第111話 清姫は語る Ⅲ ばけもの
「ば、ばけもの!」
私は気を抜いていたのかもしれません。
シーズンで人が増えていたのにも関わらず、その日ものんびり湖で水浴びをしていたのです。
そこを、小さな女の子に見られてしまいました。
あわてて隠れた私は、彼女が駆け寄ってきた両親に訴えているのに対し、両親が打ち消しているのを聞いて安心しました。
しかし、それは悪夢の始まりだったのです。
周囲に人間の気配を感じることが多くなりました。
ああ、申し上げていませんでしたか、蛇身になっているときは、とても感覚が鋭敏になっているんです。
今から思うと、少女の目撃がネット等で拡散されたのかもしれません。
そのため、私は、神社の本殿から身動きがとれなくなりました。
逃げるあて、行くあてもなく、見つかったら、どんな目にあうかわかりません。
殺されるでしょう、こんなに大きな蛇は。
この忘れ去られた神社に引きこもっていれば大丈夫。
そう思っていたのです。浅はかでした。
日に一度、あの子たちが捧げてくれる物で命を繋ぐ私は、その日もその時だけ外に出たのです。
突然周囲から掛けられる網。
私は狼狽しました。
幾人もの人影が周りを囲んでいます。
当然私は抵抗します。
すると、パンッと乾いた大きな音がしました。
硝煙の臭い。
銃です。
銃で撃たれたのです……。
撃った相手は驚いていましたよ。
弾が鱗で止まっていましたからね。
気を取り直したかのようにそれから何度も撃ってきましたが、弾は全て私の鱗に弾かれました。
私自身も死ぬものかと思っていたので、安心はしたといえばそうです。
でも、痛いんですよ、とても痛いんです。
だから私は怒りに我を忘れました。
……
気がつけば周りに動く人影はいませんでした。
体を振った勢いで周囲の人間を全て弾き飛ばしていたようです。
人間とはもろいものだと、蛇の私は思いました。
ですが、まだ私は周囲に気配を感じたのです。
まだ、私を狙うものがいるのか!
怒りのままに気配に向かって、私は這いよります。
そこにいたのは、あの少女でした。
『ば、ばけもの!』
またあの台詞を言う彼女に、私の怒りは頂点に達しました。
私だって人間です。
今ならば……しかしその時は人の心を失っていました。
網に掛けられ銃で撃たれた時点で、周りは全て敵となっていたのです。
この時の私は私でなかったと、思いたい。
牙をむいた私は、そのまま彼女に襲いかかりました。
……
その瞬間、横からの衝撃で、私は弾きとばされたのです。
……
酷く痛む頭を持ち上げて、少女のいた方を見ると、そこには三つの人影がありました。
青く光る剣を持って、立ちはだかるポニーテールの女の子。
気を失っている少女を抱いている、短髪で黄色いパーカーを着ている女の子。
やれやれといった表情で腕を組むサイドテールの女の子。
私は痛みのせいか少し冷静になっており、先ほどまで、この三人の気配を全く感じなかったことに驚いていました。
『ふー、あぶなかったの。妾の体重では心配であったが、なんとか成功した。
『急に出て行かないでよ、つや。びっくりするでしょう』
『ノリスケ隊長、女の子は大丈夫そうであります。呼吸・脈ともに正常』
『
『
『怪我がないとは言わないけれど、全員生きているのは保証するわ』
『そうか、それは
『言われた札は周りの木に貼ったよー』
『ならば……すまぬが大人しくしておれよ。すぐに楽にしてくれようて。……
その時――
私の周囲の空間がゆがみました。
次の瞬間、何というのでしょう、脱力感、疲労感、長距離を走った後、気が抜けた時のようなあの感覚が押し寄せてきたのです。
くらくらしてきました。
耐えられなくてもう……
私は気を失いました。
目をあけると、天井。
ハッと私は気がつきます。
手と足の感覚があるのを感じたのです。
布団をはねのけ飛び起きて、両手がグーパーできるのを確認します。
足も左右別々に曲げることができました。
『手だ……足だ……』
大蛇になる前に戻っただけなのですが、とても嬉しかったのです。
喜びのあまり、目から何かが溢れてきました。
『おはよう。もう体の調子は良いかしら?』
横を見ると、そこにいたのは、あのサイドテールの子でした。
見回しても今は彼女しかいないようです。
私は急いで袖で涙をぬぐい、彼女に向き直りました。
『
彼女の言葉に私は頷きます。
『何から話したものか……そうね、あなたはここ半年行方不明だったの』
そんなにたっていた?
どうしよう、父と母はどうしているでしょうか。
『でも安心して、全部は戻せないけれど、あなたが高校生活を過ごすのに困らないようにすることはできるから』
『え、でも私、私のいない間のことがありますから、それは無理ではないでしょうか……』
長期間の行方不明。
父も母もクラスメートも何もなかったという訳にはいかないでしょう。
『あなたは、いなくなってはいないことにしたから大丈夫』
彼女のとんでもない発言に、私は心底驚きました。
『そ、そんなことできるんですか?』
『私には、ね。ただ、元に戻せなかったことがあるの』
『何でしょう?』
『それはあなた。あなたの記憶はもどせなかった』
『……』
私には、蛇になってからの記憶が全てのこっています。
確かにもう、蛇になる前の私には戻れません。
自分がされたこと、自分が犯したこと。
全てを背負って生きなければならないのです……。
『それともうひとつ、あなたの呪いも』
『呪い?』
『解けないもののようなの。覚えているかしら、あの時剣を振るい、結界であなたの霊力を全て放出させた、あの子を』
忘れるわけはありません。
祝詞を唱えた後のあの子の優しい微笑んだ顔。
私を見守ってくれるかのような、澄んだ瞳でしたから。
頷く私に彼女は続けました。
『あの子が言っていたの。気が満ちると
何てことでしょう。
人の姿に戻れたと思っていたのに、またすぐに同じ事が起きるというのです。
それを防ぐには、あのおぞましい姿に自分からなるしかないとは……。
『蛇比礼は心が綺麗な女性を好み、その精神を食むそうです。心を失えば行き着く先は……あなたの心だけは私にはどうすることもできないわ。救うつもりだったのに、ごめんなさい』
残酷な現実を突きつけられて、私は何も言うことができなくなりました。
『そうだ、これも伝えるように言われたの。「この清姫の呪い、精神の病については、人を本当に好きになることで解ける」 私には何のことかわからないけれど、そういうものらしいのよ』
謎かけのような言葉。
悩んでいる私に、彼女は続けて言うのです。
『今は無理かもしれないけれど、落ち着いたら、私のところにいらっしゃい。責任はとるから』
『責任?』
『あなたの苦しい悲しい記憶を残してしまった責任。もう、一人でも二人でも変わらないから、どんと来い、よ』
責任の意味は全く理解できなかったのですが、彼女の澄んだ瞳に籠る想いはわかる気がしたのです。だから私は彼女に惹かれてしまったのだと、そう思います。
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