第43話 勝負 弐
「ま、待ってくれ、もう一戦、もう一戦だけ」
「冬美さん、私からもお願いします。ダーリ……秋山君、きっと初めてだから、この綱引きのやり方も十分に分かっていなかったと思うんです」
「なるほど、私だけが経験者であったのは確かに不公平でしたね。これは失礼いたしました。であれば、今経験をされたことですし、もう一度行えば、不公平ではなくなりますね」
一見無茶な根拠に基づく佐保理の意見を、
彼女は、公平さを重んじる性格らしい。
正々堂々のスポーツマンシップ。
勝負の場所に、ここを指定してきたことから、おそらく彼女は武道を嗜んでいるのだろう。
武道は精神を特に重んじると聞いたことがある。
この勝負が終わったら自主練をします、と言っていたのは彼女の真面目さも、もちろんであるが、精神面での修養の現れなのではとも、虎には思える。
それに漬け込むようで申し訳ないが、こちらにもこちらの事情がある。
申し訳ないが、甘えさせてもらおう。
しかし、信じられない。
彼女は、あの一見ほっそりした体で、この自分の、男の力を凌いだのである。
もっとも、相手が女子であり、全力でいかなかったのも事実だが。
ともかく、次の機会を与えられたのは助かった。
今度は油断せず、相手の様子をうかがいながら、慎重にゆこう。
「準備整いました」
「こっちもオーケーだ」
佐保理が不安そうな顔をして、こっちを見る。
虎は、ニコリと微笑みでそれに返した。
「では……はじめっ!」
……
……
……ぬ
……何!
……バタン!
またも、虎は、天と地がひっくりかえっていた。
「ごめん、ダーリン。こればっかりは……」
「い、いや、本当に面目ない……」
二度目の同じやりとり。
左腕の痛みと、泣きたい気分を我慢しながら、振り返ってみる。
自分は、先ほどの敗戦から、今度はタオルを軽く持ち、それほど力を入れない状態で相手の出方を窺ったのだ。
この方が、バランス重視で柔軟に対応できると考えたからである。
しばらく、お見合いのような均衡で、タオルはゆらりとしたままだった。
すると、蒲生は、いきなり恐ろしい力でタオルを引っ張ってきた。
突然のことで、体ごと持って行かれそうになる。
これは危ういと、逆に力を込める、均衡、まではよかったのだが、彼女はそこでスッと力を抜き、こちらのバランスを崩す。
完敗だった。
所詮タオル綱引き、などと侮っていた気持ちが無いとはいえない。
ここまで、一瞬の駆け引きのあるものだとは。
力でもバランスでもない、勝負を決めたのは、彼女の勝負勘とでもいうべきセンス。
思い浮かぶのは相撲だ。
他のスポーツ、サッカーや野球に比べると、相撲はすぐに決着がついてしまうから、つまらないと、虎は思っていた。
テレビの相撲中継を一緒に見ている、相撲好きな祖父には申し訳ないと思いながら。
素直にその感想を言うと、祖父は少し考え込んだ後、自分がなぜ相撲が好きか、という観点で語ってくれたのだ。
勝負はかけた時間ではない。
短い瞬間にも、いや、そうだからこそ濃密な駆け引きがある。
それが私が相撲が好きな理由だ、と。
頷いたものの、わからなさが顔に出てしまっていたのか、虎の頭を撫でて、祖父は言った。「いつかわかる時が来るさ。私の孫だからな」と。
今わかったよ、じいちゃん。
自分がとてつもなく、浅はかだったことも。
でも、もう遅かったみたいだ。
「今度こそ、私の勝ちですね」
蒲生は、それだけ言うと、くるりとふり向き、タオルを片手に歩き出す。
「ま、待ってくれ。もう一度、もう一度だけ、お願いできないか」
自分でも無様だとは思った。
しかし、必死にならざるを得なかった。
天から降りてきた蜘蛛の糸を手にとらないカンダタがどこにいようか。
