第106話 占い師の失踪

「北条先輩、今日はお休みなんですかね」


 市花が箸でつまんだじゃがいもを隣の菊理くくりに差し出しながら、誰にともなく言った。

 何だろうこの既視感。美味しそうだな、それ。


「情報通の市花も知らないなら、誰もわからないだろ。でも、おかしいな。昨日の帰り際、体調は悪くなさそうだったんだけど。やっぱり疲れてたのかな、あれは」


 またも何気なく言ってしまったこの一言を、虎は一瞬の後、激しく後悔することになる。


「昨日の帰り際……? 疲れてた……? 秋山くん、私の北条先輩に何をしたのですか? 先輩が許しても、私が許しませんよ! 白状なさい!」


「いや、ちょっと待て市花。神に誓って変なことはしていないぞ。一緒に佐保理の家に行っただけだって!」


「その穴山さんも来てないじゃないですか。秋山くん、まさか穴山さんの家で二人と……許しません! 絶対に許しません!」


「まてまてまてまて、何を考えてるんだ? 佐保理が心配で家まで行ったんだよ。先輩が気持ち疲れてそうなのは、お前だってお昼とかに見てるだろう」


 佐保理の家であったことは、まだ話せない。

 これが虎に言える誠意いっぱいの、精一杯だった。


「前にも言いましたよね。男の人は皆そう言うんです。弱くなっている乙女の、先輩の心につけ込むなんて……まずは私に土下座なさい」


 無理でした~バッサリだ。


 先輩が絡んだ時点で、何を言っても市花には無駄らしいな。

 元は二人だったから、先輩とは色々あるのだろう……だが、お前の今カノは彼女ではないのか、市花よ!


「い、市花、ほら、隣の菊理が困ってるじゃんか。な、このへんにしとこう、この辺に」


 嘘では無い、今日も彼女はずっと困った顔をしている。

 

 今日も顔が赤い、とっても赤い。

 絶対話の内容わかってるよな、この子。


 違うと訴えてるというのに……。



「先輩との話の途中で、菊理を持ち出すとは卑劣ですよ、秋山くん。私はここは引き下がらざるを得ません。ですが、学習していなかったと、きっと後悔することでしょう……言わずともわかりますね」


 わかってる……


「とら……、右の頬を打たれたら左の頬を出すのよ!」


「直……お前は無実を訴える俺を、打てるのかッ?」



 ……



 痛い、痛すぎる。

 だから、スナップ効かせすぎだって前に言ったじゃないか。


 くっ、佐保理も波瑠先輩もいない……。

 何でなんだよ!


 虎は今日も世の無情を嘆いた。




 そして、放課後……。


 ホームルームが終わると、市花が席に来て言うのだ。


「秋山君、行きますよ、急いで」


「えっ? どこへだ、市花?」


「三年生の教室、といっても、はばかられますので、ここは、北畠きたばたけ先輩のところへいくのです。北畠先輩であれば、北条先輩のこと、何かご存知でしょうから」


「あ、そうか、そうだな」


 市花も波瑠先輩のことが心配なのだ。


 確かに、二年生が三年生の階に行くのは気後れする。

 ここはとも先輩にすがろう。


 今日も、蒲生がもうと用事があるからと、後ろ髪をひかれるかのような顔をする直に手を振り二人で向かう。



「あー、波瑠今日学校来てないね。私にも特に何も無くてさ。珍しいよ」


「そうですか……」


 具先輩にも連絡しないとは。

 やはり……。


「何か来たら連絡するよ」



 すごすごと、社会科準備室に向かうしかなかった。


 そして、今は、市花と二人で長机を挟んで向きあっている。

 長い長い静寂。


 気まずい。

 そうだ、菊理の話題でも振ってみるか。


 お昼は菊理自身がいるし、放課後は直や佐保理もいるから、何となく聞きづらかったこともある。



「なあ、市花。菊理は……どうなんだ?」


「秋山くん。あの子のことが気になるのですか?」


「そ、そりゃ、あんなことがあったし。結局八重やえは見つからなかっただろ、俺だって心配になるさ」


「いろいろ理由をつけては、長尾家に行っています。八重の面影が彼女を癒やしてくれればと。綾さんも喜んでくださいますし、私も、妹が出来たようで、ちょっと嬉しいのです」


