第185話 落ち着いてください

「ふふふ、もう遅い、ではさらばじゃ」


 捨て台詞を残して、松莉まつりに宿るヤチは消滅した。

 すかさず松莉から『八握剣やつかのつるぎ』を抜き、倒れかける彼女を抱き留める。


「どういうことだ? 真理奈まりな


「結界が……破られたみたいです」


 この言葉に先輩の家を見ると、先ほどまで微妙に見えていた光のオーラのようなものが、無くなっている。


「どうしてだ。結界の中にヤチは入れないんだろう?」


「はい、ヤチは……まさかそこをつかれるとは……」


「どういうことだ?」


「こういうことだ、馬鹿モノよ」


「何ッ」


 この声……

 声がしたほうをふり向く。


 腕を組み、ニヤリとしたイヤらしい顔でこちらを眺めている。


 何度も近くで揺れたことのある片おさげ。

 お嬢様っぽい近寄りがたさはあるけれど、その実は、思いやりの塊。

 そして、常に全体のことを考えて行動する彼女。

 なのだが、この様子、今は先ほどの松莉と同じく――


生駒いこま先輩まで……貴様……」


「ほう、最後の最後でようやく馬鹿から少し賢いに昇格したか、褒めてつかわすぞ、馬鹿モノの『八握剣』遣いよ」


「やはり、『足玉たるたま』で……」


「『足玉』で? 真理奈?」


「察しが悪いのは流石に馬鹿モノよの。ほれ、出てまいれ」


 まだいるのか? もしかしていぬい

 俺は、ヤチの後ろから現れた彼女の姿を見て、愕然とするしか無かった。


「な、なおッ! いったいどうして!?」


 ポニーテールが暗闇に揺れる。

 直のその無表情がヤチの傀儡くぐつとなっていることを強く強く示している。


「落ち着いてください、秋山先輩」


「これが落ち着いていられるかよ! どうして直がアイツに操られているんだ」


「結界の中には、ヤチの力は通りません。彼女自身も入れない。でも十種の力は、有効でした。つまり、生駒先輩の『足玉』で中にいる遠山先輩を操ることは可能だったということです」


 俺にも理解できた。

 これは、結界内で『生玉いくたま』の効果が確認できたときに気付くべきことだった。


「もう良いかの。しっかり絶望できたか? 我はさっさと済ませたいのでな。これが最後よ。我にひれ伏し、崇めるのであれば、事が成就せし後、魂くらいは我の近くに置いて愛でてやらんでもないぞ」


 生駒先輩の姿を借りるヤチはあくまで傲岸不遜な態度。


 しかし、ここまで追い詰められると、目の前にいるのが神であることを嫌が応でも思い知らされる。


 彼女の言うとおりにして良いことがあるのかさっぱりわからないが、それは神なりの配慮なのだろう。人間の自分には理解できないのだ。


 こういうときに、いつも皆を引っ張ってくれる波瑠先輩は今はいない。

 心が折れてしまいそうになる――


「何を言っているのかわからないわね」


「おぬしはまだ賢いほうであると思うておったが、娘よ、何がわからぬのだ? さっきから、おぬしあの力を使っておらぬところを見ると、使わぬのでは無く、使えぬと見ておるが。ならば諦め時ではないのか?」


 何ということだ。

 すでに、真理奈の十種が使えないことを見抜かれていた。


「それでも、今こちらが有利なことは変わりがないわ」


「何?」


「生駒先輩の『足玉』は人を操れる、でもその力は私たち十種の遣い手には効かない。今周りには、ここにいる四人の他に気配は無い。それなら、私が遠山先輩を足止めしている間に、秋山先輩があなたを『八握剣』で斬れば済む話よ!」


「なるほど、わかったぜ、真理奈」


 ヤチに容赦はいらない。卑怯も何も無い。

 俺は、『八握剣』を構え、斬りかかる――


「うぐっ」


 突如として腹の横に痛みが走ったかと思うと、地面がすぐ目の前にあった。


 何とか受け身をとるが、腕がかなり擦りむけて痛い。


「直……お前」


 目の前には直。

 ボクシングか空手の選手のように、両腕を前に体を斜めに構えている。

 狂犬のような目をして、殺気を全身にみなぎらせながら、唸っている。

 

