第45話 修行

「本当に素人なのだな、そなたは」


 竹刀を片手に、もう一方の手で面の後ろを搔きながら、つや様は十回めのため息をついた。


「もう、よいであろう。己の未熟さを思い知るには十分過ぎる」




 つや様に剣術の修行をつけてもらうことになった虎は、敗北の日の翌日、あの武道場に来ていた。


 そこには、虎が着替えるのを待っていたキョウケン女性陣以外に、もうひとり、女子生徒の姿があった。


「蒲生とやるんだって? 勇気あるね、お姉さん応援してあげよう」


 快活な口調。

 身長は波瑠と同じくらいで、虎より少し高い。


 髪は短く、うなじの出ているショートヘアであるが、ややウェーブがかったそれは、逆に女性らしさを醸し出している。


 下は紺の袴で、上は白い和服のような上着。

 確か、この上着は剣道をする時に着るものであった気がする。

 


「波瑠先輩、この方は?」


「私のクラスメートの北畠ともだ。剣道部の部長をつとめている」


「よろしく、少年」


 握手を求められ、虎は急いで手にしたタオルで自分の手をふき、差し出す。


 しかし、これで判明した。


 やはり、あれは剣道着。

 先輩が、蒲生のことを詳しく知っていたのは、恐らく彼女が情報源なのだろう。



「今回は全面的にバックアップさせてもらうよ」


「え、いいんですか? そんなこと。蒲生は、剣道部員なんじゃ」


「剣道部員だからだよ」


 彼女は、そう言いながら、ちょっと視線を虎からそらす。


「えっ?」


「あの子、腕は確かなんだけど、どうしてか剣道部になかなか来てくれないの。試合に出られないのは理由があるんだろうけど、それも言ってくれない。何だか寂しくてさ。でも無理強いはスポーツマンシップに反する。だから、少しでも触れあいたいってとこ」


 この言い方が、蒲生に似ているように、虎には思えた。


 彼女達、剣道をするものは、皆何か一本通った、大事なものを持っている。

 蒲生の公平性への拘りはやや病的なものにも虎には思えたが、根はきっと同じなのだろう。



 相手を大事にする心だ。



 素人の虎が、剣道部員の蒲生と立ち会うための修行をする、というのに対し、剣道をする者としても、その立場的にも、「剣道を舐めているのか? 無理だ」と一言で否定をしてもおかしくないところである。