 微笑む市花は、ハッとするほど、綺麗な顔だった。


「あ、綾さん家か、市花は八重に似てるっていうから、菊理も嬉しいだろうな」


「そうですね。私という存在は一体何なのだと、考えてしまいます」


 市花は言いながら下を向く。


「どういうことだ?」


「キョウケン部員である浅井市花としての私、菊理の前で、諏訪八重の役割を演じる私。人間であれば、裏表があることは普通ですし、その時属する集団により器用に使い分けしている方だっているでしょうが、私はそこまで器用ではないらしいのですよ」


「市花……」


「私という存在とは何か? 私がいなくなったときに、初めてわかるものですかね……こうして、秋山くんと話している私は、どんな私ですか?」


 顔をあげて真っ直ぐこちらを見る市花。

 鼓動は否が応でも速くなる。


 しかし、何と答えるのが正解なのだろう。

 市花は自分にとって……。



「秋山くん、そろそろ話してもらえませんか」


「えっ!? ちょ、ちょっとまってくれよ。今考えてるから……」


「あー、さっきの質問でしたら宿題でいいですよ」


「はい?」


 我ながら間抜けな返事になってしまった。


「私が聞きたいのは、昨日のことです。穴山さんの家で、絶対に何かあったのではないかと思うのですが。違いますか?」


 さすが市花。不自然さはバレバレだったか。

 しかし、あのことは……。



 躊躇していると、社会科準備室の扉が勢いよく開いた。


「秋山君、昨日あの後、波瑠がいなくなったって本当なのっ!?」 

 

生駒いこま会長……?」


 突然入ってきたのは、生駒生徒会長だった。

 これには市花も驚いた表情をして固まっている。

 扉の脇には乾、こちらは珍しく心配げな表情をしていた。


 生駒はつかつかとそのまま近くに駆け寄ってくると、ドン、と机に手をついた。

 勢いに押される。


「は、はい、どうやらそうみたいです……」


「しまった……こうなるなら、波瑠ともう少し一緒にいればよかった」



――――――――――――



 昨日、佐保理の家の玄関のチャイムを鳴らした時、扉を開けて出てきた佐保理の母親らしい中年の女性は開口一番。


「佐保理? うちにはそんな娘はおりませんが?」


 虎と波瑠は、あっけに取られて何も言えない。

 そして、扉の向こう、家の中にいる人物の姿を見てさらに驚くことになる。


徳子のりこ……」


 虎にも波瑠にも何も言う暇を与えず、彼女は、主の女性に対しこう言った。


「叔母様それでは失礼いたします」



 ……



「こんなところで会うなんてね」


「どういうことなんだ、徳子」


「穴山さんのことで騒ぎを起こされるわけにはいかないから、やむを得ず、よ。わかって、波瑠。私も好きでやっているわけじゃないから」


 生駒会長が手短に説明したところによると、佐保理は昨日家に帰っておらず、その件で学校に連絡が来ていたらしい。


 十種の可能性が高く、警察沙汰となると、事態の好転どころか悪化に繋がりかねないため、やむを得ず、とのことだった。


「し、しかし……」


「納得してもらえるとは思ってないわ。でも話したように私は生徒会長、生徒全員を守る義務があるの。ごめん……」


 それだけ言い残すと、彼女はその場を去った。



――――――――――――



「あの後の波瑠の様子、聞かせて欲しいの。何か手がかりがあるかもしれない……浅井さんごめんなさい。秋山君、借りるわね」


 否とはいわせぬ口調。

 これは逆らえない。


 やや引きつり気味の顔をした市花を部室に残し、生駒に首根っこを捕まれたまま生徒会室へ向かうことになってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る