第105話 創造主はいずこ

「穴山さん今日はお休みなんですかね?」


 市花がフォークに刺したハンバーグを隣の菊理くくりに差し出しながら、誰にともなく言った。



「情報通の市花も知らないなら、誰もわからないだろ。でも、おかしいな。昨日の帰り際は元気そうだったんだけど。やっぱり疲れてたのかな、あれは」


 何気なく言ってしまったこの一言を、虎は一瞬の後、後悔することになる。



「昨日の帰り際……? 疲れてた……? 秋山くん、もしかして、穴山さんにとんでもないこととかしたのですか!? やっぱりキョウケン随一のスタイルに負けたのですか? そのお話、もっと詳しく!」


「いや、ちょっと待て市花。神に誓って変なことはしていないぞ。一緒にいぬいの家に行っただけだって!」


「細川さんまで、毒牙に……秋山くん。私が菊理さんと懇意になっている裏で、あなたは女の子とやりたい放題ですか! 見損ないました」


「まてまてまてまて、何を考えてるんだ? アニメの録画を見に行っただけだぞ。疲れたのは、あいつの部屋がとんでもなくカオスだったからだ。片付けが大変だったんだよ」


 すまない乾。

 でも、こうでも言わないと、市花は納得しないんだ!


「男の人は皆そう言います。見苦しいですよ、秋山くん。素直に認めるのです。そしてしっかり責任をとるのですよ」


 ダメでした~バッサリだ。


 そもそも市花と舌戦で勝てる奴なんていないんだった。

 勝てる奴……そうか、ここは!


「い、市花、ほら、隣の菊理が困ってるじゃんか。な、このへんにしとこう、この辺に」


 嘘では無い、さっきフォークの先のハンバーグをぱくついてから、彼女はずっと困った顔をしている。


 というか顔が赤い、とっても赤い。

 こらこら可愛い顔で何を考えてるんだ。

 だから違うと訴えてるじゃないか。



「菊理を盾に使うとは、狡猾になりましたね。秋山くん。仕方ない私はここは引き下がりましょう。ですが、私の方が良かったと、きっとあなたは後悔します……後ろをご覧なさい」


 どういう意味だ、と思いながら振り返る。

 そこには……



 表現出来ないほど恐ろしい顔をした、直が!



「とら……、覚悟は、出来てるわよね」


「待ってください、直様。本当に何もしてないんですよ。お許しを~」



 ……



「どうして止めてくれないんですか……波瑠先輩~」


 こういうときにいつも頬に濡れタオルを当ててくれる佐保理は今日はいない。


 虎は綺麗に赤く腫れた頬のままで立ち上がり、唯一味方になってくれそうな波瑠に訴えた。



 しかし、反応が返ってこない。


 そういえば、今日は、先輩はやけに静かだ。

 さっきから黙々と一人でご飯を食べている。

 お弁当しか見えてない様子だ。


 しばらく見つめていると、ようやくこっちに気がついたようだった。



「どうした、秋山。赤い顔して?」


「いえ……何でも……あり……ません……」


 バツが悪すぎる。

 だが、他の者は皆、先輩の様子に気を取られたようで、誰も虎にツッコミを入れることはなかった。


 考えられるのはやはり昨日、生駒いこま会長との間で何かあったのだろう。

 あの社会科準備室を奪われた時の様子に似ているのが気に掛かる。


 もっとも、生駒が何かしたのであれば、生徒会室に乗り込む波瑠先輩だから、問題は生駒との関係にあるのではなく、会話の内容なのだろう。

 例のイケメンなただし先輩についてなのか、それとも十種の残りの所有者についてなのか。もどかしいが、さすがに教えてくださいとは言えない。



「そういえば、穴山は学校に来ていないのか?」





 放課後、佐保理のクラスにいってみると、今日は学校に来ていないとのことだった。


 教えてくれたのは委員長の斉藤。

 佐保理がキョウケンに入ってから度々話す機会があり、顔見知りで話しやすいのだ。


 今日は、直も市花もいないのでとても助かる。



「穴山さん、また頑張りすぎ病かなって、私は思ってるよ」


「頑張りすぎ病?」


「あの子、できないことでもやらなきゃーって頑張るタイプじゃない。結構それでダウンすること、多いんだよ」


「あははは、佐保理らしいな」


「笑い事じゃないんだよ。毎回介抱するの私なんだから。でも、そこはいいところでもあるんだけどね……」


 そう言いながら、斉藤はじっと虎の顔を見た。


「な、何だ、俺の顔に何かついてるか?」


 顔を近づけてくる。

 そして耳の近くで小声でささやく。


「穴山さんのこと、名前で呼ぶんだね。実はつきあってるとか?」


 思わず遠ざかる虎。


「ち、違う、付き合ってないって、俺、親しくなった女子は名前で呼ぶからさ……」


「ふーん。プレイボーイなんだね、意外~」


「そ、そういうわけじゃないぞ!」


「……でも、覚えておいて欲しいんだ。女の子の方がそれをどう思うのかは」


「えっ!?」


 遠ざかる斉藤に、その先は聞けなかった。

 




 社会科準備室の扉を開けると、そこに佇むは波瑠先輩ひとり。


 これは虎には想定どおりだったが、何故かもの悲しさを感じてしまう。

 本当に、波瑠先輩らしくないというか。



「あれ? 今日はお前ひとりなのか?」


 これである。

 頭脳明晰な彼女とは思えない。

 お昼に直も、市花も宣言していたのに、先輩の耳には入っていなかったようだ。


 直は放課後、蒲生がもうに用があると言っていた。

 市花も今日は部活が休みの菊理と約束があると言い、二人に対し先輩は確かに頷いていたというのに。



「先輩……大丈夫ですか?」


「……どうだろう。ちょっと自信が無いな」


 目を伏せてのこの台詞。とても弱々しい。


「やっぱり昨日、会長と、その、何かあったんですか?」


「まあ、積もる話が、な」


 言いよどんでいる。

 踏み込んで良いものでは無いようだ。

 この暗いムードを何とかしてあげられないだろうか――



「そうだ、佐保理今日来てないらしいんで、家に行ってみようと思うんですが一緒にどうですか?」


「穴山の家か。そうだな。あいつには、苦労させてばかりだから、こういうときにこそ、何かしてやらないとな」



 こうして、佐保理宅への抜き打ち家庭訪問が行われることになった、のだが、その道中――



「秋山……」


「何ですか? 波瑠先輩」


「もし、自分にとって大事な人がいなくなってしまったら、人はどうやって心の始末をつければ良いと思う?」


 それまで無言で気まずい状況が続いてはいたのだが、突然のこの重い質問はそれ以上に困るものだった。


 大事な人……直、市花、佐保理、それに先輩、両親にじいちゃん、他にも思いつく人はたくさんいる。


 いなくなったら、なんて考えたことも無い。

 その時、自分はどうするだろうか?


 しかし、いつかは、離ればなれになることは、どんな相手でもあり得る。大事であればあるほど、それは埋められない穴になるだろう。


 深く深く暗い穴に。



「変なことを聞いてしまったな。忘れてくれ」


 寂しそうに先輩は微笑んだ。

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