第120話 蜂比礼

「蜂の試練って、これ、蜂だけじゃないし、名前に偽りありだぞ! スサノオさんよ!」


 スサノオによる「蜂の試練」。

 オオナムジが閉じ込められた試練の部屋には、宙をぶんぶん飛び回る蜂の群に加え、足下にはムカデの大群。

 いずれも猛毒を持っているに相違ない。

 これは試練なのだから。


 当然、全開の「蛇の試練」と同じで丸腰。

 完全に囲まれているのも同じ。

 神力で結界を張っているのも同じ。

 気をぬいたら終わりなのも同じ。

 スサノオは婿の根性を試したいのだろうか。

 そうとしか思えない。


 おおよその経過時間と既に消耗した力、そこから逆算して明け方までに持つか否かを計っていたその時――



「やっほー、オオナムジ! 元気してた?」



 目の前にタギリ。

 どこからどうみてもタギリ。

 ムカデと蜂のど真ん中にタギリ。



「お、お前、そんなとこで、へ、平気なのか?」


 しかし、ここで気付く。

 彼女の周囲の虫たちは、彼女がそこにいるのに全く気付いていないようにみえる。


「あー、そっか、オオナムジはわかんないんだったね。私普通の人間や動物や神には見えないんだよ。認識されないの」


「はい?」


 言ってることが全くわからない……。


 どういう仕組みでそうなっているんだ?


 こっちは部屋に放り込まれた途端にムカデが全身に這い寄ってきて、神力でそれを弾く所からのスタートだったのだが。



「むー、どう説明したらいいのかな……? ほら私の神名を漢字で書くとさ、田んぼの田に霧って書いて、田霧タギリなんだよ」


「そうか、霧の神様だったのか……お前」


「うん。だから私の姿を見られるのは触れられるのは、私が認めた人だけ、私が好きになった人だけって、おばあさまが言ってた」


「で、でもそれって……」


「そーそー、可愛いモフモフした動物をなでたいな~って思ってなでるじゃない。でも気付いてもらえないんだよ。友達をつくろうにも、もやっとした霧じゃ相手にされないし、ね。私の好きが足りないのかも知れないけど」


 なるほど、好きは好きでもどうやら特別な好きが必要なのか。

 自分の前では明るいタギリにそんな厳しい現実があったとは。



「でも、だから、私オオナムジのこと大好きだよ。姉様に負けないくらいに! ……正直『好き』って何かよくわからないんだけど、でも最初から見えてるってことはそうなんだと思う。そうに違いない!」


「お前……それでいいのか?」


「これもおばあさまが言ってたんだけど、『好き』の形っていろいろあるんだってさ。だから、自分の『好き』を確かめなさい、だって」


「『好き』の形か……」


 誰かが言っていたのを思い出す。

 恋愛とは自由なものなのだと。

 それは、好きになること自体もそうだし、好きのなり方もそうなのだろう。


「でもさ、そんなこと言われても難しいよね、相手が嫌になる形はダメっていわれちゃうしさ、ぶー」


 無邪気な彼女。

 純粋な霧の女神。

 自分には、年頃の女性として丁度良い丸みのある体の、とても健康的に美しい外見に見える。

 彼女に好きと言われたら断る男はいないのではないだろうか?


 では、自分は……どうなのだろう。


「なんだか難しい顔してるー。こっちをちゃんと見て欲しいな」


「ご、ごめん」


「でさ、私考えたんだよ。私と同じになってもらえば私の気持ちもわかってもらえるかなって」


「同じに……なる? どうやって?」


「はい、これ、身につけて」


 彼女に薄い布を渡された。

 神眼により、薄黄色の、比礼、女神が良く身につける布であることだけはわかった。


「これは何だ?」


「『蜂比礼はちのひれ』、元々は『八比礼はちのひれ』って書くみたい。八方から見えなくなり、八音を発しても聞こえなくなる、八徳を極めし神にしか使えない秘宝だってさ。おばあさまが」