そんな虎に向かって、振り返った黒髪の彼女は悲しげな顔をして言うのだ。
「勝負とは、何度もするものではありません。一度目は、不公平な勝負だったから、今の二度目だったのです。あなたが勝負というものをどのようにお考えかは分かりませんが、私の中での勝負はもう終わっています。それに、もうわかったでしょう。貴方は、何度やっても、私には、勝てません」
「それでも、俺は、俺の命が掛かってるから、何度だって、君に挑まないわけにはいかない」
命、この言葉に彼女の眉毛のあたりがピクリとする。
「今、命、とおっしゃいましたか」
「あ、ああ……」
「ならば、それが嘘でないか示していただきましょう。先ほど命だとおっしゃった物を賭けることが、あなたにはできますか?」
「……」
この突然の彼女の提案に、虎はすぐに頷くことができなかった。
八握剣を賭けろ、と言っているのだ彼女は。
彼女が十種のことを知っているかは疑わしい。
おそらく、そういった意味での含みは無い。
純粋に命を賭けろ、そう言っている。
「私はこの勝負に、私の命を賭けて挑んでいるつもりです。あなたがたがどこまでご存知であるかはわかりませんが、清姫を知られることは、私には死ぬより辛いことなのですから」
「……」
これまで優しいイメージの彼女であっただけに、厳しく聞こえる。
何ということだ。
彼女は既に賭けていたのだ、彼女の命を。
自分は、そんな彼女に対し、何か言えるのか……言う資格があるのか。
「無理でしょう。でも普通はそうです。だから、ここまでにしましょう」
言い過ぎたと思ったのか、やや柔らかい口調で諭す彼女。
しかし、虎は、そんな彼女に、どうしても、もう一度挑みたいと、そう思ってしまったのだ。
「わかった……賭けよう」
「だ、ダーリン!? いいの?」
佐保理が虎の袖をひいて諫める。
しかし、もう彼の心は決まっていた。
「このくらいできなけりゃ、それまでだろ」
「良いのですか? 後悔しますよ」
綺麗な目でこちらを見るものだ。
そこに込められたものは心配、それ以外には感じない。
「どうせ君に協力してもらえない時点で、ジ・エンドなんだ」
蒲生は一旦目を伏せて、しばらくした後目を開く。
彼女の中でも決まったらしかった。
「では、剣の勝負としましょう」
「え……」
傍らに置いてあったあの袋をザッと開き、彼女は竹刀を取り出す。
両手で柄を握りしめる。
まるで竹刀を抱きしめるかのようなその所作に、虎は……一瞬見とれてしまった。
突然の提案に心がゆらぐ。
実のところ、虎は、もう一度、タオル綱引きの腹づもりだったのだ……。
「先ほどの大事な物、あの時の剣の柄ですね。刀身が無いのは不思議ですが」
「……」
ドキリとせざるを得ない。
恐ろしい洞察力。
わからないものを、わかるのだ、彼女は。
「貴方も何か剣の心得はあるのでしょう。貴方も命を賭けるとなれば、私が遠慮しては公平ではありません」
こう言われてはもう、進むに任せるしかなかった。
でも、それならば、こちらも要求すべきことがある。
虎は、彼女の覚悟の前に、隠すべきことはもう何も無いと考えていた。
「わかった。ただし、それなら俺は俺の大切なものを使わせてもらう」
「そ、それは!」
虎が柄を握ると、光る刀身が現れる。
蒲生は目を丸くしている。
これは流石の彼女をも驚かせる代物であったらしい。
「あの時の……」
「これは『
「貴方は嘘をつく方では無い。信じます。その剣は、あの子たちに向けられても、あの子たちを傷つけなかった剣ですから」
虎が驚くほど素直に彼女は受け入れてくれた。
「この一戦、今度こそ最後の勝負です」
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