第146話 伊勢瑞姫8 さようなら
「今のところは大丈夫そうだね」
社会見学の帰りのバスの中、隣の晴子に私はささやく。
ここまでは何の問題も無く来ている。
ここまでは。
「そうね。でも油断をしてはダメ。あの時の夢の感じだと全員が良くて重傷みたいだから。しっかりシートベルト締めてね、ミズ」
「もちろんだよ、はるちゃん。タオルも体に巻き巻きしてるよ」
さすがに防弾チョッキとかは手に入らなかったので、ショックを少しでも和らげるためと、出発前にトイレで準備してきたのだ。
意味があるかはわからない。
目立つと嫌なので、薄手のものにしてしまったし。
晴子も、とにかくシートベルトと繰り返し言っていた。
彼女は美人だし、交通安全のポスターやCMに出るのもいいかもと、私が真剣に考えてしまうほどに。
『
この言い方にも慣れてしまったものだと思う。
いや慣らされてしまったというのが正解だろうか?
何だかんだで晴子と実験と称していろいろ試すのは楽しかった。
きっと彼女となら、今回の試練も乗り越えられる。
そんなことを考えながら微笑む私に、晴子はいつもどおりこう言った。
「それは何度も言ってるようにダメ」
「はーい、わかってまーす」
晴子に今日の詳細を見るのはずっと前から止められていた。
義美だったら、今日もハルコダメダメモードだって言いそうだけど、晴子のその意図は分かる。
下手に見て確定してしまったら絶望しか無くなるからだ。
そう、とんでもない事故になることは分かっているけれど、今はまだひょっとしたら全員助かるかもしれない希望はある。
こっそり見てしまおうかと何度も悩んだけれど、その度に晴子の顔が浮かんで、もどかしい思いを抱きつつも自分で自分を止めることになった。
彼女の信を失うのは嫌だ。
きっと、絶対、見てしまったら、結果が良かれにせよ悪しかれにせよ顔色でわかってしまうだろう。
期待したけれど、『予知夢』には出てこなかった。
こっちなら合法的なのに。本当に残念。
「なになに、何話してるの? 二人でこそこそモードか」
前の席の義美がいきなり身を乗り出してきた。
私は驚きのあまり、手にもつお茶を服にこぼしてしまう。
「よっちゃん、いきなりはひどいよっ。考え事してたんだよ、私っ!」
「こらこら、ヨッシー、ちゃんとシートベルトして座っておきなさい。朝から言ってるでしょ」
「えー、そしたら二人と話せないよー」
「隣にユキオがいるじゃない」
そう、この社会見学、私たちの班はこの四人。
バスの座席も前後に二人ずつとなっていた。
「つかれてるみたいでねちゃったんだもん」
なるほど、だから反応が無いのだ。
多分、今日一日義美と一緒にいて彼女にあわせるのに体力を使い果たしたのだろう。何となくわかる。お疲れ様。
「とにかくすわりなさい」
「いーやーだ」
だだをこねる義美に我慢できなくなったらしい。
「ちょっと前に行ってくる」
彼女はシートベルトをはずし、前後の様子を窺うと、義美のいる前の席に向かう。
私には彼女の意図がわかる。
義美に、シートベルトをどうしても締めさせたいのだ。
運命の悪戯。
そう言うしかない。
この時、お茶が服にこぼれていた私も、シートベルトを外し、ハンカチで拭いていた。
油断してはいけなかった。
突然の衝撃。
体が軽くなって……
……
気がつくと私は宙に浮いていた。
下には河原に横転したバスと、その周りに倒れる数名の動かない生徒の姿が見える。
「どういうこと、私どうなったの?」
自分が今いるのは明らかに空の上。
周りには、山、山をぬって走る道路、川。
川の両側は切り立った崖になっている。
あの崖上の道からバスは転落したのだ。
当然バスには見覚えがある。
あの赤いライン、間違いなく社会見学で私が乗っていた車体。
見下ろすは……事故現場。
最初に疑問を思うまま口にしたものの、ここから導き出せる結論を前にして、私は口ごもる。
普通の人間では、こんなの無理だ。
生きている、普通の人間では……。
「この状況に戸惑っておるのか。まあ無理もないがの」
どこかで聞いたような声!?
声がした方向を向くと、あの洞窟で出会った着物の女の子が腕を組んで、宙に浮かび、立っていた。
「あなた……ヤチ!?」
「いかにも。今は余裕が無い、急ぎの儀ゆえ、まず聞け」
私は頷く。
いろいろと疑問に思うことはあるけれど、そんな場合では無いことを彼女のこの言葉から察して。
「おぬしの
「えっ?」
「死んだと言うことよ。既に見ておろうが、あの乗り物の中、先ほどの衝撃に耐えられた者も、皆じきに同じ事になる」
「そ、そんな」
絶望とはこういうことを言うのだろう。
晴子と念入りに準備してきたことは、全く意味が無かったのだ。
皆、死んでしまった……義美も、晴子も。
「おぬしの体は特に損傷が酷い。外に投げ出された勢いのまま岩にぶつかっておるでな。人間の体ではあれは耐えられぬ」
既に諦めの境地に近い私に向かって、淡々と、感情を込めない感じで彼女は語った。
おかげで私は、自分の死んだことに納得するしかなくなっていた。
いたのだが――
「しかし、折角見つけた
何となくだが、神子というのは、『絶対予言』のような力を持つ者のことをさすのだろう。
私は神子。
どういうわけかわからないが、ヤチは私が大事らしい。
あの時言っていた『いずれ来る日』のためなのだろうが、いったい何なのか。
この疑問は、疑問で聞いてみたいが、さしあたりそれよりも重要なことがあった。
「失うわけにはってどういうこと? 私もう死んだんじゃないの?」
「そのとおり、死んでおる、今はな」
「今は?」
「おぬしの
「それって、元の私の体じゃ無理なの」
「さっきも言ったが損傷が酷すぎる。我の今の力では、あの体でおぬしを生き返らせること能わぬ」
「でも、他の体って……」
「丁度、先ほど魂が
「え……そ、そんな」
ヤチが指さすその先には、見慣れた黒髪。
「はるちゃん!」
私は飛んでいった。
飛んでいったという表現が正しいかわからないが、彼女の側に一刻も早くと急いだ。
一見眠っているかのように見えた。
しかし、彼女は呼吸しておらず、ぴくりとも動かない。
固まる私の背に、ヤチの無慈悲な言葉がかけられる。
「おぬしの見知った者、性別も同じ
「い、嫌……」
私はこの現実を認めたくなかった。
この体に入るということは、晴子の死を認めることになる。
何よりそれが嫌だったのだ。
「嫌と言われてもの。我が決めたことである。力づくでも従ってもらう」
私の視界が急にぐにゃりとゆがんだ。
何かとてつもない力に引っ張られて、奈落の底に落ちて行く。
無力な私はそれに抗えなかった……
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