第44話 苦悩
「蒲生と剣で立ち会いをしたのか……それは冒険が過ぎるぞ、秋山」
一部始終を確認した波瑠が、虎の目の前で深いため息をつく。
社会科準備室で、直がいない以外は、いつもと変わらない席配置なのだが、虎にとっては、いつもと同じには到底思えなかった。
今日は、まるで色がついてない、モノクロの景色。
「冬美さん、有名なんですか?」
俯いたまま動かない状態の虎に変わって、隣に座っている佐保理が尋ねた。
「彼女は剣道部なんだ。聞いた話によると、全国レベルでも通用する腕前で、負け知らずらしい。『閃光の稲妻』の異名で呼ばれているとか。とにかく一瞬で勝負を決めるそうだ」
……なるほど、彼女は剣道部だったのか。
しかも全国レベルで、『閃光の稲妻』とは。
どうりで、一瞬で手元から八握剣が消えたわけだ。
衝撃のままに、そのまま腰が砕けてしゃがみこみ、気づけば目の前に剣先を向けられていた。
自分はあの瞬間、もう、命を諦めてしまったのだ。
地に転がる八握剣を、彼女は「では約束通り、いただきます」と拾い上げて、そのまま背中を向けた。
あの背中が、目に焼き付いたまま、離れないのだ。
やるせない気持ちのまま、二人の会話に耳だけ傾けながら、記憶を反芻していた虎は、ここで、ふと疑問に思った。
「負け知らず!? でも私、蒲生さんの名前聞いたことがないですよ」
佐保理も同じことを考えたらしい。
そう、それほど強いなら、インターハイの、少なくとも県大会で優勝くらいしそうなものだ。
同じ学年であるのに、聞いたことがないのはおかしい。
知っていれば、自分は、どうしただろう……。
「有名だったのは中学の頃でな。高校に入ってからは、ずっと公式戦に出たがらないらしいんだ。なぜかは知らない。非公式に、県下や近隣県の強豪校の生徒とは、練習試合で戦っていて、無敗であるというのは嘘では無いらしいが」
謎は解けた。
しかし、どうして公式戦に出ないのだろう。
虎の疑問は深まる。
彼女との会話を思い出すに、随分と秘密主義だった。
例の、清姫が関係しているのか?
「でも、よくそんなことが許されますね。私が先生だったら無理にでも公式戦に出てもらいますけど」
「体の調子が悪いらしいから、無理はさせられないんだろう。倒れでもしたら、今の世の中、責任問題になるからな。練習も他のメンバーと一緒にすることは少ないらしい」
体の調子が悪い?
勝負した虎の記憶では、全くそれは感じられなかった。
また、彼女が無理をしているようにも見えなかった。
今聞いた剣道の話と共通するのは、彼女の勝負の決め方だ。
短期決戦。
開始ほぼ直後に自分は敗北している。
しかし、単純に彼女が強いだけだと言えばそうだろう。
手も足も出なかったのだから。
虎のマイナス思考は極限を迎えていた。
その時――
「やれやれ、たかが勝負に負けたくらいで、口もきけぬようになっておるのか、情けないことよのう」
声にふり向くと、いつの間にか扉のところに、彼女がいた。
腕を組んだまま、深いため息をつく。
姿は直ではあるが、この口調は……
「直、委員会終わったのか……じゃないか、つや様か!?」
驚きに、全てを忘れて反応する虎。
頭の接続がいきなりは上手くゆかず、若干ボケ気味になってしまっているのは否めない。
他のキョウケンメンバーは、あっけにとられて声も出ないようだ。
「いかにも。ちと体を借りておる。どうやら、この者の体は、妾と波長が合うらしいのだ」
首を回して、自分の体の前後をあれこれ見回す彼女。
それは違和感を感じているというよりは、何故しっくりしているのかを確認しているようだった。
直のチャームポイントのポニーテールが、ふわふわ揺れ動く。
彼女の普段ならぬその所作に、不思議な魅力を感じた虎は、先ほどまでの思いは忘れて、見入ってしまった。
「誠に動きやすく良い体よの。余計な脂肪がついておらぬのが、とくに良い」
「つ、つや様? それは言っちゃダメです! 直ちゃん聞いたら泣きますよ」
金縛りの解けた佐保理は、なぜか、一生懸命に直を擁護している。
そういえば、確かに直は体型を気にしている。気にしすぎるほどに。
見かねた虎が『俺は別に良いと思うぞ』と言ったことがあった。
他のことであれば、いつもなら、『とらがいいなら、いっか』と言うであろう彼女。
その彼女が、この時だけは真剣な顔、決意を込めた顔で返してきたのだ。
『こればっかりは、虎がイエスでも、私はノーなの』
触れてはならぬものを感じた虎だった。
それ以来、話題にも登らないように努力している。
「それは、あやつには申し訳ないが、今回は、これが都合よさそうじゃ」
「都合? どういうことだ、つや様」
「猫の姿でないことに、何か意味があるのですか?」
矢継ぎ早に、波瑠と市花が質問する。
この感じだと、人の姿、直に憑依しているこの状態を、彼女達は初めて見るらしい。
「取り戻してもらわねばならぬからの、八握剣を」
「!」
「あれは妾のもの、貸しておるものだ、勝手に賭けてもらっては困る」
真っ直ぐにこちらを向き、諭すように言い切る。
何も言い返せなかった。
自然と謝罪の言葉が口に出る。
「ごめん……つや様」
「であるから、これを理由にもう一度、その蒲生というものに挑むのだ」
「えっ!?」
「今聞いたところでは、その娘、勝負の公平については完璧を期さねば済まぬ性格をしておるようだ。実は借り物だったと言えば、侮蔑の視線は浴びることにはなろうが、おそらく勝負には応じるであろう」
「冬美さん、確かに公平、公平って繰り返してましたけど、でも『最後』って、言われちゃってますから、それは難しいんじゃないかと思います」
事情を知る佐保理が状況を説明する。
虎にも、蒲生のあの決意を覆すことは困難であると思われた。
「わかっておらぬの。妾は、娘が拒否したのは、勝負の報酬が十種、即ち『自分の大事なもの』であったからであり、その目的は己の身を守らんがためとみた。ならば、『剣を取り戻す』というのは拒むまいて」
前提を変える。
今、つや様が説明したのはそういうことだ。
この発想は誰にでもできるものではない。
虎は、あらためて、彼女が戦国時代のあの艶であり、『絶望の時』を経験し、乗り越えた故の智恵を有しているのを感じた。
「なるほど、確かにそれなら、冬美さんも受けてくれるって思います。でも……」
つや様の言葉に、パッと明るい顔をした佐保理が、何かを言いかけて、口ごもる。
「どうした、穴山、何かまだあるのか?」
今回は、つや様という有識者がいて、実際に蒲生と対したのが虎と佐保理ということもあり、波瑠は完全に聞き手に回っている。
それは、全体を効率的にあるポイントに導こうとする努力ではありはするのだったが、この時の佐保理にとっては都合の悪いものだったようだ。
困った顔をしている。
しかし、結局観念したらしい。
「問題は、勝てるかどうか、ですよね……ダーリン、ごめん」
「いや、いいさ、そのとおりだ。今の俺のまま、何度やっても勝てる気がしない」
うなだれる虎。
そんな彼の姿に、業を煮やしたのか、つや様が言い放つ。
「だから、修行するのだ、修行!」
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