 俺を蹴飛ばしたのが誰かは考えるまでもなかった。


「そうじゃな。『足玉』のみであればそうであろう。だが、そこに神である我の力が加われば別よ。『生玉』とは行かぬが、普通の人間よりはその娘強化しておる」


 何と言うこと。

 ヤチの言っていることはハッタリではない。

 菊理くくりに劣るとはいえ、先ほどの動きはやはり常人のそれではなかった。これが神の力。


 俺と真理奈の手に武器はあっても、当たらなければ意味が無い。

 こっちは普通の人間なのだ。

 それに、相手が直では、俺はともかく、真理奈は全力で向かえないだろう。


「くそう……真理奈、どうする?」


 しかし、返事が無い。


 左右を見回して、やっとわかった。

 少し離れたところで、うつ伏せに倒れている彼女の姿を見つけて。


 近くには、主を失い全身を地につけている『日月護身剣にちげつごしんのけん』。


「ま、真理奈ッ!」


 やはり、返事は無い。


「当たり所が悪かったかのう。それとも、やりすぎてしもうたか。こやつが絶望するところ楽しみにしておったのに、残念残念」


「お、お前……」


 怒りがこみあげてくる。

 『八握剣』を握る手に力が籠もる。


 頼れるは己一人。

 明らかに絶対絶命。

 勝てるわけはない。

 いや普通に死ぬこの状況。


 ……でも、それでも、最後まで戦わなくてはならない。


「あとはおぬしひとりじゃ。我も、もう茶番は飽きた。顔も見とうないゆえ、死んでたもれ」


 直の目が怪しく光る。

 来る! と思ったその時――





 急に左手を思いっきり引っ張られた。

 たまらず、蹈鞴たたらを踏む。

 何とか転ばずに済んだ。





 あれ……直がキョロキョロしている。

 こっちが見えていない。

 これって……





「とらきち。気付かれる前に、早く、会長を!」


 彼女のこの一言で、その意図を全て悟った。


「手、離さないでくれよ」


「うん」


 そのまま、一緒に生駒先輩の近くまで走り、勢いのまま『八握剣』を突き刺す。


 あっけない幕切れだった。


 こっちが実体化したのが目に映ったときには、ヤチは消滅していただろう。


 焦点を失った目。


 倒れそうになる生駒先輩の体を、俺とつないでいた手を離した彼女が受け止める。


「あっぶなー。ふー。なんとかミッション成功だな」


 彼女らしい台詞。


「助かったよ、いぬい。これ以上ないタイミングだった」


「こっちも間に合って良かったよ」


「でもお前、よくヤチにやられなかったな」


「あの時屋上で、マリリンに呼び止められてさ。全部聞いたんだよ。土下座までされちゃそうしないわけにいかなくて」


 なるほど、真理奈の深慮遠謀か。

 土下座のパフォーマンスまでするとは、乾のことを良くわかっている。


「それで、アタシも残るって言ったんだけど、マリリンが『遊軍も必要です』って説得するから、あの場では、怒って帰ったことにしたわけ。バツが悪いから、さおりんとナオナオにはちゃんとさよならしてたけどね」


 波瑠先輩の説明を思い出す。

 籠城戦は『待つ』戦い。

 味方が来たら、勝てるのだと。

 真理奈は乾というその味方を、つくっていたのだ。


「夜になったら来るように言われたんだけど。大変だったよ。能力解くなって言うから……なー、そろそろ、起きなよ、マリリン」


「何ッ!?」


「バレてましたか、さすがです、細川先輩」


 真理奈はむくりと起き上がった。

 そして体の埃を払う。


「やられたフリして、隙を狙ってたんですが、面目ありません」


「トドメもらっちゃったの、マズかったか?」


 乾がニヤリと笑う。


「お人が悪い。私が『日月護身剣にちげつごしんのけん』で生駒先輩を斬るのを心配してたんでしょう」


「あれは峰打ちでも痛そうだからな。アタシのノリスケ先輩には傷ひとつつけさせないさ」


 俺が全く余裕が無かった中、二人はかなり余裕があったと見える。

 恐ろしい。


「では、北条先輩と生駒先輩、それに遠山先輩を家の中に運びましょう」


「そうだな。とらきちはナオナオだぞ。まったく、アタシがノリスケ先輩受け止めるの見てるだけで、ナオナオが倒れるの止めもしないんだもんな」


「ひどいですよね、後で遠山先輩に報告しておきます」


「ちょ、ちょっと待て、遠かった、距離が遠かったぞーーーー」


 俺の抵抗が空しく月夜に吸い込まれていった。

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