 それを言わないどころか、バックアップしてくれるというのだ。

 蒲生のことも当然あるにしろ、虎の気持ちも大事にしてくれているのは、様子からうかがえる。


 彼女、北畠ともは、どう考えても好人物、しかし――



「先輩、いいんですか?」



 波瑠の方に向いて問いかける。

 内容は言わなくとも、伝わるだろう。



「十種や私の呪われた力のことならば問題無い。ともは、私の莫逆の友というやつだ。全て知っている。全幅の信頼をおけるやつなんだぞ、こいつは」



 先輩がこともなげに、重要な事実を並べて口にしたのは、虎には意外だった。


 続けて、さらに意外なことに、珍しくベタ褒めしている。

 それだけの人物だということなのだろう。


 何よりこうして剣道着の彼女と接しているだけで、何だか心地よいのだ。

 虎は納得した。



「波瑠、そこまで言われると、照れるんだけど……」



 言われた当人は、赤くなってもじもじしている。


 これ、どこかで見たことがあるような、と考え、虎は思い当たった。

 波瑠が時々する表情にそっくりだ。



 二人が仲が良い理由がわかった気がする。



 虎の目の前で、そんな彼女の髪を「よしよし」と撫でる波瑠。

 普段見せない表情に、虎だけでなく、佐保理もざわめいていた。

 いったい、どういう関係なの、この二人は!? と。



 しかし、キョウケン新入部員の中で一人だけ、そうではないものもいたのだ。



「波瑠よ、そろそろ始めさせてもらってもよいかの?」


「おっと、これは済まない。つや様」



 虎が着替えてここに来た時点で、直はもう既に、つや様だった。


 一応、直には、事前にこのことを伝えてある。


 直は、つや様に乗り移られている間記憶が無いようで、最初はとても驚いてた。

 そして、抵抗の余地が無いことを悟ると、猫のつや様に、傷物にだけはしないで欲しいと懇願していた。



 全て自分の浅はかさのせい。

 本当に済まなく思う、虎だった。



「じゃあ、用意しておいた、この面と小手と胴を着けてね。今日は部活が無い日だから、遠慮なくここは使ってもらっていい」


 虎は剣道の防具を付けさせられた。


 つや様は、最初は「いらぬ」とごねていたが、「直ちゃんの体ですから」と佐保理に押し切られる。



 それから、竹刀を渡され、力試しに軽く立ち会ったのだが……



 最初の勝負は、あの時のように竹刀がいつの間にか手から離れていて、面を打たれて終わり。


 次の勝負は、上段からの打ち込みを受け流され、面を打たれて終わり。



「『巻き上げ面』に『面返し面』か、やるねえ」


「ふふん、何やら名前がついておるようだが、剣の型は、時代を経ても変わらぬようだの」


 虎としては火がついてしまい「もういいではないか」という、つや様を拝み倒して挑むこと合計十回、結果、彼女に一太刀も浴びせることはできなかった。





「そなたは全てが足りなすぎる」


 虎は腰が砕け、板の間に尻を落ち着け、両足を前に投げ出した状態。

 つや様は、その正面に立ち、竹刀の先を虎に向けながら、言い聞かせるような口調で言うのだ。



 身にしみる。

 この腕前で、蒲生に挑んだのが申し訳ないと思うほどに。


 自分のレベルは1も無い。

 きっとゼロだ……。



「やっぱり、俺……」


 言いかける虎を片手で制すると、つやは続けた。 


「まず剣の振り方がなっておらぬ、妾の振り方をまず、見よ。それから真似をして振るのだ、千回でも二千回でも」


「は、はい」


 彼女は、「立て!」と言って、無理やり虎を立たせた。



 つや様が、竹刀を振る。

 それに合わせて虎も振ってみる。


 彼女は、振るたびに一つ、指摘をしてくれた。



 脇を締め、体の真ん中で振ること。



 持ち手、握りを意識すること。


「そうではない、右は女子おなごの手を握ると思え! 左は強く、女子おなごを離さぬように」


「ええっ!?」



 呼吸を意識すること



 全身の筋肉を意識すること。



 ……



 そして都度、自分の振りを再度見せてくれるのだ。


 左右など、振る方向も変えて、もう何度振ったかはわからない。

 わからないが、つや様の指摘が減ったところをみると、少しは良くなっているのではないだろうか。



「うむ、筋は悪くない。流石は初見で八握剣を扱えただけはあるな。では、形ができたら己に合わぬ所を、合うように変えるのだ。それで剣の型を自分のものとできる」


 傍らで、見守っていたともがこの言葉を聞いて、唸る。


「まさか、『三磨さんまの位』!?」


「何ですか? サンマのフライみたいで、美味しそうな響きですけど」


 隣の佐保理と、ささやき声で会話するのにも飽きたのだろう。

 市花がここぞとばかりにツッコミをいれる。


「魚じゃないぞ、浅井」


 渋い顔で窘める波瑠。

 そんな彼女を見て、ニコリとすると、ともは言った。


「仕方ないさ、武道やってなきゃ普通わからないって、波瑠。『三磨さんまの位』っていうのはね。剣道の修行の極意だよ。師の動きを理解する『習い』、自ら動き、習いを形とする『稽古』、習い稽古した動きを己のモノとする『工夫』この3つを一体化させることが大事ってこと。彼女は、それをよくわかってる。ウチの剣道部に欲しい人材だね」


 全員に説明する声は、目下虎を特訓中のつや様の元にも届いたらしい。


「何やらわからぬが、上泉信綱公の教えがまだ残っておるということかの。これ、妾が余所を見ておる隙に、さぼるでないぞ」


「は、はい」


 虎は、自分が振りづらいと思うところを、つや様と相談しながら、変えていた。


 つや様の振りは優雅そのものなのだが、自分は今少しスピードと力を加えた方がピンと来る。


 言ってみたところ、彼女は、何か思い巡らすかのように、宙をしばらく見回し、「よかろう」と頷いた。


 そして、何度かの検討の末、ようやく認められた。


「うむ、振りの修行はここまででよかろう。では立ち会いと参るかの」

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