もう言うまでもないだろう。

 こうして四月早々、一日にして伝説の女子生徒となってしまった、というわけだ。


――――――


 せ、晴明め……。


 佐保理はここにいない彼を呪った。

 明らかに、全て自分と入れ替わっていた式神の仕業だ。


 そして頭を抱える。


 そんな状況の彼女に、傍らの少女は話を締めくくるかのように、淡々と言った。


「もう、この学校で貴方のことを知らない人はいないわ。どうなの、元のひとりぼっちに戻りたい?」


「え? ど、どういうこと?」


「私は全部知ってるの。わかるの。そして、あなたが望むなら、また戻してあげることができる」


「そ、そんなこと急に言われても」


「困る、のね。わかった。今日のところは問題はないから不問にしておく。また遭いましょう」


 気配がなくなったのに気づいた佐保理がふと見ると、椅子にはもう彼女の姿は無くなっていた。

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