 タギリはおばあちゃん子らしい。

 素直な彼女には、微笑みしか浮かばないが、八徳を極めし神用か……自分に扱えるのだろうか? 正直自信が無い。


「また考えすぎてない? オオナムジならきっと大丈夫だよ。私が保証する。だからつけてつけて、早く早くー」


 急かされて、身につける。




 その次の瞬間真っ暗になった。

 暗いだけではない。タギリの気配も消えている。




「これは……」


 紛れもなく、蜂比礼はちのひれの効果だろう。良くない方の。

 蛇比礼へびのひれには、大蛇から戻るために、愛を満たす必要があった。

 蜂比礼はちのひれも同等の神器ならば、呪いがあってもおかしくはない。

 タギリの願いだったとは言え、油断しすぎていたか……。


 永劫の暗闇……自分はこのまま、ここで、独りで、誰にも知られず、誰にも理解されずに終わるのか……。


 む? どこからか声が聞こえる?

 これは、女子おなごの、それも複数人の声?



「……大事な人がいなくなったら、どうすればよいでしょう? それを目の前の彼に問う私は残酷でしょうか?……消えてなくなりたい」


「……私という存在とは何でしょうか? 彼はこんな私を愛してくれますか?……消えてなくなりたい」


「……彼の心を占有したいと願う醜い自分が許せません。どうしたら?……消えてなくなりたい」


「……全てを知りつつも伝えられぬ。結果としてあやつが悲しむ。どうすればよいのだ?……消えてなくなりたい」


「……好きになればなるほど……わかりあえないの、そして傷つけてしまう。どうして?……消えてなくなりたい」


「……私の好きな人は私のことが好きでは無いかもしれません。どうするの?……消えてなくなりたい」


「……あの子の事を考えると生きていることが辛いことは変わりません。それでも私に生きろという人がいます。どうすれば?……消えてなくなりたい」


「……犯してしまった罪はどう償えば良いのでしょうか? 大好きな彼に顔向けできません……消えてなくなりたい」



 消えてなくなる、そうすれば辛い悩みから解放される、そう考えているのか?



 ……



 そもそも消えては、お前たちの愛しているその誰かからも見えなくなる。

 それは最も望まないことではないのか?



 ……



 そうか、目に見える見えないではないのだな。

 心が独りになっては、いけないのだ。

 誰かとつながれば、消えはしない!



 そう頭の中で考えた途端、じわりじわりと闇の中に何かが見えてきた。




 両手に剣を持つ人影


     長い槍を構える人影


   腕を振り回し誇示する巨躯


        禍々しい闇を振りまく剣を掲げる人影


  宙にふわりふわりと浮かぶ人影


    弓に矢をつがえる人影


 何本もの尾を衣から出している面妖な女子おなごの人影


    不思議と神の力を感じる人影




 自分の形もイメージできるほどに回復している。

 手足が動く。



 「なるほど、八徳だから八言で八人か、こちらは丸腰だというのにな。神力も試されているらしい。まあ、あの親父殿と一対一よりはこちらの方が楽そうだな」


 今は、一人ごちるしかなかった。



――――――――――――



 ……迫ってきていたムカデと蜂が、遠ざかっていく。



「うんうん、大丈夫みたい」


「あれ、お前には見えてるのか?」


「『蜂比礼はちのひれ』の効果はね、私の能力に似てるらしいんだ」


 ということは……まいったな。

 でも、ここは素直に認めるしかないか。


 タギリのおばあちゃん、イザナミ様は、さすが根の国の女王、神々の母なるものだ。根の国に来て以来、彼女の手のひらの上で転がされているとしか思えない。



「うん、触れられる。間違いない。嬉しいなー」


 手をつないで喜ぶタギリ。

 スセリの時もそうだったが、自分は何をこだわっていたのだろう。


「むー何かオオナムジ、姉さまののこと考えてそうな気がする」


 鋭い!


「それは考えるだろう、俺の姿が見えるか見えないか、気になるんだ」


「オオナムジは、本当に私のこと理解してくれたみたいだね。嬉しいっ!」

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