第177話 炊飯器を頼んだ
「美味しかったー」
佐保理が満足そうな顔をしている。
彼女の語彙力はどこにあるんだ、と思わざるを得ないが、最も端的に表現するとなるとやはりこの言葉が相応しい。
「これ市販のそのままじゃないですよね。スパイスとか隠し味とか、口に入れた途端に旨みが広がって、辛いのが苦手な私でも不思議と食べられちゃいました」
これは直。彼女は実は料理は得意なのだ。
だからこそわかるのだろう。
この料理に込められた、先輩の工夫が。
「これを楽しみにここまで頑張ってきたようなものです。ご馳走様でした」
手をすり合わせた
言葉の通り、繰り返される彼女の戦いはまさにこのためにあった、というかのような良い顔をしている。
それでいいのかどうかはさておき、彼女も満足する一品だったのは確かなようだ。
「波瑠先輩、俺、キョウケン入って良かったです。最高です、このカレー」
「最初にお前に会ったときのことを思い出してこれにしたんだが、皆にも喜んで貰えてよかったよ」
自分でも大げさだと思いながら言った一言は全然大げさではなかった。
波瑠先輩は覚えていてくれたのだ。
学校の下駄箱の脇で、先輩に初めて出会った時のあの予言を。
あの日、カレーが食べられなかった自分のことを。
感無量とはこういう時に使うべき言葉だろう。
「さて、もういいかな? では本来はゲストなところ申し訳ないが片付けを手伝って貰えるか」
「もちろんですよ、波瑠先輩。そもそも、これ合宿ですし」
「よし、じゃあ秋山はカレー鍋を運んでくれ」
「じゃあ、私はお皿を運びますね」
「遠山頼んだ」
「カレーパワーです!」
「穴山は……炊飯器がいいかな、炊飯器を頼んだ」
「……はい」
佐保理は、キョウケン部室のカップを割ってしまった前科があるから仕方ない。心の傷になるといけない、とりあえず後で撫でとこう。
「では、一番下っ端の私もお皿ですかね」
「気を遣ってもらってすまない、
運び終えた後は台所で、台所洗剤で食器を洗う係、食器を拭く係等適当に分担しての流れ作業。
自分は、最初にカレー皿の汚れを拭く工程担当だったので、終えた後、台所の隣の
「ダーリン……私役立たずかな……」
適材適所、とは言えないからこう言っておいた。
「
「本当!? あ……私、不器用ちゃんだから……だけど、でも、頑張るね!」
拳を握る佐保理。
新たな目標ができたようでよかった。
正直、今は十種に振り回されてしまっている。
けれど、自分達の本業は高校生。
全て終わってからのことが何かなければダメだと、
「何ですか秋山先輩、隙を見て穴山先輩とイチャイチャですか?」
洗い物が終わったのか、
「何何! 私の出番!?」
こちらも洗い物担当。
出番は無いから目を輝かせないで欲しい。
「折角だから林檎でも食べてくれ。食後のデザートがこんなもので申し訳ないが」
今日の波瑠先輩は、タイミングが良い。
ここはすがっておこう。
「いただきます!」
「人数的にはお座敷のテーブルだと思ったが、こちらの居間でもまあいいか。テレビをつけても構わないぞ」
「ダーリンダーリン、お笑い番組一緒に見よっ」
「わかった、わかったから落ち着いてくれ、佐保理」
一同、居間のテーブルに座る
波瑠先輩がコップに冷茶を注いでくれた。
佐保理はいつの間にかテレビの前を一人で占拠して夢中になっている。笑っている。
一緒に見るんじゃなかったのか?
でも、本人がとても楽しそうだから、このままにしておくのが良さそうだと思い。あえてツッコまないでおいた。
「落ち着きますね、秋山先輩」
「そうだな。佐保理を見てると、来て良かったって思うよ、合宿」
「本当に合宿だよね、とら」
「そうだな、遠山。今のところは、な」
直と波瑠先輩のこの言葉でようやく思い出す。
「ところで、そういえばどうして籠城なんですか?」
「急にどうした、秋山。
「波瑠先輩の家は、結界により守られているというのは聞きましたけど、籠城する意味がイマイチ分からないっていうか……」
「籠城というのがどういう戦いなのかお前は知っているか?」
出た、波瑠先輩の歴史モード!
遊園地ワンダフルランドでは、二人きりのスワンボートでのラブコメ的展開への淡い期待が、これによって完膚なまでに叩き潰された。
何となく踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった気もするが、今回は知っておくべきことかもしれない。
ここは波瑠先輩、いや北条先生の講義に任せよう。
生徒らしい答えとしては……こうか?
「敵が大軍で攻めてきたときに、普通に戦ったら勝てないから城に籠もるのだと思ってます、北条先生」
「大体あっている」
「でもそれだと勝てなくないですか? 先生」
「籠城戦がどういう戦いなのかお前は知らないんだな。籠城戦は『待つ』ことを目的とする戦いだ。『待つ』ものが来たら基本的に勝ちとなる」
先生を連呼したせいか、波瑠先輩は完全にノリノリ。
ここは、もうこのまま行くしか無いだろう!
頑張れ生徒の俺。
先生の言ってることがたとえわからなくても……。
「『待つ』もの?」
「ひとつは『味方の増援』。味方が来れば形勢逆転できるなら、それまで持ちこたえればいいだろう? 大抵の籠城戦はこのパターンだ」
「でも、今回は味方はもういなくないですか?」
「そうだな、今回は……考えない方が良さそうだ。ではふたつめに行こう。ふたつめは敵の『兵糧切れ、やる気切れ等の疲れ』。私と同じ苗字の大名、北条氏が武田信玄や上杉謙信を、小田原城に籠もって撃退したのが有名だな」
「ヤチが疲れてくれますかね……持ちこたえられるかが心配になります」
「そうだな、今回はそれも期待出来ないと思う。そもそも今日買い出しした食料と元々あった在庫を考えても、この人数だと三日と持たない」
「それじゃあ、こちらが兵糧切れですね」
「だから、今回は三つ目だ『敵自体』。敵を自城という熟知した地に誘い込み、討つ! 罠に掛ける。積極的籠城戦、見せかけの籠城戦だ。二千人で一万人に勝利した真田親子の第一次上田城の戦いが有名だな」
「真田ってあの真田幸村ですか?」
「そうだ、それとお父さんの真田昌幸。敵は武田信玄以外には、ほぼ負け知らずの徳川軍だからな。どうだ凄いだろう」
「凄いですけど、俺たちでそれできるんですか?」
「そのために、皆にウチに来てもらったんだ」
「えーっと……」
「ここからは、歴史の話ではなく、今回の作戦について話そう。まず第一に、現状敵が誰かわからない、ヤチの動向も謎だ。この状況で、徳子の家や、松莉の家、上杉の家にいったところで、罠にかけられたり、挟み撃ちにされる可能性がある」
これは、真理奈と話していたからわかる。
下手に動けないというやつだ。
「それならば、こちらから討って出るよりは、準備して敵を待ち受けた方がいい。その方が地の利を生かして有利に戦えるからな」
「理屈はわかりましたけど、その、ヤチはここに来るんですか?」
「来る」
「どうして断言できるんです?」
「ヤチは十種自体は感知することはできない。ただ、おそらく彼女も神ならば霊力は感知することはできると考える」
「霊力?」
「人が持つ霊的なエネルギーだ。十種に選ばれた
「で、でも、この家、来てみたら御屋敷なのには驚きましたけど、それ以外は普通だと思いました。結界って大丈夫なんですか?」
「ウチのおばあちゃんが名うての陰陽師だって話はしただろう。十二天将でもこの家では弱っていたから大丈夫だ」
「十二天将?」
「あ、いやそれは忘れてくれ。ただ、霊的な加護は期待してもらっていい。
「それって……」
何というチートな家なのだろうと思った。
「でもな、秋山。何よりもいいのは近くに他の家が無いから迷惑がかからないことと、私の家だから私自身が気兼ねなくいられるということだ」
チートに比べると小さな理由だけど、それはとても波瑠先輩らしい理由だと思ってしまった